生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

力を抜いて生きよ

2018-10-21 01:56:48 | 日々の暮らし
私が若い頃奈良のお寺で書の修行に明け暮れていた時でした。

書の偉人達にいじめにあったり、人生の苦難にあったり、と辛い時代でもあった頃でした。

境内の地下通路の暗闇につまずき、転んだのです。

その時見えた光に

涙が止まらなかったのです。



近くによって来たお坊さんが私に手を合わせていうのです。

あなたに後光がさしていますと。

あれから私の書は
魂が入るようになった気がしています。

転んで涙が止まらなかった理由は



「力を抜きなさい!」

という言葉が聞こえたからでした。


私の守護神は

古代の書の達人達と

世界中のお寺回りした

神社仏閣や教会です。


ロシアで、豪雪にあい一人遭難していた時に突如現れて救ってくれた青年は

人ではないと感じました。


言葉を交わさなくても

通じていたからです。

皆様もお参りした、

神社仏閣や教会には

宇宙のエネルギーがあります。

神々の住む国へと


通じる入り口だからです。

毎日感謝してください。


もちろん、御先祖様を一番に。

すべては

『力を抜いて!』


生きて下さい。


守護神を信じて



一人ではないと。

生きる力になれば。

合掌

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玉響(たまゆら)

2018-10-21 01:56:48 | 日々の暮らし
万葉集や方丈記に出てくる秋の言葉に

「玉響(たまゆら)」
があります。

玉は美しい石や宝石のこと。

その宝石が揺れる、ほんのわずかな時間のことを玉響(たまゆら)と詠んだ。

宝石が揺らいだ、ほんの一瞬に放つきらめき。

そんなきらめきを放てる人間になれるようにとの願いもある。

素敵な表現だと感じています。

玉響のような人

皆様にも宝石の輝きが

ありますように

合掌
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心寄せる

2018-10-20 02:33:26 | 日々の暮らし
言葉には力があります。しかし、言葉にとらわれすぎてもいけません。

言葉ではいい表されないこともあります。

また、いい言葉が浮かばない時もあるからです。

その時は、相手の気持ちを察するという能力が必要になります。

相手の言葉に「心を寄せる」という能力です。

お釈迦様が弟子たちを
前に、何も言葉を発しないことがありました。

ただ一輪の花をひねって微笑むだけ。

ぼうぜんとする弟子たちの中で、ただ一人
摩訶迦葉(まかかしょう)だけがニッコリ笑った。

彼はお釈迦様が語らずとも、今の教えや言わんとしたことが理解できたのでした。

彼は跡継ぎに指名されたのでした。


言葉を尽くして気持ちを伝えることは大事です。
そして、相手の言葉も真剣に受けとめなければいけません。

また、言葉だけにとらわれてもいけません。
相手の言葉を耳で聞くのではなく、相手の言葉に心を寄せる事だと仏教では教えています。

また、教えの言葉を疑ったり、信じない心であってはいけないと述べているのが聖書にあります。

《マタイ14 湖上を歩くイエス》

イエスは夜明けの3時頃、湖上を歩いて弟子たちの所に向かいました。

それを見て弟子たちは

「幽霊だ」と叫んだ。


安心しなさい私だと

イエスは言われた。

ぺトロが主よ本当にあなたでしたら、

私に湖の上を歩いて来いと命じて下さい。
と言った。

イエスが
『来なさい』
と仰せになったので

ぺトロは舟からおり、湖の上を歩きながらイエスの方へ行った。


ところが、強い風が吹いて来たのに気づいて恐れたので、
沈みかけた。


『主よお助け下さい』

と叫んだ。


イエスはすぐ手をさしのべ、ぺトロをつかんだ。


『信仰の薄い者、

なぜ疑ったのか』と

仰せになった。

 この一番弟子のぺトロが後の初代ローマ法王になりました。

ぺトロも三回イエスを裏切った過去があります。

イエスは予言しています。明日の鳥が鳴く前に、私を知らないと三度も言うと。

捕らえに来た兵にイエスを知らない、私は関係ないと。

しかし、人は弱い者、とイエスは許しています。

仏教も聖書も師の教えから多くを学んでいることは同じですね。



以前テレビで泉ピン子さんが話していました。

新人の頃、舞台で杉村春子さんから言われた言葉が、『姿勢が悪い』だった。

『人が見て、見苦しい姿は自分が楽。

人が見て綺麗な姿は、
自分が辛い。

人に見苦しい姿を見せてはいけない』
と言われそれがプロなんだと知らされた。

と述べていました。

師から頂く言葉も大事ですが、

真剣に受けとめる事も大切ですね。

言葉に心を寄せる



でした。


合掌


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煩悩とは

2018-10-19 02:38:06 | 日々の暮らし
今日は煩悩(ぼんのう)について述べたいと思います。

煩悩とは人間の心にもつ「三毒」のことです。

仏教では幸せな人生を送るためには、

三つの毒

「貪(とん)・

瞋(じん)・

痴(ち)」を止めよ!

と教えています。

「貪」とは

貪(むさぼり)の心。

何でも欲しがる欲望の心。

「瞋」とは怒りの感情。

ちょっとしたことで

感情的になり、それが

もとで人間関係などが

壊れていく。

「痴」とは愚かさや

愚痴をいうこと。

この三つの心を取り

除くことでいろいろな

悩みが解消すると

説いています。

この言葉の根本にあるのは自分が変わることで、解決できるものが多いのではと思います。


難しいことですが、

欲しがらない。

怒らない。

愚痴を言わない。

無いことに目を向けず

いまあるものに感謝する。

イライラするのは自分が原因なんだ。

都合のいい展開を期待してしまうからイライラするのだ。


人生は「花が咲く」こともあれば、

「雑草が生える」こともある。

いつまでも咲いていて欲しいと願っても、

いずれ花は枯れていく。

どんなに嫌っても、

雑草は生い茂ってくる。

自然の流れに逆らわないで

身を任せて生きるのがいいのだと最近感じています。

自分も枯れて来たからでしょうか。

子供の頃チョコレートなどなかった。

アメリカ兵から貰うしかなかった。


今はそのチョコレートが手に入るだけで幸せを感じています。

口の中で溶けていく

疲れも、嫌なことも


溶けていく

ハーシーのキスチョコ


これ以上何も要らない

ただ、コンビニにはないのが残念です。

これも煩悩ですね。

合掌







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母親の思い

2018-10-18 03:27:30 | 日々の暮らし
古典の「お伽草子」に
鉢(はち)かづき姫という物語があります。
1年前にも紹介しました。

なかなか珍しい物語です。
(福娘童話集より)

美しい姫が13才の時、
お母さんが重い病気になり、姫を枕元に呼んで姫の頭に大きな

鉢(お碗)をのせて

亡くなりました。


それが、とれないのです。

お父さんは新しい奥さんをもらうのですが、


意地悪をされ、

一人家を出るのです。

あまりにも辛いので、

川に身を投げるのですが、

木の鉢のおかげで

浮き上がり、死ぬこと

ができません。

旅先で嫁合わせという

集団お見合いの時、

鎌倉長谷寺の観音様に

お願いすると鉢が

とれて、その中から

金銀財宝が一杯出てきて、

結婚もでき、

別れ別れになっていた、

一人さ迷っていた

父親とも出会って

幸せに暮らしたという

お話です。

それを、見越して

お母さんは姫に


鉢をかぶせたの



でした。



素敵な物語です。



いざという時に、

観音様が見守って


いますよ。



そんな教えの言葉が



鉢かづきです。

詳しくは福娘童話集を御覧ください。


皆様も難局を乗り越えるよう見守っている仏様がいることをお伝えします。

合掌

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