生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

よもやま話

2018-10-02 21:30:55 | 日々の暮らし
昨晩は久し振りの夜勤でした。
深夜0時過ぎに、隣の女性職員が青い顔して飛んで来た。

エレベーターホールの電気が突然消え、エレベーターが動いて開いて止まったが、誰もいない。

怖い!

そのフロアに行った。

エレベーターは安全システム上で自動的に動いたのでしょう。

ただフロアの電気が消えたのはおかしいね。

お父さんの声がするよ。
そばにいるよと聴こえたけど。

あなたが気づかないから教えたみたい。

父は数年前に亡くなったけど、
そんな事あるのかしら?

しばらくしてまた彼女がやって来た。

認知症のおばあさんが、コールあったので
行くと、トイレというので行きましょう!

というと、わざわざ
あなたのお父さんまで来てくれて申し訳ないねといわれた。

彼女には見えていたのですね。


お父さんいつもそばにいるよと伝えたかったのですね。

彼女は初めての体験に充実した夜勤でしたと感謝していました。

話のネタになれば…。

さて、よもやまとは

「四方八方(よもやも)」が変化したものといいます。

日本は山の多い国。

四方の山で見てきたこと、聞いたことで話に花が咲き、山盛りの話題があったことから

「四方山話(よもやまばなし)」というようになった。

また、「話す」の語源は「放す」で、心を解き放すということから来ているという。

話すとはストレス解消になる。

仲間とのおしゃべりは
心を解き放すのです。



明日もよもやま話に

花を咲かせましょう。


合掌
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成長の試練

2018-10-02 02:32:52 | 日々の暮らし
人の話を聞くだけでも、この世は悩みごとが尽きないものだと感じています。

90過ぎても腰が痛い、脚が痛いと悩みがあるものです。

悩みがないのは、認知が入ったお年寄りではと感じてなりません。

しかし、その方でさえトイレが分からない、帰る部屋が分からないと徘徊する。


人生はやはり修業の場なのだと感じますね。


「人生、冷に耐え、

苦に耐え、煩(はん)

に耐え、閑(かん)に

耐え、もって大事為(

な)すべし」

曾国藩(そうこくはん)蒋介石が尊敬していた政治家の言葉です。

「冷」は冷遇に耐える。

「苦」は苦労に耐える。

「煩」はいろいろ煩雑なことに耐える。

「閑」は左遷されたり、窓際に異動されたり
する逆境に耐える。

そういうことが大事だという意味です。

私が営業時代に書き留めた古いメモからのものです。

皆様の役になればと紹介しました。


さて、臨済宗の祖と言われる、白隠禅師は幼いころにお寺で聞いた地獄の恐ろしさに取りつかれ、仏門に入ったと言います。

地獄こそ仏教の悟りに導いてくれたと述べています。

「南無地獄大菩薩」

という言葉をよく書いたといいます。


地獄のような困難や、苦しい事が人を成長させるものです。

今、困難や難題にぶつかっているあなた!

感謝しましょう。

それは、あなたにとって成長になる試練なのですから。

「南無地獄大菩薩」と

念じましょう。

私のメモにはそのあとがありました。

「芸術は日々の生活の

ほこりを洗い流して

くれる」

(ピカソ)

「ものを言わざれば

腹ふくるる

わざなり」

(徒然草)

ものを言わないと、欲求不満になってストレスがたまっていく。


耐えるだけでなく、

気分転換に芸術に親しんだり、

仲間と愚痴をのべたりしなさいよ。

と付け足してありました。(笑)

こんな古いメモですが、悩みの尽きない人生の役にたてばありがたく思います。

皆様にとって、今日もいいことが
ありますように。


合掌

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