「仏は常に
いませども
うつつならぬぞ
あはれなる
人の音せぬ
暁(あかつき)に
ほのかに夢に
見えたまふ」
(平安末期の歌謡)
仏は常にいらっしゃるのだけれどまのあたりに拝することができないので一層しみじみと尊く思われる。
しかし、人々が寝静まって物音一つしない明け方に、仏はかすかに夢の中に姿を見せなさるのだということでしょうか。
私の思いと同じなので紹介しました。
皆様も神仏の導きの夢が見えますようにお祈りしています。
「人はね
身につけたものを
だんだん棄てると
可愛くなるんだ
赤ん坊のように」
(私)
大人は地位や財産、身内の命などを失うと恐れや悲しみ苦しみを抱くものです。
しかし、それをのりこえ受け入れた時、気づくものです。
これがその時の言葉です。
お地蔵さんが身近に感じました。
いいことあるよ。