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偏界一覧亭旧跡の碑について 東NO19

2018-05-26 09:02:01 | 日記
「鎌倉の碑」めぐり 著者 稲葉一彦には、次のような記述がありました。碑の元文を現代文になおすと次のような内容となります。
此の亭は、嘉暦三年(1328年)に、夢窓国師が建てたもので、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の僧が集まって、しばしば詩をよむ会を開いたところである。
その後、荒廃してしまいましたが、徳川光圀が一堂を建て、そのかたわらに寮を造って「一覧亭集詩板」をかけておいたというが、今は、堂も寮もなく、礎石を残すだけである。「前もまたかさなる山のいほりにて梢につづく庭の白雲」の歌は、夢窓国師が此の亭でよんだものであると伝えられている。
 建立場所 
参考「徧界一覧享」
 瑞泉寺の後山をまがりくねって登りつめた山頂に一覧亭のあとが残っている。今は小さな堂があるだけだが、見晴らしはすばらしく、富士、箱根はもとより、近くは鎌倉の山なみも一望できて、正に徧界一覧の名をうなずかせるに足りる。
 この一覧亭がつくられたころ、鎌倉五山の僧は、しばしばここに集まって詩の会を行なったというし、江戸時代になってからは、水戸光圀が堂と寮を建てたというが、それもなくなってしまったので、今の小堂が建てられた。
 「一覧亭の記」
清拙正澄が夢窓疎石の請を受けて、嘉暦四年(1329年)3月10日に「徧界一覧享記」を書いたが、その写しが今も瑞泉寺に残っていて、この記に
 「瑞泉寺の後山を十八も曲がりくねって登りつめると、この亭があり、そこではすばらしく大きな眺が眼前に広がる。伊豆、箱根、富士の山々と、近くのやまが美しくつらなり、春夏秋冬四季それぞれの美しさはまことにすぐれている」ことを五百字余りをついやして述べている。
 「集詩板」
 五山の僧たちが詠んだ詩を、光圀が刻ませたという集詩板は、今も瑞泉寺に残されている。この集詩板は、おそらく光圀の建てた堂、寮のかべにかけられて、この亭をたずねる人々もこれらの詩を読んでは、それぞれに感想を語りあったことであろう。などという記述がありました。

(この寺の庭を超えて裏山に碑がある模様ここからの出入りをことわられました)

(奥の裏山です)
 したがって碑の写真は写せません、誠に、もうしわけありませんでした。どこかできいたセリフになっちゃいました。

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