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英一番館跡の碑について

2016-04-02 16:03:12 | 日記
 横浜大桟橋入口前交差点のシルクセンター側の角地「絹と女」像の前に180センチメートル余りの「史跡英一番館跡」の碑があったので、なかく歴史の散歩道 編集・著者横浜開港資料館資料によれば、次のようなことがらが記述されていましたので、投稿いたします。
 ここは、かっての居留地一番地、イギリスの貿易商社「ジャーディン・マセソン商会があった場所である。国籍別の番号は、当初商社の入港船登録順や開業順を基準に付せられ、同商会は、トーレル、デントに続く「英三番」館であったが、のちに設定れた地番の一番地に建物を構えてみずからも「英一番館」を称し、横浜の代表的な老舗外国商社であったことから、この名称が定着したのである。
 同商会は、香港に本社を置き、中国を中心にアジア各地で活動していたが、安政6年(1859)横浜開港と同時にいち早く来航し、同年末にはこの地に社屋を新築した。1700坪の敷地に、洋風2階建白亜の広壮な建物は、当時の横浜浮世絵やガイドブック「横浜土産」にも描かれている。
 この「英一番館跡」を示す記念碑は、昭和29年(1954)開国100年祭の記念行事として、「横浜町会所」「吉田橋関門」「神奈川奉行所」や各国領事館など市内11箇所に建てられた石碑の一つ。石は、茨城県笠間市稲田産の御影石、碑文は、スポーツマン市長として知られた平沼亮三が揮亳した。
 総務課の石井は、編集室主任として長く「横浜市史」の編集に携わり、同青木は、公務の傍ら独力でわが国の農民運動に関する膨大なデータを集め、青木年表とも呼ばれる「百姓一揆総合年表」を完成した。この「英一番館跡」碑は平成7年(1995)に、そして同時に建てられた他の史跡碑も相前後して、横浜市地域史跡に登録された。歴史散策のてがかりにしていただきたい。と記されていた。

(英一番館跡の碑)

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