ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

参加体験型研修で分かること

2016-09-24 07:24:01 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「分かったつもり…」9月13日
 上東麻子記者が『忘れないで』という表題でコラムを書かれていました。その中で上東氏は、『参加者が4人1組になり、2人はおしゃべりをする役、1人は会話に入り込もうとするが、2人はそれを無視して話し続ける。もう1人は観察する』という若者の交流イベントに参加した体験を紹介なさっています。無視され続ける役になった参加者は、『みじめだった』『悲しい気持ちになった』などの感想を述べていたそうです。
 この参加体験から上東氏は、無視され続け意思疎通を図ることができない状態にいる子供たちへの配慮を訴えています。その通りだと思います。私も、教委に勤務し人権教育を担当していたときに行った研修を思い出しました。それは、出席者の教員全員のおでこに講師が何色ものカラーシールを貼り付けるというものでした。自分のおでこを見ることはできませんから、自分が何色かは分かりません。その上で、同じ色同士でグループ作りをするのです。自分の力ではどうすることもできないおでこのシールの色という要素で仲間はずれにされていくという体験をするロールプレイ型の研修でした。
 しかし私が感じたのは、上東氏とは少し異なる感想でした。所詮限られた時間のこと、原因は自分の本質にはない人工的な要因であることなど、本当に集団内で無視され続けている人の苦しみとはほど遠い感覚ではないのか、という疑問を感じてしまったのです。
 こうしたタイプの研修の意義を否定するわけではありませんが、分かったつもりになってしまうことの傲りのようなものが危惧されてなりませんでした。
 今、バーチャルリアリティ、いわゆるVRゲームが人気を集めていますが、そうしたゲームはあくまでも実際の体験とは異なります。当たり前のことで、誰もがそのことを認識し理解しています。それなのに、上東氏が体験したような型の研修会や勉強会では、一定の権威のある主催者、講師の指導などもあり、仮の体験であるにもかかわらず、分かったつもりになってしまう人が多いのです。
 私はこのブログで、教員にとっての児童理解とは、「別個の人間である子供のことが全部分かるはずがない、それでも少しでも分かることを増やそうと必死であがく過程こそが大切だ」という趣旨の主張を繰り返してきました。それは今も変わりません。だからこそ、分かったつもり、が恐ろしいのです。いつか、「このくらいの苦しみなら我慢できるよね」になってしまうのではないかと。参加体験型の研修で感じたことは、ごく一部だということだけは「忘れないで」と思います。

 

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