ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

こんな時代だからこそ

2016-09-10 07:35:30 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「促成栽培でなく」9月1日
 ロサンゼルス支局長野宏美記者が、『塀の中の大学』という表題でコラムを書かれていました。その中で長野氏は、ニューヨーク州の『受刑者向け大学教育』について触れています。『民間の寄付で運営され、バード大学の学位を得られる』システムだそうです。
 長野氏は、そこで学んだ受刑者チョコス氏のケースを取り上げ、『スキルを身につける職業訓練と違い、チョコスさんは世界観そのものが変わったという。物事を成し遂げる自信もついた。取材中もジョン・ロックら哲学者の名前や米建国の父ベンジャミン・フランクリンの名言を次々に挙げた。5年前に仮釈放された後は大学院(名門エール大学)で学び、今は博士を目指す~(中略)~チョコスさんは元犯罪者ではなく、誇りを持った市民として社会に戻った』と書かれています。
 以前もこのブログで、同様な取り組みについて紹介しましたが、チョコス氏の事例から学ぶべきは、ある職業に役立つ技術を身につけさせることとは別に、いわゆる教養教育によって、人生観や世界観を深甚なものに変えていくことの大切さであり、学校教育は、短期的な視野に基づく「職業適合訓練」に堕してはならないということです。
 我が国の刑務所も改善されるべきでしょうが、それ以前に、現在進行形の学校教育全体を覆う発想、価値観を見直すことが急務だと思います。企業の要請を受け、就職した日から役立つ即戦力を育てることが現代的な学校教育であり、望ましい形であるというような発想、小中学生のうちから将来の職をイメージしていくことを強いるような職業教育、大学生が教養を身につけるよりも、専門学校に通って資格を取得することが賢いやり方とされる風潮、そこから生まれるのは、人間としての深みにかけた薄っぺらな若者でしかないのではないでしょうか。
 そんな若者が海外に出ても、日本の文化や歴史について何も知らず、人生や哲学について語ることができず、宗教観を戦わすこともできないというのでは、尊敬されることはもちろん、まともな大人としてみられることさえ難しいでしょう。
 今、人工知能の発達を例に挙げるまでもなく、社会が激変し、今ある職業の半数が25年後にはなくなっているとさえ言われています。そんな時代に、ハウツー的な知識や小手先の技術を身に着けたところで、そのことが確かな人生を保証してくれるとは思えません。そんな時代だからこそ、人類数千年の英知を見直し、自己の世界観、人生観を確立させるような教養、それを手助けする学校教育が必要なのではないでしょうか。

 

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