ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

信頼感への自覚

2016-09-07 07:29:57 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「信頼感ということ」8月31日
 『「体感治安」大阪最下位』という見出しの記事が掲載されました。警察庁が、都道府県ごとの住民の「体感治安」を探る調査をした結果を報じる記事です。記事では、『(人口当たりの刑法犯件数)ワースト2位だった東京の体感治安は全国平均を上回ったが、東京は警察への信頼度も全国平均より高く、体感治安を押し上げたとみられる』と書かれています。
 納得できる結果です。こうした人々の感覚、認知傾向は、おそらく他の分野においても同様であることが推察されます。学校教育も例外ではないはずです。学校教育における「実績」を当該自治体の学力テストの結果、少年非行の件数、いじめ・不登校の発生件数などを指標として数値化したランクを、人口当たりの刑法犯件数に置き換え、警察信頼度を教員・学校・教委への信頼度に読み替え、体感治安を学校教育への満足度とみなした場合、やはり、同じような結果になるということです。
 私は教委勤務時、「指導力不足教員ステップアップ研修」「服務事故再発防止研修」を担当し、最後は指導室長として、教員人事に関わる仕事をしてきました。その中で、体罰、覗きや痴漢といった不祥事、いじめの放置や保護者から拒絶反応を示されるほどの指導力不足、あまりに過激な偏向教育などに関わった教員を説諭する機会がありました。
 反省している者、居直る者など様々でしたが、彼らの多くは、自分が起こした問題を自分だけのこととしてしか認識していませんでした。例えば、体罰をしてしまった教員は、「私が悪かったんです。保護者にも生徒にも傷つけてしまったことをお詫びします。校長や教育委員会の皆さんにもご迷惑をおかけしました。処分されても異議申し立てはしません」と言います。ある意味潔い態度です。
 しかし逆に言えばそこまでなのです。彼は、自分のしたことを、自分と当該生徒、保護者、学校の校長と教委の私というごく狭い範囲でしかとらえていないのです。自分のしたことが、新聞記事で報じられ、地域社会の噂になり、その噂しか知らず普段の学校の様子などは知らない一般住民の学校への評価を下げ、それが地域全体の公立校やそこで働く教員への不信感を増すことに気付いていないのです。体感治安的感覚=学校教育全体への信頼を損ねたことに一役買っているという自覚がないのです。
 教員は、自分のつまらない授業、軽い気持ちで手を挙げてしまった行為、配慮を欠く暴言、私生活での非行などが、同じ都道府県、区市町村で働く何百人、何千人という教員仲間に悪影響を及ぼすのだという自覚をもたなくてはならないのです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする