雫石鉄也の
とつぜんブログ
とつぜんリストラ風雪記 5
とつぜんリストラ風雪記1
とつぜんリストラ風雪記2
とつぜんリストラ風雪記3
とつぜんリストラ風雪記4
第5章 2002年が暮れる
小生は、2002年の師走は、浪人モノとして迎えた。時代劇の浪人モノは浪々の身でありながら、剣の腕は確かという設定が多いが、小生は浪人だが、剣は使えない。素人の週末料理人だから包丁は多少は使える。
これじゃヤクザの用心棒はできない。黒澤の「用心棒」は三船敏郎の用心棒が、仲代達也の銃に対抗するのに、包丁を使っていたが、小生にはあんなマネはできない。せいぜい愛用の有次の出刃でアジのゼイゴをとるぐらい。
藩を追われ、禄が無くなったが、一族郎党を養っていかなければならない。殿拝領の名刀も、先祖代々伝わる武具甲冑も無いから、早急に仕官先を探す必要がある。
2002年12月6日(金)
灘ハローワークへ行く。雇用保険の説明会。ハローワークが、初めて雇用保険を受給する人を何人か集めて、説明会を開催する。小生はこの日の会に出席すべしとの指定だった。30人ほどが集まっていた。
雇用保険の成り立ちとしくみ、雇用保険というものの考え方、などの雇用保険概論のあと、事務的な処理の仕方と、受給に際しての注意点を聞く。
ハローワークのいっている事は次の2点だった。
1、 何もしなければ雇用保険は受けられません。
2、 お金を稼いだらいけません。
雇用保険には認定日というモノがあって、この日には必ずハローワークに行って、書類を提出して認定されなければ保険金は支給されない。
家で寝ているだけではお金はもらえないということ。求職活動をしなければ、雇用保険の認定は受けられない。認定日と認定日の間に(だいたい1ヶ月ぐらい)最低2回は求職活動を行わなければならない。そして、その求職活動を後日、なんらかの方法でハローワークが確認できなければだめだ。
ハローワークに求職相談や求人情報の検索に行けば、雇用保険受給者証に判をついてくれる。だから、2回ハローワークに行けばOK。違う日に同じハローワークに行ってもいいし、同じ日に違うハローワークに行ってもいい。
別にハローワークでの求職活動でなくてもいい。民間の求職支援会社でのセミナーの類いに参加していても認められる。小生はパソナに行っていたから、この活動ももちろんいい。
自宅でインターネットの求人サイトを検索していたり、新聞の求人広告、AIDEMなどの求人チラシを見ていて、自宅にて求職活動と書類に書けばどうか。これは認められない。なぜなら、ハローワークが確認できないから。
ところが、それらの活動をして、実際に履歴書を送付するなどの行動をおこせば認められる。ハローワークが応募先に問い合わせれば判るから。
雇用保険受給中は、原則として収入を得てはいけない。もしアルバイトでもして、お金を得たら正直に申告するべし。その分、受給額は減らされる。減らされるのが嫌で、内緒でアルバイトをしてて、もしバレれば、不正受給として、それから先の受給は打ち切られる。さらに、それまで受け取った保険金は、倍返しで返却しなくてはならない。
例えば、家が商売をしてて、その手伝いをするのはOK。ただし、お駄賃という形ででもお金をもらえばダメ。
この説明会で、ハローワークの職員が一番力を入れて説明していたのは、この不正受給のくだり。
「いいですか、みなさん。絶対にバレないと思ってアルバイトをしても、必ず判ります。そうなると倍返しですよ」
このことをしつこく、何度もいっていた。で、質問をした。
「なぜバレるのですか」
「いろいろです。通報とか」
それ以上具体的な説明はなかった。いったい誰が通報するのだろう。雇用主が通報するとは思えない。その人の周囲の人が通報するとも考え難い。
説明会の後、雇用保険受給者証をもらう。ハローワークを出て、東灘区役所へ。それを見せて、国民健康保険料と市民税の減免手続きをする。
12月10日(火)
灘ハローワークで求人情報の検索。収穫なし。天気がいいので、ハローワークから山手幹線沿いに、東灘区の自宅まで歩いて帰る。このころは、まだ足が痛くなかった。
12月17日(火)
芦屋の串カツ屋にてわが家の忘年会。串カツ食べて、ビール飲んで、日本酒も飲む。串カツ屋を出て、ルミナリエに行く。
12月18日(水)
灘ハローワークへ。雇用保険の初めての支給日。滞りなく手続きをする。これで保険金が振り込まれる。
その後、パソナへ。今日が第1日目。同期生は20人ほど。元K電気の人も3人いた。ほとんどが、大企業出身者。K電気が一番の小企業。
ガイダンスのあと、「自分を見直す」「経歴の底ざらえ」といったことをやらされる。
自分の長所、短所。今まで働いてきて、成功したこと、失敗したこと。自分自身が思う一番得意なこと。不得手なこと。
学校を卒業して、社会人となって、今までしてきたこと。できるだけ、くわしく、具体的に列挙する。
このようなことをして、自分は、何が出来るのか/出来ないか。何がしたいか/したくないか。を分析して、これからどういう求職活動を展開するのがベストかアドバイスをしてもらう。
12月19日(木)
パソナ2日目。応募書類の書き方を教わる。人事募集に応募すると必ず提出しなければならない書類がある。履歴書と職務経歴書。この他にも、必要書類に同封するあいさつ文、面接までいったら、面接後に出すお礼状など。
求職活動をする上で、最重要課題は、この書類の書き方。縁故採用でないかぎり、書類審査が必ずある。これを通過しなくては面接さえしてくれない。
履歴書は事実をそのまま記入するので、工夫の余地はあまりない。職務経歴書が重要になってくる。
今まで、どんな仕事を担当して、どのような成果を上げてきたか、具体的に、できれば数字を上げて記入する。わかりやすくコンパクトにまとめる。A4用紙2枚程度がちょうどいい。
同封するあいさつ文は、企業の人事担当者は、まず、読んでくれないが、こちらの熱意と誠意を相手に伝えることができる。もし読んでもらえれば、印象が違う。面接後のお礼状は、手ごたえがなかったり、入社するつもりがないなら、出す必要はない。手ごたえを感じたり、どうしてもこの会社に入社したいと思ったら出すべし。それもできるだけ早く。できれば、面接の時に持って行き、面接からの帰宅時に投函しよう。あなたと、もう一人、競合している人、どっちにしようと担当者が迷っている時に有利に働く時がある。
一度人事募集をすれば、企業の採用担当者の机の上には、応募書類の山が出来る。どれもこれも同じような書類ばかり。たくさんの書類の中で、あなたの書類を印象付けようと思えば、それなりの工夫が必要。その他大勢の中に分類されれば、書類審査ではねられる。
12月20日(金)
パソナ3日目。今日でパソナでの集団でのゼミは最終。あとは一人一人にカウンセラーが週に一度のカウンセリングをしてくれる。最長半年間、再就職が決まるまで面倒を見てくれる。
最終日の今日は面接の練習。縁故採用の場合は、提出書類は履歴書だけの場合があるが、面接は必ずある。面接なしで人を入社させる企業はない。従って面接は求職活動の必須科目。
面接は当然のこながら、求職者と面接担当者は初対面。面接の勝負は居合の立会いと同じと心得るべし。一瞬で決まる場合が多い。第一印象が大切ということ。イスに座り面接担当者との会話になれば、後ろ向き、否定的、消極的な印象を相手に与える、態度、言葉は厳禁。
受講生同士が面接担当者と求職者に扮して、何度もシュミレーションを繰り返す。こうして文で書くと、簡単にできそうだが、いざ、面接の本番になると、なかなか思い通りに行かない。
こうしてパソナでの3日間の集団集中ゼミは終わった。最後に一人一人の個人カウンセラーが紹介された。小生のカウンセラーはH氏。これから、週に一度、H氏と面談して、求職活動のアドバイスを受ける。
3日間の講義を受けて小生なりの総括をしてみた。
1 中高年の再就職は非常に困難
2 ライバルは多数
3 ライバルと同じことをしていたらダメ
1に関しては、小生は認識を新たにした。現実を甘く考えていた。これをお読みのあなた、もし、あなたが中高年で、今から求職活動をするつもりなら、現実はあなたが想像している以上に厳しいことを覚悟すべきだ。
2に関して。このことは小生たちは、生まれた時からこういう状態だった。団塊の世代である。常に競争相手の多い状態で、生まれ育ってきた。
3。これが大きなパラドックスとなる。小生はパソナの大阪で受講した。同期生は約20人。この大阪でも、小生たちの前にも、後にも同じぐらいの人数がいる。パソナは大手だから、大阪以外にも東京、名古屋など各都市で同じようなことをしている。また、パソナ以外の就職支援会社も同じようなことをしている。ゼミの内容は同じようなものだろう。
中高年の再就職に関する本を何冊か読んだが、同じようなことが書いてあった。ようするに、同じような再就職の仕方を教わった人が、職を求めて巷に散ったわけ。これらの人たちと同じことをしていてはダメということ。
小生が同期生たちと、同じ企業に応募するかもしれない。そうすると、彼らは3日間パソナで教わった書き方で職務経歴書を書き、同じ心構えで面接に望むだろう。彼らに勝ち、小生が採用されるには、彼らと同じことをしていてはいけない。つまり、パソナで教わったことしていてはダメということ。本で読んだ通りのことをしていてはダメということ。
では、まったく勉強しなくてもいいのかというと、そうではない。ようは自分自身で考え、工夫することが肝要ということ。
12月27日(金)
パソナにてH氏と初めての個人面談。1時間以上にわたって、じっくりと話し合う。これからは毎週金曜日にH氏と面談することにする。
12月31日(火)
2002年も終わる。この年の正月には、まさか自分が会社を辞めて、浪人モノになるなんて考えもしなかった。
紅白歌合戦を観る。中島みゆきが黒部から「地上の星」を歌っていた。
つづく
とつぜんリストラ風雪記2
とつぜんリストラ風雪記3
とつぜんリストラ風雪記4
第5章 2002年が暮れる
小生は、2002年の師走は、浪人モノとして迎えた。時代劇の浪人モノは浪々の身でありながら、剣の腕は確かという設定が多いが、小生は浪人だが、剣は使えない。素人の週末料理人だから包丁は多少は使える。
これじゃヤクザの用心棒はできない。黒澤の「用心棒」は三船敏郎の用心棒が、仲代達也の銃に対抗するのに、包丁を使っていたが、小生にはあんなマネはできない。せいぜい愛用の有次の出刃でアジのゼイゴをとるぐらい。
藩を追われ、禄が無くなったが、一族郎党を養っていかなければならない。殿拝領の名刀も、先祖代々伝わる武具甲冑も無いから、早急に仕官先を探す必要がある。
2002年12月6日(金)
灘ハローワークへ行く。雇用保険の説明会。ハローワークが、初めて雇用保険を受給する人を何人か集めて、説明会を開催する。小生はこの日の会に出席すべしとの指定だった。30人ほどが集まっていた。
雇用保険の成り立ちとしくみ、雇用保険というものの考え方、などの雇用保険概論のあと、事務的な処理の仕方と、受給に際しての注意点を聞く。
ハローワークのいっている事は次の2点だった。
1、 何もしなければ雇用保険は受けられません。
2、 お金を稼いだらいけません。
雇用保険には認定日というモノがあって、この日には必ずハローワークに行って、書類を提出して認定されなければ保険金は支給されない。
家で寝ているだけではお金はもらえないということ。求職活動をしなければ、雇用保険の認定は受けられない。認定日と認定日の間に(だいたい1ヶ月ぐらい)最低2回は求職活動を行わなければならない。そして、その求職活動を後日、なんらかの方法でハローワークが確認できなければだめだ。
ハローワークに求職相談や求人情報の検索に行けば、雇用保険受給者証に判をついてくれる。だから、2回ハローワークに行けばOK。違う日に同じハローワークに行ってもいいし、同じ日に違うハローワークに行ってもいい。
別にハローワークでの求職活動でなくてもいい。民間の求職支援会社でのセミナーの類いに参加していても認められる。小生はパソナに行っていたから、この活動ももちろんいい。
自宅でインターネットの求人サイトを検索していたり、新聞の求人広告、AIDEMなどの求人チラシを見ていて、自宅にて求職活動と書類に書けばどうか。これは認められない。なぜなら、ハローワークが確認できないから。
ところが、それらの活動をして、実際に履歴書を送付するなどの行動をおこせば認められる。ハローワークが応募先に問い合わせれば判るから。
雇用保険受給中は、原則として収入を得てはいけない。もしアルバイトでもして、お金を得たら正直に申告するべし。その分、受給額は減らされる。減らされるのが嫌で、内緒でアルバイトをしてて、もしバレれば、不正受給として、それから先の受給は打ち切られる。さらに、それまで受け取った保険金は、倍返しで返却しなくてはならない。
例えば、家が商売をしてて、その手伝いをするのはOK。ただし、お駄賃という形ででもお金をもらえばダメ。
この説明会で、ハローワークの職員が一番力を入れて説明していたのは、この不正受給のくだり。
「いいですか、みなさん。絶対にバレないと思ってアルバイトをしても、必ず判ります。そうなると倍返しですよ」
このことをしつこく、何度もいっていた。で、質問をした。
「なぜバレるのですか」
「いろいろです。通報とか」
それ以上具体的な説明はなかった。いったい誰が通報するのだろう。雇用主が通報するとは思えない。その人の周囲の人が通報するとも考え難い。
説明会の後、雇用保険受給者証をもらう。ハローワークを出て、東灘区役所へ。それを見せて、国民健康保険料と市民税の減免手続きをする。
12月10日(火)
灘ハローワークで求人情報の検索。収穫なし。天気がいいので、ハローワークから山手幹線沿いに、東灘区の自宅まで歩いて帰る。このころは、まだ足が痛くなかった。
12月17日(火)
芦屋の串カツ屋にてわが家の忘年会。串カツ食べて、ビール飲んで、日本酒も飲む。串カツ屋を出て、ルミナリエに行く。
12月18日(水)
灘ハローワークへ。雇用保険の初めての支給日。滞りなく手続きをする。これで保険金が振り込まれる。
その後、パソナへ。今日が第1日目。同期生は20人ほど。元K電気の人も3人いた。ほとんどが、大企業出身者。K電気が一番の小企業。
ガイダンスのあと、「自分を見直す」「経歴の底ざらえ」といったことをやらされる。
自分の長所、短所。今まで働いてきて、成功したこと、失敗したこと。自分自身が思う一番得意なこと。不得手なこと。
学校を卒業して、社会人となって、今までしてきたこと。できるだけ、くわしく、具体的に列挙する。
このようなことをして、自分は、何が出来るのか/出来ないか。何がしたいか/したくないか。を分析して、これからどういう求職活動を展開するのがベストかアドバイスをしてもらう。
12月19日(木)
パソナ2日目。応募書類の書き方を教わる。人事募集に応募すると必ず提出しなければならない書類がある。履歴書と職務経歴書。この他にも、必要書類に同封するあいさつ文、面接までいったら、面接後に出すお礼状など。
求職活動をする上で、最重要課題は、この書類の書き方。縁故採用でないかぎり、書類審査が必ずある。これを通過しなくては面接さえしてくれない。
履歴書は事実をそのまま記入するので、工夫の余地はあまりない。職務経歴書が重要になってくる。
今まで、どんな仕事を担当して、どのような成果を上げてきたか、具体的に、できれば数字を上げて記入する。わかりやすくコンパクトにまとめる。A4用紙2枚程度がちょうどいい。
同封するあいさつ文は、企業の人事担当者は、まず、読んでくれないが、こちらの熱意と誠意を相手に伝えることができる。もし読んでもらえれば、印象が違う。面接後のお礼状は、手ごたえがなかったり、入社するつもりがないなら、出す必要はない。手ごたえを感じたり、どうしてもこの会社に入社したいと思ったら出すべし。それもできるだけ早く。できれば、面接の時に持って行き、面接からの帰宅時に投函しよう。あなたと、もう一人、競合している人、どっちにしようと担当者が迷っている時に有利に働く時がある。
一度人事募集をすれば、企業の採用担当者の机の上には、応募書類の山が出来る。どれもこれも同じような書類ばかり。たくさんの書類の中で、あなたの書類を印象付けようと思えば、それなりの工夫が必要。その他大勢の中に分類されれば、書類審査ではねられる。
12月20日(金)
パソナ3日目。今日でパソナでの集団でのゼミは最終。あとは一人一人にカウンセラーが週に一度のカウンセリングをしてくれる。最長半年間、再就職が決まるまで面倒を見てくれる。
最終日の今日は面接の練習。縁故採用の場合は、提出書類は履歴書だけの場合があるが、面接は必ずある。面接なしで人を入社させる企業はない。従って面接は求職活動の必須科目。
面接は当然のこながら、求職者と面接担当者は初対面。面接の勝負は居合の立会いと同じと心得るべし。一瞬で決まる場合が多い。第一印象が大切ということ。イスに座り面接担当者との会話になれば、後ろ向き、否定的、消極的な印象を相手に与える、態度、言葉は厳禁。
受講生同士が面接担当者と求職者に扮して、何度もシュミレーションを繰り返す。こうして文で書くと、簡単にできそうだが、いざ、面接の本番になると、なかなか思い通りに行かない。
こうしてパソナでの3日間の集団集中ゼミは終わった。最後に一人一人の個人カウンセラーが紹介された。小生のカウンセラーはH氏。これから、週に一度、H氏と面談して、求職活動のアドバイスを受ける。
3日間の講義を受けて小生なりの総括をしてみた。
1 中高年の再就職は非常に困難
2 ライバルは多数
3 ライバルと同じことをしていたらダメ
1に関しては、小生は認識を新たにした。現実を甘く考えていた。これをお読みのあなた、もし、あなたが中高年で、今から求職活動をするつもりなら、現実はあなたが想像している以上に厳しいことを覚悟すべきだ。
2に関して。このことは小生たちは、生まれた時からこういう状態だった。団塊の世代である。常に競争相手の多い状態で、生まれ育ってきた。
3。これが大きなパラドックスとなる。小生はパソナの大阪で受講した。同期生は約20人。この大阪でも、小生たちの前にも、後にも同じぐらいの人数がいる。パソナは大手だから、大阪以外にも東京、名古屋など各都市で同じようなことをしている。また、パソナ以外の就職支援会社も同じようなことをしている。ゼミの内容は同じようなものだろう。
中高年の再就職に関する本を何冊か読んだが、同じようなことが書いてあった。ようするに、同じような再就職の仕方を教わった人が、職を求めて巷に散ったわけ。これらの人たちと同じことをしていてはダメということ。
小生が同期生たちと、同じ企業に応募するかもしれない。そうすると、彼らは3日間パソナで教わった書き方で職務経歴書を書き、同じ心構えで面接に望むだろう。彼らに勝ち、小生が採用されるには、彼らと同じことをしていてはいけない。つまり、パソナで教わったことしていてはダメということ。本で読んだ通りのことをしていてはダメということ。
では、まったく勉強しなくてもいいのかというと、そうではない。ようは自分自身で考え、工夫することが肝要ということ。
12月27日(金)
パソナにてH氏と初めての個人面談。1時間以上にわたって、じっくりと話し合う。これからは毎週金曜日にH氏と面談することにする。
12月31日(火)
2002年も終わる。この年の正月には、まさか自分が会社を辞めて、浪人モノになるなんて考えもしなかった。
紅白歌合戦を観る。中島みゆきが黒部から「地上の星」を歌っていた。
つづく
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リストラ風雪記も佳境を迎えておりますが、雫センセが今健在でハッピーエンドは間違いないので安心しておりますが、ショートショートの「働きなさい」は悲しすぎました(T_T)
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