雫石鉄也の
とつぜんブログ
神戸文学館 眉村卓氏「SFを書きはじめたころ」を聞きに行く
午前中、仕事。正午に会社を出る。三宮へ移動。センタープラザ地下のカツ丼吉兵衛で昼食。この店いつも行列を作っているが、回転が早いので、いらちの小生でも並べる。ここのカツ丼は神戸では有名だが、正直、小生のカツ丼の方がうまい。
阪急王子公園で下車。神戸文学館へ。今日は「小松左京展」記念講演。眉村卓氏の「SFを書きはじめたころ」を聞きに行く。
15分ほど前に着く。まず事務所に顔を出して眉村さんにごあいさつ。講演会場に入る。ぎっしりの満員。立ち見も出ている。会場をずっと見渡せば知った顔多数。星群関係者、風の翼関係者、旧ユニコン、DAICON5関係者。いつものことながら同窓会状態。
この「小松左京展」思わぬことだが追悼展となってしまった。講演開始前に、故小松左京氏のご冥福を祈って黙祷を捧げる。
黙祷のあと、眉村さんの講演が始まる。小松さんが亡くなったということで、講演内容を変更しようと思ったが、予定どうりの講演をすると、おっしゃって話し始められる。眉村さんの講演は数え切れないほど聞いているが、聞くたびに新しいお話しが聞ける。
今回は作家デビュー前後のお話。SFと出会い、それまで書いていた文学とは違う、大きな可能性をSFに見いだした。創刊されたばかりのSFマガジンに投稿。副編集長の森優氏から手紙をもらった。近々コンテストがあるので応募のお誘いの手紙だった。そして森さんから柴野拓美氏を紹介してもらって「宇宙塵」に入会。宇宙塵に作品を掲載するが、宇宙塵からSFマガジンへの転載は、なかなか、なされなかった。柴野さんとSFマガジン初代編集長福島正実氏とは考え方が大きく違っていた。福島さんは「プロ」意識の強いSF者。柴野さんは「アマ」意識の強いSF者ということではないかと、小生(雫石)は思うがどうだろう。
この時のコンテストで、眉村卓、小松左京、豊田有恒、平井和正といった人たちが世にでたが、1席に入った人はSF作家とはならなかった/なれなかった。なぜか。福島さんにSF作家落第との烙印を押されたからだ。ある恒星からの風景描写「空には青く光る地球が見える」こんなことを書く人はSF作家になる資格がない。と、福島さんが切って捨ててしまったとのこと。
森さんや柴野さんに関西にも同志がいることを教えられ、連絡をとって会合場所に出向くと、ポスターを描いている人がいる。その人が筒井康隆氏だった。サンケイホールの3回に行くと、一生懸命ニュース漫才の原稿を書いている人がいた。その人が小松さんだった。眉村さんの当時の勤務先と筒井さんのデザインスタジオは隣同士のビル。なんやかやと用事を作ってしょっちゅうあっていた。
眉村さんは早川書房へ出向く時は、なぜかいつも社長室を通って編集部へ行く。社長室に大きな認定証書がおいてある。柔道の段位の認定証書だ。自分のより大きい。眉村さんは柔道3段。早川の当時の社長(早川清氏かな)は柔道4段以上だ。長年SFもんをやっているが初めて知った。
講演が終って、星群関係者と三宮へ移動。サンチカの「さがみ」で飲む。いつになく人が多い。みなとの花火大会なり。浴衣を着た若いねえちゃんがようけ歩いている。似合っている子もいるし、いっこも似合ってない子もいる。
痛飲して帰ると、メッセンジャーが快投。夏バテ(?)のマートンに代わって2塁2番スタメンの上本が大活躍。阪神、首位ヤクルトに快勝の試合を、水割りを飲みながら観戦。そのあとこのレポートを書くつもりだったが、料理と阪神カテゴリーの記事をアップするのが精一杯。あとは意識不明。
阪急王子公園で下車。神戸文学館へ。今日は「小松左京展」記念講演。眉村卓氏の「SFを書きはじめたころ」を聞きに行く。
15分ほど前に着く。まず事務所に顔を出して眉村さんにごあいさつ。講演会場に入る。ぎっしりの満員。立ち見も出ている。会場をずっと見渡せば知った顔多数。星群関係者、風の翼関係者、旧ユニコン、DAICON5関係者。いつものことながら同窓会状態。
この「小松左京展」思わぬことだが追悼展となってしまった。講演開始前に、故小松左京氏のご冥福を祈って黙祷を捧げる。
黙祷のあと、眉村さんの講演が始まる。小松さんが亡くなったということで、講演内容を変更しようと思ったが、予定どうりの講演をすると、おっしゃって話し始められる。眉村さんの講演は数え切れないほど聞いているが、聞くたびに新しいお話しが聞ける。
今回は作家デビュー前後のお話。SFと出会い、それまで書いていた文学とは違う、大きな可能性をSFに見いだした。創刊されたばかりのSFマガジンに投稿。副編集長の森優氏から手紙をもらった。近々コンテストがあるので応募のお誘いの手紙だった。そして森さんから柴野拓美氏を紹介してもらって「宇宙塵」に入会。宇宙塵に作品を掲載するが、宇宙塵からSFマガジンへの転載は、なかなか、なされなかった。柴野さんとSFマガジン初代編集長福島正実氏とは考え方が大きく違っていた。福島さんは「プロ」意識の強いSF者。柴野さんは「アマ」意識の強いSF者ということではないかと、小生(雫石)は思うがどうだろう。
この時のコンテストで、眉村卓、小松左京、豊田有恒、平井和正といった人たちが世にでたが、1席に入った人はSF作家とはならなかった/なれなかった。なぜか。福島さんにSF作家落第との烙印を押されたからだ。ある恒星からの風景描写「空には青く光る地球が見える」こんなことを書く人はSF作家になる資格がない。と、福島さんが切って捨ててしまったとのこと。
森さんや柴野さんに関西にも同志がいることを教えられ、連絡をとって会合場所に出向くと、ポスターを描いている人がいる。その人が筒井康隆氏だった。サンケイホールの3回に行くと、一生懸命ニュース漫才の原稿を書いている人がいた。その人が小松さんだった。眉村さんの当時の勤務先と筒井さんのデザインスタジオは隣同士のビル。なんやかやと用事を作ってしょっちゅうあっていた。
眉村さんは早川書房へ出向く時は、なぜかいつも社長室を通って編集部へ行く。社長室に大きな認定証書がおいてある。柔道の段位の認定証書だ。自分のより大きい。眉村さんは柔道3段。早川の当時の社長(早川清氏かな)は柔道4段以上だ。長年SFもんをやっているが初めて知った。
講演が終って、星群関係者と三宮へ移動。サンチカの「さがみ」で飲む。いつになく人が多い。みなとの花火大会なり。浴衣を着た若いねえちゃんがようけ歩いている。似合っている子もいるし、いっこも似合ってない子もいる。
痛飲して帰ると、メッセンジャーが快投。夏バテ(?)のマートンに代わって2塁2番スタメンの上本が大活躍。阪神、首位ヤクルトに快勝の試合を、水割りを飲みながら観戦。そのあとこのレポートを書くつもりだったが、料理と阪神カテゴリーの記事をアップするのが精一杯。あとは意識不明。
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )
« 夏のお弁当 | 冷茶 » |
なんとなく持っているイメージで、この人じゃないかと思った人はいます。
違ってたらごめんなさい。
眉村さんの左側の最前列。
一番窓よりの席にいらっしゃった?
小松さんの直筆原稿や、遺品(メガネやパイプ)などを感慨深く見ました。
興味をひかれたのはSFマガジンの「空想科学小説コンテスト」選考経過ですね。
眉村さんとは僕もお話をしました。
僕は1時間半前ぐらいに会場に入って、企画展を見ました。
そのうち眉村さんが到着。
そこでちらっと立ち話。
そうかー
眉村さんにくっついていれば、雫石さんにもお会いできたかもしれませんね。
眉村さんお元気そうでしたね。
年とともにダンディーになられたような気がします。
雫石さんのブログで見なければたぶん機会を逃していたと思います。
ありがとうございました。
会場に入った時には満員だったとすると、最前列に座れるわけがないですもんね。
失礼しましたー
講演が終ってからもしばらく会場にいました。
あそこには、私の友人知人も多数いたので、適当な人に「雫石さんはどの人ですか」と聞けば、知っている人に当たる確率が高いです。
27日のかんべさんの講演も行きます。
かんべさんの講演はすでに定員になってはいるようですが、ああいう会場なので、入れば聞けますよね。
しかし、元来出不精な僕が6日に出掛けたと言うのがまあ、ない事ですからね(笑)
たぶん行かないと思います。
いや、ひょっとして…
いやいや、行かないでしょう。
わたしはまだ一度もSF大会のたぐいには行ったことがないので、どんな雰囲気なんだろうとあこがれつつ、怖い人ばっかりじゃないだろうかと尻込みしてばかりです。
私は、長年SFファンをやっておりますので、知り合い、知人が、自然にできました。
SFイベント、確かにとっつきにくそうですが、みんな、やさしいですよ。怖くないです。
来年のことというと、眉村さんデビュー50周年のことでしょうか。私もいちょかみするつもりです。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。