雫石鉄也の
とつぜんブログ
とつぜんコラム№107 経営と組合は車の両輪
「沈まぬ太陽」を観た。あの映画の主人公は労働組合の委員長。そういう立場だから、彼は後に大きな苦労をするはめになる。
会社は人事で労組委員長であった彼に報復したわけだが、これはまさしく会社の逆恨みである。
まず、彼は立場上会社にとって耳の痛いことをいったわけで、会社に個人的な恨みがあったわけではない。「とつぜん映画館」でも書いたが、彼は会社を人一倍愛しているのではないか。どんな仕打ちにあっても絶対会社を辞めなかった。
こういう人物なのだから、委員長を辞すれば、彼の能力を活かし適材適所の人事を行えば、会社のためにも有益だったのではないか。どうも、組織としての会社というより、当時の経営陣の個人的な感情に走った人事ではないか。業務に個人的な感情を持ち込むことは許されざることだ。
彼の委員長としての要求は、航空会社という会社の性質をかんがみ、社員の待遇悪化は「空の安全」にひびく、よって待遇改善は必要というもの。
この時の団交の結果がどうなったかは、映画では描かれていなかったが、委員長は左遷、執行委員たちは閑職、しかも会社のひも付きの御用組合まででっちあげている。
この映画はフィクションであり「国民航空」は架空の会社ではあるが、モデルと思われる航空会社が、最悪の墜落事故を起し、かつまた、この会社がどういう末路をたどったかは、どちらさまもご承知のとおり。
小生も労働組合の副委員長の経験がある。リストラされるまで在籍したK電気時代のことだ。この時の経験で、なにより実感したことがある。「経営陣と組合は車の両輪」ということだ。どちらが弱くても、どちらが強くても会社のためにならない。両者が同じ大きさで、同じ速度で回ってこそ、会社はスムーズに前進する。どちらか片輪が大きすぎれば、会社という車は、右か左に大きくカーブを描いて走り、行き先は破滅だ。上記映画のモデルの航空会社のように。
こう考えると組合のない企業は一輪車だ。フラフラと安定しない。営業成績が安定している時はいい。しかし、いったん業績が下降すると、たちまち倒れてしまう。組合のない企業は健全な企業とはいえない。大きな欠陥のある企業といえる。
組合は会社に何かと要求する。経営者にとって耳の痛いことをいう。それは全て、従業員の、ひいては会社の業績向上を願ってのことである。組合は会社にとって薬だ。良薬口に苦し。薬が苦いから飲むのがいやだと、子供みたいなことをいっている経営者もいる。日本の労働組合はほとんどが企業内組合。会社あっての組合。会社がつぶれてしまえば、元も子もない。
経営者も組合も目標は同じ。両者とも社業発展を願っているのだ。ところが、経営陣のお歴々の一部には、この目標を持っていないご仁がいる。組合との交渉の目的は、社業の発展ではなく、自分たちのメンツや、自己保身、はなはだしい場合は、自分自身の収入を増やすことしか考えていないご仁もいる。
会社において、経営トップと組合トップは同列である。どっちが上でどっちが下でもない。したがって社長と委員長は、待遇収入でも同じでなくてはならない。社長の給料は会社から100%出ている。委員長の給料は組合と会社で折半ということでどうだろう。もちろん他の執行委員の待遇収入も取締役待遇とすべし。組合は会社にとって必要欠くべからざるものだから、それぐらいに遇するのは当然だ。もちろん、執行委員を辞して一般組合員にもどれば、定められた社員の待遇に戻せばいい。
現実はそうではない。小生が副委員長をやった時に組合から出た手当ては月に一万円。ほとんどボランティである。春闘、秋闘の団交の季節ともなると、終電車に間に合わなかったこともたびたび。しかも、昼間は会社の本業をこなして、夜に交渉。それが終ると、翌日、報告集会で配布するビラの作成。休日は月刊で出している組合新聞の記事執筆と編集。毎日の執行委員会。
組合の組織率の低下が叫ばれている。執行委員の成り手も少なく、各職場でくじびき、まわりもちで執行委員をむりやり仕立てているのが現状と聞く。そらそうだろう。組合の執行委員とは上記のごとく非常にしんどい仕事なのだ。だれが好き好んでするものか。
しかし、組合の仕事は重要。だれかがやらなくてはならない。したがって、重要な仕事に見合った待遇は必要である。もちろん専従だ。小生が副委員長の時は、「断り方を知らなかった」とかで、いやいや執行委員をしているヤツがいた。執行委員会にもまじめに出席しない。専従であるのならば、しっかり組合の仕事もするだろう。
ちなみにくだんのアホはその後課長になった。小生はリストラされた。結局、そのK電気はつぶれた。当然だ。
会社は人事で労組委員長であった彼に報復したわけだが、これはまさしく会社の逆恨みである。
まず、彼は立場上会社にとって耳の痛いことをいったわけで、会社に個人的な恨みがあったわけではない。「とつぜん映画館」でも書いたが、彼は会社を人一倍愛しているのではないか。どんな仕打ちにあっても絶対会社を辞めなかった。
こういう人物なのだから、委員長を辞すれば、彼の能力を活かし適材適所の人事を行えば、会社のためにも有益だったのではないか。どうも、組織としての会社というより、当時の経営陣の個人的な感情に走った人事ではないか。業務に個人的な感情を持ち込むことは許されざることだ。
彼の委員長としての要求は、航空会社という会社の性質をかんがみ、社員の待遇悪化は「空の安全」にひびく、よって待遇改善は必要というもの。
この時の団交の結果がどうなったかは、映画では描かれていなかったが、委員長は左遷、執行委員たちは閑職、しかも会社のひも付きの御用組合まででっちあげている。
この映画はフィクションであり「国民航空」は架空の会社ではあるが、モデルと思われる航空会社が、最悪の墜落事故を起し、かつまた、この会社がどういう末路をたどったかは、どちらさまもご承知のとおり。
小生も労働組合の副委員長の経験がある。リストラされるまで在籍したK電気時代のことだ。この時の経験で、なにより実感したことがある。「経営陣と組合は車の両輪」ということだ。どちらが弱くても、どちらが強くても会社のためにならない。両者が同じ大きさで、同じ速度で回ってこそ、会社はスムーズに前進する。どちらか片輪が大きすぎれば、会社という車は、右か左に大きくカーブを描いて走り、行き先は破滅だ。上記映画のモデルの航空会社のように。
こう考えると組合のない企業は一輪車だ。フラフラと安定しない。営業成績が安定している時はいい。しかし、いったん業績が下降すると、たちまち倒れてしまう。組合のない企業は健全な企業とはいえない。大きな欠陥のある企業といえる。
組合は会社に何かと要求する。経営者にとって耳の痛いことをいう。それは全て、従業員の、ひいては会社の業績向上を願ってのことである。組合は会社にとって薬だ。良薬口に苦し。薬が苦いから飲むのがいやだと、子供みたいなことをいっている経営者もいる。日本の労働組合はほとんどが企業内組合。会社あっての組合。会社がつぶれてしまえば、元も子もない。
経営者も組合も目標は同じ。両者とも社業発展を願っているのだ。ところが、経営陣のお歴々の一部には、この目標を持っていないご仁がいる。組合との交渉の目的は、社業の発展ではなく、自分たちのメンツや、自己保身、はなはだしい場合は、自分自身の収入を増やすことしか考えていないご仁もいる。
会社において、経営トップと組合トップは同列である。どっちが上でどっちが下でもない。したがって社長と委員長は、待遇収入でも同じでなくてはならない。社長の給料は会社から100%出ている。委員長の給料は組合と会社で折半ということでどうだろう。もちろん他の執行委員の待遇収入も取締役待遇とすべし。組合は会社にとって必要欠くべからざるものだから、それぐらいに遇するのは当然だ。もちろん、執行委員を辞して一般組合員にもどれば、定められた社員の待遇に戻せばいい。
現実はそうではない。小生が副委員長をやった時に組合から出た手当ては月に一万円。ほとんどボランティである。春闘、秋闘の団交の季節ともなると、終電車に間に合わなかったこともたびたび。しかも、昼間は会社の本業をこなして、夜に交渉。それが終ると、翌日、報告集会で配布するビラの作成。休日は月刊で出している組合新聞の記事執筆と編集。毎日の執行委員会。
組合の組織率の低下が叫ばれている。執行委員の成り手も少なく、各職場でくじびき、まわりもちで執行委員をむりやり仕立てているのが現状と聞く。そらそうだろう。組合の執行委員とは上記のごとく非常にしんどい仕事なのだ。だれが好き好んでするものか。
しかし、組合の仕事は重要。だれかがやらなくてはならない。したがって、重要な仕事に見合った待遇は必要である。もちろん専従だ。小生が副委員長の時は、「断り方を知らなかった」とかで、いやいや執行委員をしているヤツがいた。執行委員会にもまじめに出席しない。専従であるのならば、しっかり組合の仕事もするだろう。
ちなみにくだんのアホはその後課長になった。小生はリストラされた。結局、そのK電気はつぶれた。当然だ。
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