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7月28日(月) 神戸文化ホールで上方落語会

 昨日の日曜日は夕方から出かける。行き先は、大倉山の神戸文化ホール。ここで開催の「桂ざこば・桂小米朝 上方落語会」を聞きに行く。
 神戸文化ホールは1975年に第14回日本SF大会SHINCONの会場だった場所。あれから33年も経ったのか。
 このSHICONのプログラムの一環で桂米朝師匠の「地獄八景亡者戯」の口演があった。思えば米朝師匠の「地獄八景」をナマで聞いたのは、この時が最初。高座の前に米朝師匠と小松左京氏の対談があったりした。この大会、実行委員長は小生の長年の友人KS君が勤めたが、大会のスポンサーは筒井康隆氏が引き受けておられた。で、米朝師匠の落語の時、かいがいしくお茶子をやっていたのは筒井さんだった。色んな落語会に行ったが、あんな豪華なお茶子さんは、あの時だけだった。
 米朝師匠は「地獄八景」におりこむ、くすぐりを、その場その場のアドリブで繰り出さはる。だから、この時はSF大会ということで、SF大会独特のくすぐりを入れておられた。どんなくすぐりだったか忘れたが。あの地獄八景を聞いたのは、1000人のSHINCON参加者だけ。もう二度と聞けないだろう。
 と、まあ、神戸文化ホールにはこういう思い出がある。昨日の演者と演目は次の通り。

桂ひろば 移動動物園
桂紅雀  いらち俥
桂小米朝 青菜
 中入り
桂米平  犬の眼
桂ざこば 子はかすがい

「いらち俥」7月21日にNHKの「上方演芸ホール」で桂こごろうさんの「いらち俥」を観たばかり。はからずも聞き比べとなってしまった。紅雀さんがナマでこごろうさんがテレビでと、いちがいに比べるのはおかしいが、この勝負紅雀さんの勝ちと見る。
 小米朝さん。聞き惚れてしまった。ものすごく上手い。吉朝師匠を亡くし、米朝一門、というか上方落語界に大きな穴が開いたが、小米朝さんがこれだけの噺をすると、吉朝師匠の穴を埋めて余りあるのでは。
男子3日見ずば刮目して見よというが、小米朝さんのこの急激な上達の理由は想像つく。この秋に迫った5代目桂米團治襲名であろう。師であり、実父の米朝の師匠の名跡を継ぐのである。名だけは米朝を超える。人が地位を創り、地位が人を創るというが、米團治という名が小米朝さんを大きく育てたようだ。5代目桂米團治。楽しみである。ところで、33年前のこの場所で見た米朝師匠と、昨日見た小米朝さんは、ほぼ同じ年齢である。50代初期の米朝と小米朝。どっちが上手いか。ちょっと前までなら米朝と迷わず答えるが、今は大いに悩む。ひょっとすると小米朝さんの勝ちかも知れない。
ざこば師匠は人情噺。若いころはやんちゃな噺が似合っていたが、さすがに還暦を超えられると、こういう噺がしっとりとくる。 
   
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
大きな実り (bagabon)
2008-07-29 13:10:51
<小米朝さん。聞き惚れてしまった。ものすごく上手い。・・・・ちょっと前までなら米朝と迷わず答えるが、今は大いに悩む。ひょっとすると小米朝さんの勝ちかも知れない。>

へーぇ、小米朝さん そないに上手ですか。若いころで1回しか見たことがありません。卒なく噺をすると言う感じでまだまだ場数を踏まないと位の印象しかありませんでした。何の噺だったかも覚えていません。綺麗な水色の着物だけが頭に残っています。

オペラやったり、ドイツ語講座に出てはったりと米朝師匠と違う世界も齧ってみようとされていたのかも知れません。
色男ですので芝居話や女言葉、所作が全く抵抗なくすっと入れ、向いている気がします。踊りも相当上手なのでしょう。

「青菜」は仁鶴さんで何度か聞いていますが、そのイメージでは小米朝さんの話しぶりが浮かんできません。次に聞ける機会は大名跡を継いだ後 米團治になってからになりますが楽しみです。
 
 
 
bagabonさん (雫石鉄也)
2008-07-29 21:32:11
小米朝さん、ひとかわむけたという感じでした。上の階に階段を上がったと見ましたね。私は。
 
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