雫石鉄也の
とつぜんブログ
レスラー
監督 ダーレン・アロノフスキー
出演 ミッキー・ローク、マリサ・トメイ、エヴァン・レイチェル・ウッド
ランディ・“ザ・ラム”・ロビンソンは花形レスラーだ。プロレスの殿堂マジソン・スクエア・ガーデンを満員にして、観衆の声援を一身に受ける、ベビーフェイスのスターだ。20年前は。
中高年になり、モノ忘れをして眼も老眼になった。それでも、ランディはプロレスから離れられない。ボロボロの身体にムチ打ち、薬漬けになりながらドサ廻りのリングに上がる。収入も少なく、トレーラーハウスの家賃さえ払えない。スーパーでバイトしながらリングに上り続ける。
長年の薬漬けと身体の酷使がたたって心臓発作で倒れて手術。医者にプロレスはもう無理だといわれる。ランディはプロレスを引退し、スーパーの仕事は接客の仕事に就く。ガールフレンドのヌードダンサーの助言により、長年疎遠にしていた娘に会う。
ランディに接客の仕事は無理だった。店で暴れる。娘と会う約束もすっぽかす。スーパーをクビになり、娘にあいそをつかされる。ランディの戻る場所は、やっぱりプロレスのリングしかない。医者に止められていて心臓に無理がかかるのを承知の上で、20年前の好敵手と再び戦う。
プロレスはショーである。そのことをリアルに描いてあるのが、昭和のプロレスファンだった小生には興味深かった。試合前に相手と詳細な打ち合わせを行う。試合の流れからだんどり、反則に使う用具まで。ガチンコも真剣かも知れないが、ショーを行うレスラーたちも真剣なのだ。命がけなのだ。事実、この映画ではランディは死にかけたし、現実に三沢光晴さんは試合中になくなった。
ガチンコを建て前としていた相撲が、実は八百長が横行していたと大騒ぎしているが、そんなこと判りきったことではないか。相撲の八百長けしからんと怒っている人は、奇術にタネが有ると怒るようなものだ。相撲の八百長も中途半端にやるから無気力相撲だと叱られる。かような八百長力士どもは、この映画のレスラーの爪のアカを煎じて飲め。
最相葉月の名著「星新一1001話を作った人」の帯に、星新一のことを「作家になるしか道は残されていなかった」とある。この映画の主人公ランディは「プロレスラーにしかなれなかった」
この映画は、ランディがコーナーポストから飛翔するシーンで終る。漫画「あしたのジョー」と同じく、主人公の死を暗示するラストだが、ランディはこれで、永遠に好きなプロレスを続けられるのだ。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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作品もですが、俳優ミッキー・ロークの復活も話題になりました。
あんまり関係ないですけど、『アンヴィル』っていうカナダのヘヴィー・メタルバンドのドキュメンタリー映画もいいですよ。
私、こういう男のコケンを描いた映画は大好きです。
男というものは不器用で哀しいものですね。
友達とDVDでみました。レスラー人生もピークを過ぎ、娘とは絶縁状態、ステロイドの影響で心臓は弱っているありさまの中年レスラー ランディー。娘との約束すっぽかすのは さすがにマズイよ~(´Ц`)
自分には「この場所しかない」不器用な生き方しかできないランディーは やはり 悲しい男です
>
この映画は、ランディがコーナーポストから飛翔するシーンで終る。→友達は「あの飛ぶシーンがなんか 見る側に どうなったのか?思わせる演出が よかった」
と。
>現実に三沢光晴さんは試合中になくなった。
当時のテレビや新聞のニュースで三沢さんの訃報が流れてましたね。 体を酷使するレスラーの現役って 思ったよりも短いな
プロレスは難しいですね。格闘技でもあるから、体力が必要です。客に見せられる肉体を維持しなくてはなりません。と、同時にショーでもありますから、客を楽しめせる技術も要ります。
ガチンコでやれば寿命は短いでしょうが、技術と経験、芸があれば還暦をすぎても現役でやっている人もおりますね。
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