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火の鳥 鳳凰編


手塚治虫     虫プロ商事

 大手塚のライフワーク「火の鳥」その「火の鳥」は、未来の諸作と過去の諸作の二つに分類される。小生は未来の「火の鳥」では「未来編」が一番好きだ。これはSF者たる小生の急所を突いた作品だから。では、「火の鳥」シリーズで一番の傑作はなにかというと、小生はこの「鳳凰編」だと思う。賛成してくれる人も多いのではないか。
 際立つキャラクター。めくるめくストーリー。厳然たる歴史的事実。明確なメッセージ。この「鳳凰編」は歴史物語の傑作の条件をすべてそなえている。
 主人公は二人の仏師。我王と茜丸。物語の前半、我王は悪逆非道な盗賊。茜丸は純粋な若い芸術家。後半は、我王は、乞われるまま仏を彫り、生きとし生きるもの全てに慈愛の心で接する菩薩のような存在。茜丸は権力者に取り入り、大仏建立のプロデューサーとして辣腕をふるう野心家。この二人がお互いを照らす鏡として、対立し、競う。我王は民衆のために創作する。茜丸は権力者と己の野望のために創作する。この対立するキャラクターが物語の強力な推進力となる。
 奈良時代。旱魃、日照り、疫病。民衆は天変地異に苦しんでいた。仏教は政治の具となっていた。天皇は朝廷の権威の象徴として巨大な大仏建立を決定する。国を挙げての一大プロジェクト。我王は、建設費の調達をする師良弁上人に従って奥州へ。ところが良弁は即身仏になった。なぜか。我王は悩み苦しみ、そして悟りを得る。
 大仏は民衆の苦しみを意にかいせず建設が進む。工事の監督者は茜丸。大仏は完成する。盛大な開眼法要が営まれた。そして最後の工事。大仏殿の鬼瓦の制作は、我王、茜丸の二人が競作し優れた方が採用されることになった。
 奈良の大仏さんとして、貴重な観光資源として、信仰の対象としての奈良東大寺の盧舎那仏像。この像の建設の背景として手塚はこういう物語を創った。
完成直後の大仏を手塚はこう描写している。
「目のはいった、大仏は、まるで当選お礼のダルマのように、貴族民衆をにらみおろした」
 下から大仏を俯瞰するコマがあるが、その時の大仏の表情は、ものすごく冷酷な権力者のような表情に手塚は描いている。
 政治の具となった仏教。茜丸も結局は、その具の一つとして使われ、そして死ぬ。我王は死なない。深山にすみ、木や岩に仏を彫り、強靭な生命力でいつまでも生きる。
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コメント
 
 
 
半ば賛成 (アブダビ)
2015-10-18 02:23:37
エスエフで未來編、歴史ものでこの鳳凰編てベスト基準は賛成です。
あと折中で太陽編も好きですが。
もう一つ言うと、当時、豊田有恒氏が盛んに書いていた遊牧民族征服王朝説を後ろ楯した「黎明編」も。
現在では否定されている説ですが、アジア史という大舞台で考えると整合性がある。
内藤湖南や宮崎市定が生前に読んでいたら
何と感想されたか? 聞きたいもんです。

話がずれましたが、この作品、「彫刻」が対象なので、権力に擦り寄る主役が否定されてます。
しかし「建築」が対象ならどーなんだ?
「石の血脈」がそうなように、同じ芸術
でも建築が素材ならば、評価は反転したのでのいすかね?
ヨーロッパの芸術では音楽、絵画、彫刻より建築は上位にあります。
権力と結び付くのが前提の分野ですから。
絵師であり、語り部である手塚翁島は、そこの所を間違えてませんか?
芸術が権力と結び付くのがいけないならば
バロックもモーッアルトの曲も産まれませんでしたよ。
ナポレオンが皇帝になって、エロイカの楽譜を引き裂いたとされるベートーベンだって、ちゃっかりVIPに曲を捧げてるじゃないすか。
 
 
 
アブダビさん (雫石鉄也)
2015-10-18 05:20:03
そうですね。絵画や彫刻、文学なら、権力と対立しても創作活動は可能ですが、建築は権力と対立しては創作できませんね。
 
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