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楽しき週末

 月曜日。
 雨は降ってないようだ。
「傘持って行った方がいいんじゃない」
 私はドアを開けて空を見た。空一面に薄い膜を張ったようだ。西の空は明るい。
「いらないと思うよ」
「そうね。降りそうにないわね」
「とうぶん雨は降らないらしいよ」
「そう、だったら傘はもういらないね。捨てるからちょっと待ってね」
 女房は家中の傘を玄関に持ってきた。携帯用の小型から女物の日傘まで、全部で十本あった。子供のいない、夫婦だけの家族で傘が十本はさすがに多いように思う。
「全部捨てるのか」
「うん」
「お前の日傘もか」
「だって、もう夏は来ないもの」
 私が七本女房が三本の傘を持った。玄関を出たところで隣の久野さん夫婦とあった。
「おはようございます」
 ご主人はコタツを、奥さんはストーブを持っている。
「大変ですね」
「はい。もう使うこともないから、思いきって捨てることにしました」
 うちと久野さん宅はマンションの四階。廊下に出ると、北の方に六甲山が見える。山腹のあちこちが桃色に染まっている。桜が開花し始めているようだ。今度の日曜日ぐらいが満開だろう。
 先にコタツとストーブを捨てた久野さん夫婦が階段を上がってくる。
「おや、出勤ですか」
 背広にネクタイの私を見て、久野さんのご主人が声をかけてきた。彼はパジャマにブルゾンを羽織っただけ。この後、朝寝をしようかという格好だ。
「はい。もう少し仕事が残っていますので」「大変ですね。大きな会社は。私んとこの会社はもう解散しました」
「すると、これからずっと家に」
「はい。定年前にこんなにゆっくりできるとは思いませんでした」
 久野さんはそういうと、階段を上がっていった。彼はもう働かなくてもいい。次の会社を探す必要もない。実は私も今日が最後の出勤だ。
 女房と二人で傘を捨てる。もう雨は降らない。傘はいらない。例え雨が降っても気にすることはない。濡れればいい。
 薄く曇っていた空が明るくなってきた。きょうも良いお天気になりそうだ。毎年、お花見のこの時期はスカッと晴れる日は少ない。今年は三月の後半からずっと快晴が続いている。最後に傘を差したのはいつだっただろう。四月の初旬だというのに、空はもう五月の空だ。永遠に見ることのない五月の空だ。
 駅前の不法放置自転車が減っている。通勤通学する人の数がかなり減ってきた。それに市がこまめに処分するようになった。
 改札を抜けホームに上がる。乗客がちらほら。この駅は乗降客数が多い。古くからの住宅地で、近年、駅から遠いところも住宅地として開発され、周辺の人口は倍増した。
 以前は、この時間は通勤ラッシュの最中だった。ホームに人があふれていた。それが今では人数が数えられる。電車の本数も減っている。その電車も今日の最終電車をもって運行終了となる。
 電車が来た。乗る。すいている。ガラガラだ。もちろんゆったりと座れる。ぎゅうぎゅう詰めの満員電車で通勤していたころを思うと、夢のようだ。ゆっくり本も読める。最後の本は何にしようかさんざん迷った。死ぬまでに一度は読んでおきたい本が、私には何冊かある。あまり厚い本だと読み切れない。で、この本にしたのだが、まだ半分ほど残っている。いそいで読めば間に合うだろう。
 車内は春の午前の光が舞っている。早くも満開となった桜が車窓の外を通り過ぎていく。
 電車から降りる。この駅が終点だから乗客全員が降りるわけだが、ホームにはパラパラとしか人はいない。
 駅から出る。そこにはいつもの通りの大都会の風景がある。ビルがあり道路がある。道路では信号が点滅している。歩行者側の信号が赤に変わった。数人が信号待ちをしている。数台の車が通過して行った。朝の九時前だ。 信号が青になった。歩行者数人が横断歩道を渡る。私も彼らに混じって歩道を渡った。 そこからひとブロックほど歩く。そこのビルが私の会社だ。いちおう本社ビルだ。今はどこでもそうだが、企業は本社しか存在していない。支社や工場は動いていない。製品を売る必要がない。売らないから造る必要もない。
 総務部のドアを開けて中に入る。二人が勤務していた。
「おはよう」
「おはようございます。課長」
「早いんだな」
「あと少しですので、早めに済ませて、早く家に帰ろうと思いまして」
 この二人は、五人いる私の部下のウチの二人だ。他の三人はもう退職して郷里に帰っている。
 二人が作成した書類の課長印の欄に捺印した。これで私の仕事はすべて終わった。二人の仕事も終わった。
 部長、いや、社長も専務も、私の上役はみんな会社から去った。今は、この会社では課長の私がトップ。会社といっても書類上だけの会社だ。生産も営業もとっくに終了している。
 私は総務課長として、書類上も会社を終わられたかった。会社の上層部は、今となっては会社など、どうでもいいようだ。私は違う。 こういう時こそちゃんとけじめをつけたい。だから私は所属している団体、会すべてに脱退届けを出した。
 子供の学校のPTAから、スポーツジムの会員、交通安全協会から、レンタルビデオ屋の会員まで。私は、すべて終わらせたかった。もちろん、四〇年近く勤めた会社も、やるべき仕事をしてから、正式に退職したかった。ここにいる二人も私と同じ考えのようだ。
「課長受理してください」
 二人が退職届けを出しに来た。
「分かった。受理する。長い間、そして最後までごくろうさま」
 彼らの退職届を受け取った。これが私の最後の仕事だ。私も、この瞬間、退職した。これでこの会社は完全になくなった。
「課長はこれからどうします」
「帰るさ。もう会社はないんだから」
「ちょっっと一杯やっていきませんか」
「開いてる店がないだろう」
「ところがあるんです。今も開いてる居酒屋が」
 ごく普通の居酒屋。客は先客が三人ほど。店員は大将と、奥方と思われる女性の二人。壁にお品書きが貼りだしている。
 女性がおしぼりとつきだしを持ってきた。空豆のゆでたのが小鉢に入っていた。おいしい。
「このお品書きはみんなできるのかな」
「はい」
「ほんとか?漁に出ている漁師や、作物を作っている農家がまだいるのか」
「はい。漁師のまま百姓のまま終りたいと思う人が結構います。私も居酒屋のオヤジのままで終わりたいです」
「そうか、オレもサラリーマンを全うして、会社を終わらせたもんな」
「なになさいます」
「ビール。カレイの唐揚げとイカさし。お前らも好きな物いえ。今夜はオレがおごる」
「それはいけません。課長はもう課長じゃないんですから。今は友だちどうしということで、ワリカンにしましょう」
「そうだな。もう会社はないんだったな」
 料理と酒が運ばれてきた。漁師や農家だけではなく、流通関係も業務をしているということだ。お金も通用するし、電車も動いている。電気もガスも水道もちゃんと使える。社会はまだまだ動いている。何事もないように。「それでは、乾杯」
「乾杯」
「きみたちは、これからどうする」
「ぼくは田舎の赤穂へ帰りますよ。老母がひとり暮らししてますから」
「芳川くんは」
「ぼくは結婚します」
「そうか、式をあげるのか」
「いえ。こういうご時世ですから、式はしません。役所に問い合わせたら、届け出もいらないそうです」
「そうか、おめでとう。気の毒だが子供は無理だな」
「彼女、妊娠してるんです。臨月です」
「間に合うのか」
「ぎりぎりですね」
「ただいま」
「おかえりなさい。お風呂どうぞ」
 玄関から風呂場に行く。湯船につかる。いい湯加減だ。
 三六年あの会社に勤めた。定年まで勤めるつもりだった。ところが定年を目前にして退職した。会社が解散したのだからしかたがない。決めの退職金ももらった。いまさら、お金があっても意味はないが。
 先に定年退職した先輩方より、私の方が良かったことがある。先輩方は、定年後も働く必要のある人が多く、みなさん、再就職先を探すのに苦労していた。その点、私は再就職しなくてもいい。この後、ずっと家族といっしょに過ごせる。
 風呂から上がるとテーブルの上に、徳利とお猪口、塩辛の小鉢が置いてあった。その前に女房が座っている。
「あなた、飲んできたでしょうが、わたしにもつき合って」
「おう」
 女房が徳利を持って、お酌をしてくれた。
「あなた、長い間ごくろうさま」
「うん」
 ひと口に飲んで、女房から徳利を受け取って、女房にお酌をした。

 火曜日。  
「まだやってる産婦人科を見つけたよ」
 陣痛が始まった。幸い、車にはガソリンがあと少し残っている。芳川は妻の手を取って、ガレージまで連れてきた。後部座席のドアをあける。
「ゆっくりだぞ。そっと座れ」
 大きなお腹をかかえた幸恵は、そろそろと車に乗り込んだ。芳川がそっとドアを閉める。「十五分ほど走るぞ」
 芳川は、まるで爆発物を積んでいるように、ゆっくりと発進する。
 国道に出た。走っている車は少ない。トラックなど、商用車がほとんどだ。物流の仕事に就いたまま終わりたいのだろう。彼らは根っからのプロだろう。絶対に事故は起こさない。そんな意志が感じられる運転だ。何を運んでいるのだろう。
 カーナビはまだ機能している。道は間違っていないはずだ。もうそろそろ、目的の産婦人科の医院が見えてくるはず。
 後部座席の妻の吐く息が聞こえる。呼吸の音が大きくなってきた。急がねばならない。アクセルを踏む足に力が入る。
「近藤産婦人科」看板が見えた。駐車場にはクラウンが一台留まっているだけ。医師の車だろうか。その隣に駐車する。
 玄関が開いて、白衣を着た初老の男が出てきた。
「電話をした芳川ですが」
「奥さん歩けますか」
 近藤医師は妻を分娩室に連れて行った。
「ご主人はここで待っててください」
 芳川は待合室のベンチに座った。 
 子供が生まれる。人生最大の慶事のはずだ。しかし、今から生まれようとしている子供になんの存在意義があるのだろう。生まれてくる。その子はそれだけしかできない。 
 ほんのちょっと前にベンチに座ったのに、もう、ずいぶん前に座ったような気がする。
 もうそろそろ産声が聞こえるはずだ。時間が経ちすぎている。まさか死産。悪い方へ悪い方へと考えが行ってしまう。
 産声が聞こえた。近藤医師が赤ん坊を抱いて分娩室を出てきた。
「男の子です」
 その晩は近藤産婦人科に泊めてもらった。翌日、三人で帰宅した。家族が一人増えた。
「あなた、名前を考えて」
「うん。希望があるという意味で有希だ」
「希望がある。皮肉な名前ね」
「そんなことはないよ。あと少しだけど、希望は希望だ」
 

水曜日。
 不思議なものだ。治療を一切止めてから楽になった。朝、目が覚めてから、夜、眠るまでずうっと続いている吐き気がなくなった。 吐き気はあったが吐けなかった。吐き気のため食欲はなかったがむりに食べていた。
 薬を飲まなくなって食欲が出てきた。さすがに化学療法も放射線療法もできなくなって退院した。私が最後の入院患者だった。病院そのものが閉鎖された。あの病院はよく面倒を見てくれたといっていい。
 歩いて退院できるとは思ってなかった。最初に入院したのは二年前だった。入退院を繰り返した。手術、再発の繰り返しでもあった。
 最後の入院は三ヶ月前だった。入院する時、これが最後と覚悟して入院した。余命三ヶ月。死に場所はこの病院だと思い定めていた。それが急転直下退院となった。家で死ねることになった。
 病院で死ぬ。というより病院そのものが閉鎖される。いたしかたないだろう。医者も看護師も人間なんだから、家族もいるし事情もあろう。
 家に帰ってきた。タクシーが拾えた。まだ動いているタクシーがあるのだ。運転手に聞くと「あたしゃ、車を運転する以外能がありませんや。最後まで車に乗ってますよ」と、いうことだ。
 家に帰ってもだれもいない。皮肉なもので、絶対、私の方が先に逝くと思っていたが、女房の方が先に逝ってしまった。病気知らずの元気な女であったが、心筋梗塞で急死だった。子供はいないから、私は一人になってしまった。
 とりあえず簡単に掃除した。案外、ホコリはたまってなかった。昼だ。なにか食べなくては。カップヌードル食べる。
 昼寝をして、また掃除して、本など読んでいると、たちまち夕方になった。夕食を食べなくては。さして食欲はない。当然だ。私はまだ病人なのだ。病院を出たが治癒したわけではない。余命いくばくもない病人であることには変わりはない。
 朝になった。久しぶりにわが家で目覚めた朝だ。さて、きょう一日何をして過ごそう。病人だから体力はないが、近くを散歩するぐらいはできる。
 家を出た。天気がいい。春の風が優しくほほをなでる。空気が澄んでいる。
 走っている車は極端に少なくなった。稼働している工場もないだろう。もう、空気が濁ることもない。都会がこんな空気だったら、私も病を得なかっただろう。
 走っている車は少ないが、歩いている人はけっこういる。確かに、家に閉じこもっていても、外を出歩いても同じだ。外にいる方が気がまぎれるかも知れない。
 私が入院していた病室から公園が見えた。広い公園で、大きな池があり、樹木も多く、平日の昼は、そこで弁当を食べる制服姿のOLや、食後の軽い運動をするサラリーマンたち。休日は子供連れで、池でボートに乗ったり、芝生で遊んでいる家族。ベンチで仲良くおしゃべりしている若い男女。平和を思いっきり享受している人たちがいた。
 病室のベッドから、その人たちをながめていた。羨望と憎しみを感じていた。
 私ひとりこの世を去る。あの連中はまだ生きる。なんて理不尽なんだ。なぜ私だけが死ななければいけない。
 あいつらは、まだまだ生きることの喜びを感じることができる。あいつらはまだまだ生きる。それに比べて私は。私はひとり死んでいく。  
 そんな私が退院した。まもなく死ぬことは変わりないが、私の心境に大きな変化があった。
 私ひとり死ぬんじゃない。あいつらも、私と同じ、まもなく死ぬんだ。大変、気が楽になった。  

木曜日。
 今日は十四枚書いた。われながらがんばった。全部で五百枚ぐらいにするつもりだ。やっと百枚を超えた。先は長い。
 このところ睡眠時間は三時間。目が覚めている時間のほとんどを執筆に費やしている。
 家族は捨てた。妻と子供を捨てて、私、一人家を出た。家から遠く離れたこの土地でワンルームマンションを借りた。
 私がここにいることを知る人はだれもいない。何人かいる担当編集者にも知らせていない。いま書いている、そんなことはないと思うが、この作品が仕上がれば、その時、一番信頼できる担当に原稿を手渡すつもりだ。出版されることは絶対にないが、編集者に原稿を渡すまでが、プロの作家の仕事と心得る。出来上がった原稿をどこにも出さずに仕舞い込んでおくのはアマチュアだ。私はプロだ。仕事は全うしたい。最後までプロのモノ書きでありたい。
 朝か。もうテレビも放送していない。新聞も来なくなった。昨夜、いつ寝たのか憶えていない。目覚めた時は、机の上に突っ伏していた。
 腹がへった。いつ食事をしたのか憶えていない。もうずいぶん前からものを食べていないような気がする。冷蔵庫を見たが空っぽである。キッチンの戸棚も奥からカップヌードルが一個出てきた。電気と水道はまだ生きている。湯を沸かしてカップヌードルを食べる。
 睡眠を取った。食欲も満たした。トイレで用をたした。これで生物としての生理現象はひととおり終わった。
 執筆を再開する。パソコンで原稿を書いていたが、電気が止まった時のことを考えて、手書きで原稿を書く。パソコンで書いた分は全てプリントアウトしてある。
 2Bの鉛筆でひたすら升目を埋めていく。考えなくても文章が自動的に出てくる。今、私の全存在が一つのことに集中している。執筆する。この作品を書き上げる。私は、そのことだけのために存在している。食べることも、寝ることも、排泄することも、すべては書くためだ。
 筆を起こしたのはいつだっただろうか。忘れた。もうずいぶん前のことだ。ひょっとすると生まれてすぐ書き始めたのかも知れない。
 身を焦がすような焦燥感を感じている。なんとしても、この作品を完成させたい。ストーリー、プロット、構成、個々の文章、すべて頭の中にできている。あとはそれを紙の上にアウトプットするだけだ。だから、私の中では作品は完成している。しかし私はプロの作家だ、アマチュアではない。私は作品を完成させたいのではない。仕事を完遂したいのだ。完成原稿を担当編集者に手渡して、初めてプロの作家としての仕事は完遂できる。本になる、ならないは編集者の仕事だ。私の関知するところではない。
 昼になったらしい。食う、寝る、排泄する以外は、執筆だけをしている生活。時間の経過がまったく判らなくなった。
 本当は、食う寝る排泄もしたくない。執筆に不要な身体はいらない。頭脳に直接手が付いていて、書く機能だけあればいい。そんな身体が欲しい。
 ちょっと手が止まった。フッと思った。この原稿は完成しない。全体の五分の一ほどしかできていない。
 原稿が間に合わない時に、作家がやることは二つ。締め切りを延ばしてもらう、大急ぎで書いて、少ない枚数でなんとかまとめる。
 今回の場合、締め切りは絶対である。締め切りは週末。これは絶対に動かせない。
 予定より枚数を減らして、とにかく作品としての形を創る。これも無理だ。五分の一の枚数でしめてしまうと、全く別の作品になってしまう。私は、「この作品」を仕上げたいのだ。
 

 金曜日
 俺は死なんぞ。あいつらは死んで当然のヤツらだったんだ。あんなクズなんの値打ちもない。俺はゴミ掃除をしただけだ。それで、なんで俺が死刑なんだ。 
 最高裁まで行ってやった。でも、最高裁では上告を棄却しおった。三年前に死刑が確定した。
 死刑の執行は午前中に行われる。朝が怖い。コツコツという看守の足音が聞こえるだけで、震え上がる。必死に祈る。どうか俺の部屋の前で足音が止まらないように。
 通り過ぎた。今日は金曜日だ。土曜日曜には死刑執行はない。これで三日間は生きられる。
 あの時の、クズの母親の顔は何度思い出してもおかしい。あのばあさん、俺が死刑になるよう、極刑を求める署名運動を起こしやがった。
 裁判官が主文を朗読する時、俺の顔をじっと見つめてやがった。死刑判決が出た瞬間、俺がどんな顔をするか見たかったのだろう。
 俺が、がっくりと落胆し、心から後悔し反省をうかがわせる表情でもすれば、ばあさんは満足だったのだろう。
 俺は、ばあさんに向かって、ニッコリとほほえみ、小さくピースサインをしてやった。
 その時、ばあさんは、驚き、落胆、哀しみ、怒りを全部ない混ぜにしたような顔をしやがった。ざまあ見ろ。
 とはいうものの、実は俺、ばあさんに当てつけで、ああいう態度を取ったが、本当は、死刑判決はショックだった。三人も殺しているのだ死刑は覚悟していた。しかし、無期になる可能性もあった。正直、俺だって死ぬのは怖い。
 この三年間、一瞬たりとも気の休まる時はなかった。いつ、死刑台への呼び出しがかかるか判らない。いっそ、自殺してやろうかと考えたこともあった。しかし死ねきれなかった。俺はまだまだ生きたい。
 その話を聞いた時、思わず喝采を叫んだ。あはははは。俺がいったとおりだろう。悪いのは俺だけじゃないんだ。みんな悪いんだ。罰を受けるのは俺だけじゃないんだ。

 土曜日
「一義、起きなさい。ご飯ですよ」
「もうちょっと寝かせといてよ。学校も無いなんだから」
「だめです。いくら学校が無くても、規則正しい生活を送らなくては」
 小学校四年生の息子が、半分寝たままで食堂にやって来た。三つの皿にトーストが一枚づつ乗っている。
「おはよう」
「おとうさん、今日も会社休み?」
「ああ。ずっと休みだよ。会社はもうないんだ」
「それでは食べましょ」
「いただきます」
「いただきます」
 家族三人で朝食を食べるようになって、朝が楽しくなった。以前は義彦が単身赴任していたから、息子の一義と私の二人で食事をしていた。
 三人だけの家族だが、バラバラな家族だった。私はパートではなく、フルタイムのOLをやっていた。一義は学校から帰ると、朝に私が作っておいた冷めた夕食を食べると、塾に行って、私が帰宅した後帰ってくる。亭主の義彦は月に一度か二度帰ってくる。そういう生活をずっと続けていた。
 家族三人で三度の食事をともにできる。それが幸せなことだと思えるようになった。私と義彦の会社と、一義の学校と塾が無くなった。そのおかげで三人がずっといっしょにおれる。  
「ドライブに行こうか」
 トーストを食べ終わった義彦がいった。
「車に少しだけガソリンが残っている。あれで走れるだけ走ろう」
「帰りはどうするの」
「もう帰りの心配はしなくてもいいよ。車もそこに乗り捨てればいい。駐車違反の取り締まりもないんだから」
「賛成」
「ぼく、海がいいな」
 さすがに走っている車は少ない。道はすいている。天気もいい。絶好のドライブ日よりだ。
「さて、どこの海へ行こうか」
「南の海がいい」
一義が小さく、義彦が本社勤務のころは、三人でよく行楽に行った。休日のたびに車で出かけた。
 日帰りか、一泊の小旅行だったが楽しかった。一義は特に海に連れて行くと喜んだ。波とたわむれ、小さなカニや小魚を捕って遊んだ。  一番最初の一泊旅行は南紀だった。一義が幼稚園のころだった。ものすごく楽しかったらしく、時々想い出している。また行きたいねといっていたが、義彦が単身赴任するようになって、なかなか実現できなかった。それがこういうことになって実現できるとは。
「ガソリン持つかしら」
「なんとか行けるやろ」
「今晩どうしよう」
「どっかに適当に泊ったらいいさ」
「あそこに泊ろうよ」
 一義がいったのは、前に来た時泊ったホテルだった。
「やってるかしら」
 建物はそのままあった。人っ気はない。営業はしていないようだ。
 車を駐車場に停めた。広い駐車場に数台の車が放置されている。三人は建物の中に入った。ガランとして無人のようだ。
「ごめんください」
 シーンとした静寂だけが返って来た。
「だれもいませんか」
 ホテルの従業員は全員家に帰ったようだ。
 エレベーターやエスカレーターは動いていない。階段を歩いて六階まで上がる。一番つき当たりの部屋。六二六号室。前に彼らが泊った部屋だ。
 鍵はかかってない。部屋の中は少しホコリが貯まっているが、ベッドもシーツも使える状態だ。 
「今晩、ここで寝ようよ」
「そ、しよか」
「そ、しよ。そ、しよ」
 三人は眠った。目覚めない眠りである。

 日曜日





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