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とつぜんリストラ風雪記 9

とつぜんリストラ風雪記8

第9回入院
 入院した。小生、消化器系が弱点。子供のころ、腸からよく出血していた。また、胃も若いころムカムカと、胃痛をよくおこしていた。それでも、若いころは通院だけで入院はしなかった。
 最初の入院はK電気時代。ある暑い夏の夜だった。トイレに行くと便器が真っ赤。それまでお腹はまったくなんともなかった。突然の出血である。小生は胃潰瘍持ちではあるが、痔持ちではない。腸からの出血としか考えられない。大あわてで六甲アイランド病院へ。やっぱり腸からの出血だった。診断の結果は憩室。そんなに心配な病気ではないとのこと。3日ほどの入院だったと記憶する。
 次の入院もK電気時代。当時、小生は労働組合の副委員長だった。この時の春闘は長引いて、6月になっても妥結しなかった。連日、深夜まで団交、会議と、大変だった。専従じゃないから、昼間は通常業務をしながらである。ストレスがたまっていた。
 食間に胃が痛くなった。春闘はやっと妥結。ほっとしたある日、下血。憩室の時は真っ赤な鮮血だったが、今度は真っ黒なコールタールのよう。胃からの出血は血液と胃酸が化学反応を起して黒くなる。胃からの出血はこの時2度目。前回は軽かったから通院だけで完治した。今度はかなりの大量出血。かかりつけの消火器内科の医院に飛んで行った。先生はただちに神戸市立中央市民病院に連絡。医院から救急車で中央市民病院へ。出血が多いと命にかかわる。このときは1週間入院した。

2003年3月31日(月)
 3月の初め頃から胃の調子が悪い。ますますひどくなる。食後2時間ぐらいで痛んでいたのが、のべつ痛むようになった。胃潰瘍が再発したと思われる。とりあえず薬を飲む。

4月2日(水)
 H食品に面接。阪神電車武庫川を降りて、ずっと南へ行ったところ。豆腐や油揚げを作る会社。食品製造の経験がないとダメといわれる。小生、コピーライターになる前は、昆布食品の会社で製造現場にいた。「食品製造の経験はあります」と答える。「それは豆腐、油揚げですか」「いいえ」「経験がないとダメ」
 ハローワークで面接の約束をした時は「食品製造の経験者」とのことだった。相手もそのことを確認したから面接に来いとなったのだろう。
 H食品の人事担当者が悪いのか、中に入ったハローワークの職員が悪いのか、突っ込んで確認しなかった小生が悪いのか。ともかく、胃が痛いのを押して面接に行ったが時間のムダであった。

4月6日(日)
 胃が痛い。日曜だからハローワークは休み。面接もない。日曜は新聞の求人広告が多い。AiDEMなどの求人チラシも多い。それらをチェックしたあとは一日中、胃をさすりながら寝ていた。土日は料理をするのが楽しみだが、さすがに料理する気にはなれない。
 普通ではない。近日中に病院に行かなくては。

4月7日(月)
 午前中、西宮ハローワークへ行く。収穫1件。面接は明日ということになった。午後それの下見に。阪急園田。
 夜、9時ごろ大量の下血。胃からの出血独特の真っ黒な下血。タクシーでポートアイランドの中央市民病院へ。その夜は救急外来の受け付けのベッドで夜を明かす。

4月8日(火)
 午前中、朝1番で内視鏡検査。これが大変だった。普通、胃の内視鏡検査は15分ほどで終わる。これは前日より絶食して胃をからっぽにしてから検査するからこんな時間で終わる。
 この時の小生は違う。前夜よりの大量の出血で胃の中は血でガバガバ。内視鏡を突っ込んでもちゃんと見えないのだろう。検査している医師はかなり苦労していたみたいだ。
 1時間近くかかっただろうか。胃の内視鏡は苦痛が少ないといわれるが、それは健康な状態での検査の場合。小生のこの時は違う。コネコネコネコネコネと胃の中をこねくり回されるわけ。苦しい痛い、1時間ゲーゲーいいぱなしであった。それでもなんとか患部が特定できた。やはり胃潰瘍による出血と断定。大きな血管の所に穴が開いていたとのこと。クリップで止血。
 検査の前に輸血、手術を施す可能性があるから、同意書にサインさせられていた。幸い輸血も手術も必要なし。通常胃潰瘍では手術はしない。それでも胃の穿孔が大きかったら開腹手術をすることもあるそうだ。
 検査を終わり、救急外来の病棟に移る。

4月9日(水)
 午前中、内視鏡検査。今日は30分ほどで終わる。昨日よりは楽だった。クリップによる止血処置が大きな効果を発揮。大きな出血は止まっている。ほっとする。病室を救急外来から消化器病棟に移る。
 看護師にお通じがあれば必ず見せてくださいといわれる。大きな出血は止まっているが、微量ながら出血は続いている。それに胃の中にはまだまだ大量の血液が残っている。それが全部出て胃の中がきれいにならないと安心できない。
 後はひたすら安静にして完治を待つだけ。薬を飲むだけで別段、特別な治療はない。テレビを観て本を読む。食事はもちろん流動食。

4月10日(木)
 ひたすら安静。この日の夕食から固形のものが出るようになった。出血はほぼ止まったようだ。

4月11日(金)
 出血完全に止まる。胃の中の血液も出つくしたようだ。午前中の主治医の回診で、午後の退院を告げられる。少し早いようだが、この病院は患者の回転を良くするため、可能な限り早期に退院させる。初期の救命医療、高度医療をするが、それが済めばかかりつけの医者にかかれということ。胃癌ならともかく胃潰瘍程度ではそんなに長く置いてくれない。
 小生もいつまでも入院しているつもりはない。早急に社会復帰して求職活動を再開しなくては。5日間の入院であった。医師、看護師、その他、総合的に判断してこの病院は小生にとっては非常に良い病院であった。
 さいわい、かかりつけの消化器内科の先生は、この病院の消化器内科の副部長だった先生。その後の治療の継続も大変にスムースにいった。
 昼食後に退院した。ポートアイランドを後にしてタクシーは5日ぶりの東灘へ走る。

                             つづく
 
 
 
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