9月11日(日)防災訓練。生憎と雨になり野外での訓練はすることができなかった。避難場所小学校の体育館に集まり防災のビデオ説明、熊本地震派遣によるビデオ,段ボール担架による組み立て搬送など盛りだくさんであった。参加者は約200名ほどで関心の度合いは高かった。今回目新しかったのはペットへの対応で災害時の「ペットカード」が作成されていた。災害訓練で特に感じたことは「安否確認」の実施方法である。各家を訪問して確認するよりも、「無事です!○○に居ます」とか「○○に避難しました」などの統一のステッカーや印刷物、色付き旗などを作成し各家庭に配付し災害時に各自目立つところに掲げる。この地域では夫婦だけ、独居、足が不自由などでまず各自の安全確認の必要性を感じた防災訓練だった。
8月23日の台風9号そして30日の10号台風によって水戸への墓参を中止し、9月3日にようやく墓参供養をすることが出来た。兄夫婦、妹夫婦そして私の夫婦6人が集まり現在、孫、親、昔のことなど尽きることなく話に花が咲いた。兄は「青春切符」を購入し出歩き健脚である。朝4時ごろ起床して偕楽園の下に広がる千波湖二週(6キロ)してくる。昼間ままたあれこれ体を動かしている。妹は、若くして亡くなった姉の月命日に「ホタテに経文」を書いて仏壇に供えた。その見事な筆さばきに驚いた。以前は書道教室を開いていた腕前である。
上野から水戸までの沿線は様変わりで多くあった栗畑があまり見ることが出来なかったし土浦駅近辺のハス畑も昔の面影はない。もう50年前になるだろうか汽車ポッポに乗って上京したことが懐かしく思い出される。墓参では5年前の東北大地震で墓石はすべてなぎ倒されていた。今は一つを残してすべて工事が完了した。すべては時の流れによる情景である。元気で話し合える兄弟に故郷の重みを感じた。
上野から水戸までの沿線は様変わりで多くあった栗畑があまり見ることが出来なかったし土浦駅近辺のハス畑も昔の面影はない。もう50年前になるだろうか汽車ポッポに乗って上京したことが懐かしく思い出される。墓参では5年前の東北大地震で墓石はすべてなぎ倒されていた。今は一つを残してすべて工事が完了した。すべては時の流れによる情景である。元気で話し合える兄弟に故郷の重みを感じた。
60歳は人生の花
70歳で迎えがきたら留守だといえ
80歳で迎えが来たら、早すぎるといえ
90歳で迎えが来たら、急ぐなといえ
百歳で迎えが来たら、ぽつぽつ考えようといえ(仙厓和尚・禅僧1750~1837)
「解説」日本最初の禅寺といわれる博多の聖福寺で、長年住職を務めた仙厓和尚。町民や百姓、武士からも「仙厓さん」と親しまれていました。
仙厓さんにはさまざまな逸話が伝えられています。74歳のときには故郷の美濃を訪ね、76歳で京都へ旅をしていますから、大変な健脚ぶりです。また、85歳のときには博多で興行された大相撲を見に行って、その様子を絵に残した。知的好奇心も非常に旺盛だったのでしょう。
88歳の長い生涯を閉じるまで、心も体も元気でした。その両方が健やかだったことが、長生きの秘訣だったのではないでしょうか。
「仙厓和尚」
臨済宗の禅僧。開祖栄西が開いた聖福寺で第123、125代目の住職を務めた。自由でおおらかな筆づかいのユーモラスな禅画でも知られ、亡くなるまでに1000点以上の絵や書を残した。その作品は今も多くの人々に愛されている。
70歳で迎えがきたら留守だといえ
80歳で迎えが来たら、早すぎるといえ
90歳で迎えが来たら、急ぐなといえ
百歳で迎えが来たら、ぽつぽつ考えようといえ(仙厓和尚・禅僧1750~1837)
「解説」日本最初の禅寺といわれる博多の聖福寺で、長年住職を務めた仙厓和尚。町民や百姓、武士からも「仙厓さん」と親しまれていました。
仙厓さんにはさまざまな逸話が伝えられています。74歳のときには故郷の美濃を訪ね、76歳で京都へ旅をしていますから、大変な健脚ぶりです。また、85歳のときには博多で興行された大相撲を見に行って、その様子を絵に残した。知的好奇心も非常に旺盛だったのでしょう。
88歳の長い生涯を閉じるまで、心も体も元気でした。その両方が健やかだったことが、長生きの秘訣だったのではないでしょうか。
「仙厓和尚」
臨済宗の禅僧。開祖栄西が開いた聖福寺で第123、125代目の住職を務めた。自由でおおらかな筆づかいのユーモラスな禅画でも知られ、亡くなるまでに1000点以上の絵や書を残した。その作品は今も多くの人々に愛されている。