いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

今ハマっているもの

2007年05月14日 10時36分56秒 | 兎に角書きたいの!
 今はまっているものが二つある。
 一つは、昭和の映像にである。日本映画専門チヤンネル放映の「新・三等重役」「大魔神」「「椿三十郎」「サリーマン出生太閤記」といった自分の青春時代を思い起こさせる映像なのである。笑い在り、人情在り、世情在り、そして人生がある。映像に出てくる家屋、室内、調度品、服装、流行りもの、街路、乗り物、地域の風景、人情などなどこの時代を生きてきたんだという思いがまるで列車の一番後ろに乗って過ぎ去る二本の線路を見るような感慨に耽りその当時の様々な記憶が蘇ってくる。
 二つ目は、昭和歌謡である。歌はあまり得意ではなくカラオケでの持ち歌は3曲である。少しづつ増やそうと努力していところである。先日、TV放送で三橋達也の歌が放映されていた。その中で、特に自分が過ごした青春の一ページに重なる
「りんごの村から」と「哀愁列車」を聞きその思い強くなりレコード店に出かけたが自分が望むテープは無かった。これからの自分の持ち歌に加えようと思う。それにもう一曲「古城」これは五六人で下宿していた先輩との当時の様がそして自分の生活が様々と思い浮かんでくる。
 私の名刺の裏には、「水戸市・伊東市・名古屋・臼杵市・骨董市・ペルシャ陶器・美濃焼・織部・からくり・山車・投げつり・へそ石・化石・めのう石・地えびね・トルコ桔梗・柴犬・デジカメ・パソコン・アコーディオン・雨の東京・望楼の果てに・十九の春」と印刷してある。最後に記載してある三つが私の持ち歌である。それに「昭和流れ歌」も時々歌う。
 最近は、過去に良く歌った「芸者ワルツ」とか「マリモの歌」を好んで歌うようになった。私が沖縄で覚えてきた「十九の春」について、最近『「十九の春」を探して(うたに刻まれたもう一つの戦後史)』川井龍介著の本を購入して今読んでいるところである。
 昭和18年奄美大島名瀬沖で貨客船「嘉義丸」はアメリカ潜水艦の魚雷により撃沈され、この船の犠牲者の鎮魂のためにつくられた。田端義夫が全国的にヒットさせた「十九の春」のメロディーがこの鎮魂歌のメロディーと全く同じであることからこの物語が始まっている。

       『十九の春』

 1 私があなたにほれたのは
   ちようど十九の春でした
   いまさら離縁というならば
   もとの十九にしておくれ

 2 もとの十九にするならば
   庭の枯木を見てごらん
   枯木に花が咲いたなら
   十九にするのもやすけれど
 
 3 みすて心があるならば
   早くお知らせ下さいね
   年も若くあるうちに
   思い残すな明日の花

 4 一銭二銭の葉書さえ
   千里万里と旅をする
   同じコザ市に住みながら
   あえぬわが身のせつなさよ

 5 主さん主さんと読んだとて
   主さんにゃ立派な方がある
   いくら主さんと読んだとて
   一生忘れぬ片想い

 6 奥山住まいのウグイスは
   梅の小枝で昼寝して
   春が来るよな夢をみて
   ホケキョホケキョと鳴いていた

 本の帯には、「沖縄戦の鎮魂歌となり、バタヤンこと田端義夫が歌って大ヒットし、米兵に抱かれた娼婦たちが口ずさんだあのメロディーに秘められた願いとは?」と記されている。
 今後とも「十九の春」を大切に私の持ち歌として歌ってゆきたい。

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