西行 嘆けとて 月やはものを 思はする かこちがほなる わが涙かな
(哀しみ嘆けといって、月が物思いをさせるのだろうか。いやそうではない。それなのに月のせいにして、かこつけがましくこぼれる涙であることだ。)
(哀しみ嘆けといって、月が物思いをさせるのだろうか。いやそうではない。それなのに月のせいにして、かこつけがましくこぼれる涙であることだ。)
●希代の悪漢と漂泊の詩人は元同僚!
『平家物語』の描写や日本人の判官びいきにより、これまで悪漢とされて来た平清盛。しかし2012年の大河ドラマ『平清盛』では、その知られざる姿が描かれている。卓越した政治力とカリスマ性で武士としては日本初の覇者となった男は、人情味溢れる好漢だった、と。
そして、その清盛と生涯を通じての親友として描かれているのが、漂泊の詩人として知られる西行である。元々武門の家柄だった西行は、清盛とは同じ年の友人で、共に北面の武士として鳥羽上皇の身辺警護にあたっていた。
『平家物語』の描写や日本人の判官びいきにより、これまで悪漢とされて来た平清盛。しかし2012年の大河ドラマ『平清盛』では、その知られざる姿が描かれている。卓越した政治力とカリスマ性で武士としては日本初の覇者となった男は、人情味溢れる好漢だった、と。
そして、その清盛と生涯を通じての親友として描かれているのが、漂泊の詩人として知られる西行である。元々武門の家柄だった西行は、清盛とは同じ年の友人で、共に北面の武士として鳥羽上皇の身辺警護にあたっていた。
●二人の交流と不可解な距離感
流鏑馬など武芸のみならず、和歌や蹴鞠にも才があった西行は、将来を嘱望されていたにも関わらず、23歳の時に出家。山里の草庵を転々とする生活に身をやつす。その後、奥州平泉への旅を経て高野山に入ってからも、西行と清盛の交流は続いていたようだ。高野山に課された造営費用の免除を依頼した「円位書状」の他、清盛への期待を表したり偉業を称えるような和歌が残されている。ところが、これを以て生涯の友人とするには、些か無理がある。そもそも同じ北面の武士だったとはいえ、清盛と西行では当時の身分が違い過ぎたからである。また、清盛の死に関わる和歌を残していないのも、生涯の友だったとするなら不自然だ。
流鏑馬など武芸のみならず、和歌や蹴鞠にも才があった西行は、将来を嘱望されていたにも関わらず、23歳の時に出家。山里の草庵を転々とする生活に身をやつす。その後、奥州平泉への旅を経て高野山に入ってからも、西行と清盛の交流は続いていたようだ。高野山に課された造営費用の免除を依頼した「円位書状」の他、清盛への期待を表したり偉業を称えるような和歌が残されている。ところが、これを以て生涯の友人とするには、些か無理がある。そもそも同じ北面の武士だったとはいえ、清盛と西行では当時の身分が違い過ぎたからである。また、清盛の死に関わる和歌を残していないのも、生涯の友だったとするなら不自然だ。
●権力者とは大たいトモダチ!?
晩年、後白河法皇を幽閉した清盛に対して、西行が失望したとする説もある。だとすれば清盛の死後、源頼朝と面会した西行の動きに疑惑が生じる。清盛を見限って頼朝に接近しようとしたのではあるまいか。また、先の失望説を採れば、後白河法皇の使者だった可能性も浮上して来る。折しも、頼朝が弟の義経と決定的に対立していた頃である。表向きは勧進(浄財の寄付依頼)目的で義経と縁深い奥州平泉へ赴くにあたり、安全の保証を得る為とされているが.....。面会時、歓待した頼朝と対照的に、西行はつれない態度だったという。贈り物として貰った純銀の猫まで、通りすがりの子供に与えたという徹底ぶり。イメージとはかけ離れた無頼ぶりである。演出過多、と捉えることもできる。その裏に、何らかの政治的取引があったとしても不思議ではない。
晩年、後白河法皇を幽閉した清盛に対して、西行が失望したとする説もある。だとすれば清盛の死後、源頼朝と面会した西行の動きに疑惑が生じる。清盛を見限って頼朝に接近しようとしたのではあるまいか。また、先の失望説を採れば、後白河法皇の使者だった可能性も浮上して来る。折しも、頼朝が弟の義経と決定的に対立していた頃である。表向きは勧進(浄財の寄付依頼)目的で義経と縁深い奥州平泉へ赴くにあたり、安全の保証を得る為とされているが.....。面会時、歓待した頼朝と対照的に、西行はつれない態度だったという。贈り物として貰った純銀の猫まで、通りすがりの子供に与えたという徹底ぶり。イメージとはかけ離れた無頼ぶりである。演出過多、と捉えることもできる。その裏に、何らかの政治的取引があったとしても不思議ではない。
●文中 知っておきたい用語集
『北面の武士』 白河法皇が創設した院の直属軍。御所の北側にあったことから、こう呼ばれた。主な任務は院の身辺警護だが、寺社の強訴を止める為に動員されることもあった。
『円位書状』 西行から高野山に宛てた書簡のことで国宝となっている。高野山に課された和歌山日前宮造営の賦役免除を頼み込み、認められた報告がなされている。ちなみに、「円位」は西行の法名。
『北面の武士』 白河法皇が創設した院の直属軍。御所の北側にあったことから、こう呼ばれた。主な任務は院の身辺警護だが、寺社の強訴を止める為に動員されることもあった。
『円位書状』 西行から高野山に宛てた書簡のことで国宝となっている。高野山に課された和歌山日前宮造営の賦役免除を頼み込み、認められた報告がなされている。ちなみに、「円位」は西行の法名。
学校で習った歴史はウソだらけ!?
日本史 大ウソ事典 「中世」
日本史 大ウソ事典 「中世」