(前回から続く。。。)
【英語会話クラスは脱落、フランス語は初等コースを完走】
さて、ドイツ語に熱中している間も、他の外国語にも時間を割いていた。『私の語学学習(その6)』で述べたように、3年になってから英会話クラスとフランス語の文法とリーダーの授業を取っていた。
当時の私の英語力はあまり高くはなかった。英語には興味はあったものの、取り立てて目標を立てて勉強していなかった。そう言った事情で、多少なりとも英語に触れるきっかけとなれば、というので英会話のクラスに出席はしていたが、ドイツ語ほどの熱中度は持っていなかった。先生やクラスの仲間の話すことは理解できるものの、自分の意見を英語でまともに話すことはできなかった。後から考えると、これは英語の問題ではなく、また日本語の問題でもなく、言語を超越した『論理』の問題であった。つまり、頭のなかで、話すことが整理がついているかどうかが問題であるのだ。
(この件については、以前のブログ記事『外国語会話上達にもつながる弁論術のポイント』を参照)
そのような頼り無い英語能力であったが、ドイツ語のテープを繰り返し聴いていて、ドイツ語の力がついてくると更に困った事態に陥った。それは、ドイツ語と英語の語順の違いが頭の中で混乱しだしたのだ。英語では、動詞は通常主語の次にまとまって置かれる。例えば、 He must have dealt with the matter .....では、『must have dealt』という動詞群は固まって、主語 He の直後に置かれる。これに対して、ドイツ語というのは、動詞が生き別れになるのだ。上の例で言うと、
Er muesste die Sachen .... gehandelt haben.
あるいは、非分離動詞という、動詞+前置詞のペアーでも、前置詞が文末に置かれる。例えば、He got on the train .....は、Er stieg den Zug .... auf.となる。つまり、動詞に関しては、かなり高い確率(口語では多分6割以上)でペアーとなる単語が文末にくるので言うべき単語を後回しにしないといけない。これが、ドイツ語会話の入門レベルの私には鬼門であった。つい英語の癖で始めの方に固めて話してしまっていたのである。しかし、次第にこのドイツ語の分理形に慣れてきた私は、今度は英語の時にこのドイツ語式の言い方が頻発してしまった。それは、頭のなかであまりにもドイツ語の意識が強かったからである。それに気づいてからは、英語会話のクラスは脱落することにした。
今になって振り返ると、英語にしろドイツ語にしろ、当時はまだどちらも入門レベルで、確固とした足場が組みあがっていなかったので、このような混乱が引き起こされたと理解できる。今では、英語の方が得意になっているが、ドイツ語に切り替わった時もそれなりに対応できるようになった。(と言ってもレベルはかなり落ちるのだが。。。)
【出典】『またどうやら注文しそこなったみたいね。フランス語で習った文法と言えば、未完了形しか覚えていないからね。』
さて、フランス語は京大の文学部では、花形学科であった。それで、教養課程の中でも第二外国語としてのフランス語のクラスは、文学部の学生向けに数多くあった。当時、仏文には大橋保夫教授がいたが、その奥さんが美人で発音が綺麗というので有名であった。(記憶が定かではないが大橋寿美子さんだったと思う。)それで、文学部の1年生に混じってこの美人の大橋先生のフランス語クラスを取った。発音も噂に違わずフランス人そっくりであった。教科書は、京都大学フランス語教室編の『新初等フランス語教本《文法編》』という100ページ足らずの薄い本であった。毎回予習、復習するのに、かなり時間を割いたように覚えている。これとペアーでフランス語のリーダーの授業はとったが、あまり記憶に残っていない。
いずれにせよ、フランス語は、こうした訓練のお陰でともかくも一応読めるようにはなったが、フランス語はその後この当時のまま上達することはなかった。原因としては、ドイツ留学を目指したドイツ語の勉強に時間をとられていたのと、フランス語を使う機会がその後全くなかったことが考えられる。
しかし、根本的な理由としては、語学との相性で、私にはドイツ語の方が合っていた、ということだと思う。世の中で、『語学=英語』という図式が成り立っているために、英語以外の外国語をまともにする人がほとんどいないので、分からないかもしれないが、個人個人の性格やものの考え方に相性のよい外国語が存在している、と私は思っている。これは、ドイツ語を自由に話せるようになって初めて分かったのであった。
(続く。。。)
【英語会話クラスは脱落、フランス語は初等コースを完走】
さて、ドイツ語に熱中している間も、他の外国語にも時間を割いていた。『私の語学学習(その6)』で述べたように、3年になってから英会話クラスとフランス語の文法とリーダーの授業を取っていた。
当時の私の英語力はあまり高くはなかった。英語には興味はあったものの、取り立てて目標を立てて勉強していなかった。そう言った事情で、多少なりとも英語に触れるきっかけとなれば、というので英会話のクラスに出席はしていたが、ドイツ語ほどの熱中度は持っていなかった。先生やクラスの仲間の話すことは理解できるものの、自分の意見を英語でまともに話すことはできなかった。後から考えると、これは英語の問題ではなく、また日本語の問題でもなく、言語を超越した『論理』の問題であった。つまり、頭のなかで、話すことが整理がついているかどうかが問題であるのだ。
(この件については、以前のブログ記事『外国語会話上達にもつながる弁論術のポイント』を参照)
そのような頼り無い英語能力であったが、ドイツ語のテープを繰り返し聴いていて、ドイツ語の力がついてくると更に困った事態に陥った。それは、ドイツ語と英語の語順の違いが頭の中で混乱しだしたのだ。英語では、動詞は通常主語の次にまとまって置かれる。例えば、 He must have dealt with the matter .....では、『must have dealt』という動詞群は固まって、主語 He の直後に置かれる。これに対して、ドイツ語というのは、動詞が生き別れになるのだ。上の例で言うと、
Er muesste die Sachen .... gehandelt haben.
あるいは、非分離動詞という、動詞+前置詞のペアーでも、前置詞が文末に置かれる。例えば、He got on the train .....は、Er stieg den Zug .... auf.となる。つまり、動詞に関しては、かなり高い確率(口語では多分6割以上)でペアーとなる単語が文末にくるので言うべき単語を後回しにしないといけない。これが、ドイツ語会話の入門レベルの私には鬼門であった。つい英語の癖で始めの方に固めて話してしまっていたのである。しかし、次第にこのドイツ語の分理形に慣れてきた私は、今度は英語の時にこのドイツ語式の言い方が頻発してしまった。それは、頭のなかであまりにもドイツ語の意識が強かったからである。それに気づいてからは、英語会話のクラスは脱落することにした。
今になって振り返ると、英語にしろドイツ語にしろ、当時はまだどちらも入門レベルで、確固とした足場が組みあがっていなかったので、このような混乱が引き起こされたと理解できる。今では、英語の方が得意になっているが、ドイツ語に切り替わった時もそれなりに対応できるようになった。(と言ってもレベルはかなり落ちるのだが。。。)
【出典】『またどうやら注文しそこなったみたいね。フランス語で習った文法と言えば、未完了形しか覚えていないからね。』
さて、フランス語は京大の文学部では、花形学科であった。それで、教養課程の中でも第二外国語としてのフランス語のクラスは、文学部の学生向けに数多くあった。当時、仏文には大橋保夫教授がいたが、その奥さんが美人で発音が綺麗というので有名であった。(記憶が定かではないが大橋寿美子さんだったと思う。)それで、文学部の1年生に混じってこの美人の大橋先生のフランス語クラスを取った。発音も噂に違わずフランス人そっくりであった。教科書は、京都大学フランス語教室編の『新初等フランス語教本《文法編》』という100ページ足らずの薄い本であった。毎回予習、復習するのに、かなり時間を割いたように覚えている。これとペアーでフランス語のリーダーの授業はとったが、あまり記憶に残っていない。
いずれにせよ、フランス語は、こうした訓練のお陰でともかくも一応読めるようにはなったが、フランス語はその後この当時のまま上達することはなかった。原因としては、ドイツ留学を目指したドイツ語の勉強に時間をとられていたのと、フランス語を使う機会がその後全くなかったことが考えられる。
しかし、根本的な理由としては、語学との相性で、私にはドイツ語の方が合っていた、ということだと思う。世の中で、『語学=英語』という図式が成り立っているために、英語以外の外国語をまともにする人がほとんどいないので、分からないかもしれないが、個人個人の性格やものの考え方に相性のよい外国語が存在している、と私は思っている。これは、ドイツ語を自由に話せるようになって初めて分かったのであった。
(続く。。。)