のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

潮目かな

2020年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 安部さんお疲れさまでした。病を抱えて働くことのつらさはわかりますが、病気だからと休むことができない立場と責任。よく10年も持ちこたえたと思います。

 この10年で憲法改正ができなかったことには不満が残りますが、身の上に火の粉が降りかからないとわからない民族性なので外圧が必要なのかな?天災が多い日本ですが、災害死者の7割は逃げる最中に亡くなっているのだそうです。早めに避難していれば助かったということですね。一度死んでみないとわからないか。

 法案に関してもおおむねよかったのではなかろうかと思いますが、昨年あたりの外国人労働者や働き方改革、レジ袋法案なんか時期を間違えた気もするし、長期政権末期のレイムダックを感じてました。

 唯一不満があるとすれば拉致問題で、10年が過ぎてしまった。

 いつのまにか拉致問題が利権になってしまった気がするし、関わる人の自己満足や自己表現の道具になってしまった気もします。

 それでは福祉や環境などの圧倒的な正義を傘に自分を押し付ける連中と同じで、運動はしてもだれ一人乗り込んで行って暴れてくる人も出なかったということで、国から逃げ出すニダ人やニーハオ人と大して変わんねぇじゃねぇかと自分を恥じてます。皆でという背景には、自分以外の誰かを期待しているのだろうか?と、やはり、ただ一人あるのみぞよかれ。

 『還著於本人』。ゲンジャクオホンニンと読み、リッケンミンシュトウとは読まない文字です。

 太平記に出てきた言葉で高校の時に古典の授業で教わったことがありますが、もともとは法華経に出てくる教えです。

 「呪詛諸毒薬(しゅそしょどくやく)所欲害身者(しょよくがいしんじゃ)念彼観音力(ねんぴかんのんりき)還著於本人(げんじゃくおほんにん)」毒や呪いをもって害を加えるものがいたときに観音様に念じれば、その毒や呪いはかけた本人に返される。という教えだそうです。

 いわゆるブーメラン効果ってやつですね。

 『首相といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を首相総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます』

 このツィートをした石垣のりこという、みそ汁の具のような名前の議員が火だるまになっているようですが、ま、確かに下品っていえば下品だわな。「お疲れさまでした」というのが今の時点でのベストな受け答えだと思うけど、何をトチ狂ったかブーメラン投げちまいましたね。

 確か、高橋洋一をレイシストと批判したとかで裁判沙汰になるような話でその名を知ったのですが、上の発言はそのまんま重病者に対するヘイトじゃないのかな?

 どこの議員?って調べてみたら宮城県の参議院議員で、昨年の選挙で初当選した文字通り一年生議員。確か同期の議員に寝たきりの議員がいるんでしょ。もう少し病人に対する配慮ってもんがないのかね?そもそも、政策で争う場所でしょ、国会は。

 夫婦別姓を主張しているのはその議員の主張なんだからいいとしても、それならなんで離婚した夫の姓で出ているのよ。旧姓に戻して「昔の名前で出ています」なら主張もわかるが、姓なんてどうでもいいって考えているのかな?

 果たして、旧姓の小川のりこならあの発言は出ただろうか?別れた亭主の名前だから汚名かぶっても怖くないのかな?

 名前を変え顔も変え、成りすましお手の物の隣国人の精神構造って、元の自分じゃないからあれだけ恥ずかしいことができるのだろうか?

 なら、離婚して夫の姓名乗っている人にはカッコで(旧姓〇〇)って入れるのもいいかもしれない。防犯のためにも。

 なんてことを書きながら思うんですよ。

 呪詛の言葉が闊歩してるな。ネットの世界って。呪いの言葉で自分を語るっていかがなものか?

 2-3年前から考えていたんですけど、断捨離の行き着く先は自分自身を消し去ることで、いろいろしがらみになりそうなことから断ち切って離れてきましたが、そろそろネットともおさらばする潮目なのかもしれない。

 このブログも閉じることにします。

コメント (4)
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