のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

暗愁

2020年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 夜中に頭が冷たくて目が覚め、毛糸の帽子をかぶって寝ました。

 朝5時半。部屋の温度が0度。玄関の外の寒暖計がマイナス10度。

 嫌な予感はしたんですけど水道が凍ってました。例年、豆まきが過ぎると凍結するような気温ではなくなるので電熱を外してしまうのですが、今年は今まで暖かかったから2日の日に外してしまいました。

 熱線を入れて仕事に行き夕方5時半ごろ戻ってくると、地下水をくみ上げるポンプが回っている。あれ?水道の蛇口開けたままかな?と家の中を見ましたがしっかりと閉まっている。はてな?と外のボイラーを見ると、水があふれ出ている。

 どうやらボイラーにつながっているパイプが割れたようです。

 外が暗くなっているので、昼間修理をしようとポンプのコンセントを抜き、水を使うときだけ外に出で電源を入れて使っています。

 塩ビパイプなので、どこかで切れはしもらってきてつなげば修理できそうですが、保温材を外してみないとどこが割れているのかもわからない。

 何とかなるでしょう。と言うより、何とかしなけりゃならない。

 大型客船のダイヤモンドプリンセス号。61人もの感染者が出ていたみたいですね。これで一気に日本の感染者数が増えましたが、そのうち他の国から日本への就航や日本人の入国の制限がかかるなんて事態にならないだろうか?

 短歌をやっている山仕事のおじさんと「暗愁」について話しました。

 今の日本ではほとんど死語になっていますが、平安の時代に入ってきた外来語で、明治の頃には、夏目漱や森鴎外らが使っています。憂いや、漠然とした不安などを意味する言葉のようですが、イケイケドンドンの明治の時代にその対極をしっかり心中に踏まえていたらしいです。

 今は抒情が疎まれるご時世なので、「だ~い好き!」「元気!」のドリカム型根拠のないポジティブがもてはやされている時代なので、「暗愁」の情など「鬱」に分類されてしまうかもしれません。

 そういえば「鬱」って当用漢字に認定になっているようですね。いまだに手書きで書けない難しい文字だけど。

 平安時代の外来語と言うのだからニーハオにもあるのか?と調べてみると、そもそも漢字二文字で作られた言葉って日本の和製漢語なのでニーハオ状況など知るよしもないけど、「悒」という文字がニーハオ人の哀愁につながっているようです。

 そんな感情を持っていてはあの国では生きていけませんから、マスクや消毒液送るよりドリカムの歌でも届けた方がいいと思うけど、言われて見れば平成の時代って後ろに引くものを毛嫌いしていた時代でした。世相そのものが後ろ向いていた時代だということもあるのでしょうが、光と闇のコントラストは少なかった。

 先を憂えばきりがないけど、「杞憂」なんて言葉もあるくらいで、昔から心配性の人はいた。

 備えあれば患いなしとは言うものの、寒波が悪るのわかっていて熱線入れずに水道管破裂させた身といたしましては、反省よりも暗愁が漂ってしまいます。

コメント (5)
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