ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろのセイ!ヤング21(3/1)その4

2024-03-24 14:20:00 | メディア
甲斐さんが収録を済まされた「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版!」トークの続き…
「えー、ということで…あの…でも、とにかく、
そのバイオリンの廣津留(すみれ)さん、スゴイんですよ!プレイも超ウマい!ウマいんだけど

この人、ハーバードにまず行って…(『うん』と山田さん?)…そのあと、ジュリアード音楽院…
(『そうそう、そうですね』)…卒業したりしてるんですよ…(『スゴイですねぇ!』と松藤さん)
大分の人ですよ?(笑)ねぇ?…(『お母さんも有名ですよね』と山田さん)…そう!お母さん!
あっ!あの…あっ!それ『モーニングショー』観てるでしょ?…(『ええ、観ました』)

羽鳥の…羽鳥(慎一)さんの『モーニングショー』に
そういう優秀な…こう…娘を、あの…あの…まあ、育てたっていうんで
お母さんも、ナンかね、一緒に出てるんですよね?廣津留(すみれさん)と…
大分って『中津留』とか『ナンとか津留』って多いんだよね『廣津留』とかね

だから『ああ、大分の人なんだな』って感じなんですけども、訳が判らないスゴイ人でしたね
『スゴイなあ!この人』って…(『(オンエアーが)楽しみですね』と松藤さん)…ハイ
もう、ぜひ演奏を、ね?あの…収録観て下さい」…と、おっしゃってましたが

その廣津留さんのウィキペディアを拝見すると…
「母親は小学校に入学する頃から、こなすべき作業を簡潔にまとめた
『To Do リスト』を自作するように指導し
今日に至るまで、このメモを基にスケジュール管理をしている
加えて、日英2ヵ国語で、欠かさず日記をつけている」とか

「バイオリンで弾いた曲や感想、演奏した場所に加え、着ていた服を書き記し
次に同じ人に会う時には、同じ服を着ないように心がけている」という風に
ご幼少の頃からの、日常の生活習慣からしてもう、我が家とは別世界の方って感じでした…(苦笑)

それはともかく…「…っていうことで、えー、前回、
えー、山田太一さんが亡くなったことで(曲を)かけたじゃないですか?あおい輝彦…
でも、それは『3人家族』のシーズン2の主題歌…(『シーズン2…そうですね』と松藤さん)
…だったんですよ、ね?『あっ、そうか!シーズン1あったな』と思って…で、探しましたよ

…で、で、当初、タイトルは『2人だけ』ってタイトルだったらしいんですけど
結局、シングル出る時に…まっ、ドラマのタイトルが有名だったから
結局、まあ、タイトル変わって…ということで、聴きましょう、あおい輝彦『3人家族』」…を流され

曲が明けると…「ハイ、えー『3人家族』…山田…山田太一さんの…
あの…バイオグラフィーを見てると、一番最初なんですよ『3人家族』…
最初っから当たってるんですよ、あの人…(『そうですね』)…しかも、思いっきり観てました、僕…
(『僕も思いっきり観てましたね(笑)』)

高校生が、あれだけ真剣に観るってさ、スゴイ!
…で、小倉一郎も渡辺篤史も全部…『木下恵介劇場』でしょ?
だ…だから、みんな…みんな、有名になって…(『「あの枠」って言っちゃいます、僕たちは…(笑)』)
スッゴイよね!高校生…あの頃の高校生ってさ、テレビ好きだよね(笑)

(『イヤ、いっぱい…だから、倉本聰さんの…あの
「二丁目三番地」とかも、ちゃんと観てましたからね』)…『二丁目三番地』観てました!
松藤、ホント好きだもんね?『二丁目三番地』
ナンか、あのー、4人で住んでた時も『二丁目三番地』の話題になると
ムチャムチャ、体乗り出してたもんね(笑)

えっ?石坂浩二が作詞して、ビリー・バンバン…(『ハイ、えーと…曲がビリー・バンバンで
あの…音楽を作ってる…まあ、えー、固有名詞が出ないんで、ここまで!(笑)』)」…と話されてましたが
その出なかったお名前は、坂田晃一さんではないでしょうか?(笑)

「ハイ、ということで…じゃあ、ビルボードライブの告知を…松藤さん、お願いします」と振られて
松藤さんが、原稿を読み上げておられるそばから入る甲斐さんのフォロー?(笑)今回は少なめで
福岡トヨタホール スカラエスパシオでの公演2日目の開演時間について
「えー、これ、だから、19日だけが(1時間)早くなってるってことですね」とおっしゃって

松藤さんが原稿を読み終えられると…「ハイ、ということで…
えー、ナンか、福岡はもう、ほぼ…(『おおー』)と松藤さん…
4回…2日間だから、4回(公演がある)じゃないですか?…(『そうですね』)
ほぼ売り切れてるんですよ、ハイ、ナンか…ナンか、スゴイなあと思って…

(『スカラエスパシオ!』)…うん、知らないよね?
(『どこにあるんでしょうね?』)…ナンか、トヨタかナンかが…(『ですよね』)…造った、うん
あと、ビルボードライブ横浜とかもね、もう、
あのー、僕ら(甲斐バンド)が(ライブを)やった赤レンガ倉庫…を見て…見に行って
そのまんま(ビルボード)ライブに行くとか、ね?…(『そうですね(笑)』)

結局…色々…色々ありますから…(『駅…駅を昇って行ったら、すぐありますからね、横浜は…(笑)』)
まあ、そういう(聖地巡り)の…そういう感じで…」
…と、横浜公演を推していらしたのは、チケットの売れ行きがイマイチなのかなあと…(失礼!)

でも、福岡は、10年目にして初のビルボードツアーですし
待ちに待っておられた地元の皆さんが詰めかけられるであろうと思われるのに対し
横浜は、関東圏在住の皆さんにとっては、東京8公演が、ツアーの初日とファイナルを占める中では
まあ「1回は行っておくか」くらいの比重になっても致し方ないんじゃないかと…?(苦笑)

余談ですが…山田太一さんの代表作は、その数の多さもさることながら
いわゆる「攻めた」作品…当時は「問題作」と呼ばれた(汗)作品が際立っていて
例えば「岸辺のアルバム」は、多摩川水害を題材にしたこと

更には「家族とは、ケンカをしても、結局は判り合えて、家族愛があるもの」
…とされていたホームドラマの中にあって
「家族にはそれぞれ秘密があり、それを他の家族には隠しているもの」として描き
「ついには、家庭が崩壊しかけ、更に家が水害で流されてしまう」…という展開が衝撃的すぎて
「テレビドラマ史は『岸辺のアルバム』の前と後に分けられる」と言われているそうです

また「早春のスケッチブック」は、その当時の視聴率の低さにも関わらず
「テレビドラマベスト100」というような企画では、ベスト10に入ったりするらしいんだけど
その低視聴率の原因というのが、視聴者に対して
「お前らは、骨の髄まで、ありきたりだ!」と罵倒したトンでもない脚本なのは確かみたいです(苦笑)

ただ、その一方で「自分に見切りをつけるな!」とか「あるがままに、自然に生きるのではなく、
無理をして自分を越えようとする人間の魅力を忘れたくない」など
今で言うところの「刺さる」セリフもふんだんにあり
「生き方を考えさせられた」とおっしゃる方も少なくないんだとか…

「一作ごとに必ず新たな挑戦」をなさって来た山田さんは、晩年に入られても
「挑戦したいことは、まだまだある」と話されていたと知って
甲斐さんが、業界の皆さんに大人気だと評されていた「不適切にもほどがある!」を
山田さんがご覧になったら、どう思われるのか?お訊きしてみたいなあと…(笑)

クドカンさんが、このタイミングで世に出されたのは、おそらく?今の民放が、視聴者ではなく
スポンサーの顔色ばかりを窺って「コンプラ第一」となってしまったことに
警鐘を鳴らす…ナンなら、そんな風潮に風穴を開けたい…といった思いが募っていらしたトコへ

近年、若者たちが、昭和歌謡を興味深く聴いていることや
「ニンチドショー」などのバラエティー番組で「今では考えられない事柄」が
「常識」として受け入れられていた昭和という時代の「ヤバさ」が紹介され
認識が深まりつつあることが、後押しになったんじゃないかと…?

クドカンさんが「フテホド」と同様に、世代間ギャップを題材になさった
「ゆとりですがなにか」は、最終的には和解する展開だったのが
今回は、昭和世代にエールを送りつつ、セクハラやパワハラなど、問題視されなかったことが
令和では通用しない点を押さえながら、あまりに行き過ぎたコンプラ感覚を笑い飛ばしたりもして
萎縮している地上波のドラマに、1つの活路を示そうとなさってるような気が…?
コメント
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