沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩289

2011年01月14日 17時14分51秒 | 政治論
 ゲーツの軍事費削減方針が日本について言及しない理由は日米同盟のためではなく無理が通用する「思いやり予算」などの日本政府の対米従属姿勢によるが、誰が見ても偏頗でアメリカ拠りのこうした日本政府の方向性について誰も言及しないところに、日米安保沖縄過重負担体制に安穏に乗っかっている日本国民の怠惰で軽はずみな無反省の戦後的無頓着精神がよく現れている。一方ゲーツの軍事費削減を耳にしたウチナンチュー新聞が一瞬沖縄基地縮小の期待感さえみせたのは早計だったろう。現在辺野古回帰の客観的説明がない以上辺野古にする絶対的要件はないとみるのが自然である。専権事項のように嘯いていたくせに有効な、移設の現実的妥結がない以上過去の移設同意は首長たちの愚昧政治姿勢によっていたことは明らかで、実際に居住する住民が拒否する故に14年間進展しなかったこの辺野古の問題は長引けば長引くほど国家の国家的価値を下げ続けることになる。一方アメリカは、「お山の大将」として辺りを睥睨する現今世界情勢のなかでは辺野古なぞ屁でもない。それが沖縄県民の圧倒的反対の中強行されても世界が黙して見ぬ振りするのはわかりきっている。長引けば長引くほどアメリカは普天間固定化を手に入れる結果となる。つまりアメリカにとって、辺野古が「民主主義の問題」ではなく日本政府の「国内問題」にすぎないことはどこまで行っても変わらない。講和と安保の不健全で再考三考すべき実質につき、65年閲してさえなんらの変更も加えなかったツケが汚れたスモッグのように沖縄までの日本列島上空を覆っている。その被害を毎日間断なく被っているのが沖縄住民たちだ。辺野古にする理由もなく合意遵守の態度を変えない日米政府は痛みを知らない為政者としか評価されず、解決する方法を知らない無能無策な政府としか言われまい。だがアメリカのこうした強硬さは当然意図された戦略であり、彼らを「無能」と呼ぶには彼らの想定できない力量を無視するしかないので、我々人民は恐るべきアメリカンエネルギーの餌食にならぬよう、せいぜい弱体な日本政府を叩くしかない。しかしながらアメリカのもう一つの側面、フランクでストレートな意思の尊重精神を学ぶなら、日本政府が自己革新を遂げるべくフランクに率直に「安保破棄」を通告すれば一切は容易に青天白日な気分を味わうに違いない。要は日本政府が基地公害の非人道性排除に立脚して基地の、住民周辺からの完全撤去を目論めば済むことだ。できないのは言い訳に過ぎない。鳩山の馬鹿さ加減はこれを中途で投げ出したことだ。


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