沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩290

2011年01月15日 12時52分25秒 | 政治論
 枝野?断末魔かな?いよいよ手がなくなったと見られる。ということは間違いなく普天間固定化だ。この若造に沖縄を理解する叡智はないし、沖縄に関する知識も熱意も同情もないことはこいつの過去の言動からもはっきりと見て取れる。今更浅墓な歴史学習したところでどの道外務防衛官僚の意のままに動かされるだけだ。菅が沖縄を政策論議から消し去り、「粛々と」辺野古移設の強健的執行を順次実行させる布陣としたことは明白だ。前原、北沢、岡田、枝野、恐るべき面々だが所詮官僚のパシリにすぎない。国民はそういう実態を知らずに人気投票するからこの国がいつまでも旧大日本帝国的官僚主導の、血も涙もない政治に堕落するのがわかってない。消費税増税のために与謝野を呉越同舟させたが、今更与謝野を取り込まなくともいずれ消費税は上がる。菅の姿勢に強健的傾斜を感じるときこれも官僚の息がかかった結果なのか、官憲というが戦前の特高並みの恐怖政治が独走しそうで、国民は暢気に眺めている場合ではない。沖縄は「銃剣とブル」に対して同様のしっぺ返しを繰り出すことだ。最早この政権には聞く耳がないのだから、今後必死的な抵抗運動に突入せざるを得ない。さて打倒菅政権から解散総選挙と流れてみたところでこの国が劇的に変化することはまずないだろう。この絶望的な政治状況では人は本来的な精神生活を如何に確保するか、あるいは取り戻し展開するか、沖縄の希望とは、この国の絶望から目を転じてあらためて沖縄を見直すこと、それがここならできるということ、その価値を保存したということにある。


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