野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

新聞屋の商品

2014-10-01 06:31:05 | その他
    「朝日新聞社長謝罪会見」
9月11日の朝日新聞が慰安婦記事に関する過去の誤報を初めて謝罪した件で、誤報への批判投書が拡大し新聞購読者数が激減しているらしい。今まで訂正や謝罪すらなかったものが急に社長謝罪となり、その後、新聞購読者へはわび状らしき「折り込み」と「粗品」を添えて継続購読依頼があったと言う。日本中の話題を一身に集中させた朝日記事の誤報(捏造との意見もある)購読者への市場処置が「折り込み」と「粗品」のセットと言う事について、個人的には朝日新聞の購読者ではないが、何か違和感があるなと感じていたらこんな記事が投稿されていた。

9月26日の「朝日新聞「3度の転機」と生き残りへの「道に面白い記事があった。それは、朝日新聞の木村社長の記者会見で、企業体としての朝日新聞社が「いかに危機管理能力が決定的に欠如していたか」を明確に表わすものとあった。メーカーに勤めているビジネスマンたちが朝日の謝罪対応について感じたものは、その会社の「商品」に対する企業トップの認識という点であると書いている。『メーカーに勤務するビジネスマンたちは、まず第一に自社が売る商品を徹底的に自分なりに「分析」し、頭の中にすべてを「叩き込むこと」から始める。 商品を売り込む場合でも、またクレームが来た場合でも、どんな時でも「商品」それ自体のありようが最も重要なものだからだ。 では、新聞社というのは、いったいどんな“商品”を売っているのだろうか。言うまでもないが、新聞社が消費者(購読者)に売っているのは新聞という名の「紙」である。 新聞社は、その白い紙に「情報」と「論評」という付加価値を付けた活字を印刷することによって、その紙を読者に販売している。 つまり新聞社の商品とは、紙面に掲載されている記事の中にある「情報」と「論評」にある。これこそが、新聞社が売る商品の「根幹」を成すものである。』、加えて『新聞社にとって、消費者に売る「商品の根幹」であるスクープ記事に「クレームが飛んで来た」のである。これは、普通の企業にとっては、大変な事態だと思う。 例えば、自動車メーカーに、「エンジンに欠陥がある」という指摘が、専門家から突きつけられたとしたらどうだろうか。 まともな自動車メーカーなら、大急ぎで対応にあたり、必死で検証し、事態の収拾をはかろうとするだろう。 しかし、朝日新聞は違った。(略)・・・、これに「言論」で反論するのではなく、「法的措置を検討する」という信じがたい抗議書を送りつけてきた。 その企業が売っている商品の根幹にかかわる指摘を、「黙れ、黙らんとお白洲に引っ張り出すぞ」というものだった』とあった。

この記事を読んで直ぐに思いだしたが、2012年末の新聞報道「厳重注意、三菱自動車の記者会見」だ。
     「厳重注意、三菱自動車の記者会見」
これは、2年前の2012年12月に、「体質は変わらないものかな?」として三菱自動車のリコール隠しの再発らしきことを当ブログに書いた。三菱は、軽自動車のエンジンのオイル漏れと言う重大不具合の品質認識が極めて甘く、結果、「三菱自動車へ厳重注意、国交省、リコール対応等で」と報道されたもの。エンジンからのオイル漏れという致命的な市場不具合を知らぬ存ぜぬで、責任を顧客に押しつけていたが、結局、不具合が明らかにされ、三菱自動車に対し、国土交通省が異例の口頭による厳重注意に踏み切った。2000年の自動車業界始まって以来の大不祥事(リコール隠し)を隠ぺいした体質は10年以上経過後も改善されず、当時多くのユーザーからそっぽを向かれた経営危機の教訓も生かせず、三菱自動車は意識改革が進まない深刻な事態に陥っている、と報道されていた。この時は、やはり、「企業体質はそんな変わり得ず、期待するほうが無理か?」と改めて痛感したものだ。

思い出してみると、2000年当時、三菱車の不具合が市場で露見し始めると、三菱は市場不具合原因は整備不良であると当初公表したが、その後、事故の警察の立件方針が示されると、次から次と不具合が露見してきた。「三菱のリコール隠し」は刑事告発までに発展し、国交省はリコール監査を全自動車メーカに対して徹底的に実施した。三菱より遥かに事業規模の大きいトヨタ、日産からリコール隠しに類する不祥事等を今まで聞いたこともなく、ルール通りの対応さえしておれば特段に問題とならないものを、多くの自動車メーカーも含めて不信の目で見られため国の監査を受けることになったが、三菱以外からは一片の曇りさえもなかった。

三菱自動車のリコール隠しの本質は当時新聞等に詳細に報告されており、公表された一部を記述すると、
「元々持っていた三菱自動車の企業風土に加え、開発過程での品質テストがおろそかになった」、
「部門間の人事異動が乏しいため、相互チェックが働かない」
「三菱のディーラーは与えられたノルマをこなすだけで、接客態度もよくなく、市場不具合の流れが確立されていない」
「「命令―服従」の組織構造においては、部下が自社の反倫理的情報を収集しても、それが上司によって強圧的に抑圧されたり、
 また上司がそれを故意に聞き流したりして既存の情報網から濾過してしまう可能性があった」
つまり、三菱自動車のリコール隠しは、徹底した縦割り社会が形成された中で、部門毎の情報の抱え込み、つまり官僚的な要素を強く持った企業だった事に加え、事業トップが市場不具合を認めない等々がリコール隠しの主因と分析されていた。結局、2件の事故で元社長らが業務上過失致死罪などに問われ、有罪判決が確定した。

自動車に限らず市場で販売されている製品に不具合が発生した場合、その企業は必死になって原因を究明し速やかな市場対応によって顧客とメーカーとの信頼関係を構築してきた歴史がある。例えば自動車等がリコール処置すると不具合車を徹底的に探し出し不具合の改善処置が終了するまで終わることはない。だが一方、朝日新聞の誤報記事(捏造との意見もあり)が市場に及ぼした広さや深さの深刻度を考慮すると、自社購読者へのお詫びだけで済ませた朝日新聞の市場処置は一般企業の対応とはかなり異なるように思えるのだが、思い過ごしかな。




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