野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

故郷の友人が国会議員になった

2012-12-25 06:35:29 | その他
16日の衆議院選挙、長崎2区は「自民党加藤寛治が当選」した。
故郷三会村小学校、中学校から島原高校までずーっと一緒で同学年だった。
高校卒業後、彼は東京の日本大学に進学し、その後故郷に帰り県議に当選。
冠婚葬祭で故郷に帰ると、その席に加藤寛治君が何時も居た。
かわす挨拶は、昔からのままで名前を互いに呼び捨てにして「元気な」と方言で言葉を交わす程度。
小学校、中学校から高校まで一緒で、学校帰りには何か付け加藤君の自宅へよく遊びに行った。
そのころから身長が高く現在も180cm以上、今風に言うと「ジャイアン」のような性格で、何故か、寛治とは非常に気があって仲も特別良かった。
寛治の父親も長崎県の県議で県会議長までなった人だが、彼自身も県会議長までなった。寛治のほうが父親より性格も能力も優れていると思う。
その加藤寛治君が初めての衆議院に挑戦し初当選、国会議員となった。・・・おめでとう!

今年の夏頃、衆議院に立候補するとの案内をもらった時、無理だろうと思った。 と言うのは、
同じ長崎2区には、前回選挙で自民党の久間章生元防衛相を破り、政権交代を実現させた「風」の象徴的存在だった、民主党の福田衣里子がいる。
民主党の福田衣里子も立候補するはずだがら、福田衣里子には勝つ見込みはないなーと思っていたら、なんと民主党から離党。
しかも、彼女は「みどりの党」に移籍、紆余曲折あって最終的に「日本未来の党」から比例代表近畿ブロックから立候補、しかも末席。
それなら勝てるかもしれないと思っていたら、今度は同区に久間章生元防衛相が立候補する予定だとも聞いた。
久間元防衛相は頭脳明晰な人材なので、久間さんとの勝負は難しいだろうと思ったところ、長崎自民党県連は加藤寛治を推薦決定。
民主党県連も候補者の人選交渉に難航。急きょ長崎県雲仙市長の奥村慎太郎が立候補すると表明。
奥村さんは自民党の久間章生元防衛相の元秘書だが、準備不足は否めなかった。

いよいよ加藤寛治君にフォローの風が吹きつつあると思っていたら、全国的な自民圧勝の波に乗り、他候補に大差をつけての勝利。
県議を8期務め、議長を経験。時間をかけて地域の後援会組織を強化し、支援者や企業を回った。推薦団体は千を数えたという。
2区は農業票が多く農業団体からの強い支援もあり、TPPには絶対反対を掲げているようだ。
日本の国会は「地方代表」の性格が強くそうならざるを得ないので、今後はどうあるべきは別として、これは理解できる。
しかし、個人的な思いとすれば、TPPなど早く決着し貿易立国を早急に再確立してくれと思っている。
安倍政権は最初の躓きさえなければ長期政権になる可能性が高いので、寛治の活躍も遠目に見る事ができる。
まー、何れにしても、小学校時代からの友人が国会議員になった。・・・おめでたいことだ。


加藤寛治君の政治信条は「千里同風」とある。
意味するところがよく理解できないが、こういうキャッチコピーが地方の有権者には受け入れ易いのかな?
都会で暮らしていると、「千里同風」を解釈するに、斜に構えて意地悪く言うと悪く捉えられてしまうのだが。

        

政治信条は、「千里同風(せんりどうふう)」。
 千里の先も同じ風が吹くという、世の中すべての人が等しく穏やかであり、幾久しく公平な幸せが行き渡るような社会を目指す」
「もう遠い昔に成りました。昭和五十七年、第四十四代県議会議長であった父の後を受けて、県議選に出馬以来、
 『千里同風』の政治信条と地域密着型政治を掲げて、ただひたすらに政治の道を邁進して参りました。
 友は、「少し自分の時間を持ったら?」と何度言われたことか、でも「これが私の天命」と、常に自身の使命を問い、駆け足で走り続けて来た思いがします。
 そして今、最大の転機が訪れました。それは、多くの同僚・友・そして見知らぬ方々からまで「頑張ってください。」と激励され
「衆議院選挙への挑戦」を決定づける「自民党第二選挙区支部長」への推薦であります。
 そして、熟考熟慮の結果、それが私の天命なら、あえて否定することなく、これまで歩み続けた政治家の集大成として政治姿勢を変えることなく、
 都会も片田舎も同じ幸せを享受できる公平な「千里同風」の政治を全うする事こそ、私に課せられた生涯の使命として一身を投げ打つ覚悟に至りました。
 どうぞ皆様、この決意をご理解いただき旧に倍しますご指導・ご支援を心よりお願い申し上げご挨拶と致します。」



コメント
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