取り壊しされる方針が決まった富永屋。西国街道に面し、江戸時代から現在の場所にあった(向日市寺戸町)

取り壊しされる方針が決まった富永屋。西国街道に面し、江戸時代から現在の場所にあった(向日市寺戸町)

 測量家・伊能忠敬らが宿泊した西国街道沿いの旧旅籠(はたご)「富永屋」(向日市寺戸町)が、取り壊される方針であることが5日、関係者への取材で分かった。市民が活用し、存続の危機を乗り越えてきたが、修繕費の確保などが課題となり、維持が困難になった。約280年前に建てられたとみられ、一帯の歴史を現代に伝える貴重な町家遺構が姿を消す。

 富永屋は1616年には現在の場所にあった。街道に面した向日神社の門前で宿屋や料理屋を営んでいた。伊能のほか、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜も訪れたという。町家の遺構を残す現在の建物は、1735年の棟札が残っている。

 約10年前に取り壊すことが一度決まったが、市民が活用を目指して団体「とみじん」を結成。所有者の男性(72)も計画を見直した。団体はまちづくりの拠点として活動し、「おくどさん」の復元などの補修を行い、存続を目指してきた。

 一方で経年劣化や昨秋の台風被害で、維持や修繕に多額な費用が必要になっていた。所有者の男性は体調面への不安もあり、取り壊しを決めた。今夏に解体し、賃貸住宅になる見込み。京都新聞の取材に「現在の状態では災害が起きた時に周囲へ迷惑を掛ける可能性がある。行政からの支援はなく、個人で維持するのは難しかった」と苦渋の表情を浮かべた。