大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

連載 13 彼は特別法制定を見ることなくあの世に行ってしまったのです。

2015-04-30 | 「私がお話し」します。
韓 正淳さんは初代会長が

              私たちの活動の筋道をつけてくれたと次のような話をされました。



 韓国の原爆被害者2世運動は[韓国原爆2世患友会の‘初代会長キム・ヒョンニュル’さんの活動から始まりました。彼は韓国社会に1世、2世など原爆被害 者問題を世論化させて、‘遺伝’についてその認定有無と日常の暮らしでの苦痛を訴えながら関係団体を訪ね、協力していただける人々と共同対策委員会を設け て、国会議員と弁護士などを尋ね歩き、特別法を制定するための活動に取り組んでおられましたが、去る5月29日お亡くなりになりました。 彼が亡くなる直前の去る5月東京で開かれた「‘戦後60年’被害者とともに日本の過去清算を要求する国際連帯協議会東京国際会議」で彼の直接書いた発表文 が活動の最後になりました。次のような内容でした。

‘私のお母さんは1940年日本、広島で生まれられ、6才の時原子爆弾によって被爆されました。 私は先天性免疫グロブリン欠乏症(immunoglobulin deficiency with increased lgM)という原爆後遺症を患っています。 この病気により今まで20余回以上反復的な肺炎再発で慢性閉鎖性肺疾患で、現在の肺機能が80%以上喪失になっていて、残る20%だけで呼吸をするなど日 常生活に多くの困難を経験しています。(2003年7月呼吸器障害1級判定を受けました)

彼の双子兄弟が生後20日後に亡くなり、彼自身も正規学校さえまともに出席するのが難しいほどの闘病生活でした。病の原因も分からないまま宿命のように生 きた絶望の時期がありました。 そのような彼が自身のアイデンティティを探しながら歩くことさえ大変なからだで釜山(プサン)とソウルを行き来して活動をしながら、原爆被害者運動全体と 2世運動の道を彼が切り開いてくれたものとして高く評価しなければなりません。 彼が残した多くの文章や主張を集約すれば次のようでした。
今、多様な原爆後遺症を患っている原爆二世・三世の患友は、日本帝国主義の侵略戦争と米国の核ヘゲモニー戦略によってひきおこされたもので「原爆被害者」 なのだ。 自分自身の意志とは関係なしで多様な病気と障害で生存権と生命権まで脅威を受けて、60年もの間不当な国家権力からアイデンティティと人間性を否定されて きたのです。 これは明白な国家権力の暴力であり人権侵害であろう。 ある?米?日本政府は原爆二世・三世患友らに対する‘先に支援後救命’で生存権と生命権を保障しなさい!'と叫びたいのです。

こういう主張が出てくるまで彼は痛いからだだを引きずって、原爆に関する資料を探し求め、多くの関係機関に通って原爆被害者問題解決のために絶え間ない努 力を傾けたのでした。 そうして2003年8月、彼は原爆二世患友会共同対策委員会とともに「国家人権委員会」に生存権保護と人権回復のための「陳情書」を提出することになりま した。 そして2004年8月韓国人原爆被害者一世、二世らに対する実態調査が実施されました。

実態調査結果2005年2月14日、国家人権委員会は‘原爆被害者二世の基礎現況および健康実態調査’を公式発表しました。 公式発表によれば、全国の原爆被害者二世らの中で1,226人に対する郵便アンケート調査結果は、同じ年齢の一般人に比べて貧血、心筋梗塞、狭心症などの 慢性疾患とうつ病、精神分裂、各種癌などの病気に苦しめられている方が非常に多いことが明らかになりました。 また、原爆被害者一世1,092世帯の子供4,090人に対する情報分析結果、すでに死亡した299人の中で半分を越える156人が10才以前に死亡し、 これらの中での死亡原因さえ明らかにならなかったのは182人(60.9%)に達しました。 生存した原爆二世らの中でも先天性奇形と先天性病気があると答えた人は19人に(0.5%)に達したのです。

実態調査の実施を実現させた彼の努力は、引き続いて特別法につながったのですが、彼は特別法制定を見ることなくあの世に行ってしまったのです。 だが、彼が私たちに残してくれたメッセージは‘人生は続かなければならない’ということで、私たちも彼の人生に続かなければならないと思っています。彼は 私たちに勇気と希望を残してくれたのでした
だから私たちもくじけるわけにはいきません。

慰霊塔にねむる犠牲者の霊

  

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 12 韓国・被爆二世・三世の実態 勝ち取った医療費無料化制度

2015-04-29 | 「私がお話し」します。

          韓国・被爆二世・三世の実態 勝ち取った医療費無料化制度

                 慶尚南道原子爆弾被害者支援条例
              被爆の苦痛を相続’支援拡大条例案 初通過
        被害者の半数は慶南(キョンナム)に居住…子孫調査など至急必要

  慶南道議会が原子爆弾の直接被害者と生まれた時から両親から被爆後遺症を受け継ぎ苦痛に苛まれている子孫を支援する条例を制定

した。原爆の直接被害者の子孫まで制度的に支援するのは韓国と日本を合わせて初めてだ。


  慶南道議会は22日、本会議を開き‘慶尚南道(キョンサンナムド)原子爆弾被害者支援条例案’を通過させた。

現在わが政府の原爆被害者支援は毎月1人当り 10万ウォンずつ支給することが全てだ。その上、支援対象者は大韓赤十字社に登録さ

れた原爆直接被害者2675人に限定されている。


  生まれた時から両親から被爆後遺症を受け継ぎ苦痛に苛まれている2,3世は何の支援も受けられずにいる。

被爆後遺症が遺伝するということが医学的に証明されていないためだ。


  だが、条例が作られたことにより来年から慶南に暮らす原爆直接被害者と先天性被爆後遺症を病んでいる子孫は体系的で多様な医療

・福祉恩恵を受けることがで きるようになった。慶南道知事は原爆被害者を支援するための総合的施策を用意して推進しなければならず、

定期的な実態調査も行わなければならない。 また、毎年原爆被害者の福祉・健康に関する体系的支援計画を立て施行しなければならない。


  条例案を代表発議したハンナラ党ムン・ジュンヒ道議員(陜川(ハプチョン))は 「これまで国家の保護を受けられなかった原爆被害者に

今回用意した支援条例が少しでも慰労となればと思い、核の恐ろしさを皆が切実に認識し非核平和を実現 する契機になって欲しい」と話

した。


  原爆被害者の子孫の憩い場である‘陜川平和の家’のソク・ヘジン運営委員長も「被爆国日本より、更に良い人権福祉条例が作られてうれ

しい」として「原爆被害者支援のための総合的施策用意と共に、定期的実態調査、相談支援、プログラム開発と教育、広報などの事業を積

極的に実行することを慶南道に期待する」と 明らかにした。

  現在、慶南には原爆直接被害者の半数に近い1009人が暮らしている。だが、原爆被害者の子孫に対する全体調査は一度もなされてい

ない。

現在、国内に1万人余りが暮らしており、その内2300人余りが先天性被爆後遺症に苦しんでいると言われるが、それも推定に過ぎない。


               昌原(チャンウォン)/チェ・サンウォン記者

    

    ハプチョンでお会いした方

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 11 韓国原爆被害者協会陜川(ハプチョン)支部 

2015-04-28 | 「私がお話し」します。

核ない世の中のための平和宣言文/

2011年3月1日/西大門(ソデムン)刑務所歴史観の前で 

  

  韓国原爆被害者協会陜川(ハプチョン)支部 韓国原爆被害者および韓国原爆2世患友会 問題解決のための共同対策委員会は、

東北大震災の直前に次のような宣言や二日後に「隣国日本大地震による福島地域被爆者を慰めて...」という声明を出しているが、

震災2日後に日本の多くの平和団体からこのような声明が出ていたのだろうかと思うと、「苦しむ人々との連帯」こそ被害をなくし未来を

切り開く原動力なのだということが良くわかった。

 

核ない世の中のための平和宣言文

日帝強制占領期間の1945年8月6日と9日、広島と長崎に米国が落とした原子爆弾によって日本人だけでなく当時朝鮮人も多くの被害をこうむりました。 しかし日本社会だけでなく韓国社会やはり70万人全体原爆被害者中で10%である7万人が当時の朝鮮人原爆被害者であることが良く知られなかったです。 しかも代を引き継いで2世、3世、はなはだしくは4世まで相続の苦痛にあっていることはより一層知らされなかったです。

自身の意志とは関係なしで被爆されて故郷に帰ってきても日本政府だけでなく韓国政府にも放置されたまま貧困と原爆後遺症にした多くの生活を送ってきた方々、そして苦痛が相続されて差別的な社会構造の中で苦しんだり稀貴難病で苦労してまともに治療を受けることができなくて死んでいく原爆被害者2細分は時間がなくて切迫した状況です。 故に私たちはこれ以上遅くなる前に原爆被害者の声に耳を傾けなければなりません。

私たちは今日帝強制占領期間、日帝侵略に抵抗した抗日独立活動家らの激しい闘争と非暴力平和運動として3.1運動の精神、また、解放以後この土地の民主化運動をしたこれらの精神がものさびしく生きている西大門(ソデムン)刑務所歴史館を訪問しました。 この歴史的の現場で原爆2世患友会は次の通り‘核ない世の中のための平和宣言’をします。

1.日本政府は世界唯一の被爆国論理から抜け出して日帝強制占領期間日帝が犯した戦争犯罪の戦争被害者の原爆2世患友会など後世を含んだ韓国原爆被害者をはじめとして在外被爆者に対する戦争責任を確実にして差別ない被害補償をしなければならない。

1.まず痛い原爆2世患友会が治療受けて掘って受けることができる医療施設と療養施設など基本的な福祉が実現されるように地方自治体と政府の迅速な対策と支援が実現されなければならない。

1.また再び悲劇的な歴史が繰り返さないように隠したりわい曲してはいけなくて、後世に知らせて教育することができるように‘韓国の広島’と呼ばれる陜川(ハプチョン)に反核平和資料館と世界平和公園を作って‘世界的な平和都市’に新たに出るようにしなければならない。

1.原爆被害の相続で苦痛受けている原爆2世患友会が私たちの社会で差別を受けないで人権と生命が尊重されるように国家次元の真相究明と諸般の支援対策を制度的に後押しするための特別法制定を促す。

1.この土地の南と北どちら側も、地球村どんな地域にも核による放射能の被害者も加害者もならないために、戦争ない世の中と核兵器がない平和な世の中のための世界各国、各界各層の努力と実践が続かなければならない。

 

2011年3月1日  大地震・原発事故直前の呼びかけです。


 

 

                                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

3・11  2日後の談話発表です。

 

 韓国原爆2世患友会   陜川(ハプチョン)平和の家

 

 

韓国原爆被害者および原爆2世患友会問題解決のための共同対策委員会

 

  

              隣国日本大地震による福島地域被爆者を慰めて... 2011.03.13

 

-. 日本歴史上類例がない大地震による日本、福島第1原子力発電所の爆発で被爆者が発生し始めました。 日本政府は現在の原子力緊急事態を宣言して福島近隣地域住民21万人余りを原子力発電所地域で待避させています。 あまりにも胸が痛いことです。

 

-. 隣国日本でこういう大規模自然災害と原子力発電所爆発事故が発生した事件に対しまず何より大地震被害者の方らと遺族方々に哀悼の心と放射能漏出で被爆された被爆者方々に慰労の心を伝えます。 放射能により被爆された韓国原爆被害者らの気持ちを込めてまだ天気が寒い中で待避中である方々にも心より安寧を祈ります。

 

-. 現在、福島原子力発電所の放射能漏出で被害地域が次第に拡大成っていって被爆者が増える深刻な時点でこの土地の原爆被害者とその家族が体験した苦痛を再確認すると日本の被爆状況がより一層胸が痛く近づきます。 また他の広島と長崎、第2のチェルノブイリ事件にならないことを願って私たちの現実もまた見て回って、再び放射能による被害者がないように賢く対応しなければならない切実な時期です。

 

-. 顧みれば、日帝強制占領期間の1945年8月6日と9日、広島と長崎に米国が落とした原子爆弾によって日本人だけでなく当時朝鮮人も多くの被害をこうむりました。 しかし日本社会だけでなく韓国社会やはり70万人全体原爆被害者中で10%である7万人が当時の朝鮮人原爆被害者であることが良く知られなかったです。 4万人余りが即死して、やっと命を救った被害者らも各種疾患に苦しめられて恨み多い人生を継続しなければなり ませんでした。 現在2,600人余りの原爆被害者1世はソウルと釜山(プサン)、大邱(テグ)地域に住む方々も故郷が陜川(ハプチョン)の場合が多くて全体韓国人原爆被害者1世の60%を占めて陜川(ハプチョン)を‘韓国の広島’で呼んだりもします。 しかも代を引き継いで2世、3世、はなはだしくは4世まで相続の苦痛にあっていることはより一層知らされなかったです。

 

-. 自身の意志とは関係なしで被爆されて故郷に帰ってきても日本政府だけでなく韓国政府にも放置されたまま貧困と原爆後遺症にした多くの生活を送ってきた方々、そして苦痛が相続されて差別的な社会構造の中で苦しんだり稀貴難病で苦労してまともに治療を受けることができなくて死んでいく原爆被害者2細分は時間がなくて切迫した状況です。 故に私たちはこれ以上遅くなる前に原爆被害者の声に耳を傾けてこの人々が体験している苦痛の声にも耳を傾けなければならないでしょう。

-. もう一度隣国日本大地震による被害者と遺族についても、被爆者の方々に心より哀悼と慰労の心を伝えて、この土地の南と北どちら側も、日本を含んだ地球村どんな地域にも核による放射能の被害者も加害者もならないために、戦争ない世の中と核兵器がない平和な世の中のための世界各国、各界各層の努力と実践が続くことを明らかにします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 10 韓国ハプチョンは、韓国ドラマの撮影所や、伽椰山・海印寺のあるところ

2015-04-27 | 「私がお話し」します。

 韓国・ 陜川(ハプチョン)平和の家紹介  韓国の広島といわれる由縁


いま、韓国ハプチョンは、韓国ドラマの撮影所や、伽椰山・海印寺のあるところとして、日本人の多くの方が「韓国観光旅行」で訪れる街です。     

その一方韓国のヒロシマと言われ、この村から広島に出稼ぎや徴用、強制連行されてきた方も加わって相当多くの方々が戦中の広島に住んでいました。だから、原爆投下で多くの死亡者をだし大変な被害を受け、韓国人被爆者の多くががこの町の出身者なのです。

 

織井青吾氏の著書「韓国のヒロシマ村・ハプチョン」に、青吾氏の小学校の同級生・韓 仁守君を探しながら歩かれた1960~70年代の様子が詳しく描写されていますが、広島での韓国被爆者の戦後の生活の一端を知ることが出来ます。

私は、日本コリア広島の方と2011年10月23日はじめてハプチョンにいきました。そこで 韓 正淳さんという方にお会いして、「ハプチョン平和の家」の活動や「ご本人の生い立ち」などについてお聞きした。皆さんにぜひ知っていただきたいので紹介します。

 

    韓 正淳さんは、一番右の方です。

 

・    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

-韓正淳(韓国原爆二世患友会3代目会長)に聞きました。    文責 おおはし

 韓国原爆二世患友会とは、1945年8月6日広島・8月9日長崎で原爆が投下されたところに祖父母、両親が居住されていた被爆者の子供の中で、被爆二世として苦痛を受けて生活している方々の集まりを「二世患友会」といいます。    私も被爆二世患者で自分の苦しみから原爆の被害について知ることになりました。 だが、私たちは核戦争がどれくらい多くの人々を殺し、私たちをはじめ、放射能での障害がどれだけ生み出され、現在もなおその戦争被害から抜け出せず、いつ終わるかも知れない苦痛な人生に苦しんでいる方々が沢山おられる事を知り、責任を取らない人たちに対して怒りでいっぱいです。

 

韓国で、去る2002年最初に原爆二世被害を明らかにすることになった初代韓国原爆二世患友会会長、故キム・ヒョンニュル様は先天性免疫グロブリンという稀貴病で肺機能が一般人の30%しかなく、少し疲れても、また風邪を引いても激しいせきのために夏でも長袖を着ていなければなりませんでしたし、学校生活と社会生活ができなかったのです。

幼いころから肺炎で数十回入退院を繰り返す生活をしながら自身の病気が遺伝性だと知ることになった後、お母様が原爆被害者であることを明らかにして、原爆の放射能により遺伝したのだと世の中に知らせました。

 私一人でない、また他の被害者がいることを知り、韓国政府と日本政府に二世でかろうじて病魔と争って生きている人がいるという事実を認めさせて、困難な中で生きている被爆二世らを‘早く支援して頂き、そして救命’をしてくれと叫んで活動し続けました。

彼はとうとう病気が悪化して35才という若い年齢で亡くなりました。キム・ヒョンニュルさんの勇気ある志の人生にもっと多くの患友が続かなければなりません。

 

彼の後に続いた二代目ハン・チョンスク会長も大腿骨頭無血性壊死症 で両側脚に人工関節手術を受けました。 不便な体で苦痛を受けている二世患者を1人でも多く助けようと、彼らを一軒一軒尋ね歩きました。 3代目、私が会長を引き受けることになり、陳景淑事務局長と一緒になって最善を尽くして努力しています。病気が大変な中で、痛くて、無力な私たちにとってはあまりにも大きい責任ある仕事で、私たちの政府や日本政府にまで力が達し得なくて、帰ってくるのは、疲れ果てたからだとため息だけでした。

 

私たちの両親は被爆当時広島に住んでいました。(日本人として)強制徴用で連れて行かれ、「強制労働」させられ、そこで、原爆被害者になってしまいました、財産もなくなり乞食になっただけではなく子供らにまで原爆の放射能を引き継ぎ痛い苦痛を与えられてしまったのでした。 この実態をみていなければならない両親の心情は真っ黒に燃え上がる苦通そのものでした。日本政府は被爆認定さえせず何の保障も援助もしなかったのです。両親は被爆にあって何も持つものがなく「原爆被害者」というものだけを持って、故郷の陜川(ハプチョン)に舞い戻り大変な苦労をしながら、2男4女、6人の兄弟姉妹を育てました。

 

私は6兄弟姉妹中5番目に生まれましたが、幼い時から虚弱でよく倒れたりしました。私が十五才の時から痛い苦痛は始まりました。 だが、しばらくは、成長過程での痛みではないかと言われたりしましたが、ますます痛みは激しくなって、せっかく勤めた職場もやめることを繰り返していましたが、縁あってやっと結婚しました。 二人の子供のママになるまでがんばったのですが、もうこれ以上続ける事ができなくなりました。 病院に行って受けた診断結果は「大腿骨頭無血性壊死症 で両脚に人工関節手術を受けることになりましたが費用もありませんでした。

 30代初めに手術を受けましたが一度の手術で終わるのではなく、人工関節寿命は10年、その後また手術を受けなければならなかったのです。その苦痛は到底話すことはできないほどでした。 しかし私を苦しめたのは自分のことだけではなかったのです。私の 長姉は62才なのに一生、目まいで苦痛を受けたし、二番目姉さんは腕関節手術を受けて三番目の姉さんは私のような人工関節手術を受け、兄さんは「心筋梗塞狭心症手術」を受けました、また姉妹全部紅斑という皮膚病で病んだし、6兄弟姉妹全部血圧薬を飲まなければなりませんでした。

 

三世になる私の息子は今27才で「先天性脳性マヒ」なので、いまだに自分でできることは何もなく、横になって生活しているのです。

これは明らかに、原爆放射能被害です。世界中の人に、私たちの家族のことを知って頂き、被爆者を出さない平和な世界にしたいのです。

 

今私たちの患友会の実情は次のようです。 韓国原爆二世患友の会員は500人余りで、先天性免疫グロブリン、大腿骨頭無血性壊死症 、精神分裂症、ダウン症候群、甲状腺、皮膚病、高血圧、糖尿病、クン弛緩症、肝臓癌、視覚障害、聴覚障害、心筋梗塞狭心症、各種癌など多様な病気を患っています。 また重い人々は30~40代になくなる患友らも増えていて、10才未満の年齢で亡くなった人も多くおられます。 痛いこと、苦しい事さえも話すことができなくて、死んでいきながらも病院費を心配しなければならないのが現在の原爆二世患友らの実情なのです。

 

すべての戦争は開始があれば終わりがあります。 勝利した国があれば敗れた国もあるだろうが、戦争の終わりは被害者だけ残ることです。 それよりもっと恐ろしいのが核戦争・核被害者です。

私たちの意志とは関係なく核の被害者の子供にとっては、生まれる日から戦争が始まるのです。 核戦争のトンネルは終わりがないのです。 このように長いトンネルで苦しんでいる私たちの苦痛は原爆被害者、強制徴用被害者、日本軍‘慰安婦’被害者のおばあさんに対する話に比べて歴史的に明らかにされていなかったので、世の中に知らされることもなく、私たち当事者だけが、その苦労を抱いて行かなければならない宿命なのでしょうか。決してそうではありません。

私たちが抱いて行くにはあまりにも荷物が重くて死ぬ程痛くて耐えることはできないのです。 その上に動くことができる人はそれでも自分人身の話も伝えることができるが、精神身体障害、ダウン症候群、視覚障害や聴覚障害を持たれた方々は認知能力が落ちて保護者なしでは外出も不可能なのです。

私たちのために激励と関心を持って支持して下さった方々がおられるので原爆被害者二世・三世らに対する‘先に支援後救命’という目的を達成するために努力して訴えているのです。

 

再びこの世の中に原子爆弾がなくなり、戦争がなくなることを望まずにはおれません。これ以上に多くの痛みがあってはならないのです。 いつかは私たちの政府や日本政府も認定するだろうという信頼一つで、力が及ぶところまで活動しようと思います。

長くて長いトンネルでまともに明かりを見られないまま亡くなった患友たちのためにも決して挫折しないで、天国にいらっしゃった方々は空で、私たちは土地で叫んで、また叫んで、日本政府と米政府が責任を持って補償するように心から望みたいのです。

韓国国会で、今年は必ず特別法案を制定されることを心から望みたいのです。

 

 そうして2012年3月23~24日 徐勝氏(立命館大学)らによって「ハプチョン非核・平和大会」の開催が呼びかけられ 私も参加しました。

   

街角でまんづーを売る若きご夫妻

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米軍が外国の紛争で死ぬことを望まないので、他国に代わりに戦ってもらいたいと思っている。

2015-04-27 | 韓国ハンギョレ新聞

[インタビュー] 「米国にとり日本は中国牽制で信頼できる同盟国」

  2015.04.27 06:31


 ジョン・ペッパー外交政策フォーカス所長
 「米保守派にとって安倍首相は素晴らしい
 米国が望むものすべてやってくれる」

ジョン・ペッパー外交政策フォーカス所長//ハンギョレ新聞社

 米国ワシントンの代表的な北東アジアの専門家であるジョン・ペッパー外交政策フォーカス所長は「米国は今浮上する中国を牽制する ために、日本の軍事力増強を促している」と述べた。彼は「米国は歴史問題をめぐる韓日間の軋轢を韓米日三角安保協力の強化の障害物と見ているが、日本を圧 迫にするために政治的な資産を投入する場合、日米同盟関係を毀損する可能性があると懸念している」と分析した。

 

 - 米国が日本の軍事力増強と軍事的役割の拡大を支持する理由は何か?

 

 「米国は、冷戦時代にも、旧ソ連封じ込めのために日本の軍事的役割の増大を支持していた。しかし、旧ソ連はアジアに軍事力をあまり投射しなかった。しか し現在の中国は違う。アジア国家に重要な利益がかかっているので、経済力の拡大にふさわしい軍事力の膨張を進めている。米国からして、日本は中国を牽制す るために韓国よりも信頼できる同盟国だ。率直に韓国は中国よりも、北朝鮮に焦点を当てており、中国とはデタントをした。ジョージ・ブッシュ政権の時、一部 では韓国を中立化された国と見なす見方もあった。しかし、米国は、日本が中国を嫌うことを知っている。だからこそ日本は頼れるというのだ。米国は、日本が 他の国のように軍事活動を行う、いわゆる「普通の国」になることを望んでおり、それを促している」

 

 - 日本は真珠湾攻撃を断行するなど、過去米国の敵だった。米国は、最終的に日本が軍国主義化する危険性を懸念していないのか?

 

 「米国は、日本の安全保障システムが米国に深く、またしっかりと編入れていると信じている。日本は今、米国の核の傘の下にあるだけでなく、武器をほとんど米国に依存している。日本が米国に背を向けることはほとんど不可能だと思う」

 

 - 米国の中長期的なアジア・太平洋の軍事戦略は何か?

 

 「米国は、最終的に安全保障政策のアウトソーシングを望んでいる。米軍が外国の紛争で死ぬことを望まないので、他国に代わりに戦ってもらいたいと思っている。予算上の制約もある」

 

 - 安倍首相が歴史修正主義的な態度を示し問題になっているのに、米国議会が彼を日本の首相としては初めて上下両院合同演説に招待する理由は何か?

 

 「現在共和党が掌握している議会にとって安倍首相は素晴らしい人物だ。強硬保守派で政治的志向も似ているうえ、米国が望むほぼすべてをやってくれる。今 回の演説には、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の時とは異なり、オバマ大統領も同意した。この機会に、日本と環太平洋パートナーシップ協定 (TPP)を妥結し、安全保障協力を強化したいと思っているからだ。これは彼の『アジア再均衡』政策の中核でもある。だから歴史問題は、それほど重要では ないのだ。

 

 - ニューヨーク・タイムズが社説で、安倍首相の訪米の成果は過去の歴史に対する真摯な反省にかかっていると主張するなど、主要メディアと議会の一部では批判も少なくないが。

 

 「ニューヨーク・タイムズと、現在議会の多数派とは見方が根本的に異なる。共和党は歴史問題、特に外国の歴史については、あまり気にしない。日本の真珠湾攻撃もほぼ忘れ去られている」

 

 - 結局、米国は、今回の安倍首相の訪米時に、北東アジアの歴史問題の解決には積極的に乗り出さないと思うか?

 

 「そうだ。もちろん、米国が安倍首相に韓国の反発を和らげるための修辞レベルの発言を求める可能性もある。しかし、米国はそこに積極的に介入して仲裁し ようとしないと思われる。静かに両国自ら解決するように促すだろう。オバマ政権は、政治的資本をそこに投入することが日米同盟を毀損するリスクがあると見ている。併せて、米国も過去の問題から自由ではない。米国は独島(日本名・竹島)の地位決定に介入したことがある。また、第2次大戦当時、原爆投下や在日 米軍の性的暴行事件なども、米国が積極的に出られない要因だ」

 

ワシントン/パク・ヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-04-26 21:40

http://www.hani.co.kr/arti/international/america/688569.html 訳H.J

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向日市公民館学習クラブ  東アジアの文化と歴史を学ぶ連続講座 受講者募集

2015-04-26 | 市民のくらしのなかで

 

 第二回 5月例会5月3日せまる!

 

第二回 5月例会 日本の文化と憲法のおはなし

     講 師 : 村山 晃 (弁護士)

日 時 : 5月3日(日) 9時:30分受付 10時~12時

場 所 : 向日市民会館第5会議室

 

 

 

第三回 6月例会 「江戸期朝鮮通信使と桂川・淀川」

講 師 : 早川幸生(元京都市小学校教師)

日 時 : 6月7日(日) 9時:30分受付 10時~12時     

場 所 : 向日市民会館第5会議室

 

第四回 7月例会 百済文化と最近の韓国見てある記

講 師 : 中尾秀正(元長岡京市埋蔵文化財調査センター長)

日 時 : 7月5日(日) 9時:30分受付 10時~12時     

場 所 : 向日市民会館第5会議室

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参加要領 「東アジアの文化と歴史を学ぶ会」への入会金 ¥100 

毎月第一日曜日、講座への出席者(資料代)会員¥100 

      入会・参加申し込み    電話 090-1076-6270 大橋満 

当日も可       FAX 075-934-6038 水谷文信

 

主催・向日市公民館クラブ1月18日付登録承認

「東アジアの文化と歴史を学ぶ会」代表 大橋満 電話090-1076-6270


 

第一回 特別講座 東アジアの文化と歴史を学ぶ面白さ  井口和起府立大学名誉教授のときの写真です。

 

 


 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 9 広島・長崎での原爆被害者は69万人、広島や長崎に住んでいた 韓国・朝鮮人7万人でした。

2015-04-26 | 科学最前線

 広島原爆2世三世が多く居られる韓国・ 陜川(ハプチョン)


第3の目的は、個人的なものだったので省略します。

  さらに、(2011年10月23~28日)と(2012年3月21日から~25日まで韓国に調査に行って、知ったことを書かねばなりません。

しかしその実態をきちっと書くためには現地の担当者、さらにご本人の了解をいただかなければリアルに書けない事も多くあり、

お聞きした話しを、私の責任で報告したいと思います。

広島・長崎での原爆被害者は69万人と言われていますが、その内の10%以上が、祖国が日本に併合され、日本人として広島や長崎に

住んでいた韓国・朝鮮人7万人でした。

韓国・朝鮮人死者4万人、生存者3万人、帰国者2万3千人、(内、北朝鮮2千人)日本在留7千人です。

 私たちは、昨年広島コリア協会の方と被爆者の多い都市、韓国のハプチョン「平和の家」に行き、原爆被害者二世・三世の方が、

生活支援と世界平和実現のために頑張っておられる姿を見ました。 

二世三世が放射能遺伝で死者や病気、障碍児・者が多く、韓国政府に働きかけ、慶尚南道議会では、被爆者の生活支援条例を作らせる

活動を見ました。そこで支援団体会長の韓正淳さんは、福島の事故は、チェルノブイリやハプチョンと同じような結果として現れてくる事が

予測されます。

 ノーモア広島・長崎・福島、ノーモア被爆者・ノーモアハプチョン・ノーモア二世、三世、そうして皆さんともに頑張りましょう。と挨拶されました。

私は日朝協会を通して、この現実を広く知らせ、二世、三世の方の暮らしを支援するとともに日本中に原発による被害者と

その二世三世を出さないために、再稼働反対、自然エネルギーへの転換を実現するためとりくみます。

その実現が真の日朝友好になると確信して・・


                              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   ハプチョンの写真ではありません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米日は自分たちのしてきたことを、「色眼鏡」 でAIIBのガバナンスに疑い、覆い隠そうとしたりしている。

2015-04-26 | 世界の変化はすすむ

米日に外野からAIIBにあれこれ言う資格はない

人民網日本語版 2015年04月24日08:16
 

今月16日と17日の両日、主要20カ国(G20)財務相・中央銀行総裁会議が米国の首都ワシントンで行われた。非常に興味深いのは、中国が創設を呼びか けたアジアインフラ投資銀行(AIIB)が会議で話題になったことだ。アジア、アフリカ、中南米の新興国はAIIB創設を歓迎し、米国と日本の両国はこの 場でもAIIBの融資や組織運営のメカニズムに懸念を表明した。(文:袁征・中国社会科学院米国研究所研究員、同米国外交室長。人民日報海外版掲載)

米日の態度はかねてより予想していたものだ。両国は初めからAIIB創設に対して態度を保留し、反対の立場を示すことさえあったからだ。

米日が再三懸念を表明するのは、AIIBが高い基準で創設されるかということで、これがいろいろな場面であれこれ口を出す理由だ。だが問題は、AIIBは 歩き始めたばかりで、まだ何もかも検討中、準備中であることで、米日は参加もせずに外野からあれこれとやかましく言っているに過ぎない。高い基準という が、実際には絶対的な基準があるわけではなく、世界銀行やアジア開発銀行(ADB)の素晴らしい経験は参考になるが、AIIBは世銀やADBのモデルを 100%コピーするわけにはいかない。創設メンバーの57カ国は平等な話し合いと協力・ウィンウィンの原則を踏まえて、共通認識を最大限に追求し、国際的 に高い基準を遵守して創設準備を進めていく。現在、G20メンバーのうち14カ国が創設メンバーになっており、この中には英国、フランス、ドイツ、韓国と いった米国の同盟国も入っている。米日が外野からあれこれ口出しを続けるのは、もしや創設メンバーの「知能」を疑うからなのだろうか。

米日が懸念するのは中国がAIIBで主導的な地位を占めるのではないかということ、そうしてAIIBが「中国の外交政策のツール」になるのではないかとい うことだ。主観的にいえば、中国は、最大の株主になることは求めない、「拒否権」は求めないとの立場をすでに明らかにしている。客観的にみれば、AIIB の方針決定メカニズムと株式の分配比率はまだ検討中で、創設メンバーにはすべて意見を表明する権利がある。米日が「公正なガバナンス」を声高に論じる様子 を見ると、唖然とし失笑を禁じ得ない。方針決定モデルについていえば、世銀も国際通貨基金(IMF)も米国が主導し、米国が最大の株主であり、拒否権も もっている。ADBも米日両国が主導し、1966年の創設以来、歴代の総裁はすべて日本人だ。米国が国際経済機関にたびたび号令を発し、人権問題や環境問題などを利用して他国に圧力をかけるという状況は日常茶飯事になっている。米日は自分たちのしてきたことを検討することも振り返ることもせず、「色眼鏡」 でAIIBのガバナンスに疑いを差し挟んだり、自分たちの困った状況を覆い隠そうとしたりしている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 8 原爆と原発の核にも反対、一緒にやる必要があると力説していた。  

2015-04-25 | 科学最前線

 

第二の目的, ゴルレーベン・原発放射能被害反対運動発祥の地

チェルノブイリから1400キロ離れているのに・・・・・

  環境保護協会、広報のミューラー氏 30歳に会う → 

 自然エネルギーで暮らす町、リューヒョウ・ダネベルグという地域のミュラーさんにお会いした。ここは反原発闘争では世界に名の知れた

団体です。

原発反対、特にこの町を使用済み核燃料最終処分地にしようとしている政府の方針に反対 その事実を知った時から、学者や弁護士にも

相談しながら進めている。  

今はドイツ最大の市民運動だ。 ヨーロッパや日本からも視察に来る人があるし、自分達も世界は一つと言う立場で招待があれば、出かけ

て経験を話している。

8月6日、広島に行くともいっていた。先のテオドラサンもここの運動に参加している。

 原爆と原発の核にも反対、一緒にやる必要があると力説していた。  

核のゴミ(使用済み核燃料)を運び込んでくる列車に反対し、座り込みなど地域を組織し、意識を変える。

ここは、農村地帯なのでトラクターや耕運機で集まってくる。

ここの運動の成功の鍵は、反対というだけでなく、真実を知らせる。当然経営者や政府の横槍が入る。警察が出てくる。 

正しい主張をされている学者を探し、世間に信頼してもらえるように数字もわかるようにして発言してもらう 事実を知らせる。

それまで本当のことが報道されなかったので、誰でも、真実がわかればおかしいと気がつく。

また、マスコミ、ジャーナリスト、映画界などの良心的な人に協力してもらうこともたいせつだ。

私自身も映画などを見て真実を知り変わっていったから・・という。

あらゆる団体、老若男女、左右の考えの人も区別なく組織する、目的は一つでがんばっている。共闘を!広げなければならないという。

政府は、原発企業の言いなりで、国民の意見を聞かない。原発は、嘘をつかないと作れない。1から10まで嘘だ。

それを知ればみんな反対する。

35年の反対運動で、自然エネルギーへの転換を進め、ドイツの中でも住民すべてが、自然エネルギーに転換した最初の地域となった。

 

チェルノブイリの事故は、この町にも影響があったのかと質問した。

1400キロ離れているが、彼が5歳のときだったが、子どもは外へ出るな、野菜を食べるな、あそぶ時は気をつけろといわれた。

福島は終わったという日本政府の発言に大変腹が立っている。原発から20キロ圏内の方は気の毒だが100年経っても帰れない。

幻想を振りまき、本当の事を言わない政府は犯罪を犯していると言う。

誰でも幸せを願っている。それを壊す事はだれにもできないのに、政府は将来まで国民の幸せを奪っているのが許せない。 


この地域は、さらに進んでバイオでの野菜栽培も盛んに行われている。

日本の皆さんもいっしょにがんばりましょうと激励された。  

 

近くにエルベ川があるのでドライブしようと予定していたのに、時間がなくなってしまった。


   この旗を見かけたことがあるでしょう!自然エネルギーで暮らす町、リューヒョウ・ダネベルグのシンボルマーク。

   事務所の前で記念撮影

   


   近くの町並み

   

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 7 風力発電について、

2015-04-25 | 「私がお話し」します。

風力発電について、


 ヴィーゼルさん 風力エネルギー北東ニーダーザクセン地区 人口2万人の市議会員、


ブルグドルフ風力エネルギー協会、ニーダーザクセン北東部の理事長、且つ80人出資の3基の風力発電組合管理者である。

私は75メートルもある風力発電装置、故障したりしませんかと心配だった質問をした。


日常の管理はコンピューターでメンテナンス会社に連動しています。故障はなくいままで困った事は殆どありませんでした。

もし停まったら自動で停まった原因を調べ修理するのだそうです。どうしても修理できないときだけ知らしてくるのだそうです。      

 ドイツでは風力発電は個人のもので、大きな会社は持っていないのです。

なぜかと聞くと自然エネルギーへの意識がないこと、まだ、大きな儲けにならないからだといいます。

彼はは3基の風力発電機を持つ会社の責任者で、80人の出資者がいます。

全国で52万基あり、全エネルギーの8%をまかなっています。

 さらに増えつつあるという。 

今後は、原発のストップ分を賄えるようになると言う。現在はまだ、火力・水力などが主流だ。 太陽光2%  その他であるが、

自然エネルギーに将来性がある。

造った時の費用は、3基で200万€ 12年前だったが、今は改良されもう少し安くなり、発電量が多くなっているのです。

(ふるい    新2000W (資料あり))

まだ、企業は機を見て原発再稼動をねらっていますが、国民みんなの意識はもう変わらない。

再稼働はありえないが・・・みんなの意識を変えるのは大変な仕事だという。


彼は、私の仕事は三つあると言って

1、3基の管理責任 収入は多くないが・・・何とかやれる程度

2、「風力発電ドイツ協会」の組織を維持発展させる仕事・ボランテイア

3、風力発電ドイツ協会としての、講演・新規事業への相談、インターネットでの啓蒙など、(会員バッチを貰った。)

いただいたパンフレットには、政府が進めた原発安全神話と現実(その反論)、各種統計がなどが載っているがドイツ語のため、

翻訳してもらわねばならない。

 

「日本の京都から来た」というと、ドイツでは、「京都」へ行っていない人でも、京都議定書で「京都」の名前はよく知っているといわれ、

「決定を守らない日本政府が恥ずかしい」というとその通りだといわれた。

今ドイツでは、政府はいつも大企業のいいなりだから、政府の方針に批判的な人多い。

将来、原発政策に反動的な動きも起こるだろうが、我々は 負けないといいきった。

ソーラー発電については、補助制度ができて3年目なので、まだコストが高いが、最近全エネルギーの2%になった。

家の新築時や改良時につける人が増えています。

今まで電力の無駄使いをして来たのは大企業であり、我々は企業に省エネを指導している。

企業は、今まで内部で省エネ対策を立てず、電気をたれ流ししてきたと告発された。 


 風力発電、真下から見る                                              塔の中にはいって、上を見る

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済面だけでなく文化や娯楽面でも発達している。

2015-04-24 | 写真

デュッセルドルフ
ドイツのリトル・ジャパン デュッセルドルフ

ドイツ地図ド イツ西部、ライン川の雄大な景観を望むデュッセルドルフは、人口およそ58万人、在留邦人約7000人(2009年10月1日現在 外務省統計)を擁する ノルトライン=ヴェストファーレン州の州都。陸、水、空のインフラが充実し、企業にとって理想的なビジネス環境が整うこの街には、約450社の日本企業が 進出しており、日本企業や日本レストラン、スーパーマーケット、本屋などがずらりと建ち並ぶ中央駅前のインマーマン通りは、まさしくリトル・ジャパンの様 相を呈している。また、常に流行のファッションを発信し続ける瀟洒な通りケーニヒス・アレー(通称「ケー」)や、ドイツに古くから伝わる風習で街の大イベ ントであるカーニバルなど、経済面だけでなく文化や娯楽面でも発達している。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 6  ドイツ見たまま 自然エネルギーで暮らす人々  2012・6・12~22現地

2015-04-24 | 科学最前線

 20年間 自家発電・電気代 0 のテオドラさん

     

写真テオドラサンの家

 

  「6月10日にドイツに来なさい、その時分が、私の家の庭もドイツの景色も一番きれいなときだから」と、2012年1月京都で出会った

テアドラさんからラブコール、ご一緒のSさんも、「おいでと言うときにこなければもう呼ばないからネ」と言われてその気になって、ドイツに

出かけました。旅行には、三つの目的がありました。

第一は、自然エネルギーへの転換と、自家発電で暮らしている方にあい、考えを聞き、現場を見る事です。

第二は、原子力発電廃止・反核運動の歴史と実態・現場を知ることでした。

第三は、ドイツの風景を見て、そこに立ち ヨーロッパ・ドイツを感じること。

 

第一の目的は、20年間電気代0、どんな家にお住まいなのか?

  2022年までにすべての原発の稼働完全停止を決定したドイツで、今年も風力や太陽光などによる再生可能エネルギーによる発電量が

着実に増えています。ドイツ環境省や経済省、民間などでつくる「再生可能エネルギー作業グループ」(AGEE)が10月末に発表したもの。

それによると、第1四半期から第3四半期までの再生可能エネルギーの発電量は、1061億キロワット時で、昨年同時期の909億キロ

ワット時よりも17%増えました。

 太陽光発電の伸びが最も大きく、昨年の165億キロワット時から249億キロワット時と51%増。風力発電は、7%増で350億キロワット時

ですが、その中でも将来の主力といわれる洋上風力発電は、18%のびました。

再生可能エネルギーは、発電量に暖房用の給湯などを加えた総エネルギー量でも昨年同時期に比べ10%増え、2467億キロワット時

となっています。

ドイツでは、再生可能エネルギーの発電量の割合は1998年に4、7%だったものが、05年に初めて2桁を超え10、2%10年には16、4%

と着実に増加、11年には20、3%となっています。

これに対して、原発は福島第1原発事故直後に17基中8基の稼働を停止し、その発電量の割合は10年の22、4%から翌年は17、7%に

低下しています。

ドイツ環境省がまとめたところによると、再生可能エネルギーによる11年の発電量は1231億キロワット時。この分野での雇用者数は増加が

続いており、11年は前年より1万3200人増で、38万1600人となりました。

また、再生可能エネルギー利用により、温室効果ガスのCO2の発生量を11年には、年間1億3000万トン削減することができたとしています。

 

 まず、私たちを強く誘ってくれたテオドラさんの家を紹介しよう。

   彼女のお宅で驚くのは、外観は写真のとおりレンガ造りのように見えるが、実は木造建築でレンガのようなタイルが張ってあるのだ。

(こうしないと許可が下りなかった)家に中に何箇所もご主人の工夫があり、20年間電気代を払ったことがないというのだ。

よく見てください、外から電線が入っていない。私たちのためにパーテイを開いてくださったが、炊事場は広く、電気器具も冷蔵庫は勿論

食器洗いから洗濯機、掃除機、アイロンまで何でもありどこの家庭とも変わらないものを使っている。

  よく聞いてみるとご夫婦の生きる考え方が、「人間らしく、つつましく、自然とともに生きていきたい。」と言われた事と、化学者である

ご主人が、「原子力発電利用の国の電力政策に同調したくない」から自分で考えた家なのだと言われたことだ。

 では具体的にどこをどう工夫してあるのだろうか? 

 ドイツの気候は地球の緯度との関係で日本の北海道の寒い地域と同じくらいなのだと言う事を前提に、屋根とベランダの正面に日本でも

よく見る、電気を起こすソーラーパネルと湯沸しの装置がある。 

ご主人が化学者で、1992年10月国策に同調できないとして、アイデアが浮かび、設計者の友人と相談してたてたといわれた。

20年も前に今日の世界を見通していたところがすごい事である。

   ドイツの住宅建築は各地方でいろいろ規制があり、個人にとってはきびしい内容で好き勝手なことは認められないようになっている。

この地方では、赤レンガ、赤い屋根、形は二階を覆い隠すタイプで、二階の屋根裏に当たるところに出窓形式は良いが、大きな普通の窓を

取り付けることは禁止となっている。

しかし彼は、それでは日照による温暖の吸収が出来ないため、当局と粘り強く交渉し例外を認めさせた。だから近所の家と形が違う。

長い冬を動過ごすかがポイントである。   

家のど真ん中に13000リットル(大き目のお風呂50杯分)のお湯が入る給湯設備がある。12月まで冷めず、95度を維持出来るよう、断熱

され保温されている。この設備が一番大切なものなのだ。暖房・シャワー、日常のお湯として利用している。

その他特徴を列挙すると、蓄電は6週間分、夏は余るそうだ。壁の厚さは50センチ、中に断熱材が入っている。

天井の工夫で、家の中の空気が自然に循環するように間取りも工夫してある。1時間に家中の3分の1の空気が入れ替わりトイレは10回

変わるようにしてある。

窓ガラスは、50センチ離して二重窓になっている。その間に装飾品が入り飾りにもなる。ドアーは、日本の蔵の戸のようになっていて、細い

ゴムがはってあり密閉されるようになっている。鍵穴がない。

南側に1000平米位の庭があり、バラをはじめ数十種の植物、野菜、果物の木もあり、鶏5匹ひよこ3匹飼っている。

自給自足に近い生活で、自家製のジャムなどたくさんいただいた。奥さんは、働き者で庭の管理と仕立ての仕事をし、二階に専用作業場が

ある。

ドイツの反原発集会には夫婦そろって参加すると言う。

省エネ宅造業界コマーシャルホームページに紹介されている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 5 今回の地震・津波災害にあわれた方への寄付を目的としたものでした。

2015-04-23 | 「私がお話し」します。

Sさんより2011年3月27日のメール   大橋様 

 

 先日、チャリティコンサートがありました。

大江さんの呼びかけにより、今回の地震・津波災害にあわれた方への寄付を目的としたものでした。

大江さんは長らく、このニーダーザクセン州・州立オーケストラの指揮者でした。


急な催しでしたが、州が協力し、チケットは即刻、完全に売り切れ、当日、キャンセルチケットの販売を待つ人々が結構いました。

大江さん、ニーダーザクセン州オーケストラ有志、ハノーバー女子コーラス、ハノーバー音楽大学研究生有志によって演奏がありましたが、

どれも、大きな拍手で支援されていました。

 

最後はベートーベンのEroika の第三楽章。

 アンコールには大江さんがピアノ独奏で”ふるさと” をしみじみと演奏し、日本人の人には特に胸にこたえたことかと思います。

 

多くの人が日本のことを心配し、胸を痛めています。

いろいろな所で協力・支援活動が広まっています。

 

私の属するドイツ・日本友好会では この30日にチャリティコンサートを予定しています。

教会でHeren Donath と おくやま・えみこさんのソプラノ演奏にタンゴアンサンブル(日本人のヴァイオリニスト・先の州立

オーケストラのメンバーが中心)で行われます。

今は一生懸命宣伝中です。

 

早く、これらの小さな励ましが、被害にあわれた人々の所へ届きますように。           s


      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 私(大橋)は、自分は原発神話に騙されていないと思っていましたが、現実に原発事故が起こり、放射線被害に対する認識が非常に

甘かったことを反省せざるを得ませんでした。

 原爆と原発は、放射能が生物に与える被害の影響・結果は同じなのです。

私は何度も原水爆禁止世界大会国際会議に参加し、放射線被害にあった方々の姿を見聞きしてきました。しかし福島の原発被害が

大小の差はあるにしても広島・長崎と同じ結果になってくるのだということにすぐには気がつきませんでした。

2011年の8月の原水爆禁止世界大会でのスローガンは、ノーモアー広島・長崎にノーモアー福島が加えられました。

 原発は、原爆を作るための原料を作る装置ですから、アメリカの強力な圧力で日本に持ち込まれた経過を考えると、

同じアメリカに対する日本国民の命と暮らしを守る要求でもあることに気がつきました。

 広島の原爆資料館に行けば被害の実態を知ることが出来ますが、今心配なのは二世~三世への遺伝問題です。

皆さんの心配はすでに早くから起こっています、原水爆禁止世界大会に参加して、日本・韓国・マーシャル群島・米、旧ソ・中国・

ニュージーランド等多くの被爆証言を聞いてきました。私が参加した原水爆禁止世界大会国際会議の議事録に多く紹介されています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兎に角”今”の安全を確保する。核発電所から近い所から順に強制的疎開を実行する。

2015-04-22 | 科学最前線

 ドイツのSさんから  連載 4 送信日時: 2011/3/17, 木, 15:40・・23:40 

 

  今朝は水道水から放射能反応があった、ということ。天皇陛下の京都行きが中止になったこと。

そして、レポーターが”今や1時間どころか。30分おきに言うことが違ってきている。”

“何時、はっきりと、手に負えません。”と白状するのか。

・政府の発表は“放射線の害はそれほどひどくない。皆、落ち着いて行動するように。”・・

 

夫は”ひどい!  信じられん!  あほか!”

 

私どもは遠く離れた安全地帯にいます。

又、日本の具体的状況からは 疎いくせに、文句ばかりつけられる、

その程度の情報は手に入れています。

 

ずーっと昔、ハンブルグに大洪水が押し寄せ、多くの人が亡くなったとき、嘗てのドイツ首相を務めたシュミット市長が警察、消防局などの

指揮に納得せず,自ら”非常時緊急指揮権”を取ったことが今でも語られています。そのおかげで多くの人の命が助かった、と。

 

そんな規模の(ハンブルグの)非常事態ではありませんよね。 現状の日本は。

前代未聞、世界史初のそして大規模な災害であり、それがもっと何百倍にも広がろうとしているのに、”悠長やなあ!”とは  私も思います。

 

簡単に私・素人が思いますに・・・

 最早民主主義は棚に置く。

後はそうなってもいいから、兎に角”今”の安全を確保する。

 

軍隊を送って、核発電所から近い所から 順に 強制的疎開を実行する。

疎開先は有無を言わさず裏日本に確保する。

その地方は水、食料を始めとする、生活必需品を供給する。

 

核発電の中は冷めるのに1年半以上かかるそうですね。

こちらでは(他人事だからでしょう)幾らの、どの放射線で人に与える害は:

即死亡、数日以内、云々と詳しく説明しています。

一時的にしろ、年間許容量の100倍の放射線が僅か1時間内に出た、(1日ではない)のであり、水にも混じってきているのですから、猶予

は無いと思いますが・・・・

 

誰もが、確実に どの原子炉も 放射線を大量に放出する”スーパー・ガウ”-大爆発 を防げない状態で、危機にあるものが6基もくすぶって

いる、のに・・・・とこちらではらはらしています。

強力な指導が必要なことは明確です。それも寸時を争います。

 チョットでも疑問がある場合は最悪を設定しての処置をとる時と思います。  

 

 あれから1週間が経とうとしています。 : 2011/3/17日本23:40

  嘘でしょう?

昨日はテレビでお国の首相が”心配することは無い。落ち着いてください。”と訴えているのを見てこちらドイツでは”なんと!”と絶句。憤慨。

こちらのトークショーで、日本から帰ってきたばかりの留学生が”日本でも英語など外国語が理解でき、外国の情報を得ている人たちは、

避難をとっくに始めている.”と話していました。

 

今日の新聞の社説。Hannoversche Allgemeine Zeitung ・ハノーバーアルゲマイネ新聞

 

苦悩の国・日本

 嘗て(かって)何時、平和時に 日本のこのような困難にどこかの国が直面したことがあるだろうか?

震度9という史上かつてない地震に見舞われ,10メートルの海水の壁をたたきつけた津波に見舞われ、核災害がこれまた例の無い

大災害になろうと危ぶまれている。

例を見ない最大級の自然の災害と共に、それを上まろうかという人災がスキャンダルを伴って後に控えている。全てのことが、

発電会社・Tepco社とそれを監督指導した役所のリスクを抱えた今までの処置に端を発している。

今までも、危険信号は再三あった。責任者はこれらを故意に過小評価し、万一の場合には安全作動が動く、と考えていた。

現実には、核発電会社のトップは、複雑な最高水準の技術のコンプレックスを理解で来ていない。

そしてこれらのことがらは偶然の一致ではない。

政府と電力会社は何十年も核発電の推進に力を入れていた。

これによって、原料の少ない国として,ある程度の従属的状態(オイルなどの)を解消できると考えていた。危険性を過小評価し、不十分

で、不透明な情報の供給を伴ったこの政策が如何に高いものについたか、今大きな痛みを持って感じ取らざるを得なくなっている。

 

津波による犠牲が残酷な爪あとを残し、福島の困窮した状態を見て、大きな痛みを感じるが、そこに常々の周到な災害に対する準備が

されていたとによって、食い止められた、これ以上の被害については我々は脱帽する。

日本人は地震による災害を回避する為の訓練と準備を、何十年もの間、人生の一部として備えてやってきた。

どの国より、耐震性のある建築物が建てられ、人々は常に万一の場合に備え、救助隊は即刻応対できる体制であった。このような災害に

見舞われたどの国であろうと、このようには対応できないであろうと思われる。このおかげで亡くなった一人の人の上に多くの救助された

命が乗っていると言える。

(他国であれば、死亡の数はもっと多大であったであろう)

 国と国民は今、これからどうなるのかとの疑問を抱えている。

この国の人々は苦難を受け入れ、不運に耐える能力を持つことを、今まで証明してきた。

 だから、何十年もスキャンダルの連発の政府をも許容してきた。

しかしいまからはそうは行かない。

日本は新しい社会的・政治的・ビジョンが必要だ。

経済的にはもう何年も低下の一方だ。赤字財政は記録更新の一方であり、老齢化社会の問題を抱えている。既に20年この状態だ。

ここでもう10年この状態が続くのであれば、一つの失われた世代があることになる。

日本人は今再び”大丈夫だ。がんばれ、落ち着け。”といった、忍耐に訴えかける言葉より、もっと良いものをを享受すべきだ。

 S     送信日時: 2011/3/17, 木, 15:40・・23:40

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載 3 地震後4日目の第一報 受け入れ態勢が無かった、と昨日は医師団が日本から戻る。

2015-04-21 | 「私がお話し」します。

Sさんから 4日後2011年 3月15日のメール


「こちらでもしょっちゅうのニュースで日本の地震・原発事故の様子を知らせています。 ひどい災害が発生しましたね。

 ドイツ・フランスでは30分おきに報道をし、満さんから送られた写真なども、衛星放送で送られてくる情報も報道されています。

原発の状態が心配で私もしょっちゅうテレビの前へ行っています。

 

私どもは孫が産まれるという事で、喜んで待っていました。

途中で流産の恐れがあり、病院に入院したり、安静を続け、2月25日に女の子が生まれました。
2300グラムの子で、産まれた日は母親と一緒にいましたが、翌日から血糖値が問題と、集中治療室に入れられ,3月5日に退院できました。

 

皆でお祝い会をして、その翌日に夫の学会で、マルセイユに飛びました。

マルセイユは寒く、金曜日は雨で、傘を取りにホテルへ戻って、チョット一服しようとテレビを付け、この災害ニュースをみました。

 

その夜から、益々具体的情報が流れ始め、フランスの報道、そこではドイツの番組は第二チャンネルが見れましたが、最も詳しく報道していたのはCNN,アメリカのニュース番組でした。

夫は学会に出っ放しでしたので、私は一人で町に出て、美術館などを見ていたのですが、トラム、地下鉄、などで話しかけられ、”日本人か? テレビで大きな災害の事を見た。同情する。”と言われ、悲しみが、一人だけでないよ、一緒に、貴方の国のことを思っていますよ。と励まされました。

 こちらのサッカーチーム(もちろん1軍)で活躍の NAKATA選手は ”皆一緒にがんばって生きていこう!”と トリコシャツに書き、出場していました。

試合のまえに黙祷。全会場が沈黙に包まれました。

 

国旗はフランスもドイツも半旗です。

 今日、メルケル首相は原子力発電所の見直し、条件の悪い発電所はこの3ヶ月の間に運転停止処分にすることを発表しました。

古く、現在の安全基準を満たさない原発は、XX年内に廃止すると、前の社会党+緑の党政権が決定していたのですが、それをこの新しいキリスト+自由党連合が、野党の大反対を向うに回し 強行裁決して、くつがえしたものです.

それを、再び”見直し”にもって行き,どの原発が,どうなると言う具体案は出なかったのですが、廃止にもっていかされるようです。

 

世界に大きな楔を入れた、大事件、大災害、とメルケル首相は考え、今までの考えを是正する必要あり、としています。

 

ここの(ハノーバー)日本人会は 寄付を募り、後日大使館を通し、日本へ送ろうと考えている由で、昨日、私達は戻ってきたのですが、今日、その日本人会の人たちと話し合いをしました。

目下、ここにいる日本人で被害地出身の人がいないようです。

 

私たちは去年、福島の学会に招待されて、郡山の温泉にいっていました。

その時、私どもを世話してくださったドクターが、このマルセイユの学界にも見えていて、でも、即刻帰国されたのか、その後 夫は会えなかったようです。

 

兎に角、原発についてはそのしくみ、現状を各専門家が説明し、こういう状態では何をすればいいのかと言う、提案もされています。

しかし、これだけの人を避難させるのは至難の業だ、とも言われています。

反対に、ドイツであればとっくにパニック状態になっているであろうに、日本人は冷静だ、と不思議がり、何度も何度も、この点について質問がありました。”一体日本人の神経はどうなっているの?”

 

又多くのドイツ人が日本から帰ってきています。その人たちへのインタビューも盛んにされていました。そこでも日本人の冷静さ、”あわてても仕方が無い、今出来ることをしよう。自分たちが逃げ出したら最後だ。”と言ったような、態度が非常に高く評価されています。

行儀良く列を作って、水を、食料を、商品を、ガソリンを求める人々が映され、これらがこちらの人々が想像する、パニック状態を少しも表さないことに、驚きさえ感じているようです。

 

毎日、テレビは”特別番組”で報道し、今も、4基あるうちの3基までが大問題を起こしている。

1基には冷水が内部に全く無い状態だ、と大爆発は”時の問題”と言った内容です。

 

報道陣は、ちぐはぐな報道、真実の薄い、小出しの政府発表にいらだっているようです。

ドイツからも援助部隊が現地に着いたそうです。

反対に受け入れ態勢が無かった、と昨日は医師団が日本から戻ってきていました。

 

仕方ありません。無理なことでしょう。

 出来ることがあればしたい、と皆思っています。  何か言って下さい。

 がんばってください。

T・S

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下は記事とは無関係です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

独 緑の瞳の19歳の美人モデル

 

人民網日本語版 2015年04月20日13:26
 

 

 

 

ドイツの美人モデルEsther Heeschさんは1996年生まれで、身長180センチの抜群のスタイルを持つ。やや面長で魅力的な緑の瞳を持つEstherさんは「仙女」のように美しいと賞賛を集めている。人民網が伝えた。(編集YH)

 

「人民網日本語版」2015年4月20日


【1】【2】【3】【4】【5】【6】


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする