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日本で最大規模のコリアンタウンがあることでも有名なこの地域について、多くの韓国人は、20世紀初めに植民地となった祖国を離れた多くの朝鮮人が生計のために定着したところだと認識している。

2023-10-12 | 日本韓国の国民の連帯
 

1500年前の日本の関西、朝鮮半島の祖先が住んだ場所だった

登録:2023-10-10 06:10 修正:2023-10-10 09:47

 

『渡来人の考古学と歴史』発刊 
米国の学者が古代韓日交流史をまとめた本
 
 
全羅南道咸平礼徳里にある新徳古墳の1990年代の調査時の姿。前方が四角で後方が丸い古代日本特有の前方後円墳だ。古墳の各所に石を積んだ跡(葺石)が見え、周囲を溝で囲む日本式の前方後円墳の典型的な姿をそのまま示している=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 最近、韓国人が最も多く訪れる海外の観光地の一つが、大阪のある日本の関西地方だ。日本で最大規模のコリアンタウンがあることでも有名なこの地域について、多くの韓国人は、20世紀初めに植民地となった祖国を離れた多くの朝鮮人が生計のために定着したところだと認識している。

 しかし、歴史的な真実は、関西に刻まれた古代の祖先の驚くべき足跡を伝える。『続日本紀』の8世紀初めの人口調査記録によると、1300年前の関西地方の中心だった南部の奈良盆地に住んでいた人の80~90%が百済系移民だった。それを立証するのが、関西地方に5世紀後半から登場する百済特有の墳墓の様式である横穴式石室墳で、6世紀まで爆発的に増加し、高安などの地域に「1000個の墓」という意味の千塚古墳群が雨後の筍のように登場する。一部のエリートの墓は王陵級であり、非常に大きいうえ、銅鏡、鉄製短剣、刀、金のイヤリング、玉・ガラス製品などが出土し、百済と馬韓系統の住民と支配者の存在を示している。未発掘の古墳は数百基にのぼり、関西地方だけでも少なくとも1000基を超える百済系の古墳群が造られたと推定される。歴史考古学者の石渡信一郎氏は「千塚と呼ばれる巨大な墳墓の主が朝鮮半島西南部出身の渡来人とその子孫であることを考えれば、紀元後475年から600年までの125年間に、少なくとも100万人が朝鮮半島から日本列島に渡ってきたものと考えられる」と推定した。

 
 
             『渡来人の考古学と歴史』表紙//ハンギョレ新聞社

 こうした事実は、米国で研究中の3人の考古人類学者が、韓国と日本で刊行された膨大な考古学と歴史学の刊行物の書誌情報をもとに分析・整理した学術書『渡来人の考古学と歴史』(周留城出版社)に出てくる内容だ。米国オレゴン大学のイ・ソンレ考古学名誉教授、オレゴン大学のメルビン・エイケンス人類学(考古学)名誉教授、英国ダラム大学のジナ・バーンズ日本学名誉教授が共同で執筆し、韓国伝統大学融合考古学科のキム・ギョンテク教授が翻訳した。この本は、紀元前1000年以前の無文土器時代から紀元後7世紀の三国時代まで、朝鮮半島から日本列島に渡った移民の経路と、これらの人たちが日本の文化と社会の発展に寄与したことを、朝鮮半島からの「渡来人」の活動状況を通じて集中的に探求する。

 この本は、古代の朝鮮半島からの渡来人の話を7つの質問を通じて解き明かしていく。これらの人たちはどこから来て、その歴史的・社会文化的な背景は何であり、なぜ朝鮮半島を去り、日本列島のどこに定着して何をしたのか。これらの人たちを日本列島の人たちはどのように待遇し、また彼らは日本社会にどのような貢献をしたのかについて、最近の研究成果をもとにわかりやすく解いていく。時代別に、稲作の伝来、青銅器文明の伝播、鉄器の伝播、宗教・文化的文物の大規模伝播などに区分される古代朝鮮半島の祖先の日本列島移住文化史は、絶えず流れる「河川のようなもの」であり、渡来人の話は、日本の始まりというミステリーの箱を開く重要なカギだとする洞察によってまとめられている。著者らは「日本が5~6世紀に古代国家の基盤をつくった革命的な変化は、技術と技能を持った人たちが入ってきて、技術的・文化的な革命を成し遂げたことによって可能だったもの」だとし、渡来人は古代日本の国家基盤を作った必須の要素だったと指摘する。

 
 
               『古代韓日交流史』表紙//ハンギョレ新聞社

 今年上半期に出版された中堅考古学者のパク・チョンス教授(慶北大学)の力作である『古代韓日交流史』(慶北大学出版部)も、伽耶・百済・新羅からの文化伝播が4~6世紀の日本の古代国家成立の軸になったことを、考古学的な発掘の成果で論証した大作だ。3~5世紀の日本列島と隣接した朝鮮半島南部の伽耶圏の文化が日本との交流の主軸であり、金官伽耶と大伽耶の順に交渉の主体が移り、その後、新羅の伽耶吸収によって百済に交流の中心が移ることになる過程を、パク教授が集めた日本各地の詳細な考古学的な発掘成果を通じて論証し展開していく。日本とは敵対的な関係に変わったとされている新羅の日本との交易や文物交流は、一般的に言われているのとは違い、5世紀以降も活発に継続し、百済滅亡後は唐に対応する両国の外交的な必要によってよりいっそう深まったという事実を、日本各地の新羅系古墳遺跡の事例を通して示しているのが興味深い。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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「事実を明らかにすることは、恨みを深化させることではない。許しと和解で解決していく契機に」

2023-08-10 | 日本韓国の国民の連帯

しんぶん赤旗 きょうの潮流

 炎天下のソウルで1人デモが行われています。1923年9月1日の関東大震災時に起きた朝鮮人や中国人、社会主義者らの虐殺から1世紀。韓国でも真相究明を求める声が高まっています

▼デモを主宰するのは市民の会「独立」。8月の1カ月間、メンバーが交代でプラカードを手に街頭に立ち、日韓政府に虐殺の実相を明らかにするよう求めています。李萬烈(イマンヨル)理事長は「事実を明らかにすることは、恨みを深化させることではない。許しと和解で解決していく契機に」と呼びかけました

▼「独立」のメンバーは7月に来日し、虐殺の事実を記憶し続ける日本の市民と交流しました。荒川沿いで起きた虐殺の実態を掘り起こしてきた団体「ほうせんか」、74年から追悼式典を続けてきた日朝協会の人たちです

「100周年は終わりではなく、たたかいの始まりだ」

と語る宮川氏の言葉を、参加者は深く胸に刻みました

▼墨田区の横網町公園にある追悼碑の前では、日朝協会東京都連の宮川泰彦会長が、都知事が追悼文の送付を拒否している問題を紹介。「100周年は終わりではなく、たたかいの始まりだ」と語る宮川氏の言葉を、参加者は深く胸に刻みました

▼「独立」は帰国後、SNSにこうつづりました。「記憶を伝承したのは、在日朝鮮人と良心的な日本市民の連帯だった」「共感と連帯を通じ、平和をつくることに参加する」

▼日本では8月から9月にかけ、追悼式や国会前のキャンドル集会などが計画されています。テーマは「歴史に向き合い、国家の責任を問い、再発を許さない共生社会への第一歩を!」。日韓の市民が共に歩む節目の年に。

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