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日本共産党を敵視しては、リーダーとしての未来を開けない!

2011-05-25 | 世界の変化はすすむ

 44年間の議員生活最後の一般質問

 

会派名  日本共産党議員団      議員名  大 橋   満


 Ⅰ、 市長選をへて、
   今後の職務及び人生において、改善しようと思っておられる
   考えについてお聞きします。


質問・提案の要点


 1、これまでの政治活動を振り返って、ご自分で反省されたこと、
  今後の職務及び人生において、改善しようと考えておられることに  ついてお聞きします。                                


 2、ちょっと人生の先輩として申し上げるとすれば  5万5千市民の  長として、「誰に対しても、より広い心で接する」ことが、多くの  人から信頼される市長になられるのではないかと思うのです。
  「自分と同じようなことを考えている人」の意見は非常にわかりや  すく、聞き入れやすいものですが、「自分が考えもしない」ことを  言う人や、「自分の考えに批判的なことを言う人」の意見は理解し  にくく、聞き入れにくいものです。
   しかし、よく考えてみると、後者の意見に耳を傾けてこそ、視野  が広くなり、全市民の姿が見えてくるのではないでしょうか。  

   どのようにお考えでしょうか?  お聞きします。
 
 
(はじめに)
  日本の長い歴史の中で 多くの方の幸せのために、世の中を良くしようと思って活動された方がたくさんおられましたが、私は22歳の時に、世界の歴史が20世紀まで進んできたこの時代で、戦争によるのではなく、平和的に、理性的に、社会科学的に議会制民主主義を貫きながら、世直しをしていく方法はないものだろうか、
 しかも一部の血気盛んな人間がするのではなく、圧倒的多数の人が賛成する目的に向かって、圧倒的多数の人が賛成し、参加する方法で世直しができないものだろうかと考え、自分の人生の進路をさがしはじめていました。
 そうしたら、同じようなことを考え活動しているひとびとの集団に出会ったのです。その集団の名前が、日本共産党という名前だったのです。
 私は生まれたときから日本共産党ではありませんでした。

共産党員だと言ってもいろいろな人がいるものです。
私の家の家系はみなさん方の概念で言えば、保守の中の保守です。
 祖父は、クリスチャンで、まこと幼稚園・向日町基督教会をつくらた人の中心人物の一人でした、その弟は、学習院大学の教授でした。彼の葬式には天皇陛下から樒に代わる、白い布が送られてきたと、先日なくなった母が言っておりました。
 その教授が大正5年9月に書いた「大橋家の家系について」という文書が今も残っています。 西暦1300年頃まで遡っています、先祖が北畠親房だと書かれています。北畠は『神皇正統記』を書いた南朝の有力な指導者だった人です。出身は霊山、小字まで地名も詳しく書かれていましたが、私は半信半疑で、昨年秋その真相を調べるべく福島県霊山町(合併して伊達市)とその周辺に調査に行ったのですが、書かれていたお寺の名前や地名は全て存在していました。
 そこには「北畠」をまつる神社があり、北畠にまつわる歴史研究が多く行われており、町の歴史「町史」を4分冊、全部買ってきました。
 町を歩いてまたびっくりで、合併前の町長さんは日本共産党の大橋さんで、右も左も大橋という家ばかりなのです。
 もっと時間をとって再調査にいかなければならないと、元町長に再会の約束をして帰ってきました。大地震でどうなっているのかと心配で先日も電話しましたら、近所の公民館には100人以上の被災者の方が来ておられ、復興支援で忙しいと言うことでした。

  それからもう一つ、自分でも保守的な家系だと思っていることですが、私は余り気にしていなかったことですが、伊勢神宮では10月中頃に神嘗祭、11月の終わり頃に新嘗祭というお祭りがあります。
 一昨年のことでした「真夜中の祭りですが、この祭りを見に行きたいですか」と聞かれて、何にでも興味を持っている私は、行きましょうと二回も伊勢に行ったのです。
 池田厚子さん、天皇の姉ですね、小さいおばあさんです。この方が祭主・伊勢神宮の神官の長です。上は白装束に赤い袴、赤い木靴を履いて、足下を杉の木を束ねてつくった松明で照らされながら、先頭を歩き、後ろに30人ほどの神主と何種類かの祭具を担いだ神官がゆっくり歩いて、何カ所かの場所に止まって決められた儀式をして、お参りされるのです。
 私たちが入れない場所もあり、出てこられるまで待っていなければなりませんでしたが、真夜中の1時間半~2時間くらいの儀式でした。
 向日神社の宮司さんに伊勢神宮の新嘗祭などに参加されるのですかと話したら、私は行ったことがないと言われました。「昔は直接見たら目がつぶれる」と言われたものだと書いた文書を読んだことがありますが、私の目は大丈夫でした。
 私の身内にはそういうところに行けるルートもあるのです。

   何故こんなことを言ったのかと言いますと、日本共産党の人間も他の人と同じように、区別や差別をすることなく、平等に扱わなければならないと言うことがいいたいのです。

 
以前の市長は  「共産党」だというだけで、余り毛嫌いされなかった
 私は、今日まで、向日市を築いてこられた多くの政治家、市役所幹部のみなさん方とご一緒にこの街を全国に誇れる街にするために、活動してきました。
 日本共産党の関係者の中では、知る人ぞ知る市になりましたが、一般的にはまだ、日向市と間違われるほどですからもっと努力が必要です。
 共産党議員団も努力しますので、市長の方もぜひご協力をお願いしたいと思うのです。
 私がご一緒した市長は、中山仙三さん、民秋徳夫さん、岡崎誠之さん、そうして久嶋さんですが、久嶋さんはまだお若いのであと何年勤められるか知りませんが、久嶋さんが歴代市長を超えて立派な市長になって頂くために、どうしても直して頂きたいという問題について、別の角度からお聞きしたいと思うのです。
 
 それは、日本共産党員に対する見方、対応の仕方、さらに日本共産党員でなくても、余り好きでない人との接し方についてです。
  人を差別したり、人を見下したり、反共という立場でものを見るのは憲法を守っているとは言えないと思うのです。

 中山さんは、大橋君、今日は疲れているのと違うか,とよく言葉をかけて頂きました。私が日本共産党の事務所の仕事をしながら議員活動をしていたのを知っておられたからです。 そうして私が提案したことにも嫌な顔をせず、他の議員が提案されたことと分け隔てなく、良いことは良いとして実行して頂きました。

 こんなことがありました。昭和45年この場に庁舎ができ、消防署も滝本金物店の隣から本庁舎の東の端に移されました。それでも当時は立派なものでした。
 かって、京都府知事だった蜷川虎三さんは、「消防行政は地方自治の原点」であり、「我が町は自分たちの手で守らなければならない」と協調されていました。
 私は、その教えを実行するために、市政以降何年か経ってから当時の消防長に「消火活動で一番大切なことはなんですか」質問しましたら、初動の30秒です。と答えられました。私は、庁舎から府道に出るまで何分かかるのですか?と聞くと30秒だと言われました。それなら府道際に消防署を建てれば物集女も、上植野の端までも5分以内でいけるようになる、現在の図書館入り口が市有地でしたので、そこに移せばどうかと質問・提案しました。
 民秋さんは、私の意見に「なるほど良いことだが、もう少し考えよう」と言われ、何日か経ってから、大橋君京都府に頼んで「たこ公園」の所にするよといわれ、昭和56年8月現在の消防署への移転が行われました。なるほど、良い場所だ、私はさすが民秋さんだと思いました。
  また、こんなことがありました。今回改修されている、向陽小学校北校舎ですが、長い間避難階段がありませんでした。日本共産党議員団で向陽小学校の視察をしました。北校舎の3階の、廊下の端に木の箱がついているので、あれはなんですかと聞きましたら、避難用の道具だといわれるのです。どのように使うのですかと聞くと、火事などが起ったときに窓からアーム出して、井戸のつるべのようにして子どもを一人ひとり下ろす設備だというのです。
 私はびっくりして、消防法はどうなっているのかと聞くと、つるべのようなものでも違法ではないというのです。そうして年に一~二度訓練しているというのです。
 私は、次の訓練の日に、市長と教育長がそれで降りてみてください、どうですか? と聞きました。お二人とも返事がありませんでした。
さらに私は、最後の一人はどうして降ろすのですかと聞きました。
教育長は答弁出来ず、市長と相談すると答えられ、次の予算に「非常階段建設費」が組まれました。
 
 さらに、いま、向日神社の崖地工事が3年がかりで行われていますが、この工事のきっかけは昭和51年3月開設の向陽小学校のプール建設前に、崖の上にある南山64番地の民家が危険ではないかと質問し、地滑りする前に擁壁工事をして頂きたいと要求したことが始まりなのです。
 工事計画は中山さんから民秋さんへ申し送られ、この崖地工事には多額の費用がいることから、必要性はよく理解出来るが予算がない、どうするか、目途がつくまで待ってくれと言われました。しばらくして、工事をすると言われました。
 その方法は、向日市内唯一の「土砂災害警戒箇所」の指定を行い、九割国庫負担で行うという内容でした。それ以来、運動場の西側から始まり、さらに延長して向日神社の裏山に進みました、長い時間と多くの関係者の努力があり、京都府が用地買収までして、公費で改修出来るようになったのです。
  もし「神社の裏山が宗教施設の境内」と言うとらえ方だったら工事は出来なかったのです。歴史的な向日神社の景観も、関係する氏子のみなさんのたゆまぬ努力と、日本共産党議員団の努力と、中山さんから民秋さんへのバトンタッチと「大岡裁き」とも言うべき判断があったのだと言うことを、ぜひご理解頂きたいと思うのです。
  他にもいろいろなことがありましたが、時間の都合で詳しく述べられませんが、日本共産党と市民の共同で、向日市政そのものを、新しい考えで、憲法が生かされるような町として発展させるために、果してきた役割は、歴史の事実として多くの分野で残されています。

年代順不同ですが、 いくつか思いつくままに申し上げますと、
昭和59/長岡京遷都1200年に行われた「平和都市宣言」、同じ長岡京遷都1200年記念行事で京都府との関係での図書館・資料館用地の無償貸与条例違反問題、共産党議員団が提出した「都市計画税引き下げ条例」がきっかけで、値下げが行われました。地下水を守れの運動で「地下水採取の適正化に関する条例」が可決されました。何度か汚職腐敗の事件がありましたが、その解決の先頭に立ってきました。
 中でも「水道公認業者規程」を作る過程では、私に「殺したる」と言う脅迫電話を受けました。犯人確認のため向日町警察署にも行きました。
また、倒産した三基建設をめぐる事件、特養ホーム向陽苑の用地買収をめぐる事件、市幹部のゴルフ接待と危機管理問題、等で、独自調査に基づく公正な行政を求める多くの提案を行い、市政が正しく進むように頑張ってきました。
また議会制民主主義を徹底するために多くの提案をしてまいりました。
 
  これらの事実は、市民の暮らしを守り、改善していくことには、誰が言っても良いことは良い、特に日本共産党の主張に真理があったと言うことです。人を差別しない、「共産党だと言う理由」で差別しない。このことは、これからの指導者として、一番大切なことだと思うのです。


 久嶋市長は、「反共」という見方をしないようにして頂きたいのであります。

日本共産党議員の発言、意見に対して、その内容よりも「反共」という立場から、自分の考えと異なる意見には、その内容を含めて頭からあまり理解をしようとしておられなかったのではないか、と感じることがありました。
   先の市長選挙の事務所前での第一声や街頭宣伝、個人演説会などで、16年前の初心に返って頑張りたい。とか 議員の皆様の意見をよく聞いて市政運営にあたると言うことを何度もおっしゃっていました。
 私が市長にぜひ直してほしいのは、おっしゃった反省に加え、人を差別しない、「日本共産党だと言う理由」で差別しない。自分の考えと違うと言うことで差別しない。気にくわない、嫌いだと言うことで差別しない、そのことが、全ての市民に責任を持つリーダーの優れた資質だと思うのです。
  私は、今後の向日市の発展にとって、「反共の色眼鏡をはずし、誰の意見でも尊重して聞き、自分より異なる意見を言う人ほど耳を傾けるべきだ」と思うのです。ある方が「反共は、戦争前夜の声」と言って、誰も差別されなかったのは本当に立派な方だと思うのです。
この点で久嶋市長に対する本年の辞職勧告決議は、改めて重大問題として考え直していかなければならない問題だと思うのです。
 
 申し上げてきたことを考えて頂き市長のお考えをお聞きします。



  日本共産党は、長い世界の歴史の中で次の時代に役立つものは残しさらに発展させて世界平和・人類のさらなる発展のために活動している政党です。だから、本来的には市長を含めて全市民のみなさんと、協力出来るはずなのです。
 また、日本共産党は、日本国民の政党です。
 旧ソ連が、解体したとき、世界中で只一つ「双手を挙げて賛成する」と言う声明を発表しました。当時のソ連は、名前は共産党だったけれども理念も行いも「共産党の原則からはずれたもの」だったからです。それまでに何度も「あなた方の方針は間違っている」と注意していたにもかかわらず、改めなかったからであります。
 さらに現在、北朝鮮労働党とは、40年以上にわたって関係が断絶したままですし、北朝鮮という国と日本共産党は公式な関係は全くありません。彼らの考えや行動は「共産党の理念」からはずれているのです。

  日本共産党は、だからといって日本国として、国連に加盟している国の中で、嫌いな国とは国交を結ばないというのは、日本国家として、国際問題を正しく解決する上では異常なことだと改善を求めています。  
  かって、中国共産党が、日本共産党に対して、中国共産党の手下になれと、あくどい攻撃をしてきた時期がありました。日本共産党は、中国共産党が、自ら間違いを訂正するまで”中国共産党との関係がなかった時期があります。”中国が次々と新しい指導部に変わっていく中で、日本共産党に対する圧力は間違っていたと公式に謝罪してきたので、繰り返し話し合いをして、以前のような友好関係を回復しました。
 日本共産党は、相手がどんな大国でも日本国民を守る、日本国民の幸せのために活動するために、自分の頭で考え行動しているのです。
「常に国民の立場で真理を探求する」政党だから私は信頼出来るのです。


 さて今後の向日市政の発展方向は、市長が何人変わられたとしても、近い将来、市民との共同で必ず市民主人公の方向に進むと考えています。
 市民が主人公で平和憲法の理念と内容が生かされる町、そうして原発ゼロの日本に発展すると確信しています。
  私は、今後も向日市のみなさんの幸せのために努力したいと思います。
さらに向日市の良いところを、全国に広げていくことにも努力しようと考えています。また、何よりも、世界の進んだ文化や科学を多く知り、身につけ、向日市にお返ししたいと考えています。

 以上、質問と致します。

 

市長の答弁を聞き、再質問するかも知れません。


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1 コメント

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ご苦労さまでした。 (旧向日市民)
2011-05-25 21:53:53
44年間、お疲れさまでした。そして、私が生まれ育った向日市を、未だに愛することができる素晴らしい場所にして頂き、心から感謝申し上げます。今後、益々のご活躍を心より願っております。お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

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