ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

やはり大島監督を語る際は、「愛のコリーダ」か「戦場のメリークリスマス」が話題になるのかも

2013-02-27 00:00:00 | 映画


大島渚監督の死を知った直後、私は大島監督の追悼記事を書くことにしました。私が勝手に思っているだけですが、監督の作品には私もいろいろ影響を受けていますし、また拙ブログの記事でも、「愛のコリーダ」の主演俳優・藤竜也のインタビュー記事を(勝手に)採録させていただきまして、それはこのブログで長きにわたって(浅野ゆう子の記事とならんで)高いアクセス数をいただいています。記事の採録という、あるいはどうかという記事ではありますが、それでも「愛のコリーダ」という映画に対する藤、あるいは監督をはじめとするスタッフたちの想いを読者の皆さまに感じ取っていただければ、私としてもそれにまさる喜びはありません。

そして、予想していなくもなかったのですが(というのもあまりいい言い方ではありませんが)、やはり「愛のコリーダ」のインタビュー記事のアクセスがすごかった。アクセス記録です。

ちょうどNHKの京都大学法学部卒のアナウンサーの記事のアクセスがすごかった(まったくの偶然ながら、彼女は大島監督の後輩です)のとあわさって、なんともすさまじいアクセス数になりました。

このブログは記事の幅がものすごく広いので、アナウンサーネタと映画ネタのような直接つながりのない記事が同時に話題を呼ぶ・・・ということがあって、そうなるとものすごいアクセスを記録することもあります。かつて、やはり「愛のコリーダ」と辻元清美に名誉毀損訴訟を起こされた阿比留瑠比氏の記事が同時に話題になってアクセス数が急上昇したことがあります。「愛のコリーダ」は、この事件についての特集がテレビでされたため、阿比留氏は、菅首相(当時)への奇怪な質問が世間の話題になったためです。

で、前の記事で私が書きましたように、私が大島監督の映画で好きなのは「少年」と「絞死刑」(「絞死刑」とはこの映画での造語です)です。でも世間で大島監督が語られる際は、最初に引き合いに出されるのは、「愛のコリーダ」と「戦場のメリークリスマス」なのだと思います。

前者は、世界的に知名度の高い映画監督による最初のハードコアポルノであり、後者はデヴィッド・ボウイ坂本龍一らという個性的な俳優たちで世界標準の知名度を得た作品なので、それは当然でしょうが、やはり大島監督の映画はそればかりでないよ、とは思います。もちろんそんなことは言わずもがなでしょうが、しかしこの2本以外大島作品に印象の少ない方が世間には少なくないのも事実かと思います。



写真は、カンヌから帰ってきた際の記者会見のものみたいですね。松田瑛子の髪型は時代かな(笑)。なんとなく「和田アキ子に似ている」気がしました。

なお、これは裏をとっていない話ですが、かなり興味深いエピソードがとあるサイトのコメント欄にありましたので、ご紹介します。

>芦川さんに関してはひとついいエピソードを知っています。ご主人の藤竜也が主演した大島渚監督の「愛のコリーダ」(1976)の完成披露記者会見が帝国ホテルで行われた時のこと。
この映画は日本初のハードコアと騒がれ、主演女優の松田英子との本番が話題になっていました。記者会見の始まる前に松田英子と芦川いづみが密かに対面していました。
松田英子は内心ドキドキでどう対応したらよいのか不安で一杯だったようですが、自分の亭主と本番をした相手に開口一番、芦川いづみは「主人がお世話になりました。」とあの優しい顔で頭を下げたそうです。さすが大女優です。妻の座は強い(?)。


前の記事でも書いたように、大島作品というのは作品の個性が1本1本で本当にぜんぜん違うので、Aという作品が面白かったが、Bがその人の趣味に合うかどうかはわからないところがあります。「七人の侍」が面白かったから、「用心棒」もいいだろうとか、「東京物語」がよかったから、他の小津作品もいいだろうというわけにはいかないのです。だから、見ないと本当に大島作品というのは評価できません。「帰ってきたヨッパライ」と「少年」のような作品を、続けざまに撮影・発表するのが大島渚です。

ところで、これも時の流れですから仕方ないし当然なのですが、どんどん「大島組」とでもいうべき方々が亡くなっていますね・・・。2010年7月に、大島監督実妹大島瑛子さんの死の記事を書きました。ちょうどその前に俳優・佐藤慶の死がありまして、それもからめて大島監督とゆかりの深い俳優・スタッフたちの死について触れさせていただきました。さらにそれ以降、音楽家の林光氏などが亡くなりました。大島映画にこの人あり、というのでいまだ存命なのは、大島夫人の小山明子(知らなかったんですが、小山の兄上は、大島作品にちょい役で顔を出しています。映画「少年」で、群馬県高崎市での医師の役です。当時小山のお兄様は、当地の病院で医師をしていたのですね。この作品には、ほかに大島の京都大学時代の演劇仲間などが出演しています。大阪での刑事役などです。またスタッフや地元の人も協力しています)くらいかな。脚本家で松竹ヌーベルバーグ時代の大島作品の助監督である石堂淑朗も昨年亡くなっています。

で、池袋にある映画館・新文芸坐で、大島監督の作品の追悼上映およびトークショーがあります。

>3/16(土)からの特集<愛と自由へ 大島渚、永遠の映画/今を生きる映画>にて、小山明子さん、大島新さん、樋口尚文さん、崔洋一監督によるトークショーが決定いたしました。どうぞご期待ください。


●3/17(月) 13:45~ 崔洋一監督


●3/24(土) 13:45~ 小山明子さん
            大島新さん(テレビディレクター)

            樋口尚文さん(映画評論家)


崔監督は、「愛のコリーダ」の助監督(そうとう大島監督にしごかれたようです)、「御法度」では出演もしています。大島新は、渚監督の息子さん、樋口尚文は、大島映画の著作もある人です。

スクリーンで見たい映画てんこ盛りですが、私が注目したいのが

17日(日)と18日(月)に上映される「私のベレット」です。これは

>いすゞ自動車株式会社から発売された、小型乗用車「ベレット」の宣伝映画として製作された。製作は、日本映画監督協会が1962年に興した傍系会社「株式会社日本映画監督協会プロダクション」[1]。脚本・監督は、大島渚。脚本監修は、日本映画監督協会会長を務めた小津安二郎だが、在職のまま1963年に死去している。また企画監修委員として日本映画監督協会の主要会員が名を連ねている。

本編は3話のオムニバスドラマで構成されている。

日本映画データベースでは『私はベレット』と誤表記されており、上映時間は「60分」と表記されている[2]。その他のインターネット上のデータベースでは、検索情報がない。2010年9月には衛星劇場で放送されたが、上映(放映)時間は27分であり、正確な時間は不明である。

また、作品がどのような形式で上映されたかも分かっていない


というかなりの珍品映画です。というわけで、大島渚に並々ならぬ興味をお持ちのあなたは、ぜひご覧になることを勧めます。私と会場でニアミスしましょう。

もはや大島監督の「次作」を見ることはかないませんが、これからも大島作品について勉強して記事を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。
コメント (8)
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