田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌スタイル

2010-12-21 14:22:09 | 札幌(圏)探訪
 「札幌スタイル」とは、札幌ならではのオリジナリティを生かして開発した商品のことを指すようです。このほどJRタワーにあるオフィシャルショップを覗いてみる機会がありました。

              
        ※ 「札幌スタイル」のロゴマークです。ショップのものを写した
         のですが、実際の色はライトブルーなのですが、なぜかまっ
         たく違った色に写っています。

 12月18日(土)、私たちのグループの例会の見学場所として担当者からオフィシャルショップの提案があり、以前から興味を抱いていたこともあり喜んで参加しました。
 場所はJRタワーの6階、ちょうどJRタワー展望台に至るエレベーターに乗るフロアにありました。
 ショップは思っていたよりはこじんまりとしていて、スタッフ一人でお客さんに対応しているくらいに小さなものでした。

 「札幌スタイル」については、雪の結晶の形をした「紙石鹸」や芝生の上に敷いたとき自然に溶け込むデザインを採用した「さくらシート」などでその存在は知っていました。
 その他にどのようなものがあるのか、興味をもっていたのですが、わりあい小物が主流を占めているようでした。
 例えば、ふたと保冷剤が一体化した「弁当箱」、各種の「木製玩具」や「木製オブジェ」、小さな「マスコット」や「キャンドル」、「化粧石鹸」などといったものが主流のようでした。
 少し大きな物として折りたたみ式の「そり」が目立つ程度でした。

        

 私は札幌スタイルを知るきっかけとなった「紙石鹸 初雪」(1,050円)を購入しました。

        

 ショップを見終えて、価格設定がやや「高いかなぁ」という感じでした。大量生産・大量消費が望めない中にあってはいたしかたないとも言えそうです。
 もう一つ感じたことは、まだまだ「札幌スタイル」の認知度が低いのではないかということです。
 もっと市民の認知度が上がり市民の購入が増えること。さらには観光客にちょっとおしゃれな札幌オリジナルの土産品として注目されるようになればと思ったのですが…。

ほくでんファミリーコンサート

2010-12-20 13:24:18 | ステージ & エンターテイメント
 弱冠17才がソリストを務めるドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を聴きました。堂々とした演奏ぶりには早くも風格のようなものさえ感じさせられる演奏でした。

        
    ※ 演奏中の写真撮影はもちろんNGですから、演奏前に一枚だけステージを…

 何度応募してもなかなか当選しない「ほくでんファミリーコンサート」です。
 今回も私は当選しなかったのですが、友人からお誘いがありその好意に甘えさせていただいて12月15日夜、札響のドヴォルザークとブラームスを聴くことができました。

 演目は次の三曲でした。
 ◇ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」
 ◇ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲イ短調
 ◇ブラームス   交響曲第2番ニ長調

 正直言って、私にはクラッシックを評論できる耳も素養もありません。
 ただ、以前にも記しましたが私にはクラッシックコンサートで聴く弦の響きが心地良く感じられるのです。だから今回もその響きに酔っていた2時間弱だったといえるでしょう。

 その中で、今回の特徴といえば「ヴァイオリン協奏曲イ短調」の演奏に登場したヴァイオリニストの郷古 廉(ごうこ すなお)さんです。
 1993年生まれといいますから、当年まだ17才という若さです。資料によると高校2年生です。スラッとした外観、幼さがまだ残る容貌だけを見ると、ちょっと格好のよい高校生、といった感じです。
 ところがいざヴァイオリンを演奏しだすと、その印象は一変します。プロのオーケストラをバックに一歩もひけをとらず堂々とした演奏ぶりです。
 キャリアを見るとすでに3年前、中学生のときにデビューし、国内の主だったオーケストラとの協演や、外国でのコンサートなど数多くのステージをこなしています。

 私には具体的にどこが優れているのかについて指摘することはできません。ただ協演しているときの力強い演奏が印象的でした。
 また、アンコールにおいて比較的おとなしい曲を弾いたときに、楽譜に表現されていること以上の表現を目ざしている意思のようなものを感じることができました。

 若きヴァイオリニスト郷古 廉さんは今後どのように成長していくのでしょうか…。

国稀酒造

2010-12-19 19:56:46 | 札幌(圏)探訪
 日本最北の造り酒屋として名高い「国稀酒造」(くにまれしゅぞう)の新酒の利き酒会が札幌第一ホテルであった。たまたま札幌第一ホテルに所用で出向いていた私は、思わぬ形で新酒の利き酒会に出合ったのでした。 

        

 少し話は古くなってしまいましたが、12月10日、札幌第一ホテルに所用があり出向きました。
 ホテルに入ると何やらロビーが飾り立てられていました。
 聞くと、増毛町を醸造元とする「国稀酒造」の新酒の利き酒会があるということなのです。

        

 予定されていた会議をロビーの近くの部屋でやっていたところ、鏡割りの歓声が聞こえ、利き酒会が始まったようです。
 すると、もう同席者は浮き足立ちました。(もともとそれほど重要な会議ではなかったのだが…)
 会議を中断して利き酒会の方に参じました。
 私は日本酒をふだん嗜まないので、一口口に含んでも良し悪しの判断がつきません。
 同席者たちが「美味しい!美味しい!」というので、「なるほど、そうかもしれない。呑み易いのは間違いない」と思いながらいただきました。(日本酒の嗜まないだけでけっして下戸ではありませんよ)

        

 提供された新酒は関係者によると「国稀本醸造原酒・蔵ばしり」という銘柄だそうです。資料によると枡一杯で800円とか…。

 会場には多くの人たちが詰め掛け、新酒を味わっていました。
 また、会場の一角では雰囲気を盛り上げようと津軽三味線のミニライブも行われていました。

        

 北海道の造り酒屋は本州各地の老舗に比べるとやはり苦戦しているとも聞きますが、その中にあって国稀酒造は大健闘しているとも聞いています。(日本酒の世界はまったく疎いので、正確がどうかは分からない)
 ぜひ工夫研鑽を重ね、辛党に受け容れられ酒造りに励んでほしいし、道民の辛党もそんな国稀酒造を応援してほしいなぁ、と思った新酒の利き酒会でした。

札幌Cafe紀行 48 D×M(ディーバイエム)

2010-12-18 11:23:59 | 札幌Cafe紀行
 札幌のCafeシーンをリードする「森彦」の3号店です。倉庫をリノベーションしたという店内は、提供されるドリンクも含めて各所にこだわりが感じられる素敵なカフェでした。

 私のCafé巡りは主に雑誌POROCOが発行する「札幌Cafe本」の2010年版を羅針盤にして巡り歩いています。そのCafé本の最初に紹介されているのが今回訪れた「D×M(ディーバイエム)」です。

 「D×M」は東区の準工業地域という工場や倉庫が立ち並ぶ一角に目立たずにありました。あらかじめマップなどで確認していかないととても見つけることができないようなエントランスです。

        

        

 工場の大きな扉を引くようにして店内に入ります。
 店内もまた天井が高く、倉庫をそのままの形でリノベーションしたかのようです。

        

 妻と私は二階に上がり、席につきました。その席も学校の教室にある机と椅子といった趣で、工場のイメージを保つために虚飾を排した簡素な造りのコンセプト故でしょうか?

        

 ところがガイドブックを見ると、椅子はヨーロッパ製のインダストリアルチェアーだとか…。

 スタッフ(またまたガイドブックによるとコンシェルジェと呼ぶとか)がオーダーをとりにきた姿はちょうど工員が着るようなオーバーオールを着ていたのもこだわりの一つのようです。お願いして写真を撮らせてもらいました。

        

 オーダーは店お勧めのセットメニューで「本日のコーヒーとドーナツ」(680円)にしました。(妻は同じオーダーながらドリンクをアールグレイの紅茶にしました)
 「本日のコーヒー」はグァテマラだったのですが、そのコーヒーはカフェプレスに入れて運ばれてきます。
 カフェプレスについて詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧ください。(
 私は家で紅茶を入れるときに同じような容器を使用したことがありますが、コーヒーでは初めての経験でした。テーブルにはその説明書きがありましたので、そのとおりに淹れて味わいました。

        

 カフェプレスによる淹れ方はコーヒー豆の油分が濾し取られないなどの利点があるそうですが、慣れていない私にとっては「森彦」本店のコーヒーの方が美味しく感じられたのですが…。まあ人それぞれでしょう。
 ドーナツは「ケシの実」をオーダーしたのですが、D×Mには豊富な種類があって、かなり力が入っているようで、「ケシの実」のドーナツもなかなか美味しい味でした。

        

 ディテールに徹底的に拘っている「D×M」はカフェに関心のある方はぜひとも一度体験する価値のあるカフェではないかと思います。

        

 なお、店名の「D×M」のDはDAVID(ダヴィデ)という名のドーナツブランド、Mはオーナーの森彦に由来し、×は工場を意識したネーミングだそうです。

【D×M データ】
札幌市中央区北3条東6丁目356
電  話 011-211-0034
営業時間 11:00~22:30
定休日  不定
座  席 50席
駐車場  有り(6台)
入店日  ‘10/12/15

※ これから出かけねばならず、写真説明の時間がありません。

龍馬は追い詰められていた?

2010-12-17 14:58:02 | 講演・講義・フォーラム等
 龍馬研究の北海道における第一人者である合田一道氏から話を聞く機会があった。合田氏の古文書(竜馬の手紙)を読み解きながらの講演はいつ聴いても心躍るものがある。今回もまた龍馬の生きた道を興味深く解説してくれた。 

 北海道生涯学習協会が主催する「『ほっかいどう学』実践講座in札幌①」が12月12日(日)に開催され参加してきました。
 メニューは、ノンフィクション作家である合田一道氏「龍馬が描いた夢・北海道」と題する講演と、二人のほっかいどう学を実践する方の実践発表という内容でした。

 ここでは合田氏の講演にかぎりレポートすることにします。
 合田氏は演題にもある龍馬と北海道の関わりについても触れましたが、時がNHK大河ドラマの影響もあって龍馬ブームの渦中にあることから、龍馬の手紙をもとに龍馬の生きた道を解説することにその主眼がおかれました。

        

 龍馬の北海道への夢は大河ドラマの最終回でも、竜馬の口から「北海道を開拓したい」と語らせています。志半ばにして斃れた龍馬に代わって甥の坂本直寛が北見に入って北光社農場を設立したこと、その後浦臼に移って聖園農場の経営にあたったことなど、龍馬の意思が親族によって受け継がれことについて一応の解説がありました。
 このことは北海道人にとってはかなり知られている部分です。

 合田氏のお話の中で、龍馬が親しくしていた望月清平に書き送った手紙が興味を惹きました。その手紙の内容がウェブ上で見つかりました。(こちらです 
 手紙が書かれたのは龍馬が暗殺された慶応3年11月15日から遡ること僅か一ヶ月前の10月18日付となっています。
 その内容からは、龍馬が京都における宿について、土佐屋敷や薩摩藩邸に入ることができず、用心の悪い近江屋(暗殺された宿)に宿をとらねばならない事情を述べ、望月清平が龍馬の宿を心配して周旋してくれていることに感謝の意を書き送っている。
 この手紙の内容から、合田氏は「龍馬は追い詰められていたのではないか」と解説します。

 薩長同盟を仲介し、大政奉還を成し遂げた龍馬だったが、大政奉還を快く思わない旧幕府勢、大政奉還後の功を狙う薩長勢の間にあって、功を望まず純粋に日本の夜明けを夢見た龍馬はどちらの勢力からもその命を狙われていた節がうかがえます。
 そうした状況の中にあって龍馬はあまりにも無用心だったのではないかと思えてなりません。

        

 古文書を読む素養に欠けている私には、歴史を追いかけることは難しいことですが、これからも古文書を読み解く合田氏のお話を積極的に追いかけたいと思っています。

室蘭観光モニターツアー 後編

2010-12-16 12:22:01 | 道内の旅

 ツアーの後半は、「錫の鋳造体験」、「室蘭市の夜景見学」と興味深いメニューを楽しんだ。特に鋳造体験はなかなか実際に体験するのが難しいと思っていただけに貴重な体験でした。

 「室蘭工業大学ものづくり基盤センター」とは、ものづくりを通じた地域との交流の促進、先端加工技術の研究の推進などを目的に開設された施設だそうです。
 私たちの体験は地域との交流という趣旨で行われたのでしょう。

        
      ※ 室蘭工業大学構内にあった大学を象徴する鉄のモニュメントです。

 そこで行った「錫の鋳造体験」は、最初に砂で型を作るところから始まります。予め用意された原型(市町村のカントリーサイン)の上に砂を置いて型をとります。これが「鋳型」です。そこへ溶かした錫を流し込み冷えるのを待って、砂を除き完成です。完成したものを「鋳物」と称します。
 このように書くと簡単そうですが、実際には慎重な作業の連続です。ちなみに私は札幌市のカントリーサイン(時計台を描いたもの)を作成しました。
 私は以前から砂でどうして繊細な形ができるのかと不思議でした。今回体験してみて、砂とはいってもとても微細な砂で型枠の中で押しつけると非常に硬く固まる性質をもっている砂だということが分かりました。

        ※ 錫の鋳造行程の一部を写真で…        
        
        ※ 元になる型を中に入れ、砂を型枠に押し込んで型を取ります。

        
        ※ 型に流し込む錫を溶かしています。錫の融点は約230℃です。

        
        ※ 溶かした錫を作った型に流し込みます。

 室蘭工業大学ものづくり基盤センターの体験がいつでも、誰でも出来るのかについては聞き逃しましたが、学校や団体などは希望によって体験が可能のようです。
 国立の大学や研究機関が独立行政法人化されてからは、各大学・機関が積極的に地域貢献に目を向け始めてくれたようです。こうした傾向は大いに歓迎したいと思います。
 研究成果などを地域に開くことが、本来の任務である研究活動にも必ずや効果があると思われるからです。

        
        ※ 私たちが作成した札幌市のカントリーサインの鋳物です。

 この後、室蘭市の道の駅に寄った後、最後の行程である「室蘭市の夜景見学」でした。その時刻16時40分には市内各所の照明にすでに灯が入っていました。冬期間ならではの早い夜の到来が札幌からの日帰りの夜景見学を可能にしてくれます。
 担当者が「夜景は辺りが真っ暗になったときもいいですが、薄暮の時間の夜景は一種独特の魅力があります」と説明されましたが、なるほどバスの中から薄暮の中で見る工場群の灯りはとても魅惑的に見えました。このような状態の夜景を「ブルーモーメント」と称するそうです。

 さて、本格的な夜景見学は室蘭市の景観を特長づける「白鳥大橋」の夜景が一望できる「祝津展望台」です。つり橋に灯された灯り、橋にいたるループ状の取り付け道路がとても鮮やかに見えました。だだ、残念なことにその光景を写真に収めるにはそれなりの機材が必要で、目で見たような鮮やかさはとても写し撮れませんでした。

        
        ※ 「祝津展望台」から観た白鳥大橋の夜景です。

 続いて新日本石油の製油所の見事な灯りが眺められる「白鳥湾展望台」です。しかし、ここは灯りが眺められる絶好のポイントからは少しずれていて、バスの中から眺めた道路上からの光景の方が素晴らしく見えました。

        
        ※ 「白鳥湾展望台」から観た製油所周辺の夜景です。

 全ての体験・観光を終え、札幌までバスで引き返し、19時札幌駅で解散しました。

 全体をふり返って感じることは、観光という側面から見たときの室蘭市のポテンシャルの高さです。体験的観光、自然の景観、工場群が市街地を占める特異な景観、どれをとっても魅力的なものです。
 翌日、主催者から渡されたアンケート用紙に妻とふたりで話し合いながら記入し、投函しました。私たちの感想も生かされ、ユニークで、魅力的なツアーがたくさん誕生することを期待したいと思います。


室蘭観光モニターツアー 中編

2010-12-15 14:36:21 | 道内の旅

 室蘭三大グルメとは、「室蘭やきとり」、「室蘭カレーラーメン」、「クロソイ料理」を指すそうです。その三大グルメを一度に食したのですが…。

        

 昼食会場となった室蘭プリンスホテルでは三種の料理を一食分の分量に調理したものを提供してくれました。
 ご存知かと思いますが「室蘭やきとり」は鶏肉ではなく豚肉を使うのが大きな特徴です。またネギ間にタマネギを使い、からしを付けて味わうところも特徴です。今回はその豚串が2本提供されました。
        
        ※ 室蘭三大グルメを一堂に並べたところです。
    
 「カレーラーメン」は文字どおりスープがカレー味となっているラーメンですが、今回は小ぶりのお椀に盛ったものが出されました。
        

 残りの「クロソイ料理」は、クロソイの刺身と魚卵(?)と卵焼きとキュウリなどが載ったちらし寿司で提供されました。
        

 三種類の室蘭を代表する料理を一度に味わってもらうというアイデアは良かったのですが、提供される料理が全て冷えてしまっていて、その美味しさを十分に堪能できたとはお世辞にも言えなかったのが残念でした。
 当然、モニターアンケートで私の評価は全体験・観光の中で最低評価となってしまいました。せっかくのアイデアを生かす工夫をぜひともお願いしたいものです。

 昼食の後、「地球岬」の見学に向かいました。
 “地球岬”とはまたユニークなネーミングだと思ったのですが、調べてみるとどうやらアイヌ語がその語源のようです。また、岬から見ると、水平線が円弧を描いて見えることもその名が付いた理由のようです。
 担当者の案内では室蘭一の観光スポットということでしたが、それも納得できる雄大な景色でした。

        
        ※ 雲が垂れ込めていましたが、雄大な地球岬です。

 ここで室蘭市の観光係の方のトークに乗せられて、岬の土産物店で販売している「毒まんじゅう」(680円)をたくさんの人が購入しました。もちろん私も…。
 「毒まんじゅう」とはおどろおどろしいネーミングですが、6個のまんじゅうのうち1個にトウガラシが入っているんだそうです。店主の遊び心が商品化されたものとか…。

        
        ※ 見るからにおどろおどろしい「毒まんじゅう」のパッケージデザインです。

 続いての「潮見台公園展望台」は室蘭市の工場群を高台から眺めるものでした。

        
        潮見台公園展望台から見る室蘭市の工場群です。手前の建物は鶴ケ崎中学校です。

 室蘭市は平地が少なく、海から直ぐに丘や高台が迫る地形のため市内を見渡す展望台が散在しています。平地のほとんどは干拓して造った土地とも担当者からうかがいました。
 室蘭市はまた面積が狭いことでも知られています。ですから展望台から見る眺望では工場群が密集しているようにも見えました。

 北海道内をくまなく巡っていると自負していた私でしたが、なぜか室蘭には縁がなく、今回初めて訪れたことになりますが、道内の他の都市とは違った光景に一つ一つが新鮮に映りました。 (残りの体験・観光は後編に続きます)


室蘭観光モニターツアー 前編

2010-12-14 14:41:23 | 道内の旅

 正式名はちょっと長い「室蘭市ものづくり体験観光モニターツアー」というツアーに参加した。二つのものづくりを体験し、室蘭の名所を巡り、室蘭の三大グルメを堪能するという内容の濃いツアーでした。

 室蘭市の「てつのまちぷろじぇくと」のグループと室蘭市が共催する表記ツアーに応募したところペアで当選し、12月11日(土)妻と二人で参加して一日いっぱい室蘭市内をあちこちと巡って歩いてきました。
 このツアーの美味しいところは、昼食代の1,500円を負担するだけで下記のような体験や観光ができることです。もちろんモニターツアーだから、体験したり、観光したことの感想を主催者に伝える義務が生ずるのは当然のことでしたが。

 行程は次のとおりでした。
◆札幌駅北口発(8時30分) → ◆登別室蘭インターチェンジ → ◆ボルタ工房(ボルタ製作体験)→ ◆室蘭三大グルメの昼食(室蘭プリンスホテル)→ ◆地球岬、潮見公園展望台見学 → ◆室蘭工業大学ものづくり基盤センター(錫の鋳造体験)→ ◆道の駅みたら(白鳥大橋記念館)→ ◆夜景見学(祝津展望台、白鳥大橋、白鳥湾展望台)→ ◆室蘭インターチェンジ → ◆札幌着(19時)

 中身の濃い盛りだくさんの内容だったので、三回に分けてレポートすることにします。
 最初はこのモニターツアーのメイン(?)である「ボルタ製作体験」です。
 そもそもこのツアーの主催者である「てつのまちぷろじぇくと」というグループは、室蘭=鉄の街というイメージを生かしてボルトとナット組み合わせたボルト人形を創出し、いまや室蘭名物にまで育て上げたグループです。

        

 「ボルタ製作体験」は太い六角ボルト一本、細長いボルト4本、そして座金(ワッシャー)をハンダごてで接合し、組み立てる体験です。初心者の私たちは「逆立ちボルタ」というあまり手間暇のかからぬ人形を製作しました。といってもいきなり高熱のハンダごてを操るのはそれなりの技術が必要です。
 指導員が親切に教えてくれるので、誰もが失敗なく「逆立ちボルタ」を製作することができたようです。私の成果は下の写真のとおりです。なかなか楽しい体験でした。

        
        ※ 私が指導を受けながら製作した「逆立ちボルタ」です。

 ボルタ工房では普段も「ボルタ製作体験」を受け入れているとのことですが、その料金設定が2,100円ということです。既に製作されたボルタ人形が600円で販売されているのと比べるとやや高い料金設定かな、と思いましたがどうでしょう?

 「てつのまちぷろじぇくと」は、室蘭市の人口が往時の半分以下にまで落ち込み、寂しくなった街を活気づけようと集まった輪西地区の若手経営者たちや行政、大学の人たちの集まりです。
 その彼らが室蘭に相応しい「鉄」を素材とした街づくりを模索した中から誕生したのが「ボルタ人形」だということです。

        
        ※ 工房にはいろいろな形をしたボルタ人形がたくさん展示されていました。

        
        ※ この二輪車には6,300円の値が付けられていました。

 昼休みにちょっとした時間を利用して中央町の商店街を歩いてみましたが、なるほどシャッター街となっていて、寂しいかぎりでした。

        
        ※ 中央町の商店街です。ちょっと寂しいですね。

(明日の中編に続きます)


大倉山の秘密

2010-12-13 13:58:17 | 札幌学 & ほっかいどう学
 スキージャンプ競技のメッカとして名高い大倉山ジャンプ競技場にまつわる秘話をいろいろと聞くことができた。大都市札幌の都心からそう離れていないところで国際的なジャンプ競技を観戦できる幸せを感じた。


        
        ※ つい先日大倉山ジャンプ競技場を見物したばかりだったの
         でその写真を借用した。

 12月8日(水)9講目の「ボランティアガイド養成講座」があった。
 この日は「札幌の文化(大倉山)ウィンタースポーツを知る」と題して、札幌ウィンタースポーツミュージアム研究員の山谷和正氏が講師を務めた。

        
        ※ 講師の山谷氏はまだ若い研究員でした。

 話はウィンタースポーツ全般に及んだのだが、その中心は大倉山ジャンプ競技場のことだったので、ここでもそのことを中心にしてレポートすることにする。
 大倉山ジャンプ競技場は1931(昭和6)年に最初の台が完成している。
 その大倉山がジャンプ競技に適していたのは次の7点もの優位な点があったということである。
 ①スロープが南向きでないこと。
 ②風の条件が適していること。(冬期間の風当たりが少ない)
 ③市街地に近いこと。
 ④全長の長さが確保できること。
 ⑤傾斜があること。
 ⑥加工できる土地であること。
 ⑦工事費が少ないこと。
という条件に大倉山は見事合致したということなのだ。

 大倉山ジャンプ台誕生に関わって次のような秘話を紹介された。
 スポーツの宮様として名高かった秩父宮様が来道された折、北海道のスキー界の重鎮だった大野精七博士と懇談する中で秩父宮様が「将来日本でオリンピックを開催するとなれば、雪質が良く、大都市である札幌が一番適当と思う」と話され、そのことが札幌大会招致の端緒となったということだ。
 さらに宮様は「オリンピック用のシャンツェが必要だ。良い場所を見つけ、設計して送ってくれれば私が造れるようお世話をしよう」と述べられたそうだ。
 その後、宮様が大倉喜七郎男爵に口添えされたことによって、資金が提供されジャンプ競技場が完成を見たということだ。(大倉山と命名された由来でもある)

        
      ※ 1972年の札幌冬季オリンピックの聖火リレーに使用されたトーチです。

 大倉山は1931年に完成以来、度々改修され現在のような姿になっているのだが、現在設置されているジャンプ台の器材を持ち込まれてクイズ形式で講師から問われた。
 写真のものは私も現場で見ているので直ぐに分かった。ジャンプ台のランディングバーンに敷かれているマットである。夏期間の雪がないときでもスキージャンプができるようにとこのようなマットが敷き詰められている。
 その名称が面白い。「ラーメン状マット」というそうだ。一本一本の線がわずかに縮れ状になっていて散水したときの水を少しでも留めるための工夫だそうだ。最初に開発されたのは真っ直ぐなものだったので「ソーメン状マット」と称したそうだ。(面白い!)

        

 次の写真のものはまったく分からなかった。写真では分かりづらいかもしれないが、陶器製のものでノルウェーでしか製造されていないということだ。

        

 答えは、ジャンプする前のアプローチに敷かれている部材だということである。名称は「スノーチャイナ」というそうだ。これも雪のないときにスキーを滑らせる工夫である。板状の中に点々が見えるが、水を流したときに水が一気に流れてしまわないための工夫だということだった。

 その他にもいろいろと興味深い話を聞くことができたが、ここでは割愛する。
こうしたことを伺うことによって、ジャンプ競技の観戦がより興味深くなってきた。今シーズンも大倉山に通おうか?(というほど通ってはいないのだが…)

もっと夢を語ろうよ!

2010-12-12 22:02:43 | その他
  断続的にレポートしている以前職場を共にした仲間の同期会(私たちは「アメーバOB会」と称している」であるが、楽しく過ごした翌朝、この会のメイン行事であるレポート報告会に臨んだ。そのことで…。
 

        
        ※ 今回参加した4名の会員が一同に写した唯一の写真です。

 アメーバOB会については、これまでも年末行事としてこのブログで何度もレポートしているので重複を避けたいと思います。もし興味のある方はそちらを参照ください。(2006年分 、   、2007年分 、  、2008年分 、2009年分 

 レポート報告会は、それぞれがこの一年間に起こった職務上のこと、私生活上のことを報告するするとともに、今後への展望をそれぞれレポートにして発表し、交換し合うというものです。
 今回も某ホテルの一室でおよそ2時間半の時間をかけて行いました。
 そこでの内容が私にとっては少しだけ不満が残ったということなのです。

 メンバーは私を除いては皆まだまだ現役で、それぞれが学校現場で、あるいは教育行政の現場で管理職として厳しい現実に日々立ち向かっている人たちです。
 その彼らのレポートとは…。
 厳しい現実に日々立ち向かっているだけに、彼らのレポートは申し合わせたように、その現実にいかに立ち向かい解決しようと努力しているか、というものでした。
 そのレポートを聞きながら自分の現役時代を思い出し、彼らがいかに厳しい現実に真摯に立ち向い奮闘しているかということが痛いほど伝わってきました。

 しかし、私の不満はこれからなのです。
 彼らは厳しい現実に立ち向かうことだけに汲々としてはいないか、ということなのです。
 教育とは「子どもたちに夢を与える」仕事である、と私は思っています。だとしたら教える側が夢を語らずに、子どもたちに夢を与えることができるのか、と私は思ってしまうのです。

 教育の世界がそんな単純なことではないことは誰よりも私が知っています。
 しかし、だからこそ厳しい現実の中でも“夢”を忘れないでほしいと願うのです。
 「厳しい現実だがこんな学校を実現したい」「教育現場には問題が次々と起きているが子どもにはこんな夢を語り続けたい」…、そのようなレポートを私は期待したいのです。
 “夢”を語ることができるからこそ明日に希望が持てるのです。

 それじゃお前はどんなレポートを彼らに提示できたのか、という当然の問いがあるでしょう。
 私のレポートはそのことに十分応えられるものではなかったけれど、自分のこれまでの実践を報告しながら、「地域や社会と繋がっていけるような生き方を模索したい」と述べさせてもらいました。
 彼らと“夢”を語るために、私は彼らに届ける年賀状にはそんな私の思いを添え書きしながら届けたいと思っています。