田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

リオパラリンピック選手・宮崎哲と母親

2018-01-12 21:55:13 | 講演・講義・フォーラム等
 たとえ障がい者スポーツといえども、パラリンピックに出場するような選手はアスリートそのものだと知った。ただ、障がい者スポーツの場合、家族をはじめとする周囲のサポートが何より重要であることを母親が語った。 

       

 1月10日(水)午後、北海道立特別支援教育センターにおいて「特別支援学校指導技術研修講座・公開講義」ちょっとお堅い名称の講義あり、参加した。
 講義は、リオパラリンピック水泳競技(200m自由形)に出場した宮崎哲選手と彼の母親が「子どもたちの豊かな生活のために」と題してお話しされた。

 宮崎哲さんは現在25歳で、自閉症と発達遅滞の障がいを持ちつつ、パラスポーツ(水泳)で活躍するアスリートである。札幌に生まれ育ち、中学・高校と養護学校に学び、現在も札幌在住で「あいおいニッセイ同和損保会社」で働きながら水泳を継続しているとのことだ。
 宮崎選手は、母・義恵さんの方針もあって小さなころからさまざまなスポーツに取り組ませたそうだ。そんな中で特に水泳には力を入れて取り組んだところ、障がい者スポーツの世界で徐々に芽が出るようになり、高校2年のときに全国トップクラスに躍り出たのを期に、パラリンピック出場を目標に定めたそうだ。

               

 以来、専属のコーチ(北海道青少年会館の小野正之氏)にも付いてもらい、本格的に競技に取り組んだ結果、2012年のロンドンパラリンピックは惜しくも出場を逃したが、昨年のリオパラリンピックは見事国内予選を突破し、200mでパラリンピック出場を果たした。
 講義では動画を流していただいたが、説明されなければトップアスリートが競泳で競っている姿となんら違いがない。母の義恵さんも語っていたが、当然健常者の記録には及ばない、ということだったが私にはアスリートそのものの泳ぎと映った。

 宮崎選手は現在、JOCのアスナビの斡旋によって、「あいおいニッセイ同和損保北海道支社」に勤務して、9時~15時まで事務補助として従事し、その後トレーニングに明け暮れる日々ということだった。
 宮崎選手がJOCのアスナビの対象となったのも、パラスポーツ界のトップに立ったことと、あいおいニッセイ会社の理解によって実現したようだが、母・義恵さんは大変感謝していた。

 さて、宮崎選手はリオオリンピックにおいて、自己ベストを更新することと、決勝に残ることを目標に臨んだのだが、惜しくもその目標には届かなかった。
 現在の彼の目標は来る2020年の東京パラリンピックに出場し、その二つの目標を叶えることだという。そのためにまた厳しい鍛錬が続くようだ。

               

 講義の中で、リオパラリンピックのこと、今後のこと、等折々に宮崎選手が綴った作文が読み上げられ、それを母・義恵が補足するという形で進められた。
 東京パラリンピックの出場を得るのは、年齢のこともありかなり高いハードルだとも聞いたが、ぜひ頑張ってほしいものである。

 講義題の「子どもたちの豊かな生活のために」について義恵さんは、障がい者の場合は何より家庭での親子の在り方が問われるという。さらにはそれを取り巻く周囲の方々。彼の場合は、養護学校の先生方、水泳のコーチ、等々。それらに恵まれたことが大きいと義恵さんは語った。何より、傍につきっきりだった母・義恵さんの存在は大きいようだ。
 義恵さんは、これからも宮崎選手への全力サポートを誓った。