駒子の備忘録

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『リア王』

2024年04月01日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京芸術劇場プレイハウス、2024年3月27日18時。

 退位を決めたリア王(段田安則)は三人の娘に領地を譲るにあたり、誰が一番自分を愛しているか試そうとする。長女ゴネリル(江口のりこ)と次女リーガン(田畑智子)は言葉巧みに甘言を弄するが、三女コーディリア(上白石萌歌)は言葉少なに正直な思いを語るばかり。激昂したリアはコーディリアを勘当し、諫める忠臣・ケント伯爵(高橋克実)をも追放する。一方、グロスター伯爵(浅野和之)の庶子エドマンド(玉置玲央)は兄である嫡男エドガー(小池徹平)を謀略にかけ、追い出すことに成功し…
 作/ウィリアム・シェイクスピア、翻訳/松岡和子、演出/ショーン・ホームズ、美術・衣裳/ポール・ウィリス。全2幕。

 私としたことが直前に確認せずうろ覚えの記憶でPARCO劇場に向かってしまい(企画・製作がパルコでした…)、アタマ15分を見逃すという失態をかましてしまいました…しょぼん。まあ話はだいたい知っていたので大丈夫なんですけれど。ただ、演劇として観たのは初めてかと思います。
 舞台はちょうどエドマンドが父親に兄の讒言をしているところ。グロスター泊は素敵なスーツ姿で、エドマンドはフードなぞ見えるもう少しカジュアルな格好で、でも要するに現代的な服を着ています。のちに現れる(というか最初の場面にいたのでしょうが、そこは私は見逃した)三姉妹はピンクのワンピース姿。セットや装置はほぼなくて、オフィスチェアみたいなのが何客かあるばかりという、モダンでスタイリッシュな舞台なのでした。
 でも、あたりまえでしょうが脚本はシェイクスピアのもの、ママだったんだと思います。つまりどんなに訳に工夫が凝らされようと、現代の日本人がわかるとかおもしろいと思うとかの整合性や納得、共感は得がたいのではあるまいか…イヤ単に私の教養がないだけだったらすみません、なのですが。
 イヤやってること、描かれているはわかりますよ? 人間の老いとか、愚かしさとか、人生の悲しさ、虚しさ、かすかな希望…みたいなことかと思います。それはわかるし、いいなとも思うんですけれど、それを描くのに本当にまだこの戯曲が必要なのかな、他の形でも描けるんじゃないのかな…などと、私なんかは思ってしまうのです。
 まあこりずに『ハムレットQ1』なんかもチケットを取ってあるわけですが、それを最後に、バレエやミュージカルになったものでなければシェイクスピアはもう観ない、何故なら私にはわからないから…と決めてしまってもいいのではないかしらん、とも思いました。でもまだ観ていない演目ってあたりまえですがたくさんあるし、田中圭がいつか吉田鋼太郎とやりたい、とか言っているからなあ…まあ、決めつけなくてもいいのかな。またキャストなり演出なりに惹かれて出かけては、玉砕する未来が見えます…
 今年の大河ドラマ『光る君へ』では三兄弟の父ですがこちらは三姉妹なのだな、など思う段田安則、ホント自在の老王、老翁っぷりでした。あとスーツ姿がやっぱり素敵。三十年前、蜷川さん演出ではエドガーをやったんだそうですね。そういうの、素敵ですね。今回も演出家にシェイクスピアなら何をやりたい?と問われてロミオと答えたそうですが、リアになったと(笑)。いいと思います。
 浅野和之もホントにスーツ姿が素敵でさー! それを楽しむ舞台かと思いました。もちろん高橋克実も。おじさまのスーツは至高ですよ…!
 コーンウォールの入野自由、オールバニーの盛隆二も上手くて素敵。道化は平田敦子、オズワルドが前原滉。アンサンブル含めて役者はみんな達者でノーストレスでした。
 プログラムが素敵なのも印象的でした。










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