駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『BLUFF』

2024年09月18日 | 観劇記/タイトルは行
 東京芸術劇場プレイハウス、2024年8月30日15時(初日)、9月1日11時、5日15時。
 宝塚バウホール、9月15日15時。

 1950年代のアメリカ。天才詐欺師ドノヴァン(風間柚乃)は、生まれ育ったスラム街の医師である恩師が殺害されたことを知る。恩人が街の再開発反対運動の先頭に立った矢先のことだった。おそらく都市計画の区画整理の利権をめぐって、甘い汁を吸おうとしたマフィアが絡んでいるに違いない。仲間とともに復讐を誓ったドノヴァンは、綿密な調査と準備のあと、この街のボス・メンデス(佳城葵)を標的にいよいよ計画を実行するが…
 昨・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/高橋城、高橋恵、振付/謝珠栄。1990年に初演されたアドベンチャー・ロマン、待望の再演。

 私の月組は94年『風共』からなので、初演に間に合っていません。ハリーが当時のミューズ・ノンちゃんに当て書きした別箱傑作のひとつ(『WANTED』は観ています。実況CD激愛聴しています。こちらも再演希望! かりんうたちでどうよ!?)、という認識で、多分主人公像はクールなようでいてハートフルな詐欺師でときめきマックスなんだろうし、でも他にはヨシコの瓶底メガネ姿からの美しい変身っぷりくらいしか知らず、なのでずっと映像か再演を観たい、と思ってきました。記録映像程度しかないのか、スカステではこれまで放送されたことがなかったと思います。「こだセレ」なんかで一部シーンが抜粋されたくらい? なのでオチの駅のシーンのやりとりは知っていましたが、とにかく全編観てみたかったので、再演の報には小躍りしました。
ブエノスアイレスの風』もよかったけれど、おだちん、イヤおださん、イヤイヤもはやおださまにはぴったりだろうと思いましたし、そのときから相手は俺たちのまのんでおなしゃす!!と強く強く念じてきました。振り分けから絶対そうだよね、と思いつつ、配役が出るまで騒がずじっと念じて待っていましたよ…! イヤみちる待望論とかもありましたからね、わかるけどね。まのんたんも『ロマ劇』新公ヒロインで彗星のように爆誕して以降、意外にもものすごく扱いがよかったわけでもないので、組ファンでも別箱ヒロイン(かつ東上)にはちょっととまどうのかもしれない…くらいなことは私も感じていたのです。でも大丈夫だから! 可愛いししっかりしているしアニメ声だけどカマトトじゃないの深いええ声も出せるのいい子なのできる子なのよー!!とずっとひっそり主張してきたのですよ…月組は新公ヒロイン経験者におはねもりりもみかこもいて、なんならより下級生の乃々れいあちゃんまで誕生しちゃって激戦区のひとつですが(例・星組)、でもホント月には稀な(オイ)可愛い子ちゃんですし真ん中力あるんですよココいきましょうよ頼むよ劇団…!とホントずっと祈ってきました。む、報われたよ…!!! ありがとう月P、もうもうときめきマックスボンバーでした(ナニそれ?)!!!!
 当初の予定より一回だけ追加できましたが、なんならもっと本気で予定空けておいてチケット探して芸劇全通したかった、それくらい意気込んで準備しておいてもよかった…と思えたくらい、好きな作品でした。何度観ても飽きなかったし、毎回ラストにシャロン(花妃舞音)が「♪流れる時は~」と歌い出すと泣いていたし、脚本の過不足もほぼなく(メンデスの「うちのシマから出て」云々は「模造ダイヤが/偽ダイヤが」と主語を足してもいいかもな、と思ったくらい?)、とにかくよくできていると思っています。
 まあ、地味かな、とか、あまり宝塚歌劇らしくない、とか、もっと違うタイプの作品の方が好み…という意見もあるだろうとは思いますし、私も別にこれこそが最高傑作!と言いつのる気はないのですが、とにかく私は大・大・大好きです。私がそもそもハリー・ファンだってのもありますけれどね。ハリーは革命とか紛争とかを描くパターンと、詐欺やコン・ゲームを描くパターンがありますよね。その後者の傑作のひとつでしょう(例・『メラジゴ』。駅でトランクのオチとか、好きなんだねハリー…)。
 史実などがもとになっている、とかもない、正真正銘のオリジナル作品だってこともホント素晴らしく、誇らしいです。数々の掛け合いソング含めて、城先生の楽曲がまたいいんですしね…! 合掌。ああ、だから宝塚歌劇は見限れない、と思ってしまったのでした…

 さて、おださんですが、てか「おだちん」のイントネーションが普通思うのと違うよね…まあご本名由来の愛称だし昔からそう呼ばれているんだろうからそれが正しいんだけど、私はもう脳内では「織田さん」「小田さん」みたいなイントネーションで呼んでいます。それはともかく、なんせ前主演作がアレすぎたと私は考えているので、いいお役、いい演目がめぐってきてホントーによかったです!
 また、なんせできすぎる嫌いがあるくらいなので、本公演だとどうしてもおもしろくなっちゃう役をやらされがちな気もしなくもないのですが(これからはバリッとした悪役なんかがたくさん観られるとまたおもしろいと思うなー!)、基本的にずっとカッコいい役、というのがやっと来てホントよかったと思います。本人もテレやさんなのかついおちゃらけがちなんだろうけれど、いいのよアナタはカッコいいんだからもっとカッコつけていいのよスターとしてもうそっちに振りきっていくべきポジションよ…!とかも思うのです。
 でもドノヴァンはカッコいいけれど、別にクールでスカしたタイプのキャラじゃないところがまたいいんですよね。天才詐欺師で、能力は高いんだけれど、人間としてはフツーというか、ちゃんと仲間意識とかの情もある。むしろクールになりきれない熱さや優しさを持っているキャラクターです。非情になりきれないし、諦観しちゃったりもしていない、すごく人間くさい主役像を、見目はバリッとしたスーツ姿でカッコよくキメてくれる…これが実に爽快なのでした。
 初日はほとんどノー情報で観たので、正直ハニトラの女衒ってどんな天才詐欺師だよ…と困惑したことは告白しておきます。シャロンをナンパしたのは、一目惚れ…ではないし、同情したのか、磨けば光ると踏んだのか、ジュリアに似ていると見抜いたのか…メンデスを引っかけるためにもうひとつ強いものが欲しい、と考えていたのは事実で、そこに彼女と偶然出会って、これだ!とひらめいたのかもしれません。
 そのあとも、結局彼自身も自分の恋心には無自覚だったのでしょうか…あえて「住む世界が違う」と身を退いている感じでもないですしね。スラムで育った少年時代から、モテなかったはずはないけれど、本人は意外と唐変木属性だったのかしらん…幼なじみなのだろうレディ・ディ(羽音みか)だって結局彼に行かず、マローイ(高翔みず希)とくっついてるんですもんね。浮世のアレコレを早くにたくさん見過ぎて、ちょっと早く大人になってしまった青年で、もしかしたら初恋もまだ、何もかも投げ出せるような恋もまだしたことがない…ような青年なのかもしれません。シャロンとは多少歳の差があるのかな?とも思いますが(人生経験の差はもちろん)、それもまたいいですよね。
 ブティックで変身したシャロンにちょっと「おっ」となって、レッスンが進んで、ナイトクラブで守備よくメンデスと会って…(この一連の流れの演劇的な素晴らしさは出色)奥で驚いてあわあわしているロジャー(彩海せら)もいるけれど、ただ背中を見せて待機しているだけのおださんドノヴァンだってココ、めっちゃなんか漂うものが出ていましたよね…! それがあの「尾行の方が多いネ」につながる。もちろん計画の推移への心配もあるしシャロンが上手くやれるかの心配もある、でもそれ以上にシャロンが傷つけられないかを案じているんです。身の安全と、それ以上の…それはもう、気遣いとか思いやりを超えて、ちょっとは恋でしょう。でもとりあえず復讐のシナリオを進めることに邁進してしまう、そんな唐変木ドノヴァン…エモ!
 第二幕S10は芝居としてホント白眉ですよね。ここはシャロンとロジャーが住む家ではなく、ドノヴァンたちが借りた部屋かなんかなのでしょう。そのあとの公園でのロジャーのリプライズ(笑)まで、完璧な流れだと思います。こんなホンが書けるだなんて、すごいよハリー…!(知ってた、それはそう)
 ここでシャロンはもう恋する女の視線をしっかりドノヴァンに向けているけれど、ドノヴァンはまだ自覚できていない。でもこのウザがり方とかはポーズだもん、てかおださんの演技がそうなっているんですよね。この解釈は正しいと思う。最後にドレスの試着に誘う姿の、なんと甘く紳士的なことよ…! それはもう立派に恋なのに…!! だってそのドレス、めっちゃウキウキ真剣に選んだんだと思うんですよねドノヴァン! どれがシャロンに似合うかな、どの色がどのデザインが…ってさ。そのときはマレーネとしての役作りなんて考えてなかったんじゃない? エモ…!
 事がなって、さあ撤収、解散!ってなったときに、シャロンと目も合わさずに去って行くのは、早く離れて自分と一緒にいない方がシャロンは安全だ、と判断した…というのももちろんあるだろうけれど、怖かったからでしょう。自分が彼女に引き寄せられるのが、恋で自分が変わることが…そりゃシャロンは幼く見えても危なっかしそうでも立派な大人だし、メンデスの脅威がなくなればこの先もひとりでも問題なく生きてはいけることでしょう。でもド近眼なんですよ、それっぽいスーツの男をドノヴァンと間違えてすり寄ってっちゃうんですよ…(笑)それで、見かねて声をかける。それはもう、降参なのです。「一緒に持ってくぞ!」は脅しにもなんにもなっていないのです。はー、好き!!!
 ハグだけでキスもない、好きだとも結婚しようとも言っていない。でも「風に揺れたたずむ木々たちのように」、いつか永遠に還る日までをともに過ごそうと歌う…それは極上の愛の誓いなのでした。いやー、ハリーってホントーにロマンチストですよねえぇ…!
 でも大楽のフィナーレのラストは、ニコニコあおのくまのんシャロンのおでこにチューくらいしてもいいぞ! 許す!! ただカテコもあるからアイリーン(彩みちる)がメンデスにしたみたいにべっちょり口紅つけるのはナシで!(笑) 楽アドリブなんて要らないくらいにウェルメイドな作品だとは思いますが、それくらい、それくらいはしてくれてもいいのよ…! てか、して…!!(そしてニュースでノーカットで放送して…!) 

 さて、まのんさんです(あっ、「さん」付けはヤバいヤツ…!)。愛蘭みこたんがご卒業してしまい、あとは雪組の愛空みなみ、星組の詩ちづるや瑠璃花夏、鳳花るりな、乙華菜乃あたりの顔が好みで観劇時にはついつい探して観ているのですが、やはり素敵な作品、素敵な役に当たると愛が増大するのでアタマひとつ抜けました…! はー、好き!! 本公演のショーではまだ二列目端っことかにいるけど、これでもう少し扱いが良くなると私が喜びます!
 シャロンというヒロインは、いわゆる「ドジでノロマなカメ」キャラなんでしょう。両親はもういないのか何故いないのか…は語られていませんが、ロジャーと姉弟ふたりでずっと貧乏暮らしをしてきたようです。成人していても学歴がないのか、はたまたミスばかりでしょっちゅうクビになって底辺の仕事にしか就けなくなっているのか…ロジャーもグレていつしかいっぱしのギャンブラーを気取るようになって、働くどころかいかさま賭博に引っかかって監獄に行く始末です。
 瓶底メガネを外したら美人、とか磨いたら綺麗に、とかはまあベタではありますし、本当はそこからが人生の勝負なワケですが、シャロンにはそこで一歩踏み出す勇気、そして怖くてもやり遂げる根性があったんですよね。そこがいい。そしてまのんはそんなシャロンの人間性をちゃんと理解して、丁寧に演じていたと思いました。演じる人自身が役を貶めて考えない、大事なことです。
 最初に歌うのが「時間が早すぎて追いつけない」みたいなのもすごく可愛いし、わかる。別に愚鈍なわけじゃなくて、ただちょっと世間の方が急ぎ足すぎるんですよね。今まではつらすぎた、これからも同じなんて耐えられない、でもどうしたらいいのかわからない、でも変わりたい…だからドノヴァンの手を取ってみる。途中、やっぱり怪しいのでは?とアジトに話をしに行き、怖くなってしゃがみ込んで泣き出しちゃうけど、でも立ち上がる。奪われたこと、失くしたことがないはずはない、怒りがないわけはない。戦ってみる勇気、踏み出す勇気、つかみ取ろうとしてみる勇気…真面目で、素直で、わからないことは聞く。聞いてもわからないことも多いけれど、考えてみようとする。そのひたむきさに、百戦錬磨の天才詐欺師ドノヴァンもいつしかほだされたのかもしれません。復讐の念に凝り固まった…というほどではないにしても、まずはそれを第一に考えていた彼にとって、思わぬ出会いとなったことでしょう。
 ナイトクラブでのおださんドノヴァンとのダンス、楽しそうでホント可愛かったなー! このボルドー色のドレスは新調かしらん? そしてメンデスと対峙してマレーネになったときの、声音のになんと艶やかなことよ…!(てかここのメッセンジャーの粋さよ…! こんなの古の高級ホテルのラウンジとかでしかやっていないものだと思っていました。ハリー…!)
 あとモノクロ千鳥格子のワンピース姿、ボディスがみっちりでお若い娘さんらしくていいな、娘役ちゃんはこのあとくらいからガンガン痩せていってペラッペラになっちゃうからな…とか思ってうっとり愛で眺めていたのですが、バウではもうみっちみち具合が薄まっていたようで、ちょっと寂しいくらいでした。イヤ綺麗になろうと絞っているのか、体力的に大変で痩せちゃってるのかは謎ですが…後者なら心配ですが。ともあれこれから娘役さんとしてさらに綺麗に磨かれていくんだろうなー、と思うともうワクテカです!
 この先は、マローイとレディ・ディがやるという店にいれば、ドノヴァンが来るかもしれない…となって「じゃそうしよっかな」と言うときの口調、ホントたまらんです! マレーネのときの芝居がかった女言葉もたまらん。ラストにメガネを外されたときの「嫌…」とか可愛すぎて血ヘド吐きそうでした…でもカマトトじゃないんだよー!!
 デュエダンもホントお似合いでした。おださんがずっと笑って目を合わせてくれていて、まのんもめっちゃ嬉しそうで幸せそうで…ラスト、舞台奥に向かって並んで歩いて行くところで、最後にドノヴァンの肩にこてんと頭を倒すシャロン、ぎゃわゆいぃ…!
 初日は、フィナーレは別の新しいお衣装でも…とも思ったのですが、最終的にはほぼ役として終える感じなので、やはりこれで正解なのかな、と考え直しました。フィナーレの構成は初演と同じなのかなあ? 男役、娘役とも何グループかに分かれて順々に出てきて、組んで…みたいな流れが素敵でした。お約束化した拍手がむしろ入れづらい流れになっているのも、とてもいいなと思いました。あと男役×椅子は正義!
 最後、センターの椅子にまのんシャロンが座って、傍らにおださんドノヴァンが立って、椅子の背に置いていた手をシャロンの肩に移したりして、まのんがニコニコあおのいて、客席に微笑んでいたおださんが最後の最後、緞帳が下りるのと同時にまのんの方にうつむいて笑いかける…エモ!
 レビュー本でも語っていましたが、『エタボ』新公エイデンとかもすごく良かったし、これからさらにいろいろなお役に恵まれるといいな、と思います。そしてトップ娘役になってくれ、会を立ててくれ、入りたい、しゃがんで応援したいよ…!とまで、私の愛はつのっているのでした。

 ロジャーのあみちゃんは、絶品です。うん、みんな知ってた。この人も前主演作がそんなには…だった気がするので(悪くなかったけど、あみちゃんの良さや持ち味を生かしていない気が私はしました)、次はいい作品に恵まれますように、と念じています。あとは、ここはおだぱるあみと一期違いダンゴなのがこの先けっこうしんどくなると思うので、劇団はちゃんと考えてください、とも念じています。
 ロジャーは初演のバウと青年観では配役が変わっていますが、思うにそもそも二番手格というほどの役でもないくらいだったんじゃないのかしらん…でもあみちゃんが上手いんで目立つし、いいアクセントになっているキャラクターなんだと思います。
 タイトルのブラフ、というのはそもそも彼の通り名ですしね(自称だけど)。クライマックスで彼が観客と一緒にだまされる、それが肝の作品ではあり、そういう意味では大きなキーパーソンです。あみちゃんはホント上手い、何もかも上手い。滑舌も間も歌も素晴らしい。最後にキティ(乃々れいあ)とダッチ(彩路ゆりか)を見送るぽかん顔で笑いが取れるのも素晴らしい…!
 でもホント、最初にドノヴァンに突っかかっていくところのチンピラぶりってひどいと思うんですよ。姉の心配なんか全然していなくて、儲け話があるなら自分も乗りたいってだけなの。それか、脅して強請って取れる金は取りたいってだけの、ホント下種。ハリーの台詞が上手いしあみちゃんの芝居もホント上手い。なのである意味ラストにキティにフラれるのは当然だし、今度こそ本当に姉は家に帰ってこないので、そこで性根を入れ替えて新しい人生を始められるかが彼にとっては肝なのです。がんばれよー! このしょーもなさと愛嬌とを絶妙にバランスで演じるあみちゃんはホント素晴らしいです。口笛の下手さはそれこそご愛敬(笑)。本公演のショーではもっと歌手枠で起用されていくといいんじゃないのかなー、などと思ったりもしています…余計なお世話かも、ですが。

 さて、物語にはいいセカンドカップルが必要なものですが、裏主役というかMVPというか…は間違いなくメンデスのヤスちゃんとアイリーンみちる夫婦でしょう。イヤ上手い、ホント上手い、ここにこのふたりがいてよかった。再演はおだまのんを待ってのものだったかもしれないけれど、ヤスみちるも待ってのものだったのだろう、とも言えると思います。
 あんなにギャンギャンしてても台詞がクリアだし、喉に負担をかけている感じもしないのがプロの技だし、あの痴話喧嘩からの真顔のタンゴとか素晴らしすぎますよ…!
 そしてアイリーンの、使えない部下をあっさり毒殺しちゃう非情っぷり…チャーミングなようでいてやっぱりきっちり悪役、ということを見せる意味でも素晴らしいエピソードでした。一方で、キティに対してなんの疑いも持たずにただ可愛がっていたのも本当のことなんでしょうしね。人間の多面性を描く、いいホンです。靴は…まあ、どうだろう(^^;)。
 アイリーンの人生のモットーは太く短く、なワケですが、ところで主題歌の歌詞の「♪一度きりの人生を委ねるシナリオはロングバージョン」って、どういう意味なんでしょうね…プランBとかCとかがあらかじめあるもの、ってこと? それとも細く長い人生を想定しているってこと…?(^^;)
 ゴッドファーザーの姪に惚れて、入り婿みたいな形でボスをやっているメンデスですが、これまたへっぽこだったりチャーミングに見えてもやっぱりマフィアはマフィアなのでしょう。ただ、ドノヴァンたちは殺しはしない、裁く権利は自分たちにはない、ただお宝を取り上げて目にもの見せてやりたい、恩人の敵討ちをしたい…とだけ考えています。自分たちがやっていることは詐欺であり、立派な犯罪で、そういう意味ではメンデスと五十歩百歩だとわかっている。正義のヒーローではない、敵討ちをしても恩人は帰らない。それでもやる…という意思のもとに団結しているチームなのでした。そのすがすがしさと、メンデスのしょーもないへっぽこさとのバランスもまた秀逸でした。
 イヤしかしマレーネとの逢瀬を思って口髭を撫でつけてニヤけるだけで笑いが取れるんですよ、ヤスちゃんはマジで月組の至宝…! なるべく長くいてね…!!
 みちるも『エタボ』に続いてちょっとエキセントリックな役が来ちゃったけれど、もっといろいろできることも知っているし、娘役人生なんて下級生がトップになってからが華ですよ。期待していますから…! 長くいてね。

 チーム・ドノヴァンはまずマローイのさおたさん。初演は再下級生で出ていたというんだからエモですね…! つい出るイタリア語、という台詞はあるんだから、イタリア訛りを表しているのだろう変な語尾はなくしても…と思わなくもなかったのですが、これまた絶妙な愛嬌になっているからなあ…チームの中では年長者なのに、ステディなパートナーなのだろうレディ・ディの尻に敷かれ気味なのもとても良きでした。
 みかこも、私は本質的にはショースターだと思っていて演技はこれまでちょっと物足りなく感じることが多かったのだけれど、こういうお姉さんポジションのキャラはニンだろうし、ハマっていてとても素敵でした。一幕ラスト、レディ・ディがいてシャロンはホント安心したと思うんですよね。あそこで強面のおっさんお兄さんばっかだったら飛んで逃げ帰っていたことでしょう…
 でもバニーガールのところは、耳か尻尾をつけてもよかったと思うぞ!とだけは言っておこう…だってバニーじゃなかったじゃん! プログラムで見てめっちゃ期待していたのに!!(笑)
 まひろんはいつでも上手いし、この中だとコステロ(真弘蓮)はちょっと背が低くてひときわ強面で、先輩格のキャラとして立っていたと思いました。逆にシドー(瑠皇りあ)とアヴェリー(雅耀)はもうちょっと差異というかキャラ立てが見えるとよかったかな。どっちも二枚目枠だから…運送会社云々のくだりは、ちょっと萌えました(笑)。
 あと私あやっツィー大好きなんですよ、声も顔も好き。スタイルもいいよね! なのでカジノのダンスで端っこにいて、学年順ならセンターでは!?といきり立ったんですけれど、これはこのお役の設定のためだったんですよね…! イヤよかったわーーー!! 途中、ドノヴァンが電話していたのは彼にかな?と思いました。ところでハリー、バーテンダーのことはバーテンと略さずちゃんとバーテンダーと書くように!
 娘役陣ではみうみんとほたるちゃんが好き。ブティックのハウスマヌカンとか、二幕のパウダールームの場面とかウハウハでした。でも陰のMVPは天愛るりあちゃんだったと思う…! バニーガールのお歌といい不二子ちゃんワンピといい、爪痕を残しまくっていたと思いました。ちょいちょいシドーといちゃいちゃしてるのもよかった(笑)。華やかな美貌で、イイですよね! 使っていこう!!
 新進の乃々れいあちゃんもホント達者です。声が野太いのは役作りなのか、もともとなのか? でもこのお役は変に可愛くやらない方がいいと思うので、大正解だったと思います。シガーガール衣装の花屋姿もなんてご褒美かと…!
 和真くんや翔くんは、もう少しいい声だと個人的には刺さるなー、と思ったり…でもしっかり芝居していましたよね、さすが月組。スカステで見て可愛いなと思った八重ひめかちゃんを識別したかったのですが。目が足りませんでした。無念!

 あーん配信見たかったなー、映像だとどんななのかなー。ほのかちゃんの先日の主演作も円盤化されるんだし、これもされますよね? 持っていたい、何度でも見たい。ナウオンもいい雰囲気でニマニマ見ました。
 良き大楽を迎えられますよう、お祈りしています。全休になっちゃっただい亜、しっかり治して帰っておいでね…!










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『A NUMBER』『WHAT IF IF ONL』

2024年09月14日 | 観劇記/タイトルあ行
 世田谷パブリックシアター、2024年9月11日18時。

 1幕は25分ほどの『WHAT~』。愛する人を失って苦しみの中にいる某氏(大東駿介)は、もしもせめてあのときああしていたら…と果てしなく続く自分への問いかけと叶わぬ願いを抱えている。そこへ起きなかった「未来」(浅野和之)が現れて…
 2幕は65分ほどの『A NUMBER』。ソルター(堤真一)の息子バーナード(瀬戸康史)は、自分にはコピー、つまりクローンがいるらしい、というショッキングな事実を知るが…
 作/キャリル・チャーチル、翻訳/広田敦郎、演出/ジョナサン・マンビィ、美術・衣裳/ポール・ウィルス。Bunkamuraの海外演劇シリーズ「DISCOVER WORLD THEATER」第14弾。
 途中まで観てやっと「あれ? 私コレ観たことあるな」と思った『A NUMBER』の、前回感想はこちら
 今回はチャーチルのふたり芝居(『WHAT~』にはもうひとり、子役も出ているけど)のダブルビル、みたいな企画だったのでしょうか。でもトータル110分の上演時間なら18時半か19時の開演でもよかったのでは…子役(この日はポピエルマレック健太朗)がカテコまでいるにしても時間は大丈夫だったのでは…とは、思わなくもありませんでした。
 舞台は、あちこちに立方体の箱が吊られていて、そのひとつひとつが部屋というか家というか物語、というイメージなんだと思います。中央の大きな箱の蓋が持ち上がると(ホールケーキの箱の蓋みたいな感じ?)某氏のダイニングキッチンだったり、ソルターのリビングだったりします。某氏の家には扉も窓も冷蔵庫もあってそこから過去や現在や未来が出入りするのですが、ソルターの家には窓も扉もないただの壁で、閉塞感があるのが怖かったです。
 ただ…『WHAT~』は、喪失感が癒やされていく話…なんだと思うのですが、短すぎるし、愛した相手を自殺で失った者の悲しみがそんなに簡単に癒やされるもの?と思ってしまい、正直ピンときませんでした。これを浅野和之がやる意味があったのだろうか、とかも…そもそも戯曲では某氏は若い女性を想定していた、ともありましたし…うぅーむ。偶然にも、作者もこれを書き上げた一年後にパートナーを亡くしたそうですが、私はそうした身内や親しい人を亡くした経験がこの歳までほぼないので、こういう喪失感が想像つきづらい、というのはあるのかもしれません。祖父母とは疎遠でしたし、近くて何度か遊びに行ったお友達のお母さんが交通事故で亡くなったくらい…? 今から親との別離を思ってどんよりしているていたらくですので…
 そして『A NUMBER』は、以前観たものの方がソルターが精神的マッチョで、全体として皮肉な、怖いお話になっていて、よかったような気がしました。今回の演出は、ソルターをもっと普通の、なんなら紳士的な、ちょっと気の弱いいい人…っぽく描いている気もしましたが、それは堤真一のキャラのせいなのかしらん? でもこの人だって高圧的な芝居をしようと思えばいくらでもできるわけでさ…やはりそういう演技プラン、演出ってことですよね? ラスト、映像でわらわらと現れるいろんな格好をしたいろんなバーナードに呆然とするソルター、という図は彼を哀れにも思わせました。でもソルターがどんなにしょんぼりしようと、マイケルはともかくB2のショックとかは癒やされないんだと思うので、そういう見せ方はちょっと違うんじゃないの?と私は思わなくもなかったのです。
 あとなんか翻訳も違和感があったかも。そもそも不完全な、だからこそリアルな文で書かれた脚本だそうで、現実の会話ってそういうものだとも思うんだけれど、それにしても繰り返しとかブツ切れ感とかが多すぎやしなかったかしらん、と感じてしまいました。プログラムにあった「戯曲の翻訳は『作家が伝えたい言葉』ではなく、『作家が舞台上で何かを起こすために書いた言葉』を翻訳する作業」だ、という言葉にはとても納得するんですけれど…うぅーむ。
 でも、芝居巧者ばかりのがっつり芝居がぎっちり楽しめる2時間、よかったです。子役がダブルキャストなので、3組の「ふたり」が置かれたスタイリッシュなポスターも印象的でした。タイトルの公式表記がすべて大文字なのか、小文字混じりなのかは統一していただきたかったと思いますが…
 福岡まで行くんですね、どうぞご安全に!









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『モーツァルト!』

2024年09月12日 | 観劇記/タイトルま行
 帝国劇場、2024年9月9日17時45分。

 2021年にゆんゆんヴォルフガングで観たときの感想はこちら、14年にヨシオと1936で観たときはこちら、05年にアッキーで観たときはこちら
 毎度、「なんかおもしろさがよくわからない…もういいかな……」と思いつつ新キャストに惹かれて行く、ということを繰り返している気がします。今回はきぃちゃんコンスが観たくて出かけてしまいました。あ、あとしーちゃんのアロイズィアもね!
 この日はヴォルフガング/京本大我、ヴァルトシュテッテン男爵夫人/涼風真世、アマデ/白石ひまり。他の主なシングルキャストはコンスタンツェ/真彩希帆、ナンネール/大塚千弘、コロレド大司教/山口祐一郎、レオポルト/市川正親、セシリア・ウェーバー/未来優希、シカネーダー/遠山裕介。
 きょもくんは、私にはなんかあまり響きませんでした。あまりいい声だとは思えなかったし、喉か胸で歌っている感じでお腹から声が出ているようには聞こえませんでした。苦しそうということはなく、音程もちゃんとしていて、タッパもあって舞台映えもするし、ちゃんとしたミュージカルスターさんだな、とは思いましたが…演技についてはさらによくわかりませんでした。滑舌とかは普通。ただこの作品は脚本が、芝居が、キャラクターが、ストーリーがアレだと私は思うので…
 きぃちゃんはちょいちょいしか出番がない1幕もいつでも可愛いし、「ダンスはやめられない」は絶品でした。これは歴代出色の出来なのでは…ただ、この歌も結局は私には意味がわからないんですよね。そんなにダンスが好きだったなんて初耳だし、あんなに好きだったヴォルフを放ってまで踊りに行くほどのものなのか、と思うし、イヤ作曲に集中したがったヴォルフが追い出したんで行く当てがないってことだろ、とも思うのですがそんな場面はないじゃないですか。だからこの歌の内容自体はわかるんだけど、前後の脈絡がさっぱりわからなくて正直ぽかんとしてしまうんですよ…史実としてはコンスタンツェって悪妻とされているようだけれど、実際のところ、というかこの物語においてはどういう存在なんだ、というのが全然読み取れないのです。あの墓掘りとかはなんなの??
 というか、この作品は「物語」になっているのか? 私がそういうものを望みすぎているだけで、この作品の本質は素敵なナンバー、楽曲を並べただけの、もっと哲学的なレビューみたいなものなのか? だから芝居パートが全然なくてお話がワケわからないのか??
 天才の孤独を描きたいのか、それを利用しようとする者たちの悪辣さを描きたいのか、普通の情愛が通わなかった家族の悲劇を描きたいのか、芸術とは何かみたいなことを描きたかったのか…私にはさっぱりわからないのでした。
 モーツァルトが早世したのは史実だけれど、それをアマデがヴォルフを刺してアマデも死ぬ、って演出にして何を描いているのか、本当に私にはわからないのです。私は天才じゃないので、ヴォルフのことがわかる、とも思えないし、かわいそう、と思うにはなんかアレだし…なので観ていてまあまあ退屈しちゃうし、ぽかんとしたまま終わっちゃうんですよ…
 なのにすぐスタオベになる客席に正直退きました…
 もうヤダ、もう行かない。今度こそ絶対行かない、まどかコンスとかになっても涙を飲んで行かない。「ダンスは~」だけならライブやコンサートやDSで聞けるかもしれませんしね。それで十分です。それか『ロックオペラ モーツァルト』をブラッシュアップして上演してほしい…
 この作品はブロードウェイでもロンドンでもソウルでもこんな感じなの? それともイケコでなくなればもっと違う形になるの? まあ脚本にあまり手を入れるのは契約的にアレなのかもしれませんが、とにかくもっと筋の通ったお話にはできないものなの? そういう作品じゃないんだ、ということなら、やはりnot for meなんだなあぁ…
 あと、コロラドとレオポルトはいつ替わるの? さすがにマンネリでは…彼らでなくてはいけない意味はないのでは…
 不満ばっか並べてすみません。しーちゃんにお取り次ぎいただいたA席はS席のすぐ後ろで、上手サブセンブロックでしたが壁にはそこまで近くなく、全体が観やすくて快適でした。1万1千円なら「ダンスは~」とアロイズィアを愛でる分に満足してお支払いしますよ…「星金」はもちろんさすがでしたが、二日前に贔屓の熱唱を聞いているのでちょっと別次元でした。てかこの男爵夫人も結局意味がわからない存在ですからね…
 あまりいい観客でなくてすみませんでした。この作品が大好き、という方のお気持ちを傷つけましたら、申し訳ございません…











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新翔春秋会『吉野山/春興鏡獅子』

2024年09月10日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 京都芸術劇場春秋座、2024年9月8日12時(千秋楽)。

 素踊りの『吉野山』は、『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』と並ぶ義太夫狂言三大名作のひとつ『義経千本桜』の名場面のひとつ。初音の鼓を持つ静御前が藤間勘十郎、佐藤忠信実は源九郎狐を市川團子。
 新歌舞伎十八番の内のひとつ、通称『鏡獅子』は作/福地桜痴。明治時代に九代目市川團十郎により初演され、しばらく上演が途絶えていて、1914年に六代目尾上菊五郎が復活させて当たり役となり、以降たびたび上演されるようになったもの。小姓弥生後に獅子の精が市川團子。

 知らないことばかりのにわかミーハー歌舞伎ファンの私ですが、公演発表時に、「團子ちゃん主演ってこと? 女形と毛振りの両方が観られるの? え、観たい!」となって、親切でくわしいお友達にチケットを取っていただき、別のお友達も同じ回を観ることにしてくれて、三人で楽しい道行となりました。
 春秋座は京都芸術大学の中にあるんですね。京都駅からバスも出ているようでしたが、アクセスはそれほど良くなくて、在来線と京阪とタクシーを乗り継いで移動しました。開場は2001年、三代目市川猿之助が「実験と冒険」を掲げて設立したそうです。とても綺麗で素敵なハコ、いやコヤと言うべきかな、でした。鳥家が大きいのが自慢だそうです(笑)、いいですね。
 今回の二演目は澤瀉屋に所縁ある作品だとのこと。私は染五郎みたいなキレッキレに尖った美少年タイプはちょっと苦手で(あくまで顔の話ですすみません)、朴訥と言っていいくらいの團子ちゃんの顔の方が好き、みたいなところから入っているホントただのミーハーなのですが、去年の博多座二月花形歌舞伎『新・三国志 関羽篇』で初めて観て、『不死鳥よ~』なんて代役主演初回も観に行っちゃいましたし、『新・水滸伝』も南座まで観に行っちゃいましたし、『ヤマトタケル』は来月博多座までまた行っちゃいますし、出るなら何が何でも全部観る、みたいな追っかけ方はまったくしていませんが、密かに心ときめかしているのでした。二十歳なんてもう孫なのに…!(笑)最初は「その、こ…ではない、よ、な?」みたいなところから、やっと血縁関係だの歴史だの今の状況だのがなんとなく私でもわかるようになってきたのでした。
 でも、変な悲壮感がないのがいいですよね。いろいろ背負わされて大変なんだろうけれど、好きだからやっていて、やりたくてやっていて、楽しそうにやっている感じがします。イヤそりゃ当人はホントは悩んだり足掻いたり迷ったり焦ったりいろいろしていて大変なのかもしれないけれど、周りもいろいろ思惑はありつつもきっちりサポートしている感じで、当人も伸び盛りで(背がにょきにょき伸びていて、観ているこの二年で少年からもう立派な青年になりましたよ…!)成長著しいのではないでしょうか。
 私は古典にはまだまだ歯が立たないのもあって、スーパー歌舞伎や新作歌舞伎を選んで観ているようなところはあり、やはり四代目のプロデュース力、アレンジ力、アップデート感ってすごいんじゃないかなと思うので、できればどんな形でも復帰していただきたい、という気持ちはあります。團子ちゃんのためにも、というのもありますが…そのあたりも、素人ながら見守っていきたいです。
 今回も、とても発見の多い観劇になりました。自身の研鑽の場として立ち上げ、これが第一回公演とのことなので、今後回を重ね、芸を磨き、ますます大きな歌舞伎役者さんになっていくのでしょうし、そのときに「最初の回を観たんだー!」と自慢できるような(笑)ものだったと思います。楽しかったー! 観られてよかったです。

 そんなわけで素踊りの『吉野山』は、まずおっさんが出てくるわけです。イヤ私よりは十も若いんだけどさ。女性のお化粧でいうところのファンデーション程度は塗っているようにも見えましたが、白塗りみたいなお化粧はもちろんしていなくて、お衣装もなく、単なる着物に袴姿です。でも、動くと女性に見える。仕草、身振り手振りが女性なのです。あなおそろしや…
 鼓に親の皮が使われているんで、子狐が慕って人間に化けて出てくるんだよね、程度の設定しか知らないで観ていましたが、鼓の音と、歌舞伎独特の「人外のものが出ますよ」効果音とともに、花道のスッポンからセリ上がりが…私の隣のマダムはおそらく熱心な團子ファンで、ものすごい勢いで爆竹拍手を切っていました(笑)。
 てか、セリ、まだ上がるんだ!?ってくらい、背が高い! 顔が小さい! だがもちろん歌舞伎役者にはいいサイズで、アイドルみたいに小顔すぎて見えないよ!ってことはない。ブルーグレーの着物に生成りみたいな、アイボリー色の袴が涼しげで美しいこと! そして腰の低い位置でつけているんだろうに、脚が長い! あんなのフツーのサイズの袴じゃ絶対につんつるてんになっちゃう! ツーブロックがすがすがしく、後頭部の丸みが可愛らしく、しかしお顔はキリリと凜々しく…もう乙女ポーズで見惚れてしまいました。
 踊りのことは全然わかりませんが、ダンサーとして捉えるなら、体感強いな、腹筋背筋ちゃんとしてるんだろうな、ということは素人目でもすぐ見て取れました。そしてときどき出るにゃんこみたいな狐仕草…ぎゃわゆい!! さらに狐ジャンプのものすごい跳躍力よ…どういうことなの!?
 静御前を見つめる瞳は、主人から警護を任された相手をひたと見据えるような、忠義や愛慕の情が漂うもので、観ていてキュンとなりました。親狐を狩って皮を剥いで鼓にした人間に、怒りや憎しみみたいなものはなかったのかしらん…前後の話を知りたいし、だから私は通し狂言が観たい派なんだよー、なども思いました。

 幕間の後半に、緞帳前に出たスクリーンで八分ほどの特別映像が放映され、ポスター撮影風景やお化粧の様子、お稽古の様子なんかが見られました。舞台化粧のことは「顔を作る」というのだそうな…團子ちゃんがお祖父さま大好きなのは知っていましたが、ここでも筆の持ち方が祖父に似ていると言われて嬉しかったとか語っていて、どんだけ…!と萌えました。てかスタジオに入るときのスーツ姿が、なんか就活中の高校生みたいなフレッシュさでたまりませんでした。たまにファッション誌とかの取材でスカしたスーツ着てキメて写真撮ったりしているのにね、素はホントまだまだ可愛らしいですね…!

 休憩のあとは、将軍の所望で初春恒例のお鏡曳き(ってナニ?)の余興で舞を披露することになった小姓(奥向きのお女中、腰元とかそんな感じ?)の弥生ちゃんが、飾られた獅子頭に乗り移った獅子の精に引っ張られて…という『鏡獅子』。前半は紫の地色に鮮やかな文様の大振り袖、でっかい立て矢の金色の帯も艶やかな女形、後半はお祖父さまのお衣装をそのまま着けての獅子の踊り、そして毛振りとなるわけです。
 タッパがあるから女形もまあ映えること! けれど可愛らしくもある、すごい!! これまた踊りのことは私は何ひとつわからないわけですが、扇や袱紗を次々持ち替えて、いろいろと趣向を変えて踊っている楽しさは伝わりました。後見さんが小道具を渡すついでに汗も拭っていて、なんかいいなーとうらやましくなったり…(笑)
 それで蝶だの獅子の精だのが飛んできちゃったということなのかな、踊りが上手いのも考えものですな(笑)。後半はこれもタッパが生きて勇壮な獅子姿で、圧巻でした。毛振り、素晴らしかったです。セットの鴨居? 欄干? を振り回される毛がわっさわっさと撫でているうちに幕…
 客席はすぐさまスタオベになりました。幕が再度上がって、胡蝶の精から順に紹介していって、脇に寄って舞台奥の長唄囃子連中も紹介し、その都度頭を下げて、最後はご宗家をお連れして舞台中央で最敬礼。獅子の頭をわしゃわしゃ撫でられて喜ぶ様子は、ホント可愛い大型犬でした。あとでネットの記事か何かで読んだのかな? ご宗家が團子ちゃんを「やっと私の『愛弟子』になった」みたいに評価していて、私まで嬉しくなっちゃいました。
 なんかホント、いいものを観た!って満足感で胸がはちきれそうでした。良き観劇でした。










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韓流侃々諤々neo 14『赤と黒』

2024年09月07日 | 日記
 2010年、NHK・SBS共同制作、全17話。原題は『悪い男』。BS11で全17話で見ました。邦題は、愛と復讐、みたいなものをイメージしてつけたんでしょうね。ま、いかにもではあります。
 というかコレ、私、多分放送当時見ています。見ていないわけがない、ただし今回見ていても記憶は全然戻らなかったけど…でもこのむりくりな日韓合作感とか、主演の兵役で全20話予定が尻すぼみで終わったのとか、なんかうっすら記憶がある気がするのです…
 主役はキム・ナムギル演じるシム・ゴヌク。貧しいながらも両親とともに楽しく暮らしていた少年時代に、自分が父とは血がつながっておらず、母が財閥会長との間に産んだ子供だったと突然知らされて、その財閥ホン家に泣く泣く引き取られて…という、まあベタベタな、財閥もの、復讐ものです。
 ヒロインはハン・ガイン演じるムン・ジェイン。やはり貧しい生まれで、でも美術の仕事をしていて、財閥会長夫人のアシスタントをしています。ちょっと玉の輿を夢見たお金持ちの男にフラれたところに、ひょんなことからゴヌクと知り合って…という感じ。やや卑屈というか、上昇志向も中途半端な、暗めなところがよかったですね(笑)。
 ゴヌクは引き取られてホン・テソンという名になり、徐々に家族になじむものの、一年たったところでDNA鑑定をしたら血がつながっていなかったことが判明し、家を追い出されます。そのときに背中に大きな傷が残る怪我をさせられるは、迎えに来たもとの両親が交通事故で亡くなるはと散々で、長じて復讐に走るわけです。
 で、本当の息子だった、として入れ替わりに引き取られてきたのがキム・ジェウク演じるホン・テソン。ただし、会長夫人のシン・ミョンウォン(毎度のアボジオモニーズ、キム・ヘオク)はゴヌクのことはわりに可愛がったものの、テソンに対しては生さぬ仲として厳しく当たったようで、彼はすっかりグレたボンボンになったのでした。
 キム・ジェウクは実際に日本語が堪能なんですよね。それで無理やり日本の場面が作られたのかもしれません。それか、日韓合作ありきだったのでこの配役になったか…
 ヘシン財閥はもともと現会長夫人の祖父のものだったようです。現会長は、入り婿ってことはないんでしょうけれど、会長夫人からしたら夫の功績というよりはもともと実家の財産、自分の会社だという意識が強く、なのに夫が勝手に外で作った子供を押しつけられて、そりゃ嬉しいはずもありません。こういうドラマってこうした意地悪な継母が仇役になることが多いけれど、そもそも浮気した男が悪いんであって、その透明化は許しがたいですね。今回もホン会長はわりに鷹揚ないい人っぽい描かれ方で、私はちょっと納得いきませんでした。すべての元凶なのに…
 この夫妻には長男テギュン、長女テラ、次女モネがいるのですが、もしかしてテギュンとテラはシン夫人の連れ子なのかも。テラに関してはそんなような台詞がありました。テギュンはテラより年長なのかどうかもよくわからず…テギュンがゴヌクの罠にはまって失脚するより以前から、なんとなく後継者はテラ扱いだったようでもあり…カットのせいもあるのかもしれませんが、こういう設定のドラマなんだからこのあたりの血縁関係や利害関係はもっとはっきり提示したもらいたい、と思いました。少し年の離れた末娘モネが、唯一会長夫妻双方の血を引く娘なのかもしれません。
 ゴヌクはモネを誘惑し、テソンの秘書に収まって…みたいなところから、ドロドロの復讐劇が始まっていきます。
 テソンにはソニョンという恋人がいて、彼女もまた出自が貧しく、家族の反対に遭い、どうやら自殺ないし事故死してしまったようなのですが、その転落死にもまたゴヌクの影が…彼はソニョンと養護施設で姉弟のように育った仲だったのでした。なんかこのあたりは、結局どういうことだったのかよくわからないままに終わってしまったかも…
 そう、なんか全体に、設定はいいんだけれどストーリーに生かしきれていない印象のドラマで、萌えきれないままに最後はかなりドタバタして終わってしまった感じなんですよね。それが残念でした。こういうドラマはラストのカタストロフが大事なのに…!
 モネはまだお子ちゃまな女子大生なのでその嫉妬とか憎悪とかは可愛いものでしたが、テラはオ・ヨンスの薄幸そうな知的美女っぷりもあっていいキャラだったんですよね。家のために政略結婚して、可愛い娘にも恵まれて、でも夫は結婚前からの恋人と未だに仲が続いていて店を持たせてやったりしていて…悔しいし悩んでもいるけれど、気丈に平気なふりをしているところに、ゴヌクがひっそりと、優しくそばにいてくれるのにぐらりときて…というのは萌え萌えドラマチック展開だったのです。ゴヌクの方でも、モネのことはテキトーにあしらえても、テラに対しては同情もあったりして心が揺らいじゃうような描写があったのにー! それとジェインへの戦友、共闘感との間で揺れるような…そこがロマンスの醍醐味だったのにー!
 そして、「息子」の座を奪った存在に見えるテソンも、実際にはシン夫人に冷たくされ父親である会長はそれをそこまでフォローしてくれず、疎外感を抱いたまま成長し、人生になんの目標も持てないでいる悲しい青年なのです。ゴヌクは彼の秘書として働き、その実足を引っ張り出すわけですが、テソンの寂しい素顔に触れて友情めいたものも感じ出し、復讐の思いが揺らぐのです。ココがミソでした。
 ジェインは次の玉の輿手段としてテソンを狙い、けれどテソンが意外にいい人でとまどい、そしてテソンの方はジェインに惚れるのに、ジェインはやっぱりゴヌクが気になって…という関係性。このこじれ方を、もうちょっと丁寧にせつなくやって、盛り上げられていたら、同じオチでも印象はだいぶ違ったと思うんですよねー…どうしても、悪役たるシン夫人に関する描写がザルになっていたし、こじれ方が甘いからスッキリさ加減も減ってしまって、全体としては残念な出来のドラマになってしまっていたかな、と思いました。
 日本編も、まあまあちゃんとした役者が出ているんだけど、みんな片言日本語をしゃべっているように聞こえてくるから不思議です…
 でも、楽しく視聴しました。やはり韓ドラのこのノリ、全然嫌いじゃないのです…







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