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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

モーツァルト交響曲第40番&第41番

2023-06-29 19:05:04 | CD・DVD・ビデオ

モーツァルト 持ってるCDは1991年ソニー レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
録音は40番が1963年5月、41番が1968年1月だって。
暑いね、6月なのに32度超えちゃってるらしい、外にはあまり出たくない。むずかしい本読んだりもしたくない。
これは、こないだ「新世界より」といっしょに見つけたCD、長く聴いてなかったことになる。
まあ、そうでしょ、べつにクラシック聴く趣味があるわけではない、ただ持ってて何かのときにチョロッと聴けると便利なんで。
しかし、なんだね、いまどきの若者はイントロのある曲はその時間がめんどくさくて聞かないらしいから、こんな30分もかかるような音楽なんか触ろうともしないんぢゃないかと想像するんだが、どうなんだろう。
ライナーノーツによれば、交響曲第40番ト短調K.550は、作曲完成が1788年7月25日、交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」は作曲完成が1788年8月10日、初演はいずれも不明だという。
40番つくりあげてから順をおって41番にとりかかったのかはしらないが、ほんとに半月でつくったんだとしたら、すごいね、そりゃ。
ちなみに41番がモーツァルトの最後の交響曲だそうで、そんなことは知らなかった(たぶん、このあとも憶えない)。
んー、それにしても250年経ってまだ聴いて気持ちいいものあるってのは不思議だ。
むかしむかし、『EV.Cafe』読んだなかに、坂本龍一が、
>百年単位では変わらないね、たぶん。で、三百年ぐらいすると変わっちゃうというのがある。つまりモーツァルトぐらいまでだとまだ何となく分かるのね、誤解かもしれないけど。でも、それ以前になると、人がなぜこの音の動きに感応していたのか分からない。途切れてる感じがする。音楽の場合って、三百年ぐらいの周期なのかもしれないね。(略)
>(略)逆に言うとね、今、自分がやってることを考えて、これはどのくらいもつんだろうと思うわけ。僕が今、ポンとコードを弾いて気持いいと思うんだけど、このコードの積み重ねがなぜ気持いいのか分からなくなるという時間的な未来がどこかにあるはずだっていつも思うわけ。(『EV.Cafe』文庫版p.24-25)
って語ってたのを、モーツァルトを聴くとよく思い出したりするわけで。
それはそうと、なんで私がこの曲のCDもってるのかは、自分でもよくわかんないんだけど、もしかしたら『沈黙の艦隊』からかもしれない。
『沈黙の艦隊』の第1巻で、原子力潜水艦シーバットの艦内で海江田艦長が「交響曲第41番『ジュピター』自分は大好きなんです」と言って、ヘッドホンしてテープを聴き出すんだが、アメリカ海軍原子力潜水艦3隻と対峙したときに、相手にも聞こえるようにフルボリュームでその音楽を響かせる。
(いま見てみたら、相手のアメリカ潜のソナーが「どうやらNYフィルのモーツァルト41番です」なんて言ってる。)
で、それってどんな曲だっけ、って思ったついでに買ってみたんぢゃないかと、そんな気がする。
それでも聴いてみれば、あー、この曲かー、どっかで聴いたことあるなー、って思っちゃうんだから、モーツァルトって、たいしたものだ。

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殺人百科

2023-06-22 19:26:08 | 読んだ本

コリン・ウイルソン/大庭忠男訳 昭和38年 彌生書房
前回の『退屈読本』といっしょのところで、ことし2月に見つけて買った古本。
前に『世界不思議百科 総集編』なんかを読んだことあるコリン・ウィルソンの著書。
べつのときに『現代殺人百科』ってのも見つけてたんだけど、なんか分量多そうで面白く読めるか自信もてないんで見送ってたんだが、これは小さくて薄いんで、しかも安かったし、買ってみた。
原題「ENCYCLOPAEDIA OF MURDER」はコリン・ウィルソンとパトリッシア・ピットマンの共著で1961年にロンドンで出版されたという。
訳者あとがきによれば、原書はかなり厚いもので三百以上の事件が収録されているんだが、本書はそのなかからいくつかピックアップして編集したものだという、そりゃ薄いわけだ。
原著はまさしく百科事典の形になっていて犯人の名のアルファベット順に並んでいるそうだが、本書は似たようなテーマべつに目次はできている。
なんだってそんな百科事典をつくろうとおもったんだか著者はヘンなひとなんぢゃないかと想像するんだが、「殺人の研究」と題する序文に、「私自身の殺人の研究の基礎である実存主義」どうたらこうたらと、延々と研究する意義みたいなこと書いてあるんだが、なにを言ってるのか私にはよくわかんない。
で、なかみのほうは殺人者が次から次へとこれでもかと出てくるんだけど、続けて読んでくとどれがおもしろいとかこれは興味深いとかって感想がもちにくくなってしまった、なんか印象に残らないんだよね、またかって感じで。
それでも気になるのは、やっぱ大量殺人やらかす連中で、なんか何人か殺すと次をやるのに、迷いっつーか躊躇っつーか恐れっつーか、そういうの全然なさそうなんだよね、悪いこととも思ってなさそうで、そのへんの感覚というか思考回路が謎。
コンテンツは以下のとおり。
霧の夜の戦慄 ジャック・ザ・リパー(英)
少女を煮て食う変態男 アルバート・フィッシュ(米)
「十戒」が殺人のすすめ ハインリッヒ・ポメレンケ(独)
不能男の連続殺人 ジョン・レジナルド・ハリデイ・クリスティ(英)
十代の「セックス・クラブ」 クリフォード・フォートナー(米)
満月の夜はアベックを殺せ ジキル・ハイドの犯行?(米)
デュッセドルフの「怪物」 ペーター・キュルテン(独)
棺のコレクションを楽しむ女 ベラ・レンツイ(ユーゴ)
夫を毒殺した「ボバリー夫人」 マリー・ラファルジュ(仏)
ロンドン塔の悲劇 フランシス・ハワード(英)
不手ぎわな毒殺者 メリー・ブランディ)
美しき毒殺魔 マーサ・マレク(オーストリア)
老人ホームの危険な看護婦 ギリガン(米)
二十世紀の吸血鬼 ジョン・ジョージ・ヘイ(英)
夫と共謀で愛人を惨殺 マリア・マニング(英)
夫交換ゲームの当然な結末 ロレーン・クラーク(米)
老将軍は妻を殺したか? ルアード事件(英)
おしどり夫婦の「商売」 レイモンド・フェルナンデス マーサ・ベック(米)
のぞき男が一家皆殺し ガストン・ドミニチ(仏)
男性遍歴の果てに恋人を射殺 ポーリン・デュビッソン(仏)
消された殺し屋 リチャード・ヘミング(英)
アベックをねらう二人組 ウェルナー・ボースト(独)
アナーキストを片づけろ! サッコとバンゼッティ(米)
若妻の乗った飛行機を爆破 ジョセフ・ゲイ(加)
リンドバーグ愛児誘拐事件 ブルーノ・リチャード・ハウプトマン(米)
十二才の少女を誘拐惨殺 ウイリアム・ハーバート・ヒックマン(米)
秀才青年の「完全犯罪」実験 ネイサン・レオポルド リチャード・ローブ(米)
ニューオリーンズの斧男 正体不明(米)
夫を募集して斧でバッサリ ベラ・ガネス(米)
浴槽の花嫁 ジョージ・ジョセフ・スミス(英)
西部を荒らす強盗団の女首領 ベル・スター(米)
トロツキーの暗殺者 ジャック・モルナール(メキシコ)
浴槽を血に染めた女刺客 シャルロット・コルデー(仏)
国家の元首を暗殺した男たち ジョン・ウィルクス・ブース(米)ほか
日本憲兵の残虐行為 スミダ・ハルゾウ中佐(日)
六百万人を虐殺した男 カール・アドルフ・アイヒマン(独)
「殺人工場」の忠実な支配人 ルドルフ・ヘス(独)

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退屈読本

2023-06-15 18:45:11 | 読んだ本

佐藤春夫 昭和五十三年 冨山房百科文庫版・上下巻
ことし2月に地下鉄乗って出かけてった古本フェアで、2冊そろいであるのを見つけて買った古本。
本書については、丸谷才一さんがいろんなとこでいいと言ってたような気がするが、直近で読んだところでは『いろんな色のインクで』のなかの「近代日本の百冊を選ぶ」って章のなかで、佐藤春夫『退屈読本』を丸谷さんが選んでいて(小説を選ばないんだ?とは思った)、えらくホメてたので記憶に残ってた。いわく、
>まことに才気煥発の命名だが、本の中身はもつとすごい。たとへば『「風流」論』はむづかしい言葉などちつとも使はずに風流とは何かを縦横に論じた日本美の探求で、感覚の鋭さと頭の冴えを存分に見せる。(略)かういふ、わりに長めの力篇の合間合間にごく短い文章がはいつてゐて、これがまた唸るしかない。
>大正文学は、小説家による共同体、つまり文壇の所産であつた。(略)彼は清新な文学的感覚を駆使してこの共同体の美学と政治学を整理し(略)、昭和期の文学を準備した。
>(略)批評の原点としてのサロンの閑談を近代日本で最も見事に成立させたのは『退屈読本』であつた。(『いろんな色のインクで』p366-367「佐藤春夫『退屈読本』」)
ということである。
そしたら、この文庫の上巻の巻頭に「解題」を丸谷さんが書いていて、同じようにホメている。
いわく、タイトルがいい、構成がいい、文壇のスポークスマンとして優れている、批評を名調子で語る力量がすごい、と。
そういうのに誘われて読んでみたが、なんせ収められているのは大正四年から大正十五年にかけて発表されたものなんで、さすがに私も昭和のもののようにおもしろがっては読めませんでしたが。
っていうか、これまで著者の小説とか読んだことない(はず、記憶にない)んで、えらそうなこと言えませんが。
どうでもいいけど、前回とりあげた『井上ひさしの日本語相談』のなかで、「青春する」みたいな言いかたはヘンぢゃないかと質問された井上ひさしさんは、日本語の動詞の親骨は「~する」なのだ、「漢語+する」で和語だけでは品不足の動詞を補っていると説明したうえで、
>こういう次第で、「××する」型同士の流行は、現在だけではなく、過去に何度もありました。(略)一九四一年に文学者の佐藤春夫はこう書いています。
>「国語を以て文学に従事する(といふことを近ごろは文学するとかいふやうなことを申すが、自分はこんな言葉は大きらひだから使はぬ)(略)
>この佐藤春夫の文章は結構有名で(略)(『井上ひさしの日本語相談』p.99-100「名詞なら何でもすり寄る動詞スル」)
みたいに紹介してます、言葉の使いかたにはそれなりに厳しいひとだったのかも。
閑話休題。
小説家ってだけぢゃなく詩人でもあったそうですが(←だから、詩も読んでないんで)、俳人でもあった父親から詩魂を得たとしながらも、父に言わせると自分は母親に甘やかされたとして、
>しかし私は考へるのだが甘やかされた子供といふものはいつも詩人である。つまり詩人をつくる為めには甘い母が必要なのだ。(上巻p.233「わが父わが母及びその子われ」)
なんていってるんだけど、日本文学史においてそいつは初耳だと思っておもしろがってしまった。
文壇うんぬんっていうことになると、あちこちに谷崎潤一郎と友だちであることや、なんか気軽に芥川龍之介と行ったり来たりしてる様子が書かれてるんで、そういう時代のそういうポジションのひとだったんだあと改めて認識した。
「秋風一夕話」という項目では、何か書けという依頼がきたんだけど、出された問題が、
>現文壇の中堅たる十作家の印象を語り、併せて文壇の大勢を論ず。
>といふすばらしい困つた大問題です。――僕には友達もなし、差障りがなからうからかう一つ勝手なことを言はせようといふつもりですな。(略)
>ところで、問題の提供者は十作家として次の諸家を数へて居られる――。
>菊池、芥川、久米、里見、広津、宇野、葛西、谷崎(潤)、久保田、加能。(p.156)
ということだとしながら、それぞれについて論評していく、この作家たちが中堅で、それについて言いたいこといえる、そういうひとだったんですねえ。
それでひとしきり批評をしてったうえで、やっぱ武者小路氏を無視はできないよと言い出して、
>現代日本文壇にとつて武者小路氏の出現は近世思想史上にルッソオがあることに比敵すると僕は信じてゐる(略)(p.178)
と評価する、武者小路氏が出てきた当時は彼を嘲笑するのが文壇の大勢だったのに、いまではホメるのが大勢になっている、などという。さらに、
>――厳密な意味の言文一致を大成したのは武者氏だと言つてもいいやうな気がする。気がすると言へばこの「気がする」といふ言葉でさへも武者小路氏が最初使ひ出した頃には、随分と人が笑つたものだ。今では「気がする」的表現のない文章を見出すのが困難な位になつた。(p.180)
って書かれているのには読んで驚いた。「気がする」ってそうなの、私なんかもよくつかうんだが由来まったく知らなかった。
さてさて、退屈読本とはいいながら、退屈について論じてるわけぢゃないんだが、それでも著者自身が退屈って言葉をダイレクトに使ってる箇所があって、そこも興味深かった。
月に一度の書評を書く仕事を引き受けたのはいいが、最近はいい作品がないとして、
>それにしても何と今まで読んだ作の多くが――定名ある作家のものが殊に、可もなく不可もないやうな、また格別力のこもらないものの多い事か。沈滞してゐるなどといふいひ草は、もうあまりにいひふるされてゐていひたくないが、どうも外には申し様もない。(略)
>もう少し読んで行くうちには、せめて一つぐらゐは面白い作にぶつつかるか知ら。でないとこの筆にも気の乗らぬ事おびただしい。神よ。この哀れなる月評家のために一篇の光彩ある作品を現出したまへ! さうしてこの文章の退屈を救ひたまへ! (p.53-54「月評的雑文」)
っていう。
退屈読本ってタイトルについて、丸谷さんは、読者が読んで退屈する本、著者が退屈しながら書いた本、退屈というものを教えてくれる本、って三つの意味が生じるっていうんだけど、ここでは読者が退屈しちゃいませんか、ごめんなさいねって気分がちょっとだけ出ちゃってるのがおもしろい。

どうでもいいけど、この冨山房百科文庫というのは初めて読んだ。(たぶん)
『退屈読本』の初版発行は大正十五年(1926年)だというが、どうして昭和五十三年(1978年)にこの文庫に収められたのかは知らないが、こないだ読んだ『広辞苑の神話』のなかで、
>小生毎度申すように、冨山房百科文庫は日本で一番質が高く良心的な文庫である。(『広辞苑の神話』p.226「茶話のはなし」)
と高島俊男さんが書いているので、なんか出版的良心に駆られたんぢゃなかろうかと思う、大正時代のものが原文のまま読めるのはありがたいことだ。

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井上ひさしの日本語相談

2023-06-09 20:23:56 | 読んだ本

井上ひさし 1995年 朝日文芸文庫版
国語改革がどうこうという本に引き続いて読んでみた、ただしこちらはぐっとくだけた感じで私にとっては娯楽的。
日本語相談シリーズは前に丸谷才一版大岡信版を読んだけど、ことし2月ころだったか地元の古本屋の均一棚で見つけたんで買ってみた、「パロディ大全集」シリーズを読んだりしたこともあって、著者の日本語相談はどんな感じなんだろうと気になったもんだから。
まず、たとえば、とかく日本語で話題になる漢字について、いろんな漢字に同じ訓(よ)みが与えられてる「異字同訓」の問題を、前に読んだ高島俊男さんは使い分けなくていいんだみたいに言うんだけど、
>さて、日本語の表記が漢字の借用に始まったことはどなたもよく知っておいでだろうと思います。その際、たとえば「なく」という日本語が、中国語では複数の語「泣・鳴・啼・哭」などに分かれていることを発見、それをそっくり借用しました。(略)そして使い分けているうちに、その意味文化は日本人の血肉となりました。たしかに、ある語を意味や用法によって書き分けることは、漢字の使い方を複雑で煩わしいものにしたのは事実でしょう。がしかしこの書き分けは日本語をずいぶん豊かにしたのではなかったか。日本語は視覚型の言語ですが、異字同訓はその視覚性を支える大事な柱の一本だろうと思います。(p.163「異字同訓は制限・禁止でなく目安」)
というように解説してくれてる。
日本語は視覚型の言語ってのは、なんかハッとさせられるようなとこ突いてるんでは。
新聞のスポーツ面の見出しに「あて字」があふれてるのは許されるのか、みたいな相談に対しても、あて字は日本語の単語を漢字表記するための策で、万葉集で「恋」を「孤悲」と書いたりとか大昔から例がたくさんある、歌舞伎狂言の題なんか「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」とかって調子だとして、
>仮名表記とは段違いの意味喚起力や視覚的表出力がありますね。あて字は日本語を「見る言語」として完成させた有力な助ッ人なのです。
>(略)やはり日本語の本質は(少なくとも漢字を使用するかぎり)「見る言語」というところにもあるわけで、そのエネルギーがスポーツ欄の見出しに噴出している。(略)
>そういうわけで私は、あて字は一種の民間文芸のようなもの、いくらでも許されていいと呑気に構えています。(p.175-176「あて字は「見る言語」のエネルギー」)
というように容認している、ここでもやっぱり視覚型の言語ってわかってることが、漢字のそういう使い方を肯定する理由になってる。
読んでみて、全体的な印象としてもったのは、著者はあまり、いわゆる正しい文法とか本来の用法とかに固執しない、ってことで、それは、だって言語ってのは使われてくうちに変わってくんだもん、みたいなスタンスに立ってるからではないかということ。
たとえば、「「繋ぐ」という動詞を「繋げていきたい」と使う人がいるが、正しくは「繋いでいきたい」ではないか」みたいな相談に対して、ことばには「ゆれ」がある、それはあっていいので認めてよいのではというように回答する。
>(略)「二つ以上の言語形式が、同一の場面に共存、共生するんですよ」となりましょうか。そして、国語学者たちは、この現象のことを「ことばのゆれ」といっています。(p.209-210「「繋げていきたい」は許されるか?」)
として、まず音韻がゆれていて、「やっぱり~やっぱし~やはり」のどれでも使われているというような例をあげ、アクセントも語彙もゆれているといい、
>表記もゆれています。(略)「やわらかな(い)肌」(形容動詞)、「よい(いい)人柄」(形容詞)、「だんだん(に・と)よくなる」(副詞)など、その気で周囲を見まわすと、どこもかしこもゆれています。(略)
>ことばを規則づめにしては、かえって不便です。そこで、表現の多様性を許容できる程度に、規則がゆるくつくってあるのだとおもいます。動詞の活用もまたしかり、二種類の活用形式を並存させていることが多いのです。(略)
>「繋げる・繋ぐ」も、この下一段(繋げる)と五段(繋ぐ)の関係、そこで、「繋げていきたい」という言い方も、認めてあげてよいのではないでしょうか。(p.210-211)
というように解説してるんだけど、規則づめでは不便だ、ってのは学校の授業ではなかなか言いにくい達見なんぢゃなかろうか。
ちなみに、別の章で、「いい天気」「いいタイミング」などというとき「いい」と「よい」のどちらが正しいのでしょうか、という質問があるんだけど、
>どちらも正しい。そこで、二本立てで使いこなして行くのがよろしい。これが答えです。(略)この微妙な違いを使い分けることは大切ですが、ひとまず、どちらも正しいと心を据えるのが肝腎です。(p.225-226「いいとよいはどちらでもいいのか」)
と明確に答えてる、どちらも正しいって言い切るのは気持ちのよい回答だと思う。
「いい」は口語っぽいとして、そのあとの箇所では、
>漱石の『坊っちゃん』では、(略)この痛快な小説の主人公はどんなときも、「いい」で押し通しています。「よい」は決して使わない。この小説は江戸弁の口語体で書かれていますから、主人公の口調に「よい」が入り込む隙がないのです。(略)
>「いい」が口語的だという証拠をもう一つ挙げると、二十数年前に、若い人たちに流行った「いいじゃん」、あれは「よいじゃん」でもよさそうなのに「いい」の方に付きました。「じゃん」が、どっちがより口語的かをちゃんと嗅ぎ分けたのだと思います。(p.226-227)
みたいに書かれてる、なるほどねと思わされる。
さらに「いいじゃん」についての話では、こういう言い方は方言だと思うけど共通語化していいのか、という質問に答えてる章があって、
>ところで話し言葉の世界でもうひとつ厄介なのは文末の問題です。言いたいことは文末の手前ですべて言い切ってしまった。その上さらに「……だよ」「……だと思うよ」「……だろうじゃないか」といった文末をつけ加えるのはうっとうしい、また強すぎる。このとき神奈川方言をもってきて文末を「じゃん」にしてしまうのはなかなかの智恵だと感心しました。流行言葉にばかに甘いようですが、消えていくべきものはやがて消えていくはずですし、筆者にはあまり気になりません。(p.83-84「「すみません」だらけの世の中に?」)
と答えている、消えていくものは消えていくという達観がもちろんいいし、ほかの章でも、言語ってのは書かれた文章だけぢゃなくて、話し言葉の世界ってのがすごく重要って論調がみられるのは注目すべきとこだと思った。
べつの質問では、形容詞の連用形を副詞的に用いることができるが、若い人などが「すごい楽しい」「すごい好き」など終止形で使っている、「すごく楽しい」「すごく好き」と連用形を使うべきでは、ってのがあるんだが、
>おっしゃるように、「すごく楽しい」「すごく好き」が正しい言い方です。終止形「すごい」をそのまま副詞的に使ってはいけない。
>ところが、厄介なことに、もう一つ、「ほんとうは誤りであっても、それを使う人がふえて、社会的に承認されれば、その誤りは、言語体系の中へ組み込まれていく」という大原則があります。
>「すごい楽しい」という言い方がとても流行しているようですから、少なくとも、話し言葉の場面では、やがて市民権を得ることになるでしょう。言葉は、社会的な約束の大きな束です。人びとの間に「その言い方を認めようじゃないか」という暗黙の約束が結ばれると、誤用が誤用でなくなってしまいます。(p.197-198「「誤用」が社会的に承認されるとき」)
という答えをしている、正しくなくたって通じちゃえばしょうがない、って大原則、ふつうはなかなか認めたくないのかもしれないけど、そのへん太っ腹ですね。
なお、「すごい楽しい」って本来はまちがってるはずの言い方が流行した理由を考えて、
>(略)わたしたちは、いつも新しい言い方を求めていますから、その好みにあっているのかもしれません。そして、なによりも、わたしたちは、「正しい言い方」の味気なさを知っています。これは、その味気ない正しさへの、ちょっとした悪戯なのかもしれない。わたしは、そう思って諦めているのですが。(p.200)
みたいにいうんだけど、正しい言い方が味気ないってのは、こうして改めて言われないと意識してなかったかもしれない、なるほどねえ。
さて、どうでもいいけど、本書に載っていた質問のひとつに、
>通訳をしていて、「他人の褌で相撲をとる」という発言を、とっさに「他人のパンツでレスリングをするな」と訳しました。後になって考えてみると、これは明らかに誤訳で(略)(p.29「他人のパンツでレスリング?!」)
ってのがあって、質問者名が「東京都大田区・ロシア語通訳」ってなってるんだけど、これって米原万里さんだろ絶対、って、ちょっと驚いた、っつーか笑った。(調べてみたら『ガセネッタ&シモネッタ』の「フンドシチラリ」という章にそういうエピソードがあった。)

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国語改革を批判する

2023-06-02 18:42:04 | 丸谷才一

丸谷才一編著 1999年 中公文庫版
これ地元の古本屋で買ったのは二年前の五月だった、読んだの今年ほんの二、三ヵ月前か。
単行本は1983年だそうで、本書の「序」には、
>「現代かなづかい」と「当用漢字表」が公布されてから、四十年近くが経過した。それに対する反対が最後に激しくおこなはれたのは二十年以上も前のことである。しかし国語改革とそれに対する抗議は、もはや葬り去つて差支へない歴史上の事件では決してなく、現在も生きてゐる文化的な問題である。(略)われわれは新しくこの問題を再検討しなければならない。機は熟してゐる。(p.10)
と高らかに戦いを宣言するような調子があるが、なぜいま再検討かという理由のひとつが、当時出現した日本語ワープロだという。
よーするに国語改革ってのは、漢字減らそうよ・やめようよってことで、勉強して憶えんの大変・書けないとか、ひどいときには印刷・出版社が大変とか、理由をつけては使える漢字を制限したがるんだが、ワープロが発達すりゃあ使えるだろってことだ。
たしかに私なんかもこういう本を読むと、読めるけど書けない漢字多すぎ・そういう字はヤメちゃえ的な意見には、書けなくたって読めればいいじゃん・日本語入力ツールで変換選択ができるんなら使えばいいんだよ、って言いたくなる。
で、本書は六人による共著で、それぞれの流儀で国語改革批判をしているんだが、やっぱ私には丸谷さんの書いたものがいちばんおもしろい。
とはいえ、歴史なんかもあらためて教わると興味深いものあって、漢字やめちゃえとかアルファベット文字つかおうよとか言い出したのは、太平洋戦争で負けたショックのときからぢゃなく、明治のころからあったんだという、いちばん進んでのは西欧だからそれにならおうと考えた人たちいたとか。
でも、文字がどうこうではなく、日本人の言語能力がそもそもどうなのか、って話題が山崎正和さんのパートで示されていて、それはけっこう私には衝撃だった。
山崎さんは、戦後の国語改革について、
>(略)戦後の日本には国語改革への何らの努力も意欲もなかった、といはなければならない。そこに見られたものは、たんに国語にたいする投げやりな態度であり、極論すれば、国語を言語として意識したくない、といふ、怠惰な逃避の姿勢があるばかりであった。(P.293)
とダメだししているが、それにつづく章をあらためたとこで、
>しかし、私のとって何といっても気がかりなのは、根の浅い戦後の国語改革ではなく、むしろ明治の言文一致運動、さらに、それ以前の時代にまでさかのぼって病んでゐる、日本語の話し言葉の問題である。(略)現状の話し言葉が無残であることは、あまりにも明白である。今日、日本人の会話には文体がなく、修辞法の意識がないのはもとより、極端にいへば、文法さへないといふのがいつはらざる事実であらう。(p.293-294)
と指摘する。
話し言葉を文字に書き起こしてみれば、主語と述語がかみあってないようなこともあるって例をあげて、
>ひと言でいへば、これらの語り手には、発言の内容の全体を見渡さうといふ意識がなく、ひとつひとつの言葉をひきとめて、それを持続した全体に作り上げようといふ態度もない。(略)ここに欠けてゐるものは、たんに論理的な能力だけではなく、緊張を持続し、一定時間を目覚め続けてゐるといふ精神の基本的な能力だといへる。(p.296)
というように、スピーチのテクニックとかって問題ぢゃなくて、精神が眠ってて、ただ口から言葉をテキトーに吐いてるだけぢゃないの、みたいにバッサリいう。
同じようなことを、そのちょっとあとでも、
>(略)話し言葉を語るとき、私たちは他人の視線のもとで自己の内面の一貫性を保たなければならないのであって、半ば以上、外側に目を向けながら、自己の内部の持続性を維持しなければならないのである。
>日本人が話し言葉のなかでとくに混乱を見せるとすれば、それは、私たちがかうした意識の二重の操作に不得手なのであり、具体的には、他人との関係において自己を守る能力が弱いのだ、といへるかもしれない。(p.300)
みたいに言っていて、言葉のつかいかたどうこうぢゃなく、他人にちゃんと対することができない気の弱さみたいなもの、自我の薄弱さが、ちゃんと話ができない日本人にはあるんぢゃないかってんだが、すごいね、そこまで言う。
一般的な日本人の国語能力は低かったってことは、丸谷才一さんのパートにもある。
>(略)戦前の日本人の読み書き能力が総体として低かつたことは事実だし、それにあのころの文章は概してむやみにむづかしかつたから、事情はいつそうひどかつた。いや、単に読み書きだけではなく、話す能力も聞く能力も乏しかつたのである。今となつては信じにくいかもしれないが、戦前の日本は伝達といふことをあまり重んじてゐない社会であつた。(p.331)
という状況分析なんだが、そっから国の国語政策とはなんぞやってことにいくのだが、
>明治維新以後、日本政府の企てた国語政策は、精神と言葉と文字との、この切つても切れない関連に心を用ゐず、大衆の精神は徹底的に抑圧したままで、従つて彼らの言葉の能力は低いままで、それにもかかはらず文字の能力を高めようといふものであつた。そしてこれは、それなりに筋が通つてゐる。読み書きの達者な奴隷を大勢つくりたいといふのが国家の願望だつたのである。軍隊内務令や歩兵操典や作戦要務令をちやんと読める、営兵日誌もきちんとつけられる、しかし余計なことは考へない、そんな兵隊がほしい。(略)しかし、そんな虫のいいことはできるはずがない。そこで次善(?)の策として、文字をやさしくすることを考へたのである。(p.365-366)
というように解説してくれると、目を覚まされる感じもあるし、なんだかトホホという気もしないでもない。
そんでそんな大日本帝国が敗れた戦後に、やっぱり国語改革はおこなわれるんだが、そのときも国民の精神はいかにあるべきかはほっぽっといて、ただひたすら文字だけに焦点をあてた政策がとられた。
>大衆の教育のため文字をやさしくするといふのは乱暴な話だつた。かう言へば、この三十余年のうちに日本人全体の言語能力は大きく上昇したのだから、これが国語改革の成果ではないかと言ひ返す人もすこしはゐるかもしれないが、これは、前にも述べたやうに、民主主義の徹底のせいで日本人の精神がずつと自由になつたとか、教育が普及したとか、その他かずかずの原因によるもので、国語改革のもたらしたものではなかつた。(略)昭和二十一年の「現代かなづかい」と「当用漢字表」にはじまる一連の改革は、日本語に対して重大な過失を犯し、われわれの文明を無残にゆがめることになつた。(p.367-368)
って、なんか怒りをかくしてないよね。
現代かなづかいについては、いろいろダメなとこあげてるんだけど、語源をわからなくしたってのもその理由のひとつで、
>かなりの多くの数の言葉の由緒があやしくなつたことによつて、日本語の体系はずいぶん曖昧になり、ゆがみ、関節がはづれ、つまり日本語は乱雑で朦朧としたものになつたのである。言語は認識と思考のための道具だから、これはわれわれの世界がその分だけ混乱し、秩序を失つたことを意味する。動詞アフグ(扇ぐ)がアオグになり、名詞アフギ(扇)がオウギになつて、表記上、両者の失はれたとき(すなはちオウギ、アオグの語源がはつきりしなくなつたとき)、日本語で暮らしてゐて夏になればオウギでアオグわれわれは、ちようどこの表記が非論理的であると同じだけ、ぼやけて狂つてゐる世界に住むことになるのだ。(p.371)
というように、語源を示すかな表記をしてないと、ものの関連というか意味がわからんだろうがと嘆く。
当用漢字についてもけちょんけちょんで、日本語の語彙を貧しくしたといい、
>とにかく、当用漢字はわれわれの言語を、不便なものにし、底の浅いものにし、平板にし、醜くした。漢字制限のせいで文体が冗長になり、締りがなくなり、読みにくくなり、字面が醜悪になつたことは言ふまでもない。(p.391)
と、テッテ的な悪口の言いようである、ふむ、まあそうなんでしょうとは思うが。
こうやって丸谷さんが声を高くして叫ぶのは、
>しかし今ならばまだ打つ手がある。国語改革といふ国家的愚行を廃棄することがそれである。(略)現在ならばまだ、日本人全体に正しい仮名づかひを教へ、大和ことば(和語)と漢語との区別を教へ、そして、漢字の専門家の協議によつて出来あがつた新字体を教へることは、短時日で可能なはずである。このことを断行しない限り、破局はいつの日か、確実に襲ひかかるであらう。(p.400)
みたいな思いに駆られてのことなんだけど、それからもう四十年経っちゃったもんねえ。
コンテンツは以下のとおり。
国語改革の歴史(戦前) 大野晋
国語改革の歴史(戦後) 杉森久英
現代日本語における漢字の機能 岩田麻里
国語改革と私 入沢康夫
「日本語改革」と私――ある国語生活史 山崎正和
言葉と文字と精神と 丸谷才一
(ちなみに文庫版解説は、『お言葉ですが…』シリーズの高島俊男さん。)

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