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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

人魚はア・カペラで歌ふ

2024-02-29 20:08:08 | 丸谷才一
丸谷才一 二〇一二年 文藝春秋
丸谷さんの随筆集、いま調べたらおととしの秋に買い求めた古本、1年以上もほうっておいて最近読んだ、もともと怠け者だが、なんか読んぢゃうのが惜しいような気がしててってのもある。
っていうのは、丸谷さんは2012年に亡くなったんで、これは最晩年の執筆・出版ってことになるから、これのあとはないのかあとか思ってしまったら寂しくなるような気がしたもんで。前のもの何度も読みかえしゃあいいんだけどね。
初出は「オール讀物」2009年4月号から2011年9月号だという、この連載ものはほかにいくつもあって、いま思えば時系列に読めばよかったのかもしれないが、私はとにかく手に入ったものから適当に読んでった、これが最後になったのもただの偶然。
ちなみに「オール讀物」初出ものをシリーズとして並べれば、以下のようになりそう、こんど読み返すときにはこの順でどうだ、というための私的なメモにすぎないが。
『猫だつて夢を見る』1988年1月号~1989年6月号
『青い雨傘』1992年1月号~1994年12月号
『男もの女もの』1996年1月号~1997年11月号
『花火屋の大将』2001年2月号~2002年4月号
『絵具屋の女房』2002年5月号~2003年8月号
『綾とりで天の川』2003年9月号~2005年1月号
『双六で東海道』2005年2月号~2006年5月号
『月とメロン』2006年6月号~2007年9月号
『人形のBWH』2007年10月号~2009年3月号
『人魚はア・カペラで歌ふ』2009年4月号~2011年9月号
さて、丸谷さんのこういう書きものを私はエッセイとか随筆って呼ぶんだけど、本書には、
>今わたしがかうして書いてゐるこの手のもの、これを業界用語で雑文と呼ぶ。作家は小説だけで暮しを立てるのは大変だから、せつせと雑文を書くのである。(p.277)
なんてあるので、もしかしたら雑文集というのかもしれないが、本人ぢゃなく読者側が業界の符丁で呼んぢゃあ失礼だよね。
で、丸谷さんは、かつて野坂昭如さんに「雑文とは、冗談、雑学、ゴシップである」と教わったそうである。(ちなみに雑文界では野坂昭如・山口瞳が天下を二分してたというのが丸谷さんの評。)
そのうちの冗談について、
>(略)今の日本で冗談といふと、普通、これは猥談ですね。嫌ふ向きもあるけれど、わが雑文においてはこれを避けることは決してしない。平然として許容する。つまり書く。(略)
>しかしわたしの得意とする冗談はこの方面のものではない。偏痴気論である。このヘンチキロンといふのは、どうしたわけか『日本国語大辞典』その他の辞典類に載つてゐないけれど、これはをかしい。江戸文藝で非常に重要な一ジャンルなんです。(p.280-281)
ということで、「変な理屈、をかしな議論」をあげて話を展開するのを雑文の心得のひとつとしている。
そういえばいつも、妙な仮説を考え出して、これは意外といいセンいってんぢゃなかろうか、みたいなこと書かれてたような気もする。
本書にもいろいろあるんだけど、第二次大戦中のイギリス軍が、歴史家や数学者や言語学者を集めてドイツの暗号文の解読に取り組んだなかで、チェスのプレイヤーたちも加わったってのは雑学の部類かもしれないが、そっから、
>かういふ事情を知るにつけて、わが日本軍の戦ひ方がいかに馬鹿げてゐたかがよくわかりますね。
>わたしに言はせれば、日本軍は、升田とか大山とか、ああいふ若手の将棋指しを集めて暗号解読を研究させるべきだつたのだ。碁の藤沢秀行なんてのもいい。升田と秀行が酒ばかり飲んでゐて、ちつとも仕事をしなくても、天才にシンニュウをかけたのが二人寄れば、李白一斗詩百篇の自乗といふことになつて、すごい鬼手を思ひつき、たちまし暗号解読法とか、暗号作製法とかを案出したかもしれない。(p.84-85)
なんてぐあいに言い出すのは、ヘンチキロンなんぢゃないかと。
この話は、そのあとに、吉田健一を招集して水兵にしたのもひどい話で、「あんなに運動神経がなくて、日本人の風俗習慣を知らなくて、英語がよく出来て、むやみやたらに酒が強い人を水兵にしたつて、何の意味があるか」と続くところがさらに面白いんだけど。
雑学もあちこちにあっておもしろいんだけど、たとえば大名行列を考えるところで、
>(略)参勤交替は言ふまでもなく徳川幕府が諸国諸大名を支配するために導入した政治制度の一つ。(略)「導入」といふ言葉を笠谷さんが使ふのは、どうやら、中世ドイツの「主邸参向」Hoffahrtを念頭に置いてのことらしいが、さうすると寛永といふのは三代家光のころですから、家光はオランダ人から中世ドイツの制度を教はつたのでせうか。(p.152)
みたいなのを披露してくれるのを読むと、そうなのか徳川幕府オリジナルぢゃなかったんだ輸入ものだったのね、と蒙をひらかれる。
しかし、やっぱ私が好きなのは、戦前に橋本夢道という無季自由律の俳人がいたんだけど、
>しかしおもしろいのは、この夢道の勤めてゐた雑貨商が銀座に甘味処[月ヶ瀬]を開店したとき、彼が、普通の蜜豆に餡をのせた「あんみつ」を考へ出し、これが大当たりしたことである。このとき夢道の作つたコピー、
>蜜豆をギリシャの神は知らざりき
>が大受けに受け、市電の吊り広告にこの句を載せたら大評判。(p.120-121)
みたいなやつ、あんみつを考案したかどうかは定かではないらしいけど、とにかくこういうどうでもいいような話がおもしろい、名句ですね「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」。
あと、当然のことながら、毎度おなじみのように、いろんな本を紹介してくれてるのも丸谷さんの雑文のいいところで。
(全部が全部わたしの興味にあうとは限らないけど、そういうのも、今後読み返したりしたら、前には引っ掛からなかった分野でも、いまなら読んでみたいとなるかもしれない。)
今回気になったのは、十九世紀のウィーンはすごかったみたいな話のなかで、
>文学へゆきますよ。まづシュニッツラー。(略)
>(略)彼の作品の魅力についても言はない。そんな暇あつたら、池内紀訳であれこれを読み返したい。きれいですよ。たとへば『ウィーン世紀末文学選』(岩波文庫)所収の「レデゴンダの日記」といふ短篇小説。ただ吐息をつくしかない。池内紀・武村知子訳の『夢小説・闇への逃走』(岩波文庫)もいいなあ。(p.354)
というようにあげられてるものかな、丸谷さんの小説の趣味が、かならずしも私にもヒットするものではないことはわかっているけど。
でも、ミステリについて、
>(略)結城、谷沢の両氏があげるのだから、『門番の飼猫』はよほどの名作にちがひない。もちろんわたしだつて読んだに決つてるが、これを書き終へたら書架から探し出して読んでみよう。一般にミステリのいい所は、ストーリーをまつたく忘れてゐることで、ガードナーの本はその特質が図抜けてゐる。つまりことごとく忘れてゐる。再読三読に向いてゐるのである。殊に風邪なんか引いたときにはこれに限る。すばらしい美点と言はなければならない。(p.220)
みたいに言ってるとこには、おもわず同意しちゃうな、忘れちゃうものなんだ、忘れてていいんだ、私も読んだはずなんだけどな『門番の飼猫』、こんど読もう、忘れてると何度でもたのしい。
それはそうと、これまでも丸谷さんは日本の文学というか小説は深刻ぶってばかりでおもしろくなくてよろしくないよ、みたいな論をいってますが、本書のなかでも小説の読み方について、
>長篇小説といふのは時間の藝術です。時間の流れ具合のなかに身をひたして、作者や主人公といつしよに泳ぐ。その快感が大事なのです。半年も一年もかけてダラダラと遠泳(?)を行なつたのでは身にしみない。(略)長篇小説は、なるべくなら、一気に読まなくちやあ。
>ところがわれわれ日本人は、明治以来、長篇小説を一気に読むといふこの習慣を身につけてゐない。とかくだらだらと読む。(略)精読のあまり、長篇小説の妙趣を解しない。(p.216)
というように指摘してくれてます、そうかあと思う、けどなかなか一気には読めない、現実的には。
(ゼータクいうわけぢゃないが、いい文章ぢゃなきゃ読めないよね、村上春樹のいうリズムのようなものがほしい。)
でも、そういう真っ当な理論のあとに、むかしは小説家は原書で海外小説を勉強したもんなんだけど、
>島崎藤村の長篇小説が『破戒』以外はみなあんなに詰まらないのは、彼が辞書を片手に英書を読んだ結果だとわたしは睨んでゐます。(同)
って付け加えるのは、ちょっとヘンチキロンっぽくて、おもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
鍋の底を眺めながら
検定ばやり
象鳥の研究
浮気な蝶
007とエニグマ暗号機
敵役について
村上春樹から橋本夢道へ
北朝びいき
人さまざま
槍奴
古雑誌の快楽
小村雪岱の挿絵
赤い夕日の満州
ハヤカワ・ポケミスのこと
エロチックな方面
新・維新の三傑
歴史とレインコート
小股の切れ上つたいい女
人間的関心
モーツァルト効果
歴史の書き方
ズボンのボタン
好きな帝国
姦通小説のこと
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見わたせば柳さくら

2023-12-21 19:21:36 | 丸谷才一

丸谷才一・山崎正和 一九九二年 中公文庫版
これはたしか去年秋の古本まつりで買ったんぢゃなかったかと、最近やっと読んだ。
私にとってはおなじみの二人による対談集、全八章のうち「あけぼのすぎの歌会始」と「芸能としての相撲」は、既に『半日の客 一夜の友』で読んだことあるものだった。
初出は昭和61~62年の「中央公論文芸特集」季刊の八回で、単行本は昭和63年、丸谷さんによる「あとがき」までたどりついてわかったんだけど、連載中のタイトルは「日本人の表現」ってことで、ちゃんとテーマがあっての八回つづきの企画だったそうで。
なるほどね、歌会始とか相撲とか祭とか絵画とか忠臣蔵とか、題材があったのはそういうことだったのかと。
ちなみにタイトルは、素性(そせい)の「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり」(p.68)という歌からとられているらしい、奈良朝文学では桜は語られていないけど、平安朝文学になって急に出てくるようになったといわれてるけど、そんな機械的なもんでもないだろって話のなかで出てくる。
桜については、江戸だって昔はどっかに一本一本の名木があるって状態だったのを、山全体が桜みたいなのにしたのは人為的なもんだって話があって、
>丸谷 (略)飛鳥山に桜を植えたのは吉宗です。それから御殿山に植えたのもそうですし、小金井の玉川上水には一万余植えたというんですよ。ですから、ここのところで江戸の桜というものが極端に増えたんですね。吉宗の文治政策の一環であったというわれているんですけれども、これはすごく頭のいい作戦ですねえ。(略)
>山崎 この場合は、政治的、意識的に文化の中にとりいれた狂気なんですね。将軍たちがどのくらい人類学的な知識があったか疑わしいですけれども、おそらく感覚的に悟っていて、ときどき小出しに狂わせないと、こんな都市は支配できないと思ったんでしょうね。(p87-88)
なんて語られている、勉強になるなあ。
さらに桜の咲き方ってのは、長いこと待たせておいて、一気に咲いたと思ったらもう散り始めてるんだが、これを「序・破・急」の説明にからめて、
>山崎 (略)われわれは「序・破・急」というと、どうも三つの部分から構成された三拍のリズムであるというふうに読みがちなんです。(略)それに対して「起・承・転・結」というのは四拍のリズムだと思ってたんですが、どうもそうではないんですね。序・破・急というのは二拍なんですね。長い「序」があって、「破」と「急」はひとつである。「破」の中に「急」があって、「破」というのは「急」に向ってなだれこんでいく曲り角なんですね。(p.93-94)
みたいに能の奥義の解説をしてくれる、知らんかった。
桜の木を植えたのは徳川将軍だっていう一方で、祭に関する章のなかで丸谷さんがいうには、京都の祭には今でも山車があるけど東京にはないことについて、
>丸谷 (略)その理由としては、明治の藩閥政府が東京の祭を圧迫したことが挙げられるらしい。神田の明神祭、山王祭は徳川家寄りのお祭で、三社祭もたしか家康と関係がある。そのせいで、明治政府は東京の祭を圧迫したらしいんですね。
> 圧迫したくなる気持もわかる。祭にはいろいろな要素があって、たとえばカーニヴァルの場合でも、(略)階級闘争、政治的意見の表明という要素があるわけです。それらがいつも出るわけではありませんが、時に応じていろいろな面が出てくる。政治的不満の発揮なんて面も時には出てくる。(p.190)
なんて教えてくれる、為政者からみると恐れるべきものだったのか、祭が。
このとき丸谷さんたちが見に行ったのが富山の八尾のお祭なんだけど、見てて幸福感があったとして、丸谷さんは、
>丸谷 (略)ここで突如として文学の話になりますが、ふつう文学は人間についての研究だといわれている。しかし、人間についての研究というのは、文学が最終的な目的にしている一歩手前の手続なのではないのか、と思ったわけです。別の言い方をしますと、人間についての真理を解明することが目的だとすれば、それは科学と違わない。ところが、それは文学の最終目的ではないので、人間についての嘘をつきとおしてもかまわないから、人間が明日生きるための活力を与える、あるいは不幸な条件をはらう、そういうことがむしろ文学の本当の目的なのではないのか、という気がします。ただし、近代になって人間がみんな賢くなってきたせいで、嘘を積み重ねて元気をつけたり、生きることを励ましたりするのは難しいから、人間についての真実を極めるという、そういう方便を重ねて文学作品を成立させているだけなんです。ところが、近代文学はその手段としての真実の探求を目的だと思い込みすぎたのではないか。(p.196)
っていう文学論を展開するんだけど、傾聴に値するよね、うん。
ほかにも、丸谷さんの日本の芸術についての意見はおもしろいものがある。
絵画に関する話題のところでは、近代日本でもてはやされるのは上手い下手とかよりも個性だって話から、
>丸谷 (略)近代日本の芸術には、スキャンダルの精神が非常に大きいんですよ。作品それ自体でスキャンダルを起そうとさんざん狙って、その能力が枯渇すると、今度は自殺するわけです。死に方というスキャンダルによって生き延びようとする。それが近代日本の芸術史だったという気がしますね。(p.222)
とかって、すごいことを言ってみたり。
日本画ってのは松竹梅を描いたり仙人を描いたり、なんかめでたい感じを出して呪術的な意味合いのものだったんだけど、
>ところが洋画が入ってきたときに、洋画は突然、そういう呪術性はまったくくだらないものである、絵というのは芸術なんだから、純粋な芸術性が大事だ、というわけで、たとえば林檎があるとか、かぼちゃがあるとか(笑)、百姓家の裏庭なんかを描いて、「これが芸術だ」と示した。芸術性がわからないやつはバカだといってそっくりかえった。
>その典型的な態度は松ではなくて白樺を描いた(笑)。白樺というのは雑木でしょう。その「松ではなく白樺」という態度に、一群の若い文学者たちが興奮して、雑誌の題にするんです(笑)。そのくらい、感受性にとっての大事件だったと思うんですよ。文化史的大事件なんです、あれは。(p.243)
って洋画が日本文学界に与えた影響を解説してくれたり、たぶん丸谷さんは白樺派が好きではないと思うんだけど。
丸谷さんの文学的趣味については、映画について語ってるとこで、ちょろっと、
>丸谷 かわいそうでかわいそうでたまらない話というのを喜ぶ趣味が、むかしからわからなくてねえ。少女小説というのは、だいたいかわいそうなものでしたね。私も読んだことは読んだけれども(笑)、女の子というものは、なぜこういう話が好きなのか、不可解だった。僕の女性研究は、あれから始まったのかもしれない。(p.291)
なんてことも言ってたりするけど。
ちなみにこの映像に関する章では映画だけぢゃなくてテレビドラマもとりあげてて、「北の国から」の第三作を見て、
>丸谷 (略)でも、これだけの才能を持っている脚本家やスタッフ(略)が、これだけのエネルギーを使ってこの程度のものを作るのは、ちょっともったいないという感じがします。というのは、これは二時間半でしょう。あのエピソードで二時間半もつはずはない。一時間の話です。
>山崎 これは物語の時間が遅いだけでなく、カメラワークの時間が遅い、演技そのもののテンポが遅いんですね。したがって、試みにビデオの倍速を使って、実際のスピードの倍にあげてみたら、ごく自然に見えた。(笑)(p.271)
なんてやりとりがあるんだけど、実は監督や役者を批判してんぢゃなくて、丸谷さんが毎回二時間枠ぢゃなくて短いときも長いときもあるシリーズにすりゃいいのにというのに対して、
>山崎 それは、おそらくテレビの編成にまつわる宿命的な問題でしょうね。日本の場合、具体的にいえば、民放で二時間の作品を制作することになれば、まず作家が話を思いつく前に、スポンサーを見つけておかなければならない。そうすると、広告が何回出るか、したがって製作費が幾ら出るか、すべて決ってしまうんですね。(p.272)
みたいな指摘がされてるのが興味深かったりした。
べつの章では、いま何かと話題の宝塚歌劇も見に行ったりして、創業者の小林一三を天才だって二人でほめるんだけど、
>山崎 (略)そのうえ、頭がいいと思うのは、役者を女性ばかりにしたということです。宝塚が多くの人の支持を受けている大きな理由はたぶん、あんなに安い値段で、日本でレヴューがみられるということですね。(略)あれを男優を入れてプロでやったら、昭和初年でも、おそらく費用は数十倍になるでしょう。ところが、お嫁入り前の若い女性、どうせお稽古事をしてすごす世代、いわば労働力としてはタダに近い人たちを、しかも学校の生徒という名目で集めれば……。天才ですね、こういうことを考える人は。(p.316)
とか言ってるとこだけ見ちゃったりしたら、こらこらそういうのが過密な公演スケジュールになっちゃうんぢゃないのとか思ってしまうんだが、そのちょっと後では菊池寛と並べて比較して国民文化ってものを意識した人だとして、
>山崎 日本社会全体に及ぼした影響は、宝塚と文藝春秋とでは、どちらが大きいかわかりませんがね。
>丸谷 今度、いろいろ読んでみて、小林一三のほうがやはり柄がひとつ大きかったのではないかなあという感じはしました。柳田泉が小林一三の小説を読んで、この調子でいけば、尾崎紅葉くらいにはいったろうといってますが、それは間違いないでしょう。尾崎紅葉になるだけの才能をぜんぶ実業に向けた。文化ではなくて文明に向けたわけですね。ずいぶん柄の大きい、優秀な人だったと思います。(p.322)
ってぐあいに評してる、やっぱ天才なんだと。
さてさて、丸谷さんの日本の芸術論、文学論はあちこちでいろんな表現されてるけど、本書のなかで、
>丸谷 山崎さんのいったことを僕の言葉でいえば、「人間は多層的な存在である」ということを日本人は昔から考えていたんです。そのことの表現としてあるのが、日本文学の多義性なんですね。日本文学は『新古今和歌集』において頂点に達した。それは王朝文学が何百年もかかって準備したものが、言葉の多義性を非常に極端に使うことによって、人間の多義性を最高に表現したと思うんですよ。(p.375)
ってとこがあって、これは、おお、そーゆーものなのかー、と感心した。
それと、こういうのを引き出しちゃう山崎さんとの対談ってのは、やっぱ随筆や評論を読んでるだけよりおもしろいかもって思った。
コンテンツは以下のとおり。

 あけぼのすぎの歌会始
 桜は死と再生の樹

 芸能としての相撲
 胡弓を奏く祭

 旧宮邸の美術館で
 映像的世界 1987

 企業がつくる町
 雪の日の忠臣蔵

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二十世紀を読む

2023-10-05 18:29:07 | 丸谷才一

丸谷才一・山崎正和 1999年 中公文庫版
これはたしか去年の12月末ころに買い求めた古本で、最近になってやっと読んだ。
通算100回の対談をしてきたおなじみのお二人による対談集、あいかわらずおもしろい、早く読めばよかった。
単行本は1996年で、初出は1995年の「中央公論」で二か月に一度の計六回の対談。
なんか現代史の本を取り上げて、それをとっかかりに二十世紀とは何であったかを論じたもの。
二人の知見とか視点がけっこう刺激されるもの多くて、もっと若いころに読んでたら受け売りで使っちゃうだろうなって感じのものいっぱい。
>丸谷 ベネディクト・アンダーソンというアメリカの学者が、国家は何によって成立し、機能するかということをうまく説明しています。国家とは、(略)みんなが一つの文化を共有するということを想像力によって体験して、それによってはじめて成立するのだというんです。アンダーソンによれば、国民国家というものが成立してまもないころ、十八世紀のヨーロッパは、二つの形式を生んだ。一つは新聞、一つは小説です。この二つの形式によって、国民国家、つまりイギリスとかフランスとかは、国家の成員が一つにまとまることができた。(p.22)
とか、
>山崎 エミール・デュルケイムの「アノミーの理論」というのがあります。彼はなぜヨーロッパにおいて工業化がある程度進んで、豊かになると自殺が増えるかという問題を設定して、「アノミー(無規準)」という理論を立てたわけです。(略)十八世紀以前の小さな共同体、村や職人組合というのが壊れていった。その中にあって、じぶんとはどういうものかというアイデンティティの手応え、あるいは、(略)日本語でいえば「分を知る感覚」、そういうものが一挙に崩壊する。そうすると、人は不安になって自殺をするというわけですが、それが攻撃的に現われればテロリストになると見ることができます。(p74)
とかって国家と人の関係みたいなもの、政治学の教科書よりはるかにわかりやすくておもしろい。
ほかにも、中国文化は男性原理で、日本は女性文化だって話のなかででてくる、
>丸谷 源頼光はなぜ偉いのかというと、京都の女官たちによって支持されている権力が派遣した軍の長官だから、偉いんですね。酒呑童子伝説というものをじっと考えてみると、結局、男性原理らしきものが外国から入ってきたときに女性原理が勝つ物語、これが酒呑童子の話なんじゃないのかな。(p.103)
みたいな論じ方とか、イギリスってのは大陸ヨーロッパの階級社会とはちょっと違うって話のなかで、
>山崎 『ヘンリー五世』を見ますと、フランスの貴族とイギリスの貴族が比較されていますね。最後の決戦の場面で、フランスの貴族はまった庶民を相手にしていない。(略)だけどヘンリー五世は、同じイギリス人として兵隊に訴えるわけですね。(略)第二次大戦を描いた戦争映画でも、イギリス軍の士官がノルマンディーで敵前上陸するときに、この台詞を叫ぶんですよ。まさにこれがイギリス精神なんですね。要するに最上層と最下層が、ナショナリズムでひとつになれたということなんです。(p.167)
みたいな語られ方をされてみると、なんか勉強になるなあって気がする。
さらに、日本の二十世紀前半、昭和史を動かしたものとして、
>山崎 私がなるほどと思ったのは、要するに近代の日本を宗教ないしは精神の面で切ると、結局は広義の日蓮主義的気風と官僚主義との対決だったということですね。どちらもそれは不幸な結果を導いたわけですが。(p.117)
みたいな話が出てくるんだけど、こういうのは歴史の授業では教えてくれない、趣味的にみえるけど大事なことなんぢゃないかと気づかされる。
あと、文化人類学とか神話とか物語とかってことを、
>山崎 文化人類学者が小説が好きだということを、やや厳めしくいいますと、二十世紀というのは、巨大なひとつの小説が世界を支配しそうにみえた時代なんですね。マルクス主義という小説。
>丸谷 ほう、あれは小説ですか。
>山崎 フィクションだという意味で、ひとつの巨大な物語ですよね。この物語は、他の物語の一切の存在を許さないんですが。
>丸谷 なるほど、昔、そういう物語がひとつありましたね。新約聖書です。
>山崎 そういうことですね。マルクス主義のそんなあり方に対して、思想的に文化人類学者がやったのは、無数に物語があるよということだったわけです。(p.196)
みたいに対談でうまいことやられると、むずかしい論文読まされるよりスッと入ってくる感じがして、ここんところはとても好きだなって感想をもった。
コンテンツは以下のとおり。題材となってる書名も並べとく。
カメラとアメリカ
 ビッキー・ゴールドバーグ/佐復秀樹訳『美しき「ライフ」の伝説 写真家マーガレット・バーク-ホワイト』
ハプスブルク家の姫君
 塚本哲也『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』
匪賊と華僑
 フィル・ビリングズリー/山田潤訳『匪賊 近代中国の辺境と中央』
 高島俊男『中国の大盗賊』
近代日本と日蓮主義
 寺内大吉『化城の昭和史』
サッカーは英国の血を荒らす
 ビル・ビュフォード/北代美和子訳『フーリガン戦記』
辺境生れの大知識人
 ミルチア・エリアーデ/石井忠厚訳『エリアーデ回想 一九〇七-一九三七年の回想』『エリアーデ日記 旅と思索と人』

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日本文学史早わかり

2023-08-03 19:21:09 | 丸谷才一

丸谷才一 二〇〇四年 講談社文芸文庫版
暑い、ことしの夏は暑い。でも、これが10年続いたら、それが平年になってしまうのかと思うと怖いよね。
こういうこと言ってると「言うまいと思えど今日の暑さかな」って句がいつも頭に浮かぶんだが。
こうも暑いと本なんか読んでらんない、ってのは毎年言ってるような気もするが。
前に読んだ『男のポケット』のなかに、
>暑いですね。暑いときにはどうすればいいか。銷夏の法として一番しやれてゐるのは、
> 思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり
>といふ歌をくちずさむことである。この和歌を唱へれば夏のさかりにも冬の心地がする、と鴨長明が言つてゐた。
なんてことが書いてあったな、なんて思い出したわけでもないが、丸谷才一である。
ちなみに丸谷さんによれば、勅撰和歌集には「暑くて困る」という歌は極めてまれにしかないんだそうで、
>(略)いくら夏が暑い暑いと言ひ暮したところで何にもならないのだから、そんなことは考へないで、涼しい歌でも読んで気をまぎらすほうが賢い、とさう判断したのではないか。(『男のポケット』p.213)
と和歌傑作集の編纂を命じた天皇の意図を推測してたりする。
この文庫は、去年の10月だったか、街の古本屋で買ったもの、前からあるのは知ってたんだけど、文学史みたいなものに興味あんまりないんで、手を出してこなかった、読んだのはごく最近。
文学史ってのは、幕府が変わったからとかって政権の歴史にあわせて何々時代の文学とかってとらえるもんぢゃないでしょ、という丸谷さんは、勅撰詞華集が歴代の天皇の命によって多く編まれてきたのが日本の特徴だってことで、日本文学史の時代区分を提案する。
第一期 八代集時代以前 9世紀なかば平安遷都後約五十年のころまで
第二期 八代集時代 9世紀なかば菅原道真誕生のころから13世紀はじめ承久の乱のころまで
第三期 十三代集時代 13世紀はじめ承久の乱のころから15世紀すゑ応仁の乱のころまで
第四期 七部集時代 15世紀すゑ応仁の乱のころから20世紀はじめ日露戦争の直後のあたりまで
第五期 七部集時代以後 20世紀はじめ~
ということで、第五期は「宮廷文化の絶滅期」としてる、天皇が恋歌を詠まなくなっちゃったからね。
天皇が恋歌を詠むことは国ほめの歌を詠むのと同様に重要なことだっていう丸谷さんの意見はこれまでいくつもの著作でみてきたんだけど、
>(略)色好みは古代日本人の理想で、天皇とはすなはちこの理想を実現する者――国中の最も優れた女たちを選んで求婚し、彼女らを後宮に養ひ、彼女らの才能と呪力によつて国を統治する人のことであつた。天皇の色好みは神の心にかなひ、国を富ませ、人を豊かに、そして華やかにすると信じられてゐた。(p.35)
と本書でもいってます、やたら天皇を神格化しようとしてそういう方面はやめさせてしまった明治政府の連中は伝統を知らんバカだってことでしょう。
伝統ってことでいえば、七部集の時代、徳川期にあっても俳諧とか和歌とか漢詩なんかで撰集を編むのが大はやりだったのは、
>それはずいぶんの盛況だつたが、どうしてかうなつたかを考へるためには、教育の普及とか木版印刷の進歩とか、そんな方面ばかり注目してはいけない。もつと根本的に、徳川時代の精神風俗が重要なのである。わたしの見るところ、あれは民間にあつて宮廷文化に憧れる時代であつた。(p.63)
って見抜いてるとこも非常に興味深いですね、どこかで勅撰集にあやかったものをつくり続ける文化だったと。
べつのとこでは、江戸期の文化というか文学趣味の基本は『新古今』であったとも言ってます。
>ここで思ひ出されるのは例の『小倉百人一首』で、あれは藤原定家が『古今』から『新勅撰』まで九つの勅撰集から秀歌を選んだものだが、大切なのは、その選び方が『新古今』時代の趣味によつてなされてゐるといふことである。王朝和歌が江戸の文明と密接な関係を持つたのは『百人一首』のよつてであつた。ところがその『百人一首』は極めて特殊な角度――『新古今』的な角度で切り取られた、王朝和歌なのである。(略)江戸時代の文学者にとつては、『新古今』は現代文学の出発点――ちようどわれわれにとつての明治文学のやうなものであつた。(p.118)
ということなんだそうで、こういうのは古今と新古今の違いなどわからぬ身としてはそうですかと承るしかないんだけどね。
で、その後の宮廷文化の絶滅期に入っちゃうと、共同体的なものが失われてしまった。個人の詩集とか歌集は出るかもしれないけど、勅撰集のことどころか詞華集一般をみんなして忘れてしまった。
>非常に図式的な言ひ方をすれば、横の方角に共同体があり、縦の方角に伝統があるとき、その縦と横とが交叉するところで詞華集が編纂され、そしてまた読まれる。といふのは、われわれは伝統を所有する際に、孤立した一人ひとりの力で持つことは不可能で、共同体の力によつて持つからである。孤立した個人にさういふことができるといふのは、ロマンチックな妄想にすぎないだらう。(p.85)
みたいにいってますが、文学ってのは共同体の表現であってよいって丸谷さんの意見は他のところでも何度か読んだ気がする。(いま思い出すのは『ゴシップ的日本語論』
そんで、詞華集を忘れちゃったところへちょうど入り込んできたのが小説なんで、なんか個人的なものばかりをとりあげて共同体的なもの失う方向に拍車がかかってしまったんだが、これまた丸谷さんがいつも言うように、日本の私小説ってのはおもしろくないとケチョンケチョン。
>しかし、日本自然主義と私小説によつて成立つ日本「純文学」といふのは、なんと特殊な文学だらう。それはたとへば趣向を軽んずることによつて、単に江戸文学と対立してゐるだけではなく、人類の文学史全体と対立してゐるやうにぼくには見える。(p.161)
とか、
>自然主義文学は直前の硯友社文学を否定した。あるいは、さうすることによつて江戸文学を否定した。そのことの意義はたしかに大きいかもしれない。この文学的革命によつて近代文学はからうじて成立したと考へられるからである。しかしこの結果、失つたものもすこぶる多い。そのうち今さしあたり注目すべきものとしては、文学がむやみに生まじめになり、深刻になり、遊戯性と笑ひが失はれ、人生の把握のしかたが単純になつた、といふ局面がある。(p.175)
とかって意見、傾聴に値するなあと、いつもながらに思ってしまう。
本書のコンテンツは以下のとおり。
薄い文庫本なんだけど、本編終わったのに残りのページ数がけっこうあるみたいだなと思ったら、付表とか、わりと長めに思えるあとがきあって、大岡信の巻末解説のあとに、丸谷さんによる「著者から読者へ 二十八年後に」ってさらなるあとがきみたいのがあって、実はこれ読むのが本書のねらいいちばんわかりやすいんぢゃないかとまで思ってしまった。(28年後にというのは「日本文学史早わかり」の「群像」初出が1976年だからということらしい。)

日本文学史早わかり
II
香具山から最上川へ
歌道の盛り
雪の夕ぐれ

III
趣向について
ある花柳小説
文学事典の項目二つ
 風俗小説
 戯作
夷齋おとしばなし

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国語改革を批判する

2023-06-02 18:42:04 | 丸谷才一

丸谷才一編著 1999年 中公文庫版
これ地元の古本屋で買ったのは二年前の五月だった、読んだの今年ほんの二、三ヵ月前か。
単行本は1983年だそうで、本書の「序」には、
>「現代かなづかい」と「当用漢字表」が公布されてから、四十年近くが経過した。それに対する反対が最後に激しくおこなはれたのは二十年以上も前のことである。しかし国語改革とそれに対する抗議は、もはや葬り去つて差支へない歴史上の事件では決してなく、現在も生きてゐる文化的な問題である。(略)われわれは新しくこの問題を再検討しなければならない。機は熟してゐる。(p.10)
と高らかに戦いを宣言するような調子があるが、なぜいま再検討かという理由のひとつが、当時出現した日本語ワープロだという。
よーするに国語改革ってのは、漢字減らそうよ・やめようよってことで、勉強して憶えんの大変・書けないとか、ひどいときには印刷・出版社が大変とか、理由をつけては使える漢字を制限したがるんだが、ワープロが発達すりゃあ使えるだろってことだ。
たしかに私なんかもこういう本を読むと、読めるけど書けない漢字多すぎ・そういう字はヤメちゃえ的な意見には、書けなくたって読めればいいじゃん・日本語入力ツールで変換選択ができるんなら使えばいいんだよ、って言いたくなる。
で、本書は六人による共著で、それぞれの流儀で国語改革批判をしているんだが、やっぱ私には丸谷さんの書いたものがいちばんおもしろい。
とはいえ、歴史なんかもあらためて教わると興味深いものあって、漢字やめちゃえとかアルファベット文字つかおうよとか言い出したのは、太平洋戦争で負けたショックのときからぢゃなく、明治のころからあったんだという、いちばん進んでのは西欧だからそれにならおうと考えた人たちいたとか。
でも、文字がどうこうではなく、日本人の言語能力がそもそもどうなのか、って話題が山崎正和さんのパートで示されていて、それはけっこう私には衝撃だった。
山崎さんは、戦後の国語改革について、
>(略)戦後の日本には国語改革への何らの努力も意欲もなかった、といはなければならない。そこに見られたものは、たんに国語にたいする投げやりな態度であり、極論すれば、国語を言語として意識したくない、といふ、怠惰な逃避の姿勢があるばかりであった。(P.293)
とダメだししているが、それにつづく章をあらためたとこで、
>しかし、私のとって何といっても気がかりなのは、根の浅い戦後の国語改革ではなく、むしろ明治の言文一致運動、さらに、それ以前の時代にまでさかのぼって病んでゐる、日本語の話し言葉の問題である。(略)現状の話し言葉が無残であることは、あまりにも明白である。今日、日本人の会話には文体がなく、修辞法の意識がないのはもとより、極端にいへば、文法さへないといふのがいつはらざる事実であらう。(p.293-294)
と指摘する。
話し言葉を文字に書き起こしてみれば、主語と述語がかみあってないようなこともあるって例をあげて、
>ひと言でいへば、これらの語り手には、発言の内容の全体を見渡さうといふ意識がなく、ひとつひとつの言葉をひきとめて、それを持続した全体に作り上げようといふ態度もない。(略)ここに欠けてゐるものは、たんに論理的な能力だけではなく、緊張を持続し、一定時間を目覚め続けてゐるといふ精神の基本的な能力だといへる。(p.296)
というように、スピーチのテクニックとかって問題ぢゃなくて、精神が眠ってて、ただ口から言葉をテキトーに吐いてるだけぢゃないの、みたいにバッサリいう。
同じようなことを、そのちょっとあとでも、
>(略)話し言葉を語るとき、私たちは他人の視線のもとで自己の内面の一貫性を保たなければならないのであって、半ば以上、外側に目を向けながら、自己の内部の持続性を維持しなければならないのである。
>日本人が話し言葉のなかでとくに混乱を見せるとすれば、それは、私たちがかうした意識の二重の操作に不得手なのであり、具体的には、他人との関係において自己を守る能力が弱いのだ、といへるかもしれない。(p.300)
みたいに言っていて、言葉のつかいかたどうこうぢゃなく、他人にちゃんと対することができない気の弱さみたいなもの、自我の薄弱さが、ちゃんと話ができない日本人にはあるんぢゃないかってんだが、すごいね、そこまで言う。
一般的な日本人の国語能力は低かったってことは、丸谷才一さんのパートにもある。
>(略)戦前の日本人の読み書き能力が総体として低かつたことは事実だし、それにあのころの文章は概してむやみにむづかしかつたから、事情はいつそうひどかつた。いや、単に読み書きだけではなく、話す能力も聞く能力も乏しかつたのである。今となつては信じにくいかもしれないが、戦前の日本は伝達といふことをあまり重んじてゐない社会であつた。(p.331)
という状況分析なんだが、そっから国の国語政策とはなんぞやってことにいくのだが、
>明治維新以後、日本政府の企てた国語政策は、精神と言葉と文字との、この切つても切れない関連に心を用ゐず、大衆の精神は徹底的に抑圧したままで、従つて彼らの言葉の能力は低いままで、それにもかかはらず文字の能力を高めようといふものであつた。そしてこれは、それなりに筋が通つてゐる。読み書きの達者な奴隷を大勢つくりたいといふのが国家の願望だつたのである。軍隊内務令や歩兵操典や作戦要務令をちやんと読める、営兵日誌もきちんとつけられる、しかし余計なことは考へない、そんな兵隊がほしい。(略)しかし、そんな虫のいいことはできるはずがない。そこで次善(?)の策として、文字をやさしくすることを考へたのである。(p.365-366)
というように解説してくれると、目を覚まされる感じもあるし、なんだかトホホという気もしないでもない。
そんでそんな大日本帝国が敗れた戦後に、やっぱり国語改革はおこなわれるんだが、そのときも国民の精神はいかにあるべきかはほっぽっといて、ただひたすら文字だけに焦点をあてた政策がとられた。
>大衆の教育のため文字をやさしくするといふのは乱暴な話だつた。かう言へば、この三十余年のうちに日本人全体の言語能力は大きく上昇したのだから、これが国語改革の成果ではないかと言ひ返す人もすこしはゐるかもしれないが、これは、前にも述べたやうに、民主主義の徹底のせいで日本人の精神がずつと自由になつたとか、教育が普及したとか、その他かずかずの原因によるもので、国語改革のもたらしたものではなかつた。(略)昭和二十一年の「現代かなづかい」と「当用漢字表」にはじまる一連の改革は、日本語に対して重大な過失を犯し、われわれの文明を無残にゆがめることになつた。(p.367-368)
って、なんか怒りをかくしてないよね。
現代かなづかいについては、いろいろダメなとこあげてるんだけど、語源をわからなくしたってのもその理由のひとつで、
>かなりの多くの数の言葉の由緒があやしくなつたことによつて、日本語の体系はずいぶん曖昧になり、ゆがみ、関節がはづれ、つまり日本語は乱雑で朦朧としたものになつたのである。言語は認識と思考のための道具だから、これはわれわれの世界がその分だけ混乱し、秩序を失つたことを意味する。動詞アフグ(扇ぐ)がアオグになり、名詞アフギ(扇)がオウギになつて、表記上、両者の失はれたとき(すなはちオウギ、アオグの語源がはつきりしなくなつたとき)、日本語で暮らしてゐて夏になればオウギでアオグわれわれは、ちようどこの表記が非論理的であると同じだけ、ぼやけて狂つてゐる世界に住むことになるのだ。(p.371)
というように、語源を示すかな表記をしてないと、ものの関連というか意味がわからんだろうがと嘆く。
当用漢字についてもけちょんけちょんで、日本語の語彙を貧しくしたといい、
>とにかく、当用漢字はわれわれの言語を、不便なものにし、底の浅いものにし、平板にし、醜くした。漢字制限のせいで文体が冗長になり、締りがなくなり、読みにくくなり、字面が醜悪になつたことは言ふまでもない。(p.391)
と、テッテ的な悪口の言いようである、ふむ、まあそうなんでしょうとは思うが。
こうやって丸谷さんが声を高くして叫ぶのは、
>しかし今ならばまだ打つ手がある。国語改革といふ国家的愚行を廃棄することがそれである。(略)現在ならばまだ、日本人全体に正しい仮名づかひを教へ、大和ことば(和語)と漢語との区別を教へ、そして、漢字の専門家の協議によつて出来あがつた新字体を教へることは、短時日で可能なはずである。このことを断行しない限り、破局はいつの日か、確実に襲ひかかるであらう。(p.400)
みたいな思いに駆られてのことなんだけど、それからもう四十年経っちゃったもんねえ。
コンテンツは以下のとおり。
国語改革の歴史(戦前) 大野晋
国語改革の歴史(戦後) 杉森久英
現代日本語における漢字の機能 岩田麻里
国語改革と私 入沢康夫
「日本語改革」と私――ある国語生活史 山崎正和
言葉と文字と精神と 丸谷才一
(ちなみに文庫版解説は、『お言葉ですが…』シリーズの高島俊男さん。)

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