many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

とり・みきの大雑貨事典

2021-04-25 18:30:22 | 読んだ本

とり・みき 1997年 双葉文庫版
2月に買った古本の文庫、作者はとり・みきだけどマンガぢゃなくて、著者の「2冊目の字の本」。(ちなみに1冊目は『とりの眼ひとの眼』
単行本は1993年だそうで、初出の場所はバラバラだったらしいが、エッセイ50本収録。
その形式は「カタログ」で、モノについて語ってて、並びを五十音にして、商品としての価格を付すという、凝った企画。
なんせ著者は、
>(略)「あらゆる事象はギャグのネタ」と考える私(略)(p.68)
というひとなんで、目のつけどこがおもしろい。
たとえば、そこで「こういう体裁の本は実にありがたい(同)」と言って採りあげてるのは、コリン・ウィルソン&ドナルド・シーマンの【現代殺人百科】(青土社¥2200)という本。
>ここには60年代以降のあらゆる猟奇殺人事件が網羅されている。スーパー・デラックスなヒトゴロシの集大成だ。もう面白い面白い。
とか言われると、ちょっと読んでみたくなる。
あと変わったモノのなかで秀逸だと思ったのは、【西浦さんの首】。
1987年4月1日の深夜に下北沢の北口駅前に落ちていた首で、ボブ風のショートの女性で、首筋に油性フェルトペンで「西浦」と書いてあったもの、酔った勢いもあって拾って家に持って帰ってきたという、引っ越しのときが捨てるチャンスだったのに捨てられなかったって妙に思い入れがあるところを語っている。
そういえば『愛のさかあがり』にも、ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースを盗んでアパートまで持ってきちゃったという話があった。(「ご近所のレプリカント」)(ちなみに、そのエピソードの犯人は、とり氏ではない。)
で、その『愛のさかあがり』については、本書の【パンチザウルス】の項で、【パンチ】の末期に参加して自らのターニング・ポイントになった仕事だとしているが、従来のギャグマンガ路線から外れたことに関し、
>小松左京さんからは禁足申しつけるの留守電が入っていた。「ここへ来て楽なエッセイ漫画に走るとは何事か」(p.180)
という事件も起きていたことを明かしている。(とり氏は学生んとき、コマケン=小松左京研究会に入っていて、初めて生で見たSF作家は小松さんだった。)
次作にSFを描いたことで禁足は解除されたそうで、めでたしめでたし。
SFといえば、【ミステリー・ゾーン】の項は、
>あきれたことに面白い。今でも充分に。(p.196)
の書き出しで始まり、少年時代の熊本では民放が1局しかなくて観てみたくても観られなかったんだが、ビデオ化されたんで観てみたら期待にたがわずおもしろかったと驚いて、
>映画ならまだわかる。しかし、時代を超越して面白いテレビ作品、これは何事であろうか。(略)堂々と物語の面白さそのものが生き残っている。ここにはショート・ショートのお手本、テレビドラマの教科書がある。そしていまや死語となったSFの原点、センス・オブ・ワンダーさえも。(p.198-199)
なんてぐあいに絶賛しているんだが、私も最近になって初めて全154編をみて、面白いと思ったんで安心した。

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猫の縁談

2021-04-24 18:19:13 | 読んだ本

出久根達郎 一九九一年 中公文庫版
ことし2月だったか街の古本屋で買った文庫。
いままでに何冊か読んだことのある著者だが、いずれも古本屋に関する随筆みたいなものだったし、これもそうだと思ってたんだが、読んでみたら違って創作だった。
もっとも古本屋が語る古本屋を舞台にした話なんで、うっかりしてると著者の実話みたいな気になって読んでしまいそうになるが、現実にしては登場人物がかなり奇妙なんで、まあそういうことである。
たとえば、表題作には「猫じいさん」が主役で、「私」の古本屋の客として出てくる。
高齢の男やもめで、年取った猫を三匹飼っているが、いつまでも面倒みられないので猫をもらってくれる人はいないだろうか、と持ち掛けてくる。
老猫をもらってくれるひともいないだろうから、自分が大事にしている希少な本をつけるという、古本屋への相談だし。
ところが次の日に、その珍しい本を持ってくると、高い値段で売りたいと言い出す、タダでやるなんて言ったおぼえはないとか、ごねだす。
そのへんからウサンくささいっぱいで、めでたく本の買い手になり猫ももらうという客が見つかり、商談成立、無事引き渡しも済んだんだけど、そのあとトラブル発生してくるという展開の話。
一読したなかで私がおもしろいと思ったのは、通信販売のための目録発行をはじめた古本屋のところに、あやしげな「回し屋」が二人やってくる「腹中石」かな。
通信販売する古本屋同士の商品の交換を仲介するという不思議な存在で、うまくつきあってれば便利なんだが、なんか自分の利益になんなきゃそんなことはしないだろうし、自身は古本屋ではないというあやしさがあるのがおもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
猫の縁談
腹中石
そつじながら
とつおいつ
猫阿弥陀

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達摩の縄跳び

2021-04-18 18:26:54 | 読んだ本

文藝春秋編 1997年 文春文庫版
サブタイトルは、「おしまいのページで 2」ということで、『オール讀物』の巻末コラムを集めた『おしまいのページで』の続編。
『おしまいのページで』を見つけたときに、近くにあったんで、ついでに買った、まちがいなくおもしろいだろうから続きがあるなら読みたくなるにきまってるって確信のなせるわざ。
収録されてるのは、昭和61年1月号から平成8年12月号まで、131篇を順番どおりに。
ん? いま気づいたけど、きっちり11年間で、一年あたり12本だから、計算があってない、1つ足りなくないか?
気になったんで、さーっと見てみたら、平成3年10月号と平成8年7月号のぶんがない。
どうしてなんだろう、もともと発行してないのか、書いてあることがよくなくて削除されたのか、無いと気になってしまう。
でも、2つ欠けてたら130篇になるはずなのに、どうして、と思って探してみると、昭和64年は1月号と新春特大号があって、平成元年2月号へと続いてるので、この年だけ13本ある、どういうわけだかはわからないが。
執筆者は16人、登場順にならべると、山口瞳、開高健、丸谷才一、吉行淳之介、結城昌治、水上勉、吉村昭、三浦哲郎、野口冨士男、古山高麗雄、阿川弘之、城山三郎、遠藤周作、近藤啓太郎、伊藤桂一、山田風太郎。
前のやつから引き続きのひとももちろんいるんだけど、そうするとどうなるかというと、作家の高齢化が進んぢゃうので、なんか随所に、病気をわずらったとか、トシのせいか目が悪くなったとか記憶力がとか、そんな話題が目立つようになった気がする。
これだけのメンバーがいて、そんなグチみたいなこと読ませないでくれみたいに思わなくもない。
タイトルの「ダルマのなわとび」ってのは何のことかっていうと、昭和61年6月号の水上勉の書いた回のタイトルである。
著者は幼少時から禅寺に起臥したので達摩の絵をよく見たし、仏教系の中学では絵画の時間に水墨で達摩も書かされた。
で、少年期のあるとき、掛軸の達摩が縄跳びをしているという夢をみたりした、月夜のチューリップいっぱいの野原で達摩がいるというヘンな夢で、記憶に残った。
ことし67歳になって、夜にふらりと外出し、鴨川河原を歩いていると、先に来たヤツがいて縄跳びをしている、破れ衣をまとった六十七、八の男で髭むじゃら。
きっとダルマに違いないと思ったが近寄らずに、しばらく眺めてから帰った。
…っていう話なんだが。なんのこっちゃわからんが、おもしろい。
作家の身辺まわりの雑記にしても、こういう創作かもしれないっていう不思議なやつを、どうせなら読みたい。
以下はコンテンツのうち、私のフェイバリットの丸谷才一の書いたもの。(ただの備忘録)
雨ぎらひ
鹿について
目黒
語法の研究
馬賊とブラジャー
近代そして前近代

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やぶから棒 ―夏彦の写真コラム―

2021-04-17 18:21:48 | 読んだ本

山本夏彦 平成四年 新潮文庫版
丸谷才一がいいというもんで読んでみようと思った山本夏彦、前にあげた「かいつまんで言う」なんかと一緒に買った古本。
三冊買ったんだけど、コラム集ものなんで、時事ネタもあるだろうから、一応年代順に読んでみた、これ三冊目。
初出は「週刊新潮」のコラムだそうで、昭和54年7月から昭和57年7月までのものが順番に入ってる。
昭和57年の単行本『やぶから棒』の100編と、昭和59年の単行本『美しければすべてよし』のうち前半50編とをまとめた文庫版ということで、150編。
文庫裏表紙の宣伝文句によれば、「世の常識がそのまま道理ではないことを知らされ、一読三嘆、ああそうだったのかと胸のすく思いがする名物コラム」というんだが、同じようなもの三冊目となると、そこまで感嘆することもない私。
もともとあまり好みぢゃないかもしれないってのもある、週刊誌に毎週2ページくらいあれば読んでスカッとするときもあるだろうが、毒吐いたのばかり集めて一冊になってるとツライ。
また、「以前にも書いた」とか、「何度でも言う」とかって書かれちゃうと、つい「おじーちゃんたら、またおなじ話ぃ?」とか言いたくなっちゃうんである、私は。すいません若輩のくせに生意気で。
だいたい、そうやって何度も文句言われちゃうのは、銀行と、新聞社と、税務署あたりということになる。
特に新聞をやっつけるときは、その了見をただすことが多く、舌鋒がきびしさを増すような気がする。
(本人は、新聞は読まない、広告は見る、とか言ってんだけど。)
たとえば、
>リベートや賄賂というと、新聞はとんでもない悪事のように書くが、本気でそう思っているのかどうかは分らない。
>リベートは商取引にはつきもので、悪事ではない。ただそれを貰う席にいないものは、いまいましいから悪く言うが、それは嫉妬であって正義ではない。(略)
>我々貧乏人はみな正義で、金持と権力ある者はみな正義でないという論調は、金持でもなく権力もない読者を常に喜ばす。タダで喜ばすことができるから、新聞は昔から喜ばして今に至っている。これを迎合という。(p.100「汚職で国は滅びない」)
という具合、新聞報道のスタンスはお見通し、こういうのって1980年代から日本はなにも変わっちゃいねえなという気にもなるが。
もっとも、この章の結びは、
>今も新聞は政治家を人間のくずだと罵るが、我々は我々以上の国会も議会も持てない。政治家の低劣と腐敗は、我々の低劣と腐敗の反映だから、かれにつばするのはわれにつばすることなのに、われはかれに勇んでつばすることをやめない。(同)
とあって、民主政治の本質んとこも突いてる、痛てテテテ。
大衆の意見のあやうさについては、
>戦後は言論自由の時代で、何を言おうと勝手だと思われているが、これしきのことも言えないのである。むかしは軍と官が言うことを禁じたが、今は誰が禁じるのでもない、あたりをうかがってみずから禁じるのである。(p.35「言論はやっぱり不自由」)
と言ってるが、このへんも昔も今も変わらないな、この国。
さて、「写真コラム」とあるので、週刊誌掲載時には毎号写真があったと思われるんだが、この文庫版ではすべての回に写真がついているわけではないが。
写真のってるなかでひとつスゴイのがあって、昭和五十四年八月九日号の「頻ニ無辜ヲ殺傷シ(「終戦ノ詔書」より)」という回に、「原爆で非業の最期をとげた人の写真」というのを載せている。
もとは、『アサヒグラフ』昭和27年8月6日号に掲載されたもので、昭和20年8月6日に当時の『科学朝日』が広島にかけつけて写し、アメリカ人が草の根わけて写真を没収してゆくなか、カメラマンが七年間ネガをかくして守ったものだという。
>それはまざまざと実物を写した。酸鼻をきわめるという、筆舌を絶するという。それは写真でなければ到底伝えられないものである。私は妻子に見られるのを恐れて、押入れ深くかくして、あたりをうかがった。いま三十半ばの友のひとりは小学生のとき偶然これを見て、覚えず嘔吐したという。(p.26)
というものなんだが、自ら27年後に週刊誌に請うて、その同じ写真を載せてもらい、
>原爆記念日を期して私はこの写真を千万枚億万枚複写して、世界中にばらまきたい。無数の航空機に満載して、いっせいに飛びたって同日同時刻、アメリカでヨーロッパでソ連で中国で、高く低く空からばらまきたい。
>アメリカ人は争って拾うだろう、顔色をかえるだろう、子供たちは吐くだろう。ソ連と中国では拾ったものを罰しようとするだろう。罰しきれないほど、雨あられとばらまいてやる。(p.27)
と言ってんだけど、こういうのをみると並々ならぬ根性がすわってるなと思う。
この写真は昭和の雑誌は載せたかもしれないけど、いまはムリなんぢゃないかなという気がする、「あたりをうかがってみずから禁じる」んぢゃなかろうか。

(※いつもやる、ここに目次のタイトルをならべるのは、150もあるので今回はやらない。)

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スポーツ解体新書

2021-04-11 18:30:14 | 読んだ本

玉木正之 2006年 朝日文庫版
米原万里さんが、「私の読書日記」のなかの「脱帽の三冊」という章で、
>(略)三頁に一回の割でスポーツにまつわるこういう思い込みや無知を突きながら、現在の日本のスポーツが抱える根本問題をほぼ網羅的に取り上げていく。(略)
>率直にして辛辣。該博な知識と教養が視野を広げてくれる。
と評していたので、古本を先月買い求めて、つい最近読んだ。
そこで米原さんもとりあげていたように、
>(略)われわれ日本人は、学校や会社などの組織に帰属する意識が強く、団体意識を強く持ち、団体行動には優れているけれど、じつは、チーム・プレイは苦手な面があるように思えてなりません。学校のスポーツクラブでの合宿などでも、起床は何時(略)といった具合に、団体行動が決められ、チーム全員が同じ行動をとるのが普通です。(略)誰もが同じ行動をする団体行動は得意なのです。
>しかし、団体行動とチーム・プレイは、本質的に異なるものです。チーム・プレイは、誰もが同じ動きをしていては成立しません。また、あらかじめ決められた動きではなく、ゲームの流れのなかで、あらかじめ予定していたこととは異なる動きをするのがチーム・プレイです。(p.52-53)
みたいな、日本人にとって近代化で輸入されたスポーツって、ちょっと本来のものとは違ってきちゃってるんぢゃないのって指摘をいろいろしてくれる。
そのあたり、私なんかは、すぐ、日本人はなんでも「道」にしちゃうからなーとか思ってしまう。
あと、よく思うのは、日本のスポーツ報道って、「ポジション」とかあてはめるのが好きだよねえ。
野球はたしかに野手の守る場所ってほぼ固定されてるけど、最近ぢゃあピッチャーが先発なのか中継ぎなのかとかをコーチ監督よりもマスコミのほうが固めたがってるようにみえることがある。
サッカーみたいに状況によって動き大きいものに対しても、初期配置のポジションにやたらこだわるでしょ。(たしか中田英寿は「システムでサッカーやってんぢゃありませんから」みたいに言ってた。)
あれはなんなんだろうね、やっぱ組織のどこかに自分の居場所があることを確認して安心したがる、日本のサラリーマン根性みたいなのが報道する側にあんぢゃねーの、と私は思ってるんだが。
閑話休題。
そんで、日本人がスポーツについて、あまり楽しんだりしないで、妙にマジメにとらえて、精神修養になること求めちゃったり、猛練習を美徳としちゃったりするのは、
>スポーツは体育として学校でやるもの、というのが「常識」だったのです。それが、第二次世界大戦前までの日本のスポーツ事情であり、スポーツ観(体育観)だったのです。(p.106)
というところに起因するらしい。
だから、スポーツする場所が学校にしかなくて、学校卒業したあとも選手生活続けるひとは何らかの形で学校に残ったりという道をとった。
やがて企業が選手を抱える企業スポーツっていう日本独特の形ができてったけど、それでますます、肝心な、地域社会でつくるスポーツクラブみたいなものできる流れができてこなかったと。
うーむ、しょうがねえなあ輸入文化だから、そう簡単にはなじまない。
そんな日本の特性みたいなことよりも、あちこちで紹介されている欧米のもともとのスポーツ思想のような話のほうが興味深い。
近代スポーツにおけるアマチュアリズムについては、1866年の全英陸上選手権開催時にロンドンのアマチュア・アスレチック・クラブが「アマチュア規定」を発表したんだが、このなかにある文章をあげ、
>《手先の訓練を必要とする職業(trade)、熟練工(artisan)、機械修理工(mechanic)。これらはアマチュアとは認めない》
>つまり肉体労働者は、常日頃から体を使っている「身体活動のプロフェッショナル」とみなされ、アマチュアとは認められず、スポーツ大会に出場することができなかったのです。
>(略)このように、「アマチュア規定」とは、もとはといえば、肉体労働者をスポーツ競技会から排除するために人為的につくりあげられた差別思想だったのです。(p.88)
と解説してくれてるとことか、すごく勉強になる。
もとはといえば貴族、産業革命以降はブルジョワジーが、自分たちは階層が上だけど愛好家としてスポーツするんだもん、ということか。
そうなんだよね、プロ選手といえば現代では聞こえがいいが、古いヨーロッパでは王侯貴族が剣闘士やとってコロシアムで殺し合いするのを観戦するってあたりがプロスポーツの原点だからな、戦うの専門のドレイがプロ競技者。
ヨーロッパのエリート思想が「メンバーチェンジ」にもあらわれている、って話もおもしろい。
かつてのラグビーやサッカーでは選手の交代が認められなかった、これは試合に出場するのは選ばれた者であり、試合終了までプレイしつづけることが求められたから。
先発メンバーに選ばれることがエリートってことなんで、エリートとエリートぢゃない人が試合の途中で交代することはあってはならん、と。
それに対して、一人でも多く誰もが参加できる大衆性を重んじるアメリカン・デモクラシーに裏打ちされるアメリカのスポーツでは、バスケットもアイスホッケーもベースボールも頻繁にメンバーチェンジができるルールになった、と聞くとなんかすごく深淵なものに感じられる、スポーツのルール。
さらに、審判の判定についても、ヨーロッパでは主審ひとりが絶対的なのに対して、アメリカでは主審が副審とか線審とかと協議したり、それどころがVTR判定を適用したりとか、明白さを追求してる。
そうかーと思わされたのは時計のことで、アメリカのスポーツでは試合時間を正式に表す時計が、選手にもコーチ監督にも観客にも見えるところにあって、あと何秒とかってのが誰にも正確にわかるのに対して、ヨーロッパの伝統のスポーツでは主審の腕時計だけが基準で、ロスタイムをあとどれくらいとるか、いつ試合終わりにするのかってのが主審ひとりにまかされている。
そのへんのことを、
>ヨーロッパ社会は、過去の長い歴史のうえに成り立っています。スポーツもその例外ではなく、近代スポーツとしてルールや組織が整えられる以前の「前近代」の長い歴史が存在しているのです。(略)
>(略)絶対王政という政治制度を経験していたヨーロッパのひとびとは、試合の流れを妨げず、即座にジャッジメントを下すうえで、最もスピーディで最も効率的な制度は(時間をかけて話し合いを行う民主制ではなく)審判に対して絶対王政の王権のような権力を付与することだと判断したわけです。(p.176-177)
とか教えてくれる、歴史持ち出すと、なんか大げさな話だなって気がしないでもないが、真実なんだからスポーツ文化ってのは深いものがある。

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