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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

不安の立像

2012-02-29 19:32:51 | 諸星大二郎
諸星大二郎 1993年 創美社発行・集英社発売・ジャンプスーパーエース
リストアップを完成するべく、なるべく順番に並べてってる、持ってる諸星大二郎の単行本シリーズなんだが。
順番的には、つぎはこれあたりなんだろうけど。
収録作は、以前のほかの単行本に入ってるものばかりなんで、私としては、なにがどうというでもない一冊ってことになっちゃう。
でも、結局、本棚に並んでると安心しちゃうからって理由で、買っちゃったんだけどね。
持ってるのは1999年の第6刷。
コンテンツは以下のとおり。カッコ内は、もともとの収録されてる短編集。
「不安の立像」(アダムの肋骨)
「子供の遊び」(地獄の戦士)
「復讐クラブ」(地獄の戦士)
「海の中」(コンプレックス・シティ)
「ユニコーン狩り」(地獄の戦士)
「真夜中のプシケー」(アダムの肋骨)
「袋の中」(アダムの肋骨)
「会社の幽霊」(子供の王国)
「子供の王国」(子供の王国)

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エイワヴァージニアに乗る

2012-02-27 19:48:33 | 馬が好き
乗馬に行く。
ズラっと並んだ馬たちの名札、「好きなの、乗ってください」って言われる。
へへへ、ぢゃ遠慮なく、エイワヴァージニアをとらしてもらいますよ。昨日から決めてたんだ。

エイワヴァージニアは、鹿毛のサラブレッドで、2003年生まれだから9歳、父Kingmambo 母Legend Makerのアイルランド産馬である。
キングマンボ産駒なんて日本にはなかなか入ってこない、だからなかなかいないキングマンボ産駒の乗馬なんである。
トシは9歳だけど、乗馬になったのは2010年の11月だから、キャリアは1年ちょっと。
でも、こないだ小学生を乗せる体験乗馬デビューした、お利口さんである。

どーでもいーけど、体験乗馬につかった馬たちは、エアサンタムールが「サンタ」、強鉄が「テッちゃん」、マルサライガーが「マルちゃん」と呼ばれて可愛がられてたのにくらべ、エイワヴァージニアは名前が長くて難しくて、いまいち気軽に親しめない。(ウィスパーIIもちょっと発音難しいけど、名前短いし。)なんかニックネームをつけなくてはと思ってたら、オカベさんが「エヴァちゃん」と命名してくれた。めでたしめでたし。
さて、そのエヴァちゃんには、私は去年の秋ぐらいから、乗る機会をうかがってたんだけど、きのう中学生が乗ってんのとか見て、これならだいじょぶそうだなと思って、今日は指名してみた。

おとなしーなー。(だいたいサラブレッドでも、外国産のほうがおとなしい ←これって偏見のおそれあり。) ただおとなしいってんぢゃなく、むやみに人にチョッカイだしてこない。これって、シツケがいいんだろうなと思う。(だいたい外国産のほうが、最初のシツケがいい。)
はい、馬装できたら、馬場行くよ。
うん、そこそこの幅があって、いい感じで歩いてくよ。
馬場に入ったら、初めての馬はいつもそうであるように、私は小さく囲われた区画に入ってく。
それにしても馬場に入ったとたん、ピューっと冷たい風吹いてきた、寒みぃー、上着きてくればよかったかも。

常歩で様子をみる。常歩でできないことは、駈歩でもできない。
特に問題はなさそうだけど。右手前より左手前のほうが隅角の奥まで行かないかな、とか、この時点で様子をみる。でも、実際のところは、よくわからない。
常歩で脚つかうと、反応してセッセと歩いてくれる。いい兆候。常歩で前に行かない馬は、速歩でも駈歩でも進んでくれない。
んぢゃ、速歩。最初、手綱を伸ばしてんだけど、むしろ手綱を短く持ったほうがいいみたい。前のほうにダラーンとなりそうなとこを、ピシッとコンタクトとって歩かせてく。
軽速歩で、巻乗りしたり、いろいろやる。
いい感じでハミを受けてたつもりでも、巻乗りに入るとアタマあげて前に進まなくなったりする。
これは私の問題なんだろうと思う。内にカーブしろと命じた途端、なんかヘンなことしてるんだろう。回転に入るときに、アタマあげたり、必要以上に内にアタマ入ったりすると、前肢が出づらい感じになって、当然のことながら馬は後ろ肢も動かすのヤメて、スピード落ちたり止まったりする。もっと上手に回んなくては。
内側の脚で推進して、アタマあげそうになったら内の拳ウニウニしたりして、適当にごまかす。ホント適当ったらテキトーな乗りかたである。
アタマ下げたら、すこしゆるめて、また短く持っての繰り返し。だんだん、それなりに言うこときいてくれる感じになってきた。

んぢゃ、いちど常歩して、そろそろ駈歩しますか。
軽速歩で輪乗りしてると、先生から「もっと、くっつけて。おもいっきり引っ張ってもいいから。それぢゃ駈歩は継続できない」と言われる。くっつける感じは、言葉では説明しづらいな、馬の口をピタッと自分にくっつけるようにするんだけど。
まずまずの速歩になってきたと思われるとこで、座って駈歩を出そうとする。ん?うまく出ないよ、速くなるだけの「スーパー速歩」になっちゃいそうだ。
こーゆーときは、ついつい人間が身体をゆすっちゃうんだけど、そうすると、ますます出ない。ちゃんと座って、詰める。両の拳で馬の上あごつかまえて、自分のおヘソにペタッとくっつくまで持ってくる。(表現がトッピで不正確だが、私のイメージなんで、しょうがない。)馬の身動きをある程度おさえたとこで、ドンと出す。(←ポンと出せよな、俺)
ありゃ、出たと思ったら、なんかよじれた感じ。不正駈歩だ。もう一回速歩にしてから、出し直す。
なんとか駈歩できてるかなと思い、すこしラクにしたりを繰り返してると、「ちゃんと持ってないと、馬のアタマが前のほうにいったら、駈歩続かない」と言われる。短く持って、内側の脚ドンと入れて走らせる。そういやあ、さっきから輪乗りが四角くなってる。
こんど左手前、こっちのほうが簡単に出たかな。しばし輪乗りしたら、蹄跡に出て走らせてみる。あまり馬の口が前に離れてかないように、隅角の前で脚つかって起こすようなことして、感じをつかんだ気になる。
それぢゃ、駈歩で横木をまたいでみましょう、ということで、一本だけ置いた地上横木を、輪乗りのなかでまたぐ。
「遠いときや近いときがあるだろうけど、なるべく近くで。近くしないと、障害を高く飛んだりすることができない。遠いと思ったら、横木の前で少し外とおる感じで。」
えーと、輪乗りを維持するだけで、精一杯ッスw
輪乗りのなかでメリハリ、横木の反対っ側で一度前に出して、回転していくうちに抑える。横木向いたら、馬が伸びてっちゃわないようにギュッとつかまえて、ジッと待って飛ぶ。
「左手前は外に張り出すので、右の拳をしっかりと」 外のヒジを身体につけて、右手は馬の肩甲骨に触っちゃうくらいな感じで、まわってくる。特段逃げてくわけでもなく、輪乗りはできる。
前に出てるのを待たせる感じで来ることができたら、なるべく下見ないで、横木をまたぐ。上手にまたげるかどうかは、馬まかせ。馬もそれなりに考えてる、たぶんね。
横木を終了したら、また輪乗りで速歩をする。二、三周したらすぐ手前を替える。
なんか速歩までだったら、けっこう動かせるような気がする。ちょっと前に伸びそうになるとこをつかまえて、言うこときいたら返すのを忘れないように。ちょーっと、口がこっち来過ぎてる(巻きこむ形になってる?)気もするけど。
そこにいれば俺だって引っ張んないよ、って状態を数秒たもてたら、手を前にするなり手綱伸ばしたりする。でも、そのとき前にスーッと出てかないから、まだホントに動かせてはいないんだろうね。
最後に、また少しだけ駈歩をする。力をためたような速歩になってる気がしたとこから発進。言われてみれば、右手前のほうが出にくいかも。
アタマあげないように内側でウニウニやってると、「それ以上ウチ向けない、まっすぐ」と言われるんで、たしかに必要以上に曲げようとしてたから、馬の耳のあいだから前をみて回る。
終わろうとして速歩におとすと、「駈歩から速歩にしたときにアタマ上げさせない、そのままの下の位置で」と言われたんで、もう一回やりなおし。
駈歩から速歩におとすときに、バタッと勢いを止めるんぢゃなくて、動きながら速歩にするようにする。
「バランスよくないから、むずかしいですよ、その馬」とは、先生の評。

もちろん、先生は他の馬との比較で、馬の動きを解説するために言ってんであって、「バランスよくない」なんてことを、私が同意して言ってはいけない。
なぜなら、たとえば調馬索をかけてみれば、馬は自身のバランスで、ちゃんと駈歩するはずだからである。人が乗ったがために、馬に不自然なことを強いている、動きをゆがめてる可能性のほうが多い。
しかし、馬に乗るということは、乗ってみて、この馬の走りかたはあーだこーだと言うだけでは、ちょいとさみしいことなんぢゃないかなと思う。ほら、こーすればもう少しラクに走れるし、こんな運動(たとえば障害も)も思ったより出来るじゃん!?って感じを、馬と共有していくことが大事なんではないかと。
だって、そうぢゃなかったら、いい乗馬をできるかどうかってのは、天性の素質をもった馬とめぐりあえるかどうかだけになっちゃうぢゃない。どの馬にもいいとこはあるし、向上心とか達成感みたいなものは持ち合わせてると思うよ。
人が乗ったから、できることもある。そうぢゃないと、人が乗る意味、ないよねー。

ま、まずは、私の場合、馬のジャマしないことから始めないと。
あ、そういえば、今日、アブミ上げすんの忘れた。
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はるかなる朝

2012-02-26 19:13:55 | マンガ
星野之宣 2005年 メディアファクトリーMF文庫版
きのうのつづき。
というのは、ただこの短編集に「アリス」という作品が入ってるのにすぎないけど。
星野之宣の「ブルーシティー」とか「巨人たちの伝説」は、ガキのころに初めて読んだ記憶が鮮烈で、後年単行本なり文庫本なりを手に入れて、愛蔵することになるんだが。
その前の、手塚賞(少年ジャンプの主催する作品賞ね)受賞作である「はるかなる朝」は、あまり記憶になくて、それほど執着もなかった。
で、最近になって、ふと思い立ったように、古本の文庫を買って読んでみた。
うん、おもしろい。
ほかの短編も、なかなかいい。今の時点での私のお気に入りは、帝政ロシアの末期を舞台にした「冬の帝王」かな。
でも、私が、やっぱりそれほど星野之宣に傾倒しないできたのは、単純に画の好ききらいなのかなーと、今回あらためて思った。
(あと、幻覚を見て苦悶しちゃうような心理描写もかなー? よくわからない。好ききらいに理由はつけられないから。)
「はるかなる朝」
「荒野への脱出」
「落雷」
「水のアマゾネス」
「ホワイト・アウト」
「冬の帝王」
「イワン・デジャビュの一日」
「アリス」
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ふしぎの国のアリス

2012-02-25 18:27:02 | 読んだ本
キャロル・高杉一郎訳 昭和58年 講談社文庫版
きのうのつづき。
とは言っても、ちゃんと意味のつながりあるところで、なんか日本中世の本か、仏教か、はたまたフーコーかドゥルーズ=ガタリをと思ったんだけど、そういうのは、ろくに読んでないんで、きのうの『悪党的思考』の第一章は、
>ハンプティ・ダンプティにであったあと、アリスはひどく不機嫌になった。
で始まってるから、「ふしぎの国のアリス」にしてみた、っつーだけのことなんだけど。
ちなみに、日本論について書かれた本の最初に、なんでアリスが出てくるかっつーと、「歴史のボヘミアン理論」って言葉が、まるでアリスの世界で使われているような、変な言葉だって宣言するためだけってことで。
それはいいけど、この有名な物語、私は子どもの頃に読んでない。絵本でも読んでないし、少年少女版世界の文学みたいなもんでも読んでない。
なので、この話については、ふつうの子どもが持ってるような素養が何もない。
だからってわけでもないだろうが、有名なシーンを読んでみても、なつかしいとも思わないこともあり、正直おもしろいとも何とも思わない。
持ってる文庫は昭和61年の第7刷なんで、学生のころ読んだんだろうと思うが、なんで遅まきながら読もうと思い立ったのか、おぼえちゃいない。
おそらく、高校んときの英語の教材かなんかで出てきたんぢゃないかと。
ウミガメの学校の先生が、陸亀なんだよね。それで「どうして?」って尋ねるアリスに、「Because he taught us」って答えがかえってくる。トータスってのは陸亀tortoiseと音が一緒だから、そういうシャレだっていうんだけど、だから、面白いでしょって言われても、面白いわけないんだ、そんな解説、授業で教わっても。
そんな一節だけおぼえてる。
なので、そのちょっとあとくらいで、気になって読んだんぢゃないかと思うんだが。英語の言葉遊びが、翻訳で読んで面白いわけもなく。
今回、読み直してみて、解説によれば、子ども向けに、教訓だとかなんだとか、そういう含みとか仕掛けがないところが、この物語のいいとこなんだそうだ。ふーん。
(そーゆーのを聞くと、ついついサキの「話上手」って短編のことを思い出しちゃう。あれは好きだ。)
どうでもいいけど、7章の「気ちがいどうしのお茶の会」なんてのは、いまの時代ぢゃ、出版社が避ける表現だよね。

※2月26日付記 くだんのハンプティ・ダンプティはこの物語に出てこない。あれは「鏡の国のアリス」なんだそうだ。べつにいまさら読む気はないけど。
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悪党的思考

2012-02-24 19:09:18 | 読んだ本
中沢新一 1988年 平凡社
「悪党」ってのは、ふつうの悪者の集団のことぢゃなくて、日本史に登場する悪党的武士、たとえば楠木正成なんかのこと。
実にひさしぶりに読み返してみた。
この本は、「虹の理論」かなんかの後に出て、私は同じ著者のものならと、なかも見ずに面白いだろうと期待して買ったんだが、私には嗜好があわないというか、はっきり言って難しくて、当時読んでそれほど楽しいものでもなかった。
>彼らは流動し、変化する「なめらかな空間」を生活の場とする人々だ、とか、>悪党はボヘミアン的なエートスをもった武士だ とか、そういうキーワードのようなものを含んだフレーズが、直感的にスッと入らないと、スムーズに読み進めない。
数章の短編からなるけど、一冊のテーマは日本の歴史。その後「僕の叔父さん網野善彦」を読んだりしたんで、二十何年前に読んだときよりかは、ちょっとだけ何の話なのか分かりかけた気がする。
おもな登場人物としては、やっぱり悪党的武士をつかって権力を掌握した後醍醐天皇が中心で、あちこちにいちばん名前が出てくる。
でも、権力空間とか、ちょっと抽象的な言葉がとびかうとこが、ふつうの歴史教科書と違うわけで、うっかりしてると、やっぱついてけなくなる。
教科書で何年に何の戦いがあって誰が勝ってとか、おもしろくもない事実を淡々と並べられるより、思想っつーか宗教っつーか、そういうことで歴史を語る、そこがいいんだけどね。魔術をもって権力空間を捕獲しようとした、なあんて言い方というか、考え方が。
でも、(今回読み返すまでスッカリ忘れてたんだけど)私は、最終章の「黄色い狐の王」に出てくるような、ネパールのとある街で「フライング・ストゥパ」のエピソードなんかのほうが、大好きだなあ。
丘の上にある、石とレンガでできた巨大な仏塔が、空に舞い上がる夜がある、って話。見たいねえ。
章立ては以下のとおり。
I 「歴史のボヘミアン理論へ」
II 「真言立川流と文観」
  「春画―ピュシスか、テクネーか」
  「妖怪画と博物学」
  「市場の言葉のアルチザン」
III 「江戸の王権」
  「一八六八年の王権」
  「異教的モノテイスム」
IV 「黄色い狐の王」
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