many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

年末の中華街

2021-12-31 18:06:13 | 横浜散策

年末である。
特に何もすることはない。
何もすることないのは人として幸いなんだろうか。
ヒマだと、横浜中華街へ足を向けてみたりして。

(門の写真を撮ったりしてんとビジター感丸出しみたいでヘンな気分だ。)
中華街のお店もずっと閉まったりしてて大変そうでした、がんばってください。
この季節、中華街のメインのとおりの頭上には、龍が現れる。

夜には灯りがつくはず。

関帝廟通りの龍はちょっと小さめ。

新しい年は良い年になりますように。

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ある勝負師の生涯 将棋一代

2021-12-26 18:44:56 | 読んだ本

木村義雄 1990年 文春文庫版
前に先崎学九段の『摩訶不思議な棋士の脳』を読んだときに、
>将棋は木村義雄という人が初代の名人になった。私の尊敬する大棋士である。棋力も人格も素晴しく、「将棋一代」という本は今読んでも素晴しい名著である。復刊ドットコムあたりで復活してくれないかしら。(『摩訶不思議な棋士の脳』p.219)
という一節があって。
いや、前に古本屋の均一棚でたしか見かけたことがあったはずなんだけど、あまりに古い感じだし、特に木村十四世名人に興味あるわけでもなかったんで、見送ったんだけど。
そんなんいい本だったんなら買えばよかった、と後日のこのこ見に行ったんだけど、もう無かった、まあしかたがない。
で、この9月頃のある日、地元の古本屋であてもなく文庫棚を見てたら、これを見つけて、「まえがき」のところ開いてみたら、
>この本は昭和二十七年刊行の『将棋一代』(世界社)を底本とし、著作権継承者の了解を得て将棋界の専門家しか必要としない章などを一部カットさせていただいた。(p.4)
とあったので、そうか、これでよいのかとサクッと買った。
手元に置くとそれで一安心して読まないのはいつものことだが、最近やっと読んだ。
なかみは、明治38(1905)年生まれの木村名人が、小学生のころに将棋をおぼえて、まわりの大人に認められて、12歳で関根名人に入門するところから、昭和24年に塚田名人に勝って名人復位するところまでの一代記。
中学生のときには柳沢保恵伯爵のところで住み込みの書生をしてたなんて話は興味深いものあった。
それにしても、たとえば、
>ある日夕方家にいると、ぬっと戸の前に立った人がある。
>今でもたまには見かけるが、その頃の下町には、表戸を卸す家が多かった。王朝時代の蔀から転じたもので、関西地方では蔀張といったそうだが、縦溝のある柱へ、横にはめ込む二枚戸で、私の家もそれだった。(p.33)
みたいな戦前の東京、っていうか関東大震災前だから江戸が続いてんだ、その下町の雰囲気の描写が、なんともいい、江戸の風が吹いているってやつだ。
>縁台将棋では、とうとう相手がなくなったので、いよいよ将棋会所へ通うようになった。父の知っていた三笠町の椎名という会所だの、近所の八百屋に連れられて、割下水の会所だのへ行き、そこでも大人を負かすので、会所の方でも珍しがり、確か三銭だった会費を、大抵一二度払ったきりで、あとは会費に及ばぬから、いつでも遊びに来るようにという、特別待遇を受けたものだ。(p.20)
みたいな語り口もリズムよくて、なんか『坊つちやん』を彷彿させるようなもの感じた。
後半はものすごく難しい単語や言い回しも出てくることがあるんだけど、文章については報知新聞の嘱託になってから、いろいろ教わったり、見よう見真似であったり、いろいろ書籍を読むようになったりで、書き方をおぼえていったらしい。
肝心の将棋に関することについては、後半の名人戦を連覇しているときくらいから、いろいろと考えを示してくれている。
>直感には往々独善が伴ないやすいから、これをいましめて大成を期するには、いかなる天才も努力しなければならず、天才的でない努力型は、直感の点で劣るからたまたま迷路に陥ると、疑惑を生じて決断を欠くが、修行によってこれを克服し得る時は、往々天才のひらめきを見せるから、第三者から混同されることもめずらしくない。天才型と努力型と所詮は紙の裏おもてだが、先行する天分において、前者のまさることはいうまでもないから、その上に努力が加われば、鬼に金棒である。(p.226)
とか、
>研究ということになると、どこまでも理詰めに説き進んで、相手の納得するまでは止めないので、よく世間から『木村は一番の将棋を何番も負かす』と評判された。盤上で負けた上に感想談で負かされ、読みの話合いになると、それでもまた負かされるというので、一時「勝負の鬼」などと宣伝されたのも、そんなところから出たのだと思うが、よいか悪いかの問題でなく、いやしくも研究である以上、アヤフヤにはできない性分で、必ずしもかたくなのためだとは思わない。(p.256-257)
とか、
>棋道において技術の錬磨は、心境の進歩と併行するので、新生面の必要なことは、各界ともに同じだから、いやしくもこの道に志すものは、旧道に対する考えの外に、新しい戦術の発明があって然るべく、すくなくとも定跡の一つぐらい創造することは、専門棋士の責務だと思うにつけても、これを発表普及するには、信用ある土台がなくてはならぬ。土台に対する信用のバロメーターが、平素の心構えである。(p.259)
とか、
>技術のみで勝とうとすれば、容易でないにきまっているけれど、それだけが棋道のすべてではない。人と人との戦いである以上、全面的に反映するのは、人間そのものでなくてはなるまい。人としての全体が盛上る時、あらゆる力はその中に包含される。技術上の争いは末で、原動力はもっと高く、あるいは広く深いところから発する。つまり人間そのものであるべきだ。(p.283)
などというように、すごいことをおっしゃっている、単なるボードゲームぢゃなくて、「棋道」なんですね、将棋は。
今後も何度か読み返すような気がする一冊でした。
章立ては以下のとおり。
町将棋
新天地
初奉公
転換期
好敵手
通勤
流寓時代
曙光
新気運
再転期
大成会
新修行
闘病
未断惑
新構想
再試練

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南京漫画

2021-12-25 18:12:23 | マンガ

なんきん 昭和59年 白泉社
これまで、なんきんの単行本は、ずっと昔に買った、『スゲエ』ひとつしか持ってなかったんだけど。
これは今年10月ころ地元で見つけた古本、べつに探してたわけぢゃないんだが、めずらしいと思って衝動買いしてしまった。
『スゲエ』が昭和61年なんで、これはそれより前のやつってことだ、四コマに出てくるキャラクターなんかはおなじみの顔だけど。
>昨晩は ひどい雨 だった
>ぬかるみに 足をとられ
>脳味噌を 落として しまい
>ボーっと してしま った…
とかってシュールな調子でいいなあ。
四コマ漫画も1ページに1本しかないのが多くて、平均すると見開きで3本掲載という、なんというかザックリしたつくりだ。
おもしろいからいいけど。
「もくじ」は以下のとおり。「装幀 久住昌之」となってる、へー。

 よるなんだよう
 猟奇な父さん

 よんこままんが――変態性低気圧――

 東京ゴジダ
 おむすび川
 ふうりん
 変態の純情
 ぞう
 哀愁の大みそか
 落花生
 あとがき


どうでもいいけど、私はなんきん画伯のイラストつかったグッズを持ってたりする。(たぶん非売品)

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木星とシャーベット

2021-12-19 19:07:48 | 丸谷才一

丸谷才一 一九九五年 マガジンハウス
これは去年の4月だったか買い求めた古本なんだが、ずっと積んだままにしてた、いかんね怠け者で。
なかみは、ほぼほぼ書評集のようなもので、「週刊朝日」と「毎日新聞」に1989年から1994年ころに書かれた書評が分量の多くを占めている。
「II 文庫本に添えて」って章は、文庫本の解説を集めてるのはまあ普通なんだけど、「IV わたしは推薦する」って章は、本の帯なんかに書かれた短い文を集めた変わった企画だ。
で、特にすぐ読みたくなるような本の紹介が見つからなかったこともあり、今回一読しておもしろかったのは、「V 国語入試問題大批判」。
主に70年代後半のころだけど、大学の入試問題の特に現代文の出題がひどいとバッサバッサと斬り捨ててる、これがおもしろい。
題材となってる文章がダメだというのがまずひとつで、
>といふのは、小林秀雄は卓越した文藝評論家だが、彼の文章はもともと、飛躍した論理とベランメェ口調の開き直りの連続だからだ。肝心なところに控へてゐるのは気合術と腹藝で、着実な展開とか、明晰な論旨とかは、彼の基本的な美質ではない。さういふ詐術を文藝批評の名人藝として感嘆するのはかまはないとしても、この手のものが入試問題に最も不向きな文章だといふことは、改めて説明するまでもなからう。(p.292-293)
とか、
>もしこれがスラスラわかつたりなんかしたら、あなたの頭がをかしいのだ。ここにゐるのは、つまらぬことを勿体ぶつた口調で言つてゐるうちに、自分でも何を書いてゐるのかわからなくなつた男である。あるいは、エリオットの伝統論(それは明晰なものだ)の口真似をしてゐるうちに、余計なことをゴタゴタ付け加へたくなつて、そのせいで生じた混乱を自分の思索と勘違ひしてゐる男である。(p.288-289)
とか、すごいやっつけかたをするのは爽快だ。
「次の文章を読んで、感じたこと、考えたことを書け」みたいな出題でも、そこに出されてる文章がよろしくないと、
>なぜ感心しないかといふと、引いてある文章を読んでも、感銘が薄いからである。つまりものを書くのに必要なだけの刺戟をこちらの精神に与へてくれない。(略)これでエンジンがかかる人がいたら、それは文章を読む力がないのだ。書く気になれないのにそれでも無理やり何とかするとなれば、これは何を書かせようといふつもりかしらと、あれやこれや出題意図を推測するしかなからう。すなはち国語力や文章力は二の次になつて、むしろ顔色をうかがひながらものを言ふ技術をためされることになる。(p.301)
といった具合に、作文の試験にならないと攻撃する。
字数の制限をつけずに、「説明せよ」と記述させるものについては、
>(略)採点の手間を惜しんでゐない。(略)別に字数制限などしないで文章で答へさせ、それをじつくり読まうといふ態度である。嬉しいぢやないか。国語の試験といふのは、言語能力および思考能力が検討されるわけだが、さういふ精妙なものを測るのにコンピューターなんかに任せるのは間違つてゐる。(p.297)
として、一番いいのは作文を書かせることだと主張する。
逆に、「次のなかから一つ選び番号で答えろ」みたいな出題ばかりだと、
>そのやうな地道な出題を嫌ふのは、言ふまでもなく採点の便宜のためである。符号で答へさせてチヨイチヨイと点をつけ、楽をしようといふ気持がまずあつて(略)(p.320)
とバッサリ言うし、なんか似たような選択肢ばかりのものを並べてる出題には、
>(略)何とか間違はせようといふ魂胆が見え見えで気に喰はない。(略)それは言語能力の検査であるよりはむしろ、何かのクイズのやうだ。(p.308)
と大学生に必要なものを問うてないでしょと指摘する。
なかでもクイズ性がひどいのは、文学史的出題に多いとして、
>かういふ現代詩集の題名など、別に知らなくたつていいのである。正解はロとチなんてことは、古本屋の主人ならみな知つてゐる。文藝評論家も、文藝記者も知つてゐるはずだ。しかし、将来この三つの職業にたづさはるにしたつて、大学生になるとに大事なのはさういふ雑知識ではなく、ちやんとした言語能力と思考力なのである。まして他の職業なら、文学的雑知識はいらない。(p.310)
とビシッと悪問題だとやっつけてくれるところなんかは、なんとも痛快。
コンテンツは以下のとおり。
I 小説から絵まで
 幾時代かがありまして
 もう二つ選ぶ
 セーラー服と世紀末
 物語としての昭和史
 遅ればせな書評
 よく見る夢
 近頃の東京ジャーナリズム
 コラムの藝
 シェイクスピアを描く
 扇絵源氏
II 文庫本に添へて
 植村清二と楠木正成
 正統的な散文
 言語的人間
 迷惑な才能
 パロディとは何か
III 書評のレッスン
 アッラーの恵み
 愛のかたち
 色名帖
 小説の変容
 ディドロの影の下で
 館長室の書棚
 フランス料理から焼鳥まで
 音楽の状態に憧れる
 ロマンチック・アイロニー
 孔子学派
 日本文学に刺戟されて
 田舎町の悲劇
 寛容と平衡感覚
 小説家の領分
 もう一人の大統領
 同時代人の典型
 先祖たちからの記憶
 詞華集の名作
 現代俳句から古俳諧へ
 自然と人間の研究
 桟橋のあかり
 社長と盲腸と符丁
 天才的な作家の弟であること
 金屛風から扇まで
 快楽としての読書
 学者の随筆
 藝術と呪術に境がなかつたころ
 孫悟空はゐないけれど
 ヨーロッパ小説史を生きる
 だまし絵
 長篇小説第一作
 ヴィンテージものの葡萄酒が……
 ハピー・エンディング
 中世フランスの村
 詩人たちの友達
 百年つづく雨期
 人生の楽しみ
 小型のカーニヴァル
 誘惑者の対談
 色事と批評
 新ソクラテス
 『広辞苑』以後
 『ロリータ』の原型
 日本的思考の研究
 物語としての同時代史
 声のためにはウォトカ
 二十世紀藝術論
 野守は見ずや
 愁ひつつ岡にのぼれば
 個性を超えたもの
 ヘミングウェイの肖像
 すばらしい幸福
 右翼的人間
 死者の国の物語
 花形記者の条件
 神話的方法
 離陸そして飛翔
 ポーとO・ヘンリーの国
 国語辞典プラス百科事典プラス新語辞典
 つゆの世
 モダニズムの文学
 東京の未来の空
 劇団四季と新劇と
 西郷も大久保も食べた
 劉邦から毛沢東まで
 ジャポニズム
 恋の共同体
 大人の女
 学術的な遊び
 大英帝国を防衛する
 藤原氏の日本
 銀河鉄道と地母神
 青春そして人生
 ユーモアと論理
 冗談としての小説
 批評の現場
IV わたしは推薦する
 イギリス帰りの先生
 料理の家の娘
 究極の道楽
 昔ごころ
 郷愁
 書評の名手
 不思議な本
 江戸文学最後の巨匠
 小説の名人
 本を夢みる
 偉大な反逆者
 ちよつと文学的
 ハワイで見た夢
V 国語入試問題大批判
 深瀬基寛の思索を排す
 山口瞳に同情する
 ああ文学
 河合塾の出題に抗議する

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それでも映画は「格差」を描く

2021-12-18 18:09:49 | 読んだ本

町山智浩 二〇二一年一〇月 集英社インターナショナル新書
タイトルに「「最前線の映画」を読むVol.3」とついてるとおり、そのシリーズで、前著『映画には「動機」がある』もけっこうおもしろかったんで、読むことにした、新刊出てるの気づくの一か月くらい遅れてたけど。
どうでもいいけど、著者の『トラウマ映画館』でとりあげられてて興味あった『悪い種子』って映画をこないだ初めてテレビで観たんだけど、いやーこれはたしかにトラウマなるわ。
さて、本書は帯に「『ジョーカー』はなぜチャップリンを観るのか?」とか「『ノマドランド』の街はなぜ消えたのか?」なんて書いてあって、おっとそれくらいなら映画詳しくない私も観たことあるぞ(テレビでだけど)と思ったものだが。
原作コミックのジョーカーのヒントになったのは、1928年のサイレント映画『笑ふ男』だってのは知らなかったし、その原作がヴィクトル・ユーゴーの17世紀ロンドンを舞台にした小説だってことまで教えてくれるとは、勉強になるなあ。
『ノマドランド』は一度テレビ録画して観ただけだけど、なんか地味でよくわからんという感じしか持ってないんだけど、
>そもそも、この映画ではノマドたちはどうしてノマドになったのかがわからない。(p.78)
ってことで、本書によれば、原作『ノマド/漂流する高齢労働者たち』にはアマゾンの倉庫で働く64歳女性の生涯とか細かく書いてあるんだそうだ。たぶん読まないけど、私。
観たことない映画のなかで気になったのは『ロゼッタ』。
プロの俳優ぢゃない人を登場させ、セリフはおぼえさせない、表情などの演技も要求しない。
場面全体をみせるロング・ショットをつかわず主人公にカメラが寄って移動するんで、どこで何してるかがすぐにはわかんない、状況説明のためのセリフは使わないんで、誰がなにをしてる場面かわかんない。
見せ場となる画面を使わず重大な出来事は映ってないとこで起きてしまってる、主人公が秘めた感情を言葉や表情にして表すことしない。
ベルギーのダルデンヌ兄弟監督が駆使する、そういう一連の「ダルデンヌ・スタイル」、観てみたいとは思う。
(でも、きっと観たら私は「つまらん」と言うと思うが。)
コンテンツは以下のとおり。
#1 『パラサイト 半地下の家族』――したたり落ちるのは雨だけ
#2 『ジョーカー』――最も恐ろしきハッピーエンド
#3 『ノマドランド』――映画が与えた「永遠の命」とは
#4 『アス』――私たちこそモンスターだ
#5 『ザ・スクエア 思いやりの聖域』――「善きサマリア人」は、どこだ?
#6 『バーニング 劇場版』――格差が生んだ「大いなる飢え」
#7 『ザ・ホワイトタイガー』――インドのラスコールニコフ
#8 『ロゼッタ』――格差と貧困を描く「ダルデンヌ・スタイル」とは
#9 『キャシー・カム・ホーム』――世論を動かした、ケン・ローチの「原点」
#10 『わたしは、ダニエル・ブレイク』――貧しさは罪なのか?
#11 『家族を想うとき』――「個人事業主」という罠
#12 『万引き家族』――ビルの谷間の「スイミー」たち
#13 『天気の子』――愛にできるものはまだあるよ

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