many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ブルーノートブルース

2011-12-31 19:33:05 | 忌野清志郎
「忌野清志郎 LIVE at Blue Note TOKYO」だぜぇ! 2008年 ユニバーサルミュージック
年末年始に、ブログなんて書いてたまるか、と思ってたんだが、つい書いちゃう。
大晦日だってゆーのに。
(年始は、書かないよ、きっと。)
ことしの休みは、録り溜めてたテレビ映画とかのDVDを観たりしてるうちに、時間がつぶれてっちゃてる。
なかなか本を読む感じになってこない。
(そろそろ、村上春樹を、順番からいくと、『ねじまき鳥クロニクル』を読み返さなきゃいけないんだけど。)
テレビでやってる唄なんて、きっとつまんないんで、きょうは、これでも観ようかと思う。
(どーでもいーけど、私の持ってる立川談志家元のCDんなかで、正月に師匠の家に集まって、「話題はたいしたことないですよ、ま、『紅白歌合戦、面白くねえなあ、ありゃあ』とか」言ってるって一節がある。昭和四十年代から基本的にやっぱそうなんである。)
キヨシローの歌には、いつだって真実があるんでね。
(キヨシローだったら、ことしの震災をみて、どーしたんだろう?と、フト思う。)

い・け・な・いルージュマジック
毎日がブランニューデイ
モーニング・コールをよろしく
AROUND THE CORNER/曲がり角のところで
強烈ロマンス
雑踏
君が僕を知ってる
ブルーノートブルース
約束
あふれる熱い涙
マザー(Mother)
イマジン(Imagine)
トランジスタ・ラジオ
よぉーこそ
JUMP
激しい雨
ドカドカうるさいR&Rバンド
上を向いて歩こう
雨あがりの夜空に
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コミック幽

2011-12-29 17:33:26 | マンガ
「コミック幽」が2007年、「コミック幽2」が2010年、メディアファクトリー
こないだ『総特集諸星大二郎』を読んだら、こういうのがあって、私の知らない諸星作品が載ってるってことなんで、ネットでお取り寄せしたんである。
「怪談マンガアンソロジー」なんである。
ほかの作者のも含めて、「オール単行本初収録」なんである。
『ダ・ヴィンチ』増刊の「怪談専門誌『幽』」に掲載された作品たちである。
『幽』は知らないけど、とにかく諸星作品が読めれば、それで満足なのである、私。
しかし、凝ったカバーしてるね。人の手の跡で汚れたようなデザイン。

著者とコンテンツは、コミック幽が、
秋山亜由子「安芸之助の夢」
五十嵐大介「背中の子」「しらんぷり」
伊藤三巳華「憑々草」
大田垣晴子「あなたが怪」
押切蓮介「赤い家」「黄泉の風」「暗い玄関」
高橋葉介「陰陽」「紅い蝶」「ふらんそわ」「蛇女の絵」「森を駆ける」「心霊写真」
中山昌亮「呼んでる?」
波津彬子「幽霊、恩を謝する事」「化鳥」
花輪和一「柿」「魂魄」「浸水」「みそぎ虫」「迷路」「崇り」
魔夜峰央「トランシルバニアの化け猫」
諸星大二郎「ことろの森」「あもくん」「呼び声」「ドアを閉める」「猫ドア」

コミック幽2のほうが、
諸星大二郎「手形」「深夜番組」「雨」「帰り道」「啓蟄」「覗く人」
高橋葉介「顔」「追われる夢」「雨」「信じて下さい」「帰還」「写真の背景」
花輪和一「巣」「真実」「うっすらと」「お祓い」「呪詛佛」「蛆虫佛」
押切蓮介「静寂の谷」「市松人形」「咎」「後悔の奈落」「侵食」「生霊」
岸浩史「月夜に染まる」
河合克夫「除霊失敗」
波津彬子「夜半の膳」
大田垣晴子「あなたが怪」

ページ開くのヤんなるほど怖くもないが、あんま寝る前に読むもんぢゃないな。
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ベースボールテクニック

2011-12-28 19:32:05 | 読んだ本
フレッド・スタンレー著 大島一慶訳 昭和62年 ニッカンスポーツ出版社
きのうのつづき、というわけでは、ないが、野球の本。
原題は「THE COMPLETE INSTRUCTIONAL BASEBALL MANUAL」で、日本語の副題はほぼそうなってます、「プロからアマまでの完全指導書」。
野球の技術の教科書、私は指導者ぢゃないんだけど、なぜかこんなものを持ってる。(今回、たまたま押入れの奥から見っけた。)
マニュアルだから、細かいよぉ。
たとえば「打撃のヒント」って項目をみると、
1、自分に合ったバットを選ぼう。
2、頭を動かすな。ただしミットへ入るボールを追って、後へ、下へと動く分には構わない。
3、注意力の全てをボールにむけろ。
(中略)
13、足の親指の付け根で立て。
14、かかとは地面から浮かせておこ。
15、構えるときは、バットがストライクゾーンのもっとも遠いところに届くかどうか確認しろ。
(中略)
30、ミートした直後に手首をひねる。
31、ボールを引きつけろ。
32、バットのヘッドは常に手よりも遅らせる。
とか、手とり足とり、いっぱい書いてある。
コンテンツは、以下のとおり。
第1章 監督とコーチ
第2章 体力作り
第3章 打撃の基本
第4章 スランプ
第5章 バント
第6章 ベースランニング
第7章 各ポジションでのプレー
第8章 けん制と狭殺プレー
第9章 バント・シフト
第10章 カットオフとリレー(中継)プレー
第11章 守備フォーメーション
ピッチャーに関する項目がないみたいだけど、第7章各ポジションのプレーのとこで、27ページを割いて、ピッチングについて書いてある。
なんでこの本買ったか思い出せないんだけど、パラパラと見てたら、「守備フォーメーション」をテキストで確認したかったんぢゃないかなと思った。
たとえば、
ケース 走者一、二塁または走者一塁、走者二塁で右翼へシングルヒットが飛んだ。
ピッチャー 送球の行方を見るため、三塁と本塁の間へ移動する。
キャッチャー 本塁をカバーする。
ファースト 本塁への送球の場合はカットオフマンになる。三塁への送球の場合は一塁をカバー。
セカンド 二塁をカバーする。
ショート 三塁への送球の場合は、カットオフマンになる。
サード 三塁をカバーする。
レフト 三塁をバックアップする。
センター 右翼手をバックアップする。右翼手へ返球する。
ライト 遊撃手に低い送球をして、同点または勝ち越しの走者が3塁に向かうのを防ぐ。
みたいなの。
バントシフトを除いても、25種類のフォーメーションが載ってるよ。
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型の文化、ニッポン?

2011-12-27 21:09:15 | Weblog
『どちらとも言えません』を読んでて、あー同じこと思う人いるのねと、意を強くしたもので。
日本人は、個性より基本を重視して、自己流のフォームを認めないって話があるんだけど。そのなかで、
選手のフォームに周囲が口を出したがるのは、日本人の「形好き」もあるのではないか。日本の武道、柔道、剣道、空手には、いずれも「演武」なるものがある。
恒例の馬鹿話をするのであるが、日本の野球界は「形の部」を作ってはいかがか。正しく美しいフォームで投げ、打ち、守る。それぞれのプレーは審判員によって厳しくチェックされ、形の規定に即したプレーのみが有効となる。
という一節があって、これが、私が常々思ってたこととに近い。
さすがに、「形の部」を作ったらとまでは、いかないけど。

どーして、日本のスポーツってのは、型にこだわるのかってのが、私の長年の疑問というか、嘆きである。
それに気づいて意識するようになったのは、たぶん90年代末ころ、格闘技を観る機会が増えたころだと思う。
若手の試合とかみてると、なにやらグランドで攻防があったりして、かたっぽがマウントとることがあんのね。
ところが、そこからキメられない。圧倒的優位なのに、フィニッシュできない。
私には、マウントとることは知ってるけど、そのあとどーしたらいーのか分かってないように、見えた。
たぶん、練習で、ポジションの取り合いに終始して、そこで終わってんだと思う。
マウントになることが目的、それで満足、そこからの攻め方を知らない。
そう思って見ちゃうと、ボクシングなんかも含めて、打撃もそう。
日本人ボクサーって、右ストレート打つなら、あしたのためのその2かなんか知らんけど、ほんと真っ直ぐのパンチ出すでしょ。フックは肘を90度に曲げて水平にとか。
運動力学的に威力がいちばんあるかもしれないのは確かだけど、意外と当たんないよね、それ。
その点、アジア系のボクサーとかって、日本人から見たら不格好な拳の振り回し方をするんだけど、意外と見えないところから入ってきて、当たる。特に日本人は、変則的って相手に弱い。教科書にそういうパンチ、出てないから。

そうやって見てくと、私の好きな野球なんかも、へんなことやってる。
日本人ピッチャーって(ピッチングコーチって?)、「ストレート(直球)」を投げたがる。真っ直ぐで、キレイな回転・軌道のやつ。ある意味、打ちやすいやつね。
外国人は、「ファストボール(速球)」を投げる。ちょっと手のクセかなんかで、ナチュラルに右行ったり左行ったりしても気にしない。大事なのは、打たれないことであって、真っ直ぐのボール投げることぢゃない。
打つ方もそう。ボールを力強く叩くことがバッティングに求められることなんだけど、キレイなスイングするほうが大事みたいな信仰がある。
ど真ん中の球を、ドンピシャのタイミングで打つ機会なんて、試合においては、ほとんどない。素振りなんて、意味がない。
ちなみに、こういったことに気づく前のあるときから、私は「素振り」を否定してきた(中学生のころは一所懸命やってたけどね)。
空振りの練習をしてもしょーがない、が私の意見である。動いてるボールをバットで打つ、インパクトのところで一番強く力が出ることをおぼえなきゃ、実戦では使えない。
自分がそうだったからわかるけど、参考までに言っとくと、たいがいの人の野球の素振りって、一番バットのスピードが出るのが、身体の前の方のポイントだったりする。
つまり、自分の身体に向かってくるようなボール球を、三塁ベンチ方向にファールにするような、そういうスイングを練習してる。まったく意味がない。
あんまりくわしくないけど、サッカーなんかも、たぶんそうだよね。
近頃は改善されたかもしれないけど、子どもたちがサッカーの遊びとか練習とかしようとすると、ボールを置いて蹴ったりしない?
キーパーと1対1で、フリーキック打ってゴールねらうような練習。止まってるボールで、コーナー狙ったり、カーブかけたりして満足するような。
そういう状況って、ないでしょ。だから動いてるボールを蹴れないし、相手からボール取ったりできないんぢゃないかって、(かなり昔)思ってた。
また武術に戻るけど、柔道なんか顕著にそうだよね、日本人は型重視。
キレイな投げ技とかさせたら、そりゃ日本人がやっぱ一番だけど、いまの時代の実際の試合は違うでしょ。
背負いでヒザついて投げちゃったり、もろ手刈りで相手倒したり。キレイにやるよりは、何したら勝ちかってとこに重きをおいてる合理主義のみなさんに勝てませんよねー。

なんなんだろーねーって、不思議に思ってるだけで、結論はないんだけど。
やっぱ、日本人って、なにをやっても「○○道」を求めちゃう国民性で、そーゆーのが影響してんのかなーという気もする。
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どちらとも言えません

2011-12-27 15:41:14 | 読んだ本
奥田英朗 2011年10月 文藝春秋
最近にはめずらしく、書店で表紙とタイトルをみて、おもしろそーだなと手にとった本。
実際おもしろかったんでよかったんだけどね。
ガベルを持った裁判官らしきひとの写真の表紙と、なぞのようなタイトル。
帯見ると “オクダ流スポーツから覗いてみるニッポン!”ってのと、太い字で“いやほら、たかがスポーツ なんだから。”ってあるんで、スポーツに関する本かなとかろうじてわかったくらい。
しかし“いやほら、たかがスポーツ なんだから。”ってのは、いいフレーズだね。
ぱらぱらと目次めくってくと、初出誌は「Number」とかってなってる。あー、あの雑誌は(例によって雑誌は定期的に読むわけぢゃないけど)けっこう好きだし、あれに連載されてるコラムとかを単行本にしたんなら、まあハズレはなかろうって、それで買い。
ちなみに、著者の奥田英朗さんというひとは、直木賞作家ということだけど、私は知りません、スイマセン、不勉強なもので。
なかみは、“馬鹿話”があって、楽しい。ことわっておきますが、私が馬鹿って評してんぢゃないですからね、著者が書いてるんです、“馬鹿を言って申し訳ない”とか、自分で。
どんなんかといえば、たとえば、プロ野球の監督は、選挙で決めちゃえとか。
誰を放出するとか、誰を何番打たすとか、マニフェストを掲げて候補者が競う。選挙権は、親会社が新聞出してるんなら、その購読者に与えちゃう。
(なんか、投票権をエサにしてCDとかの商売が成り立つんなら、球団もってる新聞社もそのくらいやっても不思議ぢゃないような気がする。)

まじめな話もおもしろくて、スポーツに関する日本と海外の文化の違いというか、日本人論みたいなのは、私なんか知らないことだらけなんで、勉強になる。
たとえば、日本人にはヨーロッパの階級社会って、実感として理解できてない。
スポーツのなかでは、サッカーは労働者階級のもの、いっぽうラグビー選手とかは紳士として扱われる。
イギリスのエリートに好きなサッカーチームなんか聞いても、そんな階級の違うもの観るわけないだろくらいの対応されちゃう。いっぽうスタジアムに来てるサポーターにコメントを求めても、期待されるような社交辞令入りの答えなんか言う階層のひとはいない。
フーリガンが外国で暴れても、二国間の国民感情がこじれないのは、そもそも同じ人間だと思ってないから。

スポーツチームはオーナーのもの、ゲームなどの祭典の主宰者はオーナーである、っていう指摘も言われて、なるほど。
ワールドシリーズのチャンピオントロフィーを最初に受け取るのは、オーナーだそうで。(そうだっけ?)日本ぢゃ、こないだソフトバンクの孫オーナーが、グラウンドに降りただけで、珍しいと言われてたようだけど。
チームはオーナーのもの、スポーツチームをもつのは金持ちの道楽。オーナーが王様、選手は傭兵。そして選手をそろえるのはビジネス、感情的に誰それを解任しないでとかいう日本人ファンってのは、ダダをこねる子どもといっしょ。

日本人サッカー不向き論ってのも、楽しい。「順番を守る国民性」だから、サッカーが苦手なんだと。
道でタクシーをとめたら、横から別のひとが先に乗りこもうとする、そいつをつかまえて引き剥がして自分が乗りこむ、「待ってるやつには回ってこない」というのが多くの国であって、生活レベルからそうぢゃないとボールの取り合いには勝てない。
スタジアムで観戦するときも、指定だろうがなんだろうが、空いてたら一番いい席に座っちゃう。そこのひとが来たら、べつの場所に移る。それを何度でも繰り返す、図々しさと柔軟性がない日本人はメンタル面で勝てない。

メディアと選手の関係なんかも、日本は白人社会と違う。
むこうでは、名指しして責任追及するのが常識っつーか伝統っつーか、競争社会が成り立っていくために必要なこと。
それは子どものころから一人前として扱われることで身についていて、可愛いとか未熟だという理由で寛容になってしまい、個人に責任負わせない日本のほうが甘い。
メディアと観客は屈服させるもの、「応援よろしくお願いします」なんて甘えてちゃダメ。

オリンピックとかにおいて、競技のヒエラルキーの存在を説いてくれてるとこには、私は同意しちゃう。
アルペンと、モーグルとかスノーボードとかは、地位が違うんで、一緒にしちゃいけないってのが、厳然たる事実なんぢゃないかと。
(モーグルはアルペンに比べたら余興みたいなもの、とはよく言い切ったものだ。)
同じ競技のなかの種目でも、水泳では自由形、陸上なら100メートルがトップ。扱いに格差があっても、それが当然。
そこんとこ、「たとえるなら、カレーライスやトンカツにも三ツ星を与えるようになってしまったのが、現代のオリンピック」と言ってますが、正しいと思います。
誰かが正直に言うべきだよね、それ。
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