many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

夜中の乾杯

2020-07-26 18:18:44 | 丸谷才一

丸谷才一 1990年 文春文庫版
たしか去年の秋に買った古本の文庫、最近になってやっと読んだ、いかんね無精で。
単行本は昭和62年だという、初出は「Emma」の昭和60年創刊号から61年の連載なんで、そのころの話題もあったりもする。
しかし「Emma」って今はもう無いけど、センスよかったんだね、丸谷さんの随筆を載せるなんて、私は当時読んでないけど。(写真撮ってプロ野球選手と揉めた週刊誌だよねえ?)
この文庫の巻末解説は、国学院大学で丸谷さんに英語を教わっていたという嵐山光三郎氏が書いてんだが、
>丸谷さんのエッセイの愉しさは、一章を読み、「うむ、なるほど」と感心してから「いや、じつはぼくもその件に関しては言いたいことがある」と、自分の中に眠っていた発想を喚起されるところにある。
なんて、うまいことを言っている。
当時アメリカに駐在している友人から日本の本を何かと言われると、丸谷さんのエッセイ集を送ってたそうな、話のネタ本にもなるから。
そうなんだよねえ、おもしろいんだ。
日本酒の入れ物はずっと樽とか徳利だったのが、明治になってから一升瓶になった、ところが、あの「長方形のレッテルを貼つたやや上方に、半月のやうな形のレッテルを貼るといふ二重構造(p.98「酒を論ず」)」っていう形から、清酒のびんは葡萄酒びんの真似だというとことか。
フィンランドの野球は、アメリカから輸入されたときに重要なルール修正がおこなわれて、外野の柵を越えた打球はファウルであってホームランではない、っていうミニ知識を披露してくれるとことか。
高浜虚子の主宰する「ホトトギス」に句がたくさん採られるにはミツギモノが必要だった、なんて話もいい。
>(略)かなり上のほうには、政治家とか、俳優とか、画家とかの句がしよつちゆうチラホラありましたね。わたしはあれを見て、子供心にも、有名人の名前をちりばめることで雑誌をにぎやかにしてるんだな、虚子つていのはイヤな爺さんだ、なんて思つてましたが(略)(p.121「正岡子規と富士正晴」)
なんて言ってますが。ちなみに虚子の名誉(?)のためにいうと、同人にするのは句がいいからぢゃなくて別の条件による、ってちゃんと書いてたらしいけど。
二十世紀を代表する女性は誰かってお題をかかげて、マリリン・モンローを出しかけて、いや、やっぱちがう、ココ・シャネルだという話もいい。
男出入りがすごくて、ウェストミンスター公とさんざ遊んだけど、結婚の申し出はことわったらしいが、
>そして、第二次大戦後、彼女が対独協力者であつたにもかかはらず、戦犯委員会から逮捕されても数時間で釈放され、さらにアメリカへ渡航することができたのは、ウェストミンスター公がチャーチルに依頼したためであつたらしい。いいですね。情夫といふのはかうでなくちやいけない。(p.132「女の背広」)
なんてエピソードも紹介してるが、「情夫といふのはかうでなくちやいけない」の一文がいい。
ところで、丸谷さん自身の読書について、興味深い一節があって、
>学問だらうとヒマツブシだらうと、何か読むに当つては、考へ方が違ふときでも楽しめる相手のものを読むのがいいので、つまりわたしが大事にしてゐるのは、結論ではなく文体だといふことになるかもしれません。(p.216「夕立」)
なんていう意見なんだそうである。
ちなみに、ここで「妙に愛嬌がある」として好きだとあげられてるのは、山本夏彦さん。
読んだこと、ないなあ。読んでみなくては。
コンテンツは以下のとおり。
男大学
草雲ゑがく
ケインズと伊東光晴
ヒゲを論ず
肉食の研究
教授会
無帽論
共同体と似顔
性的時代
ユートピア
入社試験
月下美人
酒を論ず
不言実行
胴あげ考
正岡子規と富士正晴
女の背広
女傑
もう一つの名前
駅弁とビール
藏書印
褻語考
ダイナマイト
マランゴ
船玉様
自動販売機
ロイアル・キス
夕立
ゲームとルール
日本的方法
ウナギ文の大研究

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西遊妖猿伝 西域篇 火焔山の章1だ!

2020-07-25 18:34:17 | 諸星大二郎

諸星大二郎 2020年7月 講談社
きたきた! 待ってました! 西遊妖猿伝の新刊!
20日に発売になったんで、すぐ書店行ったさ、すぐ読んだ。
前回の西域篇第6巻が出たのは2015年4月だったんで、5年ぶりかー(遠い目)
なんか単行本の仕様の雰囲気がこれまでと変わっているようだが、まあいい、そんなことは。
もう、このマンガの完結だけが、私の人生の楽しみといえようから。
仕事やめようが、新型ウイルスが来ようが、地震や台風にみまわれようが、これを読みきるまでは死ねない、改めてそう思うね。
前巻まででエピソードが一段落して、新しい章に入った。わくわく。
天竺を目指す玄奘一行は西域のトルファン盆地にある高昌国に案内される、まだまだ天竺は遠いね、しかし。
そこで子供たちばかりの盗賊団みたいのとトラブルになるんだけど、そいつらのアジトは火焔山っていう。
火焔山っていったら、あれでしょ、牛魔王、芭蕉扇、本家西遊記ではおなじみのとこだ。
期待にたがわず、子どもたちが「あの人」って呼ぶ、ものすごい大男で太い鉄の棒を振り回すキャラが出てくる。
でもその正体はまだまだ謎のまま。
次巻、はやく出ないかなー、ああ。
第一回 聖僧 夜を徹して高昌を目指し 行者 山中に孤兒群を見る
第二回 二児 山中に秘窟を探り 悟空 坎井に怪人に遇う
第三回 安氏邸に呉越 同舟し 水流洞に怪人 呻吟す
第四回 城外に悟空 毬を追い 市場に公主 虎を観る

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ブラウン神父の童心

2020-07-19 18:57:36 | 読んだ本

G・K・チェスタトン/中村保男訳 1982年初版・2017年新版 創元推理文庫版
丸谷才一の随筆なり文藝評なりを読むたびに、あー自分は全然ミステリーってのを読んでないんだな、と思うことしきりではあったんだが。
なにか読んだことないもの読んでみようと思って、丸谷さんの「ブラウン神父の周辺」って論考のなかで、
>さう、ぼくはそのやうな意味で、探偵小説を大人の童話であると思ふ。それは一日の疲れを楽しく医(いや)してくれる。(略)そして大人の童話の最上のものの一つとして、『ブラウン神父物語』がある。
ってほめたたえられてるのに興味をひかれ、名前だけは聞いたことがある、それを読んでみることにした。
短編集が五つあって、本書がその最初だということだけは調べて、中古を探してきた。
原題「THE INNOCENCE OF FATHER BROWN」は1911年の刊行だという。
(「童心」って、Innocenceの訳なんだ。Innocenceって問題出されて、自分では童心って単語は全然思い浮かばないな。)
主人公のブラウン神父は、そのとおり神父であって、職業探偵ではないから、普通の探偵小説にはならない。
依頼主が探偵のところへ相談もちかけて、事件を捜査したりとか、そういうんぢゃない。
どっちかっていうと、居合わせたところで巻き込まれちゃったブラウン神父が、ことの次第を推理して一見謎にみえる真相を見破るって感じか。
もちろん逮捕する権限もないし、ボストンの探偵のように悪いやつブッ飛ばしちゃうようなこともしない、静かに解決する。
ほかの主要登場人物は、フランス生まれの天才的犯罪者のフランボウ、大男で腕っぷしもたぶん強い。
冒頭の作品「青い十字架」において、大仕掛けな窃盗をはたらく変装の達人として紹介されて登場したフランボウ、ところが何作かすすむうちに、悪党を引退して、探偵を開業することにしたらしい。
毎回登場してくるブラウン神父の宿敵ってキャラなのかと思ってたら、神父の友達って立ち位置に変わってるし、一冊目のなかからこれでは、やっぱシリーズは順番に読まなくてはと思った。
一作目でこのフランボウを追っかけてるのがパリの警視総監ヴァランタンで、このひとが悪人つかまえる側の中心となってブラウン神父と組むのかと思ってたら、すぐに意外な消え方をしてしまう。
ということで、一読したなかでは、二番目におかれている「秘密の庭」ってのが、インパクトつよかったな、他の誰にも見られずには入り込めない場所で、当日招かれていない知らない男が首切られてるの見つかるって事件。
短編集だから、あまり考えずにさらさら読み進めてったけど、どれも印象としては、おかしなことが起きたけど、アタマいい神父から見れば真相はお見通し、って感じのエピソードの数々。
ミステリーというより奇譚集って感じと言えばいいか、丸谷さんのいう童話ってニュアンスがなんとなくわかる気がする。
若いころに読んだら、なんぢゃこれはと思ったかもしれないが、謎解きはたいした問題ではないと思っていまは読んでるので、まあこういうのもたまにはよいかという感じ。
でも、さらさら読みたいものが欲しいという視点からすると、なーんか、改行少ないせいか、読みやすくはないんだよね。
ちょっとわかりにくいような言い回しとか、そういうのはしかたないね、100年以上前のものに文句いうもんぢゃない。
コンテンツは以下のとおり。
青い十字架
秘密の庭
奇妙な足音
飛ぶ星
見えない男
イズレイル・ガウの誉れ
狂った形
サラディン公の罪
神の鉄槌
アポロの眼
折れた剣
三つの凶器

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野良犬トビーの愛すべき転生

2020-07-18 18:30:48 | 読んだ本

W・ブルース・キャメロン/青木多香子訳 平成二十四年 新潮文庫版
つい最近のことだが、リサイクル書店で文庫の外国作家ものの棚をボヤーっと見てると、本書のタイトルの背が数冊、目に入った。
おや、これって、もしかして、あれぢゃないかな、と引き出してカバーの表紙みると、やっぱそうだった。

『僕のワンダフル・ライフ』(2017)って映画をテレビ録画して観たのは、ちょっと前だった。
べつに何の予備知識もなくて、なんとなく、犬を使ってるらしいのに興味はあり、ひまつぶしのつもりで選んでみたのだが。
最初のうちは、犬に喋らせたりって反則だよな、とか、ひどい犬の飼い方だ、人間がボスにならなきゃダメだ、とかブツブツ言ってたんだけど。
最後のほうになると、なんたって犬好きなもんだから、もう、犬がんばれー、とか、犬よかったなー、とかって感情に支配されてウルウルする破目になってしまった。
なので、原作があるんだ、ってことに気づいたら、読んでみたくなってしまったのはしょうがない。
原題「A Dog's Purpose」は2010年の作品、著者のほかのものは知らないけどコラムニストらしい。
映画とは微妙にちがうけど、大筋はいっしょでした。
すてきなアイデアとして、犬が転生、生まれ変わります、何度も何度も。
六道輪廻とはちがうよね、人間が畜生道におちるとかぢゃなく、犬が生まれ変わっても犬だから、どこまでいっても犬。
それで、語り手が犬、有名な「猫」がいる日本以外の国で、動物の視点から物語書くような発想がでてくるとは思わなかったけど。
はじめは野良犬として生まれて、なんかそういうのの飼育場やってる人に拾われる、トビーって呼ばれる。
母犬が去ってしまい、きょうだい犬と残されるんだけど、そこで
>人生とは、それがどんなものかがわかった途端にまた変わってしまう、僕はそう思い始めていた。(p.48)
ってことに気づく、たいした悟りですな、まだ子犬なのに。
そうこうしているうちに死んぢゃう、たぶん人間の都合、残念だねえ。
ところが、ゴールデン・レトリーバーに生まれ変わる。
前の一生をはっきり覚えてるのに、母親のおなかのとこでもぞもぞするしかない子犬からまたやりなおし。
で、いろいろあって、8歳の少年イーサンに飼われることになる、運命の出会い、ここがメインの人生。時代は人間が初めて月に降り立ったころ、場所はミシガン州のどっか。
ベイリーって名付けられ、いい子だってホメられたり、悪い子だって叱られたり、ドジな子と言われたりしながら、犬と少年は仲良く暮らす。
いろいろアクシデントもあったけど、そうやって長年つれそって、
>僕の目的は、一生を通じて、彼を愛し、いつも一緒にいて、彼を幸せにすることだった。(p.243)
って境地にベイリーは達する、いいねえ。
でも犬と暮らして何が悲しいかって、犬のほうがトシとるの速いんだよね、人の1年が犬のなかでは7年だっけ、だいたい。
最初は8歳の少年と生まれてすぐの子犬だったのに、犬の寿命のほうがずっと先に終わる、それはしかたない。
かくしてだいぶ大人になったイーサンにみとられて、ベイリーは大往生。
でも転生する。こんどはメスのシェパードに生まれる、もちろんイーサンはどうしただろうとか前世の記憶はある。
こんどは警察犬エリーとして訓練されて、多くの人を救助して英雄犬になる、この人生はわるくないと思う。
それでもやがて年老いて死んぢゃう、ところがやっぱり生まれ変わる、こんどは黒のラブラドール・レトリーバー。
血統書つきらしいけど、何故か売れ残って、あまりよろしくない飼い主がついたが、すぐに捨てられてしまう。
ところが、捨てられてからあてもなく腹減らして歩いてると、ベイリーだったときに少年イーサンと来たことのある場所に気づく。
そこからイーサンの家を探し当てて、運命の再会、かつての少年は半分隠居している老人になってたけど。
犬のほうは前世の記憶あるけど、人間から見たら犬種はちがうし、だいいち転生するなんて知りっこないから、最初はどっか保護施設にやられちゃいそうになるけど、結局飼ってくれることになる、そういう運命。
再会できてめでたしだけでなく、犬としての自分の目的は少年を幸せにすることだって信念は変わらず持っているから、あまり幸せそうぢゃない今の彼のためにひと肌脱ぐことになる、偉いぞ、犬。
いやー、ストーリーだけぢゃなく、いいんだよね、ところどころ出てくる犬の感情の描写のようなものが、単純なエピソードのようなとこでもときどきツボにくる。
同意を示すために尻尾を振った、とか、これはどういうゲームだろうかと思った、とか、まあ考えてそうなことだなってのもいいが、迷子になってピンチな状況で、「一番いいのは、家に帰ってもっとチキンを食べることだと思った(p.155)」なんて犬らしい結論を出してくると、カワイイとしか言いようがない。
でも、人間を観察していて、「2人の間にはあふれんばかりの愛があって」とか「僕は若干の悲しみが彼から漂い出ているのを感じた(p.228-229)」とか、するどい洞察力を発揮して対応考えたりしてると、ホントかどうかは知らんが犬好きとしては単純に信じてしまう。
「僕は、彼女を慰めたい気持ちと、車に乗らなきゃという思いとの間で引き裂かれた(p.299)」とか、いいですねえ。
ああ、そうそう、この犬は車に乗るのが好きっていう性格です、それも荷台のケージなんかぢゃなく、人といっしょの前部座席がお気に入り、何回生まれ変わっても、いいなあ、そういうの。

(↑二枚重ねのカバーの映画の宣伝版のほうをはがすと、これが本来のカバー。)

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RCサクセション~忌野清志郎ベスト・ソングス100(ミュージック・マガジン)

2020-07-12 18:33:34 | 忌野清志郎

ミュージック・マガジン2020年7月号
先週のことだけど、定期購読誌を買いに書店へ行ったら、趣味的雑誌売り場の一角に「ミュージック・マガジン」って、ふだん私の読まないような雑誌が積んであって。
その表紙に目がとまってしまい、予定になかったのに、おもわず買ってしまった。
「特集 RCサクセション~忌野清志郎ベスト・ソングス100」って、雑誌タイトルより大きな文字がとても気になった。
表紙の絵はなにものかと思ったら、不心得者の私は知らなかったんだけど、6月24日にリリースされた「忌野清志郎 COMPILED EPLP」って3枚組CDのDISC-1のジャケらしい、裏表紙に広告が出てた。
(いま気づいたんだけど、文字書き写そうとするまでは「COMPLETE」だとばっかり思い込んでた。3月に出たRCの3枚組のほうはそのタイトルだったから。)
で、誰がいまさらベスト・ソングスなんて決めているかというと、選者30人がいて、ひとりあたり1位から25位まで順位つけて選曲して、それを集計したんだという。集計方法は書いてないけど。
いいのかな、こんなリストでした、って中味をここに書き写したりして。やめとくか、まだ新しい記事に属するから。
でも、まあ、だいたいこんなとこでしょうというのが上位に入ってますね、という感想になる。
ついついクロウトというのは、ちょっと変わった角度からせめてみたくて、意表をついたチョイスとかしがちだと思うんだけど、まあ普通にしといたほうがいいんぢゃないでしょうか、こういう企画は。
で、もちろん、自分だったら、って想像はせざるをえないんだけど、実際やってみると、25曲ってのは、けっこうたいへん。
現実にリストアップしようと思うと、25曲というのは、かなり多い、相当いろいろ拾えるのがわかる。
10曲ぐらいだと、これも好きなんだけど涙を飲んで落とそうとかって選択がいくつも生じるけど、25だとかなりフォローできる。
でも逆に後半の10個くらいは、そのときの気分でだいぶ変わっちゃいそうな気がしないでもない。
というわけで、いまの私の25なんてあげてもしかたないので、並べたりしない。
ベスト3だったら、「トランジスタ・ラジオ」、「君が僕を知ってる」、「雨あがりの夜空に」ってとこかな。
「上を向いて歩こう」好きなんだけど、あれはオリジナルぢゃないんで、ちょっとだけ下かな。
ちなみに選者30名のうち、「トランジスタ・ラジオ」を1位にしたのは4人、「雨あがりの夜空に」も4人、いちばん多いのは「スローバラード」で5人。
私のなかでは「ラプソディ―」のほうが「スローバラード」よりちょっとだけ上かな。

※それにしても困ったことに、この最新の音楽関係雑誌、ほかのどの記事を読んでも、私には何のことかサッパリわかんないんだよね。
 どれだけ世間から遅れてしまったことか。“チカーノ音楽”ってなにさ?

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