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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

今日のミトロジー

2023-10-26 18:28:32 | 中沢新一

中沢新一 二〇二三年一月 講談社選書メチエ
これは7月ころに、ふと見つけて買った、わりと新しいもの、最近になってやっと読んだ。
タイトルみて、おもしろそうだと思った、『人類最古の哲学』とか著者の書くもので神話学にからむものは刺激されるものが多いからねえ。
初出は2021年からの「週刊現代」の連載エッセイらしい、だからかあんまり難しくなく読みやすい部類な感じする。
序文に、
>私も現代の日常生活に侵入し、たしかな場所を得ているミトロジー(神話)について、規則的に考察しようと試みた。(略)
>素材の多くが現代日本の日常生活から取られていることもあってか、私はこの仕事をつうじて、この国の文化がかなりの深い層にいたるまで、ミトロジーによって影響を被っているという事実を観察して、いまさらながらの驚きを感じた。いやこの国の文化そのものが、深層においてミトロジーを土台になりたっているのかもしれない。(略)
>日常生活から取り出された何気ない素材の中に、深遠な人類的主題が隠されていることを、私はこの本で示そうとした。(p.1-4)
とあるように、日常にみられるできごとを採りあげて、そこに深い意味があることを発見していく、意識してなかったことを考えさせられる。
そういうのって、たのしい、「この事象の背後にはなにがあるかなんて、そんなややこしいこと、わざわざ考えないよ」ってとこ、考えるのが哲学ってもんぢゃないだろか。
オリンピックのスケートボードをみて、
>スケーターたちは、路上パフォーマーと同じように、市民の日常生活をなりたたせている有用な行動の「文法」を、ひっくりかえしてみせ、自分の身体とそうやって無用になった「もの」を使って、日常の外にある「美」を、短時間だがこの世に出現させようとするのである。こういう美には、しばしば「ポエジー」が宿ると言われてきた。(p.16)
とかって、ふつう考えないもんねえ、そこまで。
たとえば、ウルトラマンは単純な正義でも悪でもないってことを説明するのに日本神話のスサノオを出してきたりとか。
20世紀に宇宙開発競争してたときに、ロケットに乗りこませる動物としてソビエトは犬を選んだけどアメリカはチンパンジーを選んだのは、両国家におけるミトロジー的思考の質の違いによるものだとか。
卑近な例を提示されて説明つけられると、そうなのぉ、そういうもんかぁ?とか思うんだが、そこでときどき、
>(略)宇宙開発とは未知だった領域を既知の世界に回収していくことであり、そこで人間は新しい存在に生成していくのではなく、元の人間のままで、未知だった領域を自分のよく知っている世界に組み込んでしまうのが、宇宙へ出ることの意味だと理解されるようになった。初期には、「創造的」であることをめざしていた宇宙開発は、しだいに未知を既知のなかに引き戻していく「還元主義」の行為に変容してしまった。(p.53)
みたいに、なんかそれらしい理論のようなものが語られるから油断できない、よく整理された結論を与えられるとひと(私)は安心してしまうのである。
ほかにも、ビル・ゲイツが離婚の理由として、このまま一緒にいても成長できないからって言ったのを受けて、このひとは夫婦愛でも成熟させるんぢゃなくて資本主義的に成長させなきゃいられないのねってとこから、「成長のミトロジー」を説明してくれるとこはおもしろい。
>一万年ほど前の中近東で起こった「農業革命」とともに、人類の脳に成長の主題が組み込まれたのである。
>(略)農業の始まりによって、大地に蒔いた種は何倍にも増え、富は増えて戻ってくることを知った。
>このとき成長のミトロジーの原型が生まれた。以来数千年もかけて、このミトロジーは確実な発達をとげていき、ついに近世のヨーロッパに、究極の増殖世界の実現をめざす「資本主義革命」を起こした。いまや、人類の脳は、成長し増殖する世界をあたりまえのものとして思考する、増殖脳という強力なフィルターをとおして、世界を認識している。(p.56-58)
って、増殖脳がセットされてるから、成長しなくちゃって意識から逃げらんないっていうんだけど、なんとなく『サピエンス全史』とか思い出させられた。
あと、なんで鉄道乗るのが楽しいんだろねって題材で、
>乗り鉄の人々は、自動車が与える自由なドライブの感覚よりも、座席に居場所を制限されたまま、決まった線路の上を決まった時刻どおりに走っていく、鉄道の不自由のほうを愛している。(略)
>鉄道愛好者の多くは、自動車が与えてくれる自由の体験は、ほんものの自由ではないと考えている。それは個人の小さな意識の生み出す、小さな自由の感覚にすぎない。そういう自由を否定して、鉄路が定めるより大きな「法(ダルマ)」に身を委ねていくとき、人間はもっと大きな自由を体験することができる、というのが乗り鉄の秘められた哲学である。
>乗り鉄の無意識にとって、鉄路は宇宙的な法の比喩なのである。(p.125)
ってぐあいに語ってるのなんかも刺激的、すごい大風呂敷だよね、鉄道好きだっつーだけなのに、哲学でダルマなんだから、おもしろい、こういうの好き。
どうでもいいけど、じきハロウィンという季節だが、
>ヨーロッパの古い形態のハロウィンにおいて、祭りを司っていたのは「死の王」である。夏の間、旺盛な生命を満喫していた植物たちにも、秋になると死の影が忍び寄ってくる。近づいてくる死の影を察知した植物たちは、自分の遺伝子を残すために、さまざまな果実を実らせて、種の散布を準備する。こうして「実りの秋」がやってくるのだが、じつはその季節は死の王の支配の到来を告げている。死がなければ実りもない、というミトロジーが、この祭りの背景にある。(p.219)
ということらしい、勉強になるなあ。
で、著者は渋谷にあのハロウィンが戻ってきてほしいというんだが、
>渋谷には他の街にはない、死霊を呼び寄せるような無分別な土地の力が隠されており、東京からそういう土地をなくしたくない、と思うからである。(p.223)
って理由をあげる、『アースダイバー』を思い出した、おもしろい話だ、渋谷区長は怒るかもしれないけど。
コンテンツは以下のとおり。

 スケートボードのポエジー
 ウルトラマンの正義
 『野生の思考』を読むウルトラマン
 オタマトーンの武勲
 宇宙犬ライカ
 ベイブvs.オリンピッグ
 近代オリンピックの終焉
 M氏の宇宙飛行
 成長のミトロジー
 惑星的マルクス
II
 シティ・ポップの底力
 氷上の阿修羅
 神仙界の羽生結弦
 音楽はどこからやってくるのか
 花郎(ファラン)とBTS
 古墳と宝塚歌劇団
 聖なるポルノ
 アンビエント
 非人間性について
 タトゥーの新時代
III
 ミニチュアの哲学
 乗り鉄の哲学
 abc予想
 低山歩き復活
 第九と日本人
 ウクライナの戦争
 戦闘女子
 『マトリックス』と仏教
IV
 ポストヒューマンな天皇
 フィリップ殿下
 シャリヴァリの現在
 家族の秘密
 キラキラネームの孤独
 愛のニルヴァーナ
 「人食い(カンニバリズム)」の時代
 『孤独のグルメ』の食べる瞑想
 自利利他一元論
V
 サスペンスと言う勿れ
 怪談の夏
 渋谷のハロウィン
 鬼との戦い
 丑年を開く
 大穴持(オオナモチ)神の復活
 気象予報士の時代
 エコロジーの神話(1)
 エコロジーの神話(2)
 反抗的人間の現在

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日本人は思想したか

2021-06-26 18:38:03 | 中沢新一

吉本隆明・梅原猛・中沢新一 平成十一年 新潮文庫版
ことし2月だったか、街の古本屋で見かけて買ってみた、読んだの最近。
むずかしいテーマのような気もしたが、鼎談だというので、わかんない言葉とか少ないだろうと思ってのチャレンジなんだが、脚注もいっぱいついてたりして、読むのに苦労はしなかった、ほんとに意味理解できてるかは自信ないけど。
冒頭で、「日本の思想とはいったい何なのだろうか」ということを語るに、「いま」いろんなもののサイクルが終わっていくので、いい時期ぢゃないかみたいに中沢さんが言ってんだけど、それは初出「新潮」の平成6年くらいのこと。
最初は国家とか近代とか言われてもなんか漠然としてわからんなあと思ってたんだけど、文学がからんでくる話はおもしろい。
和歌の発生についての考察で、異質なものが出会ったときに第三のものとして短歌の「喩」が発生するってのもおもしろいけど、なんで七五調なのかということについて、梅原さんが万葉集より前の「記紀」の歌謡では韻律は一概に定まっていないとして、
>そういうふうに考えると、律令社会の成立ということと、七五調の歌の成立というのはつながっているんじゃないかという気はしますね。だからやはり、五言絶句とか七言絶句とかいう、中国の詩を意識したのではないでしょうか。(p.162)
みたいに言っている。
梅原さんの立てるいろんな説は興味深くて、『古事記』は歴史書ぢゃなくて、歴史を題材にした歌物語ではないか、ってのは刺激的で、さらに原作者は柿本人麿だって言われるとすごいなと思う。
もともと「日本神話には(藤原)不比等の政治哲学によってつくられたフィクションが多い」と考えてたらしいが、『古事記』には歌が多いので、人麿とかそれより前からの伝承が引き継がれている物語なんではないかと。
それに比べて、歌をほとんどカットして編集されてる『日本書紀』については、政治的色彩が強くて、
>だからね、神話のところがいちばん政治的なんです。天照と元明をイコールにしている。そして、持統から文武へ、元明から聖武へという、祖母から孫への皇位継承を絶対化しよう、そういう思想があるんですよ。(p.181-182)
と言ってくれてるところでは、目からうろこが落ちた気がした、そうだったのか。
さて、時代が下がってくうちに、非政治の文学がいつ成立したか、という議論になるんだが、これについても梅原さんが明快な論を展開していて、
>私はやっぱり『古今集』だと思うんです。『古今集』の序文、真名序に、政治の価値はひとときだ、いま栄えている人も死ねばすぐ忘れられていく。それに対して文学は千古の価値がある、ということが書かれている。人麿も和歌の聖というふうにそこでとらえている。そこが面白い問題で、『万葉集』で「万葉」、つまり永遠ということは政治的な圧力で死んだ人間がむしろ永遠だ、反政治の文学が永遠だと。ところが『古今集』の序文で言っていることは、もう政治はやめる、これは価値が少ない、文学そのものが永遠だ、ということになっている。(略)紀貫之がそういうことを考えた背景には紀氏の政治的敗北がある。紀氏はもう文学で生きるよりしょうがないという気持ちがあるんです。(p.195)
と言っている、学校の国語の授業の文学史もこういうこと教えてくれればいいのにとマジ思った。
ほかに文学については吉本さんが『源氏物語』について、文化として日本には春夏秋冬があるんだと初めてきちっと言ったのは『源氏物語』だという、現実の日本列島は南のほうは常夏的で、北のほうは秋と冬だけみたいなのに、
>つまり光源氏が花散里夫人をこっちの冬の庭のところに置いてとか、夏の庭のところに置いてとか、庭を四つに区切って、春の庭には自分がいてとか、そういう区切り方をしちゃう。庭を全部、四季の花で代わりばんこに移るようにつくるみたいな。だから桂離宮の原形なんでしょうけれども、そういうのを『源氏物語』が初めてつくってるわけです。四季感をつくっちゃってるということが僕はものすごく重要な感じがするんです。(p.198-199)
なんていうふうに言って、四季の世界をつくったのは偉大だとしている、だからってそれ以外は文化から外されたような気がするのは不服だとも言ってるけど。
もっと時代が下がっての、仏教と音楽的芸術の話のとこでは、中沢新一さんが浄土教は日本のプロテスタントだとたとえて、
>浄土教自体がもともと音楽的ですよね。(略)比叡山でやっていた声明はメロディーですよね。きれいなメロディーでやっていたのが、浄土教になるとリズムになっちゃう。
>(略)なぜドイツ音楽が発達したかといったら、それはプロテスタントが視覚美術を否定したからですね。ドイツ人は視覚芸術を封殺されてしまったので、全エネルギーを音楽に向けていった。そしてその中から、バッハが生まれベートーヴェンが生まれた。これがプロテスタントだとしたら、日本でもちょうど同じことが起こったんじゃないでしょうか。(p258)
って調子で、やっぱ学校の授業では教えてくんないような視点をみせてくれて、音楽に合わせた語りって文化ができてくときの仏教の重要性に気づかされる。面白い本だ。
コンテンツは以下のとおり。
1 日本人の「思想」の土台
 「日本思想」という言葉の意味
 ヘーゲル的な国家間への抵抗
 アイヌ・沖縄・本土を繋ぐもの
 近代主義の限界点
 技術の本質と自然
 この世とあの世から見る目
 日本語という遺伝子
2 日本人の「思想」の形成
 ギリシャ思想と日本思想のはじまり
 行基の重要な役割
 「天つ罪」と「国つ罪」
 「十七条憲法」の背景
 「山の仏教」の精神
 国家も文字もつくらない文化
 稲作は城壁をつくる思想に似合わない
 本居宣長の国学について
 古代の怨霊を見失った近世合理主義
3 歌と物語による「思想」
 和歌の発生について
 『古事記』は歌物語
 国家神話のつくり方
 ファルス『竹取物語』
 非政治的文学はいつ成立したか
 『源氏物語』の四季感が桂離宮の美学
 「幽玄」の持続と解体
 『今昔物語』以降の無定形な世界
4 地下水脈からの日本宗教
 「毛坊主」の系譜
 親鸞は聖徳太子の生まれ変わりか
 死んで甦る「思想」の展開
 法然のデカルト的思考
 多神教と一神教の起源
 縄文的な宗教心と踊りや芸能
 正統派仏教と日本思想としての仏教の臨界点
 怨霊鎮魂も日本人の宗教
5 「近代の超克」から「現代の超克」へ
 京都学派による哲学の誕生
 「近代の超克」の影響力
 自己愛と分裂性パラノイア
 人間中心主義の限界
 柳田・折口の対立点
 超近代小説の可能性
 危ないところで生きる

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虎山に入る

2018-04-22 18:21:09 | 中沢新一
中沢新一 2017年 角川書店
去年『熊を夢見る』と同時刊行されてたんで、いっしょに買った。
タイトル、「虎(が)、山に、はいる」って読むのかと(意味わかんないけど、なんかそんな故事があるのかと)思ったんだが、「こざんに、いる」なんだそうだ。
ブライアン・イーノ(誰?)のアルバムタイトル「Taking Tiger Mountain(By Strategy)」から採ったんだそうだが、ブライアン・イーノは中国の京劇『智取威虎山(虎山を知略によって占領する)』のポスター見てつけたんだという。
戦略をもって虎のいる山に入ってく、わかるようなわからないような。
収録されてるのは、新聞に載ったものとか、文庫の解説とかが多くて、講演録、インタビュー記事も含めて、全体的にわりとやさしめで読みやすい感じ。
河合隼雄さんとか山口昌男さんについての追悼文なんかがあって、昨年来、昔話にこめられた深層心理とか見世物についての文化人類学みたいな本読んでる私には、過去のことというよりはタイムリーなものになってしまった。
コンテンツは以下のとおり。
・序 虎山に入る
・天使の心、悪魔の心(2014年)
・冒険者たちへのレクイエム
 ・ドン・キホーテの謙虚さ―レヴィ=ストロース追悼(2009年)
 ・日本人のたましいの形―河合隼雄追悼(2007年)
 ・チェシャ猫は笑いだけを残して(2008年)
 ・修行の無意味とシャンデリア―吉本隆明追悼(2012年)
 ・吉本隆明の経済学(2012年)
 ・剣豪のような人(2012年)
 ・創造的ないたずら者―山口昌男追悼(2013年)
 ・「Be Careful」なふたり(2014年)
・日本思想のリレイヤー
 ・「内側から」描かれる歴史―柳田國男『海上の道』(2013年)
 ・地名のアースダイバー―柳田國男『地名の研究』(2015年)
 ・ムスビの神による人類教(2014年)
 ・創造の出発点―井筒俊彦『神秘哲学』(1991年)
 ・馬上の若武者―『井筒俊彦全集』(2013年)
・天竜川という宝庫(2009年)
・エネルゴロジーについて(2012年)
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熊を夢見る

2018-03-17 18:51:56 | 中沢新一
中沢新一 2017年 角川書店
去年11月だったかな、買ったの、最近やっと読んだ。読んだらとてもおもしろかった、早く読めばよかった、って近ごろこのパターン多いな。
タイトルに熊がついてるけど、カイエ・ソバージュ読んだばかりの私としては、お、熊、「熊から王へ」、人に贈りものをもたらしてくれる熊、対称性人類学だなと、ピピっときたので、見てすぐ買った。
予想どおりである。いきなり序文で、
>したがって「熊を夢見る」とは、旧石器時代以来のとてつもなく古い人類の思想を表現した言葉である。(略)
>「熊を夢見る」ことができるうちは、人類の心はまだ健全さを保っていると思える。
と来たもんだ。
対称性ってのは、人間と動物とは違うものみたいに考えないことで、なにもかも共通の世界に存在してて互いに行ったり来たりできるような関係なんであるみたいな感じ。
>対称性の思考は、ものごとを分離するのではなく、つながりをつくりだし、全体のつながりの中にものごとを包みこみながら思考する。(略)
>「私」は「私」という個性であると同時に、ヤムイモであり、オポッサムであり、岩であり、宇宙をつくりあげている「すべてのもの」である、というオーストラリア先住民の考え方は、こうした心的構造から生まれてくる。(p.112-113「対称性の思考としてのアニミズム」)
だなんて、とても美しくて魅力的なものの考え方だと思う。
>これにたいして現代人に大きな影響をもっている科学的思考では、自然を人間から分離して、客観的な対象物としてとらえる「非対称性の思考」を発達させているので、地震のような自然の現象と人間的な世界の現象とを、別々に考える習慣がついてしまっている。そのために、自然に起こった出来事とそれがために人間に引き起こされた出来事を、一つの統一的な視点から思考するということができずに、自然のことは自然のこと、人間のことは人間の問題として、分離して処理される傾向が強い。(p.134-135「プレート上の神話的思考」)
って言ってるところでは、地震などの災害の後で、それまでに築いた富を失った人がいる一方で、復興がらみでにわか成金が出てくるように、社会に大規模な資本の流動化が発生するようなことを、人間の世界の経済も自然の一部として含まれているものだという統一的な視点で考えようという例が示されている。
いいなあ、対称性の思考、去年出会ったなかでいちばん刺激的なものの見方だ。
似たようなもので、アナロジーという方法も紹介されている。
>アナロジーは事物を分離する「別化性能」よりも、異なる事物に共通性を見出す「類化性能」によって、世界を分類する思考方法である。外見が異なってても、深層に似ているところがあれば、アナロジーはそこに「同じもの」がある、と認識するのである。(p.184-185)
ってことで、さらに、
>近代的な思考では、別化性能を用いて分離した物事の間に、論理的な「因果関係」を見出すことが、本質に迫る唯一の方法であると、たいした根拠もないのにそう思い込まれている。(略)現実の世界を生み出すおおもとの潜在空間において、力や事物がどのように結び合っているかを、近代が重視するこの方法では、あきらかにすることができない。(p.188「禅竹」)
と非対称性な、科学的な、近代的な思考をズタッとやっつけてるのが気持ちいい。
そこで大事なのは、直感だったりする、いいなあ、そういうの、私も長年の勉強やら宮仕えやらで失ってしまったと思えるそういうの、取り戻したい。
コンテンツは以下のとおり。
・序 熊を夢見る
・私の収穫
・空間のポエティクス
・サーカス/動物
 ・堂々たる「貧」―ジンガロ『バトゥータ』
 ・猿まわしの哲学のために
 ・人は熊を夢見る
 ・クマよりもたらされしもの―根源をたどる足跡をめぐって
・対称性の思考としてのアニミズム
・神話と構造
 ・「ふゆまつり」の神々
 ・プレート上の神話的思考―コルネリウス・アウエハント『鯰絵』
・東京どんぶらこ
 ・お金のかからない高級さ―世田谷区山下
 ・けなげな町―世田谷区代田橋
 ・異界との境界地帯―新宿区四谷三丁目
・日本の芸能
 ・菩薩としての遊女
 ・禅竹―中世的思考の花
 ・離脱の芸術
 ・吉本の考古学
・書物のオデッセイ
 ・原点の一冊―山中共古『甲斐の落葉』
 ・小さな、過激な本―柳田國男『遠野物語』
 ・網野さんがくれた本―石母田正・武者小路穣『物語による日本の歴史』
 ・寺山修司の詩的限界革命―『寺山修司著作集』
 ・山国の詩的人生
 ・ダンテのトポロジー
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対称性人類学

2018-02-04 19:56:58 | 中沢新一
中沢新一 2004年 講談社選書メチエ
ようやくたどりついたカイエ・ソバージュV、最終巻。
人がつくって語り継いできた神話は対称性の論理でできているんだけど、現実世界は非対称的な関係に満ちてしまっている。
しょうがないじゃん、現実には人が熊になったり山羊と家族になれたりするわけないんだから、と言ってしまっては元も子もない。
>現生人類が幸福を感じているとき、いつもそこには対称性、多次元性(高次元性)、個と全体との一体感など、贈与の原理と結びついている多くの特徴が、絶妙な働きをおこなっているものです。交換をベースとする資本主義には、そういう無意識を幸福にできる「原理」が欠如しています。(p.98)
非対称性の論理の現実世界では幸福を感じられないのはどうしてか、そんならどうしたらいいのか、そういう話が始まるのがとてもいい。
哲学のよくわかんないのは、それがどうしたって言いたくなるとこにあるんで、卑俗な幸福感の周辺で話してくれると読む気が増すというか。
で、ふつうの理屈ぢゃないものがまかりとおる、神話的思考というか対称性の論理がはたらいている人間のアタマは、流動的知性というものなんだが、これは精神分析学が「無意識」と読んでるものと一緒だと。
こないだ、河合隼雄さんの本読んで、無意識について新しく学ぶとこあったのは個人的にはタイミングよかった、人類には共通の心理ってのがあるらしい。
それが一神教なり資本主義なりが支配してる世の中では、制限されたり抑圧されたりして、人の心には危機が訪れると。
そこで本書では、満を持してとでもいうべきか、仏教が登場。
>仏教とは(略)、無意識=流動的知性の本質をなす対称性の論理に磨きをかけて、その可能性を極限まで追求した思想にほかならない。これが私の確信です。(p.153)
と、さすがチベット仏教を実践したひとの言うことはちがう。
>ホモサピエンスの「心」のおおもとは流動的知性だ。それは高次元で働く対称性の論理によって、世界の真実の姿をとらえている。ところが、人々はその流動的知性の中に勝手に非対称性論理を作動させて、世界を分離と不均質の相貌のもとに見ようとする。言語の構造が、それをバックアップする。神経症的な文明の基礎が、こうしてつくられてきた。(p.173)
だけど、さまざまな実践をとおして流動的知性の働きを回復してけば、自由に運動する心をとりもどせるのではないかという。
>どうして世界はグローバル化していくのか? それはホモサピエンスの「心」に、形而上学化へ向かおうとする因子が、もともとセットしてあるからです。その因子がはらんでいる危険性を昔の人間はよく知っていたので、それが全面的に発動しだすのを、対称性の原理を社会の広範囲で作動させることによって、長いこと防いできました。(p292-293)
伝統的社会はよくできていたんだけど、そこんとこ突き崩していっちゃったのが一神教で、その先は資本主義とか国民国家とか科学的な論理とかに結びついてって、いまのような世界になっている。
なかでも資本主義は何でも数値に変えて価値観つくっちゃうんで強敵。経済の問題は大事、
>経済システムをつうじて、ホモサピエンスが真実の幸福を体験できるような経済システムを構想するためには、無意識の作動と経済システムの関わり合いを、これ以上はないと思われるほどの深い部分で考え抜いてみる必要があります。(p.244)
っていうのが、現代思想が現実として扱わなきゃいけない最も大きな問題なんぢゃないかなという気がした。
序章 対称性の方へ
第一章 夢と神話と分裂症
第二章 はじめに無意識ありき
第三章 〈一〉の魔力
第四章 隠された知恵の系譜
第五章 完成された無意識―仏教(1)
第六章 原初的抑圧の彼方へ―仏教(2)
第七章 ホモサピエンスの幸福
第八章 よみがえる普遍経済学
終章 形而上学革命への道案内
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