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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

恋するディズニー 別れるディズニー

2017-08-27 18:51:44 | 堀井憲一郎
堀井憲一郎 平成29年4月 新潮文庫
私の好きなライター、ホリイ氏の文庫オリジナルの新刊。
前にも文庫書下ろし企画あったけど、そんときもディズニーだった。
ディズニーあんまり興味ない私としては、一瞬迷ったけど、それもほんの一瞬のことで、ホリイ氏を信頼してるから買った。
6月くらいに買って、2か月くらいどっか部屋んなか積んでおいちゃったけど。いいんだ、べつにディズニー行く用事もないし。
さて、タイトルから想像するに、どういうわけかディズニーに一緒に行くと、恋人たちってのは、別れる破目になるってのが問題になってんだと思われたんだが。
なんでかねえ、たしかに昔からよく言われることだ。一説には待ち時間が長くて退屈してると、それまでのつき合いでは見えなかった相手のヤなとこがわかっちゃうから、とかってんぢゃなかったっけ。
そういうのを回避するマニュアル本を、ディズニーウオッチャーのプロであるホリイ氏がつくっちゃったんだろうか。
なんかおもしろくなさそうだね、そういうのだったら、と思ったら、やっぱちょっとちがった。
まあ、そういうのを期待するひと向けに、そういう章もあります。午後7時に入園して、午後10時までにどうまわったら、ランドでもシーでも楽しめるかっていうパターンの披露。
(マネして実行するひと増えたら、また混まない? とか他人事ながら(私にとってはまちがいなく他人事)心配するが。)
そこ読んでも、私には出てくる固有名詞(アトラクションのことです)が形としてイメージできないので、とくにおもしろくはありません。
最初の二章もそうなんだ、ディズニーランドのどこどうまわるか、いつ何が混んでるか、みたいな話並べられると、しまった、門外漢にはこの本やっぱ失敗だったか、と一瞬思った。
でも、本題はその後で(たぶんそこ本題とだと思うんだけど)、第三章から第九章は、めちゃめちゃおもしろかった。
「はじめに」で、「ディズニーランドは、男と女の考え方の違いが出やすい場所」と言ってますが、何が違うのか、それがどう出ちゃうのかを、詳しく解説してくれてます。
うん、いいですねえ、ディズニーでどうまわればデートが成功するかってマニュアルなんかより、あらゆる場面で遭遇する男と女の衝突の要因の解明のほうが、はるかに役に立ちます。(←この、役に立つ、みたいな考え方が、すでにオトコ的のようで…。)
たとえば、って挙げるといっぱいになっちゃうけど。
男は「最終的に目的があってグッズを見る」のに対し、女は「見ているだけで楽しいから」って行動をとってたりとか。(p.44)
男がランドで道がわからないときに人に訊かないのは、「困ったときに他人の力を借りずに、自力で解決したい。そうしないと『負けた』と感じてしまうから」だとか。(p.64)(ちなみにランドでわからないときはすぐスタッフに訊くのが正解。)
男が「ランドが混んでいても、何とかうまく切り抜けたい」と考えたり、「ランドにあるものの背景を探ってその意味を読み取ろう」とすることは、無駄な抵抗であって、効率とか理由とかを求める世界ぢゃないとか。(p.81)(ちなみにディズニー側のねらいは、楽しく混乱させてやろう、で作っているそうです。)
対して、女性の側はランドでは解放されます。
たとえば、何にでも「かわいい!」と言っていい。男がモノの性能をあれこれ評価しだすと、理由づけや順位づけの議論が始まってしまうが、「かわいい」は自分ひとりがかわいいと思ってればそれでいい。(p.116)
ディズニーにはいろんなヒロインが出てくるけど、ヒロインたちのドラマの本質は「私が純粋な心を忘れずに生きていたら、すべてを受け入れてくれる人があらわれ、幸せになれた」だったりする。(p.125)
そこんとこで男性は成功した理由を知りたがるけど、女性は「幸せになったその状態」を自分のものとして感じたがる。(p.126) ディズニー世界では、努力しなさい、などとは言わず、思い出して、願うだけ、それで幸せになれる、ってのが提示されてる。(p.131)
あと、ディズニーにかぎらず、男と女の、細かい違いに気づく能力とか、会話の違いをあげてるとこもおもしろかった。
前に高橋秀実さんの本でも読んだような気がするが、女は同じ話リピートつづけられるけど、男はそれできない。
それは、「次の局面に向かって別の戦いに進まなければいけないのに(略)気がつくと同じ場所に戻ってきて(略)戦局が進んでいないし(略)そんなことでは、この戦に負けてしまうではないか」と思ってしまうからなのです。(p.160)
そこんとこ、女性からみれば、バカぢゃないのと思ってる。で、自分と相手の好きなものを共有と旋回(ぐるぐる)してたほうが気持ちいいと考えてる。(正確に言えば、実は“考えずに”やってる?)
笑ったのは、同じ章での「また話題の転換がすごい」って指摘。
>何もつながっていない話題への転換があっても、みな、その会話を引き受けている。(略)誰かの「そういえば」という転換語によっていきなり(略)の話に飛びました。すげえ。(p.161)
うん、たしかに、あの「そういえば」は、すげえ。
コンテンツは以下のとおり。
繰り返すけど、私には一・二章と十章は無用。十一章のあとの「おわりに」に、なぜ別れるのかの冷静な検証があったりする。
第一章 恋するディズニーデートの成功の秘訣
第二章 いつ行けば恋が成就し、いつ行けば喧嘩になってしまうのか
第三章 男の馬鹿と女の利口
第四章 男は人に道を訊くことができない
第五章 攻略するな
第六章 挨拶
第七章 女子は「かわいい」と言いたいためにディズニーに来ている
第八章 王子様の運命
第九章 会話
第十章 実際のまわりかた
第十一章 ディズニーランドでデートすると、なぜ、別れるのか
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愛と経済のロゴス

2017-08-26 18:49:22 | 中沢新一
中沢新一 2003年 講談社選書メチエ
3月に『熊から王へ』と一緒に手に入れてたんだけど、勉強すんのが億劫で放っておいたのだが、最近読んだ“カイエ・ソバージュ”のIII。
読めばおもしろいんだから、けっこうなことなんだけど。ちなみに2007年で11刷を重ねている、誰がそんなに読むんだろとは、ちょと思う。
2002年4月から7月にかけての大学での講義録ということで、やっぱ読みやすいのはありがたい。
講義の課目名は「比較宗教論」だっていうんだけど、なんせ今回はタイトルにあるとおりテーマが経済である。
残念ながら、私は経済の話が苦手なんで、この本は前の2冊よりは楽しく読み進めなかった。
なんで宗教学なのに経済出てくるかっていうと、たとえば
>(略)経済は暗い生命の動きにまで奥深く根を下ろした、一つの「全体性」をそなえた現象なのです。そして、その全体性のうちの深層の部分で、私たちが「愛」と呼んでいるものと融合しあっています。(p.13)
みたいなことだかららしい。よくわからん。
だいたいこういう哲学の本のなかで経済が出てくると、たいがい贈与とか交換とかって話になるのは、若いときにちょっとかじったとき見たことあった気がするんだが、
>後期旧石器時代の人類の心に発生した「贈与」の思考は、新石器革命による大規模な組織化をへて、一つの巨大な社会原理となったのちに、その極限に浮上してきた「純粋贈与」の思考を発展させて、さまざまな宗教の思考を生み出してきました。(p.72)
だなんて言われると、うまくついてけない、私にはそこまでのジャンプ力がない。
また、
>資本主義において発生する増殖では、自然は資源として扱われ、道具を使って操作される対象に姿を変えています。またこの自然を変形するのを媒介する労働は、時間の長さに換算できるような労働力につくりかえられています。いたるところで分離は進行して、記号や表象をとおしてとらえられるのでないとしたら、なんの意味ももたないモノとしての扱いを受けることになるでしょう。そういう分離を前提として、この増殖はおこります。しかし、それでもこれも悦楽には違いがありません。(p.163)
みたいな話はちんぷんかんぷんに近い。なんせマルクスとか読んだことないからしかたないのか。
ここんとこわかんないと、この先の第4巻、5巻に進めないっぽい気がしてきたんで、どうするかいま迷ってたりする。
あー、それでも、あまり本題ではないみたいなとこで興味をひかれたのは、ラスコーやショーベの洞窟絵画は、生と死の主題があるんだけど、女性の絵が描かれてなかったりすることに触れ、こういう場所では男だけが集まって人類最初の抽象的思考をおこなったのではないかという仮説をたて、
>ここには「ジェンダー」と「知」との関係をめぐる、すぐれて現代的な問題がひそんでいるように見えます。男性的な「知」が抽象的な思考を好むというのは、すでに旧石器時代の狩人たちの間に発生していた傾向なのかも知れません。(p.86)
なんていうところかなあ。
序章 全体性の運動としての「愛」と「経済」
第一章 交換と贈与
第二章 純粋贈与する神
第三章 増殖の秘密
第四章 埋蔵金から聖杯へ
第五章 最後のコルヌコピア
第六章 マルクスの悦楽
第七章 聖霊と資本
終章 荒廃国からの脱出
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待ち伏せていた狼

2017-08-20 17:56:09 | 読んだ本
E・S・ガードナー/新庄哲夫訳 1960年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
スペンサーシリーズをひとつ読むとき、ついセットにして一冊読む、ペリイ・メイスンシリーズ。
原題は「THE CASE OF THE WAYLAID WOLF」、そのまんま、持ってるのは1991年の8版。
メイスンの依頼人は、美人で重役室の速記が仕事のアーリン・フェリスという女性。
ある晩、会社から帰ろうとしたら駐車場に置いといた車のエンジンがかかんない、そこへ現れたのが社長の息子の副社長、自分の車に乗っけてってあげようと。
彼女をウチに送る前に、どうしても急ぎで届ける書類があるから、そっちを先に回らせてくれとかなんとか言って、所有する山荘につれこむ。
そこで最初は礼儀正しかった副社長は狼に変身、彼女に襲い掛かる、お嬢さん気取ることないぢゃないか、とかなんとか言って。
彼女はそんなんに負ける女性ぢゃなかったんで、果敢にも椅子を振回して応戦、スキをみて山荘から逃げ出す。
雨の中めちゃくちゃに走り、有刺鉄線はかいくぐるわ、土手はすべりおりるわで、着てるもの泥だらけになるが、やがて車で追っかけてきた副社長が車外に出た隙をついて、その車を奪って逃げることに成功する。
んで、最後その車は副社長の家の近くの消火栓の前に駐車違反状態に乗り捨てておく、どうでもいいけど、昔は人の名前から電話帳ひいて住所まで簡単にわかった。
次の日、会社に出たけど対決する決心を固めた彼女は、上司に断わって抜け出して、ペリイ・メイスン事務所を訪ねる。
そこでメイスンが探偵ポール・ドレイクを呼んで、証拠集めの調査を頼もうとすると、ドレイクはその副社長は昨晩包丁で刺し殺されたとニュースでやってると答える。
メイスンは、依頼人のアーリンに、会社にもどってすぐクビにしてもらって、親しい女友達のところへ行って一晩泊めてもらいなさいと言う。
この女友達のマッジ・エルウッドというのが、偶然にもアーリンと姉妹のように似ているという美人なんだが、彼女をつかって、メイスンは事件現場に残されたかのようなスカートの切れっ端をつくったり、依頼人が車を停めて出てきたところを見たという証人を混乱させたりする。
この目撃証言をひっかきまわしたとこは、けっこう後の裁判に深い影響が出てくるんだが、それはいいとして、二人の女性の登場人物があまりに似ているからというわけではないが、一カ所名前間違ってるとこがあって、メイスンがマッジ・エルウッドと合っているのに、
>メイスンは、立ちあがる彼女に手をかした。アーリン・フェリスはスカートをぱっとひろげ(略)(p.47)
って書いてあって、一瞬こっちのアタマが混乱した。
まあ、とにかくメイスンの依頼人は容疑者として逮捕されてしまい、さっさと予備審問が始まる。
ポケミスの93ページ目から法廷シーンが始まるって、かなり早いような気がする、平均何ページ目からなんてデータあるわけぢゃなく、単なる印象だけど。
そのぶん法廷シーンが長いんだけど、これは退屈しない。「裁判長、異議を申し立てます。その理由は、質問が適格性なく、関連性なく、重要性がないからです。誘導的で暗示的であるからです。さらにその理由を述べますと、検事は、被告が不在の場合にかわされる証言について、裁判長がどんな裁定をくだすか熟知していながら、この誘導的な質問により、被告に対する偏見を、裁判長にいだかせようともくろんでいるからです」(p.191)なんて、メイスンが言ってるのを、こっちは何も考えずにサーっと勢いつけて読んでくのは楽しい。
で、この裁判で、存在感のあるのが裁判長で、このひとなかなか面白い。
最初、事件が多いから予備審問は短時間で終わらせたいのに、なんで休憩挟んで午後までかかるようなことになるんだとブツブツ言ってたようなんだけど。
検察が証人である警部に断定的な推測を持ちださせたところでは、「異議をとなえ、削除を申し立てるのが、弁護人の義務だと思うが」とかメイスンに忠告する。
検事がかなり無理な立証をくわだてようとすると、「検事には、警告を発しておく。(略)今の質問は、さきの裁判長の最低を無効にさせようとする意図を持っていると考えざるをえない。」(p.191)とか厳しい。
しかし、事件の真相解明はすすめたいので、検事に向かって、「(略)いまの段階では、君は推理をはたらかせているにすぎん。裁判長としての見解によれば、情況なるものは、かならずしも被告を問題の着衣に結びつける情況証拠の鎖として強力ではありません。しかし、裁判長としては、捜査のこの一面には、非常に関心を持っており、でき得るかぎりの協力をおしみたくないと思っている」(p.193)と見解を述べたりする。
で、とうとう最後には、目撃証人をもういちど喚問して、検事と弁護人は口をはさむなと言って、直接自ら尋問する、けっこう異例の活躍ぶりだ。
腹を立てた検事が、裁判長がここまで立ち入るのか、予備審問でそこまでする必要があるのかとか言い出すと、「(略)有罪だったとしたら、本法廷は、その真実を知りたいのです。無実ならば、それを立証したいのです。地方検事、司法裁判の機能というものは、だ、法の正義を行なうところにある。裁判長としての所見によれば、そのほうが、予備審問に関する法律の条項を守るよりも、裁判長に課せられたもっと重大な使命だと思う」(p.211)と堂々と説教をする。
かくして、情況証拠は圧倒的に不利で、依頼人がホントのこと言ってないんぢゃないかと、公判一日目の午後の休憩時には「君が享楽できる最高の贅沢とは、君の弁護士に嘘をつくことです」とか、真実を語ってないなら助けられないと言ってたメイスンだけど、最後にはちゃんと逆転することになる。
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プロフェッショナル

2017-08-19 18:51:32 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/加賀山卓朗訳 2012年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
3月くらいに買ったんだったか、この文庫は、このくらい新しいのになると手に入りやすかった。
読んだのは、またしても飛行機か新幹線のなかでだったはず、7月はあちこち行ったので。
スペンサー・シリーズの37作目、原題は「The Professional」、そのまんまだ、なんのプロかというと、ユスリのプロ。
最初にスペンサーに仕事の依頼にきたのは金持ちをお得意にする弁護士だが、刑事弁護士のリタ・フィオーレにスペンサーをすすめられたという、それにしてもシーズン後半に入ってからはリタの出番が多い。
実際にトラブルにあっているのは4人の女性で、みんな歳のはなれた金持ちの夫がいる、夫68歳と妻31歳とかそれくらい離れてる。
で、みんなして同じ男と浮気して、いまになって関係をばらすぞと強請られている、大金を要求されてるが、当然払いたくない。
夫にも知られたくないし、社会的な地位みたいなのも失いたくないし、波風立てずにユスリをやめさせたいというのが依頼内容。
相手の男のホントの名前も、どこ住んでるかも知らないでおいて、そんな都合良く解決しないだろと思うんだが、スペンサーは浮気調査とかふだん引き受けないわりには、あっさり男が何者かつきとめる。
その過程で例によってあちこちつっつきまわったせいで、痩せたゼルと大きくて筋肉質のブーって二人組がやってきて、何を調べてんだとスペンサーに干渉してきて、話はこんがらがる方向に進む。
で、ユスリの犯人のほうは、スペンサーが話してみると、結婚していてカネを持っている女だけを狙うプロフェッショナル。
ハンサムで女の扱いが得意ということを自覚してて、最初は趣味だったが趣味を生活の糧にできると思い立って、定期的にユスリ行為をすることを職業にしてる。
ぜーんぜん悪いと思ってない、手当たり次第でほんとに楽しんでる、それでいて女性からみると魅力的らしい、ん?そういうのって、と思ったとこで、過去にこの男のためにトラブルにあった別の女性登場人物に言わせると、「彼はとても気のいい人だと思う。でも道徳とか倫理にまつわる感覚が完全に欠如している。」ってことで、やっぱりあれだ、サイコパスってやつだね。
それでスペンサーは依頼人の女性たちに、告発すれば犯罪者としてあげられるんだから対決してはと提案するが、誰も応じようとしない、自分なり夫なりの体面が大事。
そのへんスーザンをして「自分を救う道はあるのに、それを選ぼうとしない」と、精神科医である自分の患者とおなじだと言わせる状況。
スペンサーの言葉はもっと辛辣だ、依頼人のひとりを指して、>彼女はシジュウカラのように元気だが、それより愚かだった ときたもんだ。
依頼人たちのなかには、スペンサーが殴るとか銃で撃ち殺すとかで解決できないのかなんて物騒なこと言うひともいるけど、スペンサーはやりたくないと答える。
それでも解決しなきゃいけないんで、いろいろ街の闇社会のほうのルートをつかうことにして、ギャングのボスであるお馴染みのトニイ・マーカスまで招集して、関係者を一堂に集めて、ユスリをやめさせるところまでこぎつける。
あれあれ、依頼された事件片付けてどうなるの、第一、人が死んでないね今回、と思ったあたりで、ようやく死体がひとつ見つかる、235ページまで殺人が無いなんて、めずらしい展開だ。
どうでもいいけど、スペンサーは自分が他のとこあたっているあいだ、強請の犯人を尾行させるために相棒のホークを使うんだが、今回のホークの登場シーンは、
>ホークと私は〈グリル23〉のバーカウンターの奥で“ようやく木曜夕方だ”の祝い酒を飲んでいた(p.100)
というものなんだが、なかなかいい名称の習慣だと思った。
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漫画のすごい思想

2017-08-13 17:57:37 | 四方田犬彦
四方田犬彦 2017年6月 潮出版社
6月に出てわりとすぐに買って、先月くらいに読んだ本。
以前はこういうの見つけるの遅かったりしたんだけど、最近の書店ではサブカル系みたいな一角にマンガ関連のもの集められたりしてるんで、ときどきチェックしてれば探し当てることは簡単になった気がする。
「あとがき」にいわく、
>本書は『日本の漫画への感謝』(潮出版社)の続編にあたり、著者が一九六八年に十五歳を迎えたときから現在までに読みふけった日本の漫画について記したエッセイ集である。
ということで、前著がおもしろかった私としては、読むっきゃないのである。
ただ、まえがきにあたる巻頭の言が「一九六八年にはじまる」と題されてるとおり、私よりは世代が上なので、リアルタイムで読んでない、あるいはまったく読んだことない作家・作品ばかりだとどうかな、という一抹の不安はあったのだが、でも帯に、永井豪とか岡崎京子の名前が挙がっていれば、そりゃそんな間違いはないのである。
ヲカザキについては、本文のなかで、
>本書を終えるにあたって、わたしは岡崎京子を最後に取り上げ、彼女の作品のすばらしさを改めて書き記しておこうと思う。(p.307)
という言い方をしているように、やっぱ著者にとっても特別な存在なんだろうと思う。
六十年代からの作家列伝のトリをヲカザキに飾らせるってことは、やっぱ歴史的重要人物ったら大げさか、偉大なマンガ家って認識があるからなんだろう。賛成!
コンテンツは以下のとおり。
・杉浦茂への回帰 佐々木マキ
・花と山姥 林静一
・生という病い 岡田史子
・なぜに陽気な胸の中 つりたくにこ
・海辺の惨劇 つげ義春
・見てはいけない母親 滝田ゆう
・生の摩滅 楠勝平
・宇宙とは遊戯である タイガー立石
・お座敷と野次馬 赤瀬川原平
・自己解体を索めて 宮谷一彦
・鳥籠の鳥の挫折 樋口太郎
・絵師の来歴 上村一夫
・忘れられた人々 池上遼一
・孤児と狂女 勝又進
・裸でごめんなさい 永井豪
・姉の眼差し 妹の眼差し 樹村みのり
・治癒する者 手塚治虫
・漫画における大衆 バロン吉元
・プロという宿命 ビッグ錠
・白土三平の影武者 小山春夫
・乱気流に呑まれて 淀川さんぽ
・牧歌の変奏 ますむらひろし
・美少女のいけない夢想 村祖俊一
・多元倒錯の悦び 宮西計三
・至福の幼年期の後に 大島弓子
・炭鉱町と水のフォークロア 畑中純
・怪物たちが怖いので…… 高橋葉介
・天狗の黒 黒田硫黄
・オシャレな廃棄物 岡崎京子
・漫画と文学
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