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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

野良猫を尊敬した日

2024-03-07 19:30:33 | 穂村弘
穂村弘 2021年 講談社文庫版
ひさしぶりにまだ読んでないものを読むことにしてみた穂村弘さんのエッセイ集、買ったの今年の1月だったかな、最近読んだ。
初出はおもに2010年から2016年くらいにかけての北海道新聞に掲載されたものらしい、単行本は2017年刊行、知らんかった。
タイトルの「野良猫を尊敬した日」ってのは、どういうことかというと、ちゃんとそういう題の一節があって、風邪をひいてしまって(2016年なんで現在ほど感染症に深刻ではなさそうだが)熱はあるし節々は痛いしだけど、翌日には入場料とっての人前に出る仕事があってキャンセルできないのでツラいなあと思うなかで、
>でも、と考える。野良猫はもっと大変だよな。だって、私には家も布団も暖房も加湿器もルルアタックも葛根湯もポカリスエットもある。それなのに、こんなに苦しいのだ。
>一方、野良猫には何もない。今みたいな真冬に風邪をひいたら、一体どうするんだろう。
>熱でふらふらの私の頭の中で、野良猫への尊敬の思いがむくむくと膨れあがっていった。(p.221「野良猫を尊敬した日」)
というように考えたって話なんだけど、自分の体調でいっぱいのはずなのに、なんで野良猫へ思いを巡らせちゃうのか、そういうトンでる発想がおもしろいですね前から。
穂村さんのエッセイには、よく、ほかのひとはふつうにやっていることが自分にはどうしても自然にできない、みたいな告白のようなネタがあって、本書にも、採血のへたな看護師にあたってしまったけど他のひとに代わってよと言えないとか、スターバックスに行くとおしゃれすぎて自分の身の丈にあってないような気がしていつも同じものしか注文できないとか、まあ、あるんだけど。
おや、と思ったのは、女性と話していると男の幻滅ポイントについて教えられる、たとえばキーボードのエンタキーだけ強く叩く人がいて嫌だとかって言われたりしたときに、
>こういう機会があるたびに、メモメモと思いながら、私は覚えたばかりの幻滅ポイントを自分の手帳に書き込む。人生の参考資料だ。(p.93「男の幻滅ポイント」)
って書いてたんで、あー、そーゆーのまめに学習するんだーと感心した、「人生の参考資料」って言いかたがいいねえ。
あと、長年インターネット環境を自宅につくらないでいたり、所有してる車に全く乗らないでバッテリーがあがっちゃって毎度交換してたりすることについて、
>こういう性格をなんというのだろう。惰性的というか慣性的というか、目先のちょっとしたハードルを越せないまま、結果的に起こる面倒をいつまでもいつまでも引きずってゆく。(p.74「できない人」)
って反省するのはいいんだけど、そっから、
>銀行強盗とか密輸とか複雑な詐欺とかのニュースをきくたびに、凄いなあ、と思う。なんて計画性と行動力があるんだろう。そんなに頑張れるなら、犯罪に手を染めなくても、普通の仕事だって充分できるだろうに。(同)
って方向に感想をもってくのは、やっぱちょっとトンでておもしろい。
でも、一読したなかでいちばん私が興味ひかれたのは、穂村さん自身のネタぢゃないんだけど、次のようなもの。
>先日、大学の先生をしている人から次のような話をきいた。新入生に向かって最初の授業を終えたところで、いつものように尋ねたのだという。
>「何か質問はありますか」
>それに対して、ひとりの学生が手を挙げた。
>「ここからいちばん近い自販機の場所はどこですか」
>うーん、と私は思った。そして彼に尋ねた。
>「で、何て答えたんですか」
>「ふざけんな、って叱ったよ」
>だろうな、と思う。我々の感覚からすると、それが常識だ。(p.68「常識の変化」)
まさかフィクションではなかろうが、たぶん新入生はなんもおかしいとはおもってないんだろうと思うと、世の中はどんどん不思議になってるなあって気がする。

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図書館の外は嵐

2021-06-13 18:39:44 | 穂村弘

穂村弘 二〇二一年一月 文藝春秋
サブタイトルは「穂村弘の読書日記」で、「週刊文春」に「私の読書日記」として連載しているのの2017年7月から2020年7月のをまとめたらしい。
書店で見かけて、買ってみようとしたのは2月だったかな、例によって最近になってやっと読んだ。
本の紹介とかされちゃうと、また読まなきゃいけないって思ってしまうもの増えて危険かなとも思ったんだが、目次パラっと見たら諸星大二郎の『BOX』とりあげたりしてるんで、ついつい買ってしまった。
ちなみに『BOX』最終第三巻を読んだ穂村さんは、
>結末を読んで感動した。さすがは諸星大二郎。(略)隠されたテーマとは、人間のアイデンティティだった。それに触発されて、自分の中で考えが走り出す。(p.40)
と、いろいろ考えさせられて読んだ者を遠くに運ぶという作品の力をほめたたえてる。
各章で複数の本をとりあげているので、けっこう数多く紹介されていて、ほとんど読んだことないものばかりだったけど、今回はそれほど読んでみよっとリストアップする必要を感じたものはなかった。
なかで気になったのは、電車出発までの数分で「初めての旅先には初めての作家がいい」と咄嗟に選んだという、佐藤究の『QJKJQ』。
>ところが、これが大当たり。(略)これ、最高のやつじゃないか。(p.88)
って勧めかたがいい。
で、そのあとに、面白い本を読むと、いったん顔をあげて辺りを見回すくせがあるんで、このときもそうしたんだけど、
>この前そうなったのは、ザミャーチンの『われら』の冒頭付近を読んだ時だった。
なんて、サラって書いてあったりして、それがまた気になってしまったりした。
コンテンツは以下のとおり。
「わたしたち」と「ぼくら」
奇蹟の新作たち
異形の「生活の知恵」
最高の告白
アイデンティティの謎
「いい感じ」の作家
不可思議の理由
「気絶人形」たちの歌
ほんとうの夏休み
追い越された未来
鏡の中のなぞなぞ
つげ義春の魔力
世界を更新する眼
蟻の街見たし
「二二んが四」を超えて
アウトサイダーの輝き
多佳子と三鬼と清張
メタの鍵を持つ作家
大島弓子の単行本未収録作品など
少女たちの声
誰かが誰かを捜す物語
「クラムボン」の仲間たち

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短歌ください 君の抜け殻篇

2019-11-23 17:59:20 | 穂村弘

穂村弘 2016年 KADOKAWA
こないだ、このシリーズの「双子でも片方はなく夜もある篇」を読んだんだけど、それより前に刊行されてたこの第3弾を読んでなかったんで、先月買って、さっそく読んでみた。
「ダ・ヴィンチ」の連載(実を言うと私は読んだことないんだけどね)の第61回から90回までをまとめたものだとのこと、2013年5月から2015年10月だって。
毎回お題が決められてる募集テーマ投稿と、いつでも募集中の自由詠があって、テーマ決まってるほうが人それぞれでとりあげる角度のちがいとかあるんで私にはおもしろい。
それにしても、読んでて思ったんだけど、これやっぱ穂村さんの解説があるからいいんではないかと。
ひとつの作品につき、2,3行だけの短いものだけど穂村さんの評がついてて、もしそれ無くて歌だけがズラっと並んでたら、たぶん私は飽きる、っていうか読んでて意味わかんないと思う。
「触感的なオノマトペがいい」とか「サ行音の連鎖が意識されています」とかって音のテクニックのこともあれば。
「どきっとしますね」とか「妙なリアリティがある」とか「突き刺さる説得力」とかって斬新な表現への共感のようなもののこともある。
そんななかで私がひかれるのは、
>世界には見える法則と見えない法則があるみたいですね。自然科学が前者の担当で、詩歌は後者の担当。(p.205)
みたいに、さらっと語られる短歌論のようなもの。
ちなみに、これは「信号がかつてないほど連続の青でほどけたままの靴ひも」という歌、靴ひも直したいときに限って止まるタイミングがないってことを切り取ったことへの評。うーむ。
特に短歌のよしあしがわかるわけぢゃない私が、今回一読したなかで気に入った歌のいくつかを以下に引用。
(価値観が確立されてないので、こういうの何が自分のどこかにひっかかるのかは体調次第だったりする。)
「ウィンカー出さずにキミが曲がるたび世界に二人だけの気がした」(p.114自由題)
「七月に君が眼鏡をかけて以後好きです以前は覚えてません」(p.119眼鏡)
「鳴きまねににゃーと応えてくれたけど私は猫語でなんて言ったの」(p.194猫)

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短歌ください 双子でも片方は泣く夜もある篇

2019-10-06 17:23:16 | 穂村弘

穂村弘 2019年3月 KADOKAWA
前に読んだ『短歌ください』の続刊が出てたのを、つい最近知ったんで、読んでみた。
「ダ・ヴィンチ」の連載の2015年11月号~2018年4月号までをまとめたものだって。
それはいいけど、よくみたら、これ単行本第4弾だっていう、第3弾ってのを読んでないぞ私、そのうち読まなくては。
でも、まあ、順番飛ばしてても問題はないだろう、たぶん。この本のなかではお題が前後つながった章もあるようだけど。
短歌のよしあしがわかるってわけぢゃないから、サラサラと読んでくだけなんだけど、穂村さんの講評がやっぱおもしろい。
今回、とくに印象的だったのは、日常的なことをあらためてちょっと違う角度から見てみると意外な発見がある、って感じのこと。
言葉で世界を切りとるっていう短歌の魅力の解説になってんだと思う。
以下、いくつかの例、講評の一部とその短歌。
>見慣れた現象を言葉で組み立て直した時、まったく新しい風景が見えてくることがあります。
「ライターのどこかに炎は隠されて君は何回でも見つけ出す」 (p.137自由題)
>日常的な動作を敢えて言語化することで、根源的な何かが立ち上がってくるようです。
「眠る時ひとは躰を柔らかい布で(できれば羽毛で)覆う」(p.165自由題)
>客観的な事実を改めて言葉で組み立て直すと、奇妙な世界ができあがることがある。
「胃の内容物を全員同じにし眠気を誘う給食センター」(p.206自由題)
>そういうことは普通にある。でも、こんな風に言葉にされると不思議な感触が生まれます。
「こめかみの五メートル先は県道だ そう思いつつ静かに眠る」(p.247自由題)

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君がいない夜のごはん

2019-07-20 21:00:53 | 穂村弘

穂村弘 2019年2月 文春文庫版
新しめの文庫なんだが、最近買った中古もの。
単行本は2011年のNHK出版で、「きょうの料理ビギナーズ」に連載されてたものらしい、読んだことないなー。
なかみは、そういうわけで、食べものに関して書いたものが集められている。
とはいえ、なんかめずらしいものとか特別うまいものとかのレポートや、素材や料理法に関するうんちくなんかぢゃない。
著者のエッセイにありがちな、世間のひとのようにふつうに対応することができなくて困っちゃう、といった感じのテイストがいっぱい。
お好み焼き屋にいくと、「混ぜが足りないよ」ってまわりから指摘されちゃうとか、ミスドで“D―ポップ”を頼むと女友達に「ださー」って言われちゃうとか、そういう経験にあふれた日常みたいな。
若い長身のきれいな男の子がホームパーティにお稲荷さんを持参したときの次のような感想とか笑う。
>日本男子はレベルアップしている、と実感した。
>きれいでおしゃれで若い男の子に漏れなく「お手製のおいなりさん」がついてくるのだ。
>きれいでもおしゃれでも若くもない私には「コンビニの菓子パン」がついてくる。
>比較の結果はあきらかだ。後者をパートナーに選びたい女性はいないだろう。
>私は未来における自分の孤独死をありありとイメージした。(p.57-58「苺のヘタをみたことがない」)
食べものの好みに関する話でも、ちょっとそんじょそこらのエッセイとはポイントがちがってたりしておもしろい。
>先日、或る編集者と御飯を食べながら打ち合わせをしていたときのこと。不意に彼女が云った。
>「カレーは温かいのがいいって云う人が多いけど、私は御飯かルウのどっちかが冷たい方が好きなんです」
>「おおっ、俺もです!」
>興奮のあまり、思わず一人称が「俺」になってしまった。だって、人生の四十五年目にして初めて出会ったのだ。(略)仲間だ。(p.99「「どっちかカレー」現象」)
この、自分だけがほかのひとと違うのか、みたいな感覚は、こと食べものについてってなると、ひときわ精彩を放つような気がする。
ある公開対談で、「ところてんを箸一本で食べる」と発言したら、会場に同意してくれるひとが誰もいなくてシーンとなってしまったとか。
それで家に帰ってからネット検索したら、自分の育った地域に特有の習慣だとわかって、ちょっとほっとしたなんて言いながら、そこからさらに妄想がすすむとこがおもしろい。
もし、夜通し検索して、ヒットしたのが一件だけだったなんてことになったら、
>自分以外にところてんを箸一本で食べる唯一人の人。
>充血した目でその画面をみつめながら、私は決意する。
>この人に会いに行こう。
>どこの誰かはわからない。
>でも、運命の人だ。(p.151「ところてんの謎」)
っていうんだけど、このおおげささがサイコー。


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