many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

トラウマ映画館

2018-07-29 18:03:37 | 読んだ本
町山智浩 2013年 集英社文庫版
著者のことはなんにも知らなかったんだけど。
某専門チャンネルで、ちょっとめずらしい映画の解説を、実にあざやかにしてるのを見て、気にするようになった。
特に『泳ぐ人』って映画の謎解きは、そうなんだー、って感心させられたし。
で、いろいろ著書もあるらしいってことわかったんで、なにか読んでみようってことにした。
まずは、同じような映画解説のものなら間違いあるまいと思って、文庫売場で選んだのがこれ。
すごいタイトルだけどね、トラウマ映画館とは、いったい、と思ったもんだが。
とりあげられてる映画は、主に1960年代から70年代前半のもので、要は1962年生まれの著者が中学生ぐらいのときに観て、トラウマになるような衝撃を受けたものってことで。
それもすごいのは、こういう映画をふつうのテレビ地上波でやってたってことで、いやー、なんでもありの時代だったんだよね、そのころは、特撮ドラマの歴史なんかをかえりみてもそういう感想もつときある。
本書しょっぱなの『バニー・レークは行方不明』は、つい最近そのチャンネルで著者の解説つきで観たんだけど、とてもおもしろかった。
『MASTERキートン』に、まんまそっくりの話があるんだけど(第6巻『青い鳥消えた』)、こんな元ネタがあるとは知らなかった。
で、この有名でもない映画、なぜにおもしろいのかってのをキチッと解説してくれてるんで、あまり映画に詳しくない私でもおもしろい。
ほかの映画も観たことないのばかりだが、観たいような観たくないような、というのは必ずしも愉快そうぢゃないのばかりなんで。
映画ってのはとにかく2時間くらいワーッと駆け抜けてスッキリするのがいい、見終わって考え込むようなことはしたくない、ってのが私の映画観なので、ちょっとムリかな。
しかし、この文庫の巻末解説読んでわかったんだけど、著者の映画解説がいいのは、トラウマなんて言いつつ、自分の主観をやたら力説したりすんぢゃなくて、映画史をふまえたり他の作品とも比較してくれるとこ。
いろんなこと、よく知ってるなー、と思う。
1 「消えた旅行者」は存在したのか? 『バニー・レークは行方不明』
2 孤高の鬼才が描く、アイドルの政治利用 『傷だらけのアイドル』
3 人間狩りの果てに言葉を超えた絆を 『裸のジャングル』
4 『エクソシスト』の原点、ルーダンの悪魔祓い 『肉体の悪魔』『尼僧ヨアンナ』
5 世界の終わりと檻の中の母親 『不意打ち』
6 ハリウッド伝説の大女優、児童虐待ショー 『愛と憎しみの伝説』
7 少年Aが知らずになぞった八歳のサイコパス 『悪い種子』
8 あなたはすでに死んでいる 『恐怖の足跡』
9 奴らは必ずやって来る 『コンバット 恐怖の人間狩り』
10 初体験は水のないプールで 『早春』
11 古城に吠える復讐の火炎放射 『追想』
12 人間対アリ、未来を賭けた頭脳戦 『戦慄! 昆虫パニック』
13 残酷な夏、生贄のかもめ 『去年の夏』
14 核戦争後のロンドンはゴミとバカだらけ 『不思議な世界』
15 アメリカが目を背けた本当の「ルーツ」 『マンディンゴ』
16 ヒルビリー、血で血を洗うご近所戦争 『ロリ・マドンナ戦争』
17 深夜のNY、地下鉄は断罪の部屋 『ある戦慄』
18 メーテルは森と湖のまぼろしの美女 『わが青春のマリアンヌ』
19 真相「ねじの回転」、恐るべき子どもたち 『妖精たちの森』
20 十五歳のシベールは案山子を愛した 『かもめの城』
21 サイコの初恋は猛毒ロリータ 『かわいい毒草』
22 聖ジュネ、少年時代の傷 『マドモアゼル』
23 二千年の孤独、NYを彷徨う 『質屋』
24 復讐の荒野は果てしなく 『眼には眼を』
25 誰でも心は孤独な狩人 『愛すれど心さびしく』
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三つの短い話~文學界7月号

2018-07-28 17:35:19 | 村上春樹
村上春樹 平成三十年七月 文藝春秋
『村上さんのところ』を読んでいたら、なんだかやはり村上さんの小説が読みたくなってきて。
聞けば文學界の最新号に、新しい短編が発表されているというので、めずらしくも雑誌買ってみた、こういうの読むのひさしぶりだな。
しかしいまどき文芸誌の連載小説なんて誰が読むのかなと思うんだが、載ってれば今号だけしか買わないであろう私でも、やっぱ読んぢゃうんだな、これが。
お目当ての村上さんの短編は、「三つの短い話」と銘打たれているが、三つそれぞれにもちゃんとタイトルある。
「石のまくらに」
大学二年のときに飲み会の帰りに阿佐ヶ谷の部屋にいっしょにつれてきて泊めてあげたバイト先の年上の女性の話。
それっきり会うことなくなった彼女から、自作の歌集が送られてきて、そのなかに「石のまくら」を歌ったものがあった。
「クリーム」
浪人時代に、以前いっしょにピアノを習っていた年下の女の子から、ピアノ演奏会の招待状を受け取った。
でも出かけて行くと、そこの建物は長年使われていないみたいに閉まっていた。
なんか、ひさしぶりに神戸あたりの舞台が出てきたような気がする。
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
大学生のころに、大学の文芸誌に架空のレコード批評を書いた、それがチャーリー・パーカーが「コルコヴァド」とかを演ったって内容。
なんだかいいねえ、このノリ、近年あんまり見なかったような気がする、『カンガルー日和』とかに入っててもおかしくない感じの一品。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上さんのところ

2018-07-22 17:56:45 | 村上春樹
答えるひと村上春樹・絵フジモトマサル 平成三十年五月 新潮文庫版
文庫が出たので、読んでみた。
けっこう好きなんだけどね、この企画。実際にホームページを見たりメール送ったりしたことはない。なんか知らないあいだに始まってて知らないあいだに終わってるような気がする。
村上さんの回答ぶりが、とてもよくて、なんとか私もネット上ではこういう感じを(ホントの性格はさておき)つくれないかなとひそかに思うときがある。
今回もいろんなこときかれて、名答がいっぱい。
自分の愛読者について。
>僕は「村上主義者」というのがいいような気がします。(#014)
>いったい誰がいつから、そんな「ハルキスト」なんてちゃらい呼び方を始めたんでしょうね。僕にはひとことの相談もなかったな。(#039)
なんて言ってます。さらに、彼女とその母親が村上春樹の本なんて読まないって場合には、話をあわせていいという。
>「村上春樹なんて、ほんと、かすみたいなやつだよね」とか(略)好き放題言ってかまいません。そして陰でこそこそ僕の本を読み続けてください。それこそが「村上主義者」の真骨頂です。(#132)
だって。新刊出たりノーベル賞の時期になると群れたがるハルキストには耳が痛いんぢゃないでしょうか。
自身の小説について。
>出口を見失って苦しんでいる人に、「出口はあるかもしれない」と思わせることができたらいいなあと思っています。(#162)
>わかったかわからないか、それもよくわからないけど、十年たってもなんかよく覚えている、というような小説を僕としては書きたいです。(#296)
いいことを言ってます。これはこういう意味だ、みたいな解説をしたがる読み方をするひととはスタンスが違うんぢゃないでしょうか。
関連して、近年よく言ってるような気がする「物語」というものについてもいくつか言及してて。
>僕らは何かに属していないと、うまく生きていくことができません。(略)物語は僕らがどのようにしてそのようなものに属しているか、なぜ属さなくてはいけないかということを、意識下でありありと疑似体験させます。(#284)
>本を読んでいると、そのあいだ別の世界に行くことができます。(略)子供たちは物語の世界を通過することによって、現実社会に自分たちをうまく適合させていきます。(#364)
>エリア・カザンに『ブルックリン横丁(A Tree Grows in Brooklyn)』という古い映画があります。(略)先生は彼女に言います。「真実を伝えるために必要な嘘があります。それは嘘ではなく、物語と呼ばれます」。(略)僕がとても好きなシーンです。(#367)
とか、私は遅まきながら河合隼雄さんの書いたもの読み始めて、物語のこともっと考えたいと思ってるところなんで、参考になります。
ちなみに、本を読むことについては、
>たとえ不幸せになったって、人に嫌われたって、本を読まないよりは本を読む人生の方がずっと良いです。そんなの当たり前の話ではないですか。(#268)
って読まない人のほうが楽しそうみたいな疑問をバサッ。
現代日本文学はどうなっちゃうんだろうみたいな問いには、
>ご心配もわかりますが、文学なんてほうっておけばなんとかなっていくものです。気を遣ってやる必要もありません。(#230)
みたいにバサッ。自分が確立されてるひとは強い。
その他、人生相談みたいなことについて。
>僕もよく「退屈な人って、自分に退屈しないのかな?」と思うんだけど、しないんですね、ぜったいに。(#029)
>だから僕もがんばって新しい音楽をなるべくたくさん聴くようにしています。よいものに巡り合える確率はかなり低いです。でも人間が生きていくというのは、確率の問題じゃないんです。(#034)
>子供への親の期待が大きいと、子供には負担になります。むしろ親が自分自身に期待するようになれば、子供もまねをして自分自身に期待するようになるのではないでしょうか?(#059)
>「これが本当に自分の望んだ人生なのか?」、それも29歳の人が普通に考えることです。きっとなんとかなります。十年後にまたメールをください。(#077)
最後のやつとかは、似たパターンがいくつもあるようで、10代なり20代なり30代なりに、まあそういうものだよと諭すんだけど、10年前か20年前にもそのときの10代なり20代なり30代なりに同じようなことを訊かれて同じように答えてるはずで、このへんオトナの貫禄なんである。
そういえば、前も何かのエッセイで、チューバッカになりたい、あの程度のボキャブラリーで宇宙とびまわってたら楽しそうな人生だって書いてたと思うんだけど、それは変わってないようで、今回もあった。
>僕は『スター・ウォーズ』のチューバッカみたいな仕事をしたいなと前から思っています。ハリソン・フォードのとなりで「うぉー!」とか「むおこぉー!」とか叫びながら、帝国軍とばしばし戦う。あの人、たぶん確定申告とかしてないですよね。いいなあ。楽しそうだ。(#159)
って、笑った。
あと、今回、おっ、と思ったやつは、丸谷才一氏の弔問に行ったら、ご家族から「N賞受賞の祝辞の原稿」を見せられたって話。
うーむ、きっと本気で獲ると思ってたんでしょうなあ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストリップ・ガールの馬

2018-07-21 17:30:10 | 読んだ本
E・S・ガードナー/三樹青生訳 1957年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
先月末に、また出張の移動中のひまつぶしに読み返した、ペリイ・メイスンシリーズ、1947年の作品。持ってるのは1989年の7版。
原題は「THE CASE OF THE FAN-DANCER'S HORSE」、邦題はストリップなんて語をつかってるけど、出てくる女性はファン・ダンサー、ダチョウの羽の扇を二本持って見えそで見えないような踊りをするひと、実物見たことないけどイメージはわかる。
で、なんでファン・ダンサーが馬なんか持ってるんだってことになるんだが、そこは40年代のアメリカの南部のほうの話らしいんで、まだ本物の馬に乗るのはよくあることだったらしく。
そもそも事件の始まりでは、砂漠地帯の道を走ってたメイスンが自動車事故を目撃して、その車に積まれてた踊り用の扇一組をお預かりしちゃう。
その後になって、いついつその場所で拾ったものを預かってますので心あたりのあるかたは連絡をなんて広告を出すと、取りに来た男が、栗毛で額に星のある馬を返してください、なんて言うもんだから、話が通じない。
ようやっと踊り子にめぐりあえて、無事扇を返すんだが、好奇心のつよいメイスンのことだから、馬の話を確かめたくて、その件にクビをつっこみたくてしかたがない。
そうすると、ロイスってダンサーの味方になりたい男がやってきて、事情を説明してロイスの弁護を依頼する。
ロイスは弟の弱みを握られたことから、大牧場主と望んでない結婚をしたんだけど、夫からもらった乗馬はお気に入りだった。
ところが、その牧場主の事務所の金庫をねらった強盗未遂事件が起きたんだが、その強盗は馬に乗ってそこまでやってきた。
馬は逃げちゃったんだけど、その馬をつかまえれば、強盗はロイスかその弟にちがいないって動かぬ証拠になるから、彼女をさらに窮地に追い込んでしまおうっていう牧場主たちは馬を探しているんだと。
ところで、ややこしいことに、ファン・ダンサーはもうひとりいて、ロイスが引退しようとしたときに、名前を引き継いで、のこりの仕事を引き受けたアイリーン、別の芸名をシェリ・シ・シという女、実はメイスンが扇を返したのは、こっちのほう。
そのうち例によって人が殺されるんだが、凶器の日本刀に羽毛がついてたり、血のついた扇がみつかったりで、メイスンの依頼人であるロイスが捕まっちゃう。
ところがシェリ・シ・シのほうも犯行現場の近くをうろついてたかもしれないって疑いがあって、証人たちが見たのはどっちの女なんだってことで、法廷でメイスンは勝負する。
そうはいっても、ロイスはメイスンをして「人魚が陸に上ってきて電車に乗ろうとしたって、あなたほどには目立ちませんよ」というスタイルの美貌なんで、証人たちは間違いなく現場にいたのは被告だって言うんだけど。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜長姫と耳男

2018-07-16 18:15:11 | マンガ
近藤ようこ[漫画]坂口安吾[原作] 2017年 岩波現代文庫版
『怪奇まんが道 奇想天外篇』を読んだとき、近藤ようこというのを読んでみたいと思ったんだが。
どこをどう探したらいいかわからないでしばらく経った最近のこと、ふといつも行く書店の文庫売り場にこれが積んであった。
なんだ、文庫であるんじゃん、なになに2008年単行本刊行で去年文庫になったばっかり、それはラッキー、とりあえず買い。
しかし、そういえば、坂口安吾って読んだことないな、まあいいでしょ、マンガがオリジナルのつもりで読んぢゃえ。
夜長姫というのは長者の娘で、最初の登場シーンでは十三歳ということになってる。
耳男は、飛騨の匠の二十歳の若者で、耳が大きいから耳男なんだけど、耳のことからかわれるとカッとなる。
耳男は師匠の代わりとして推薦され、長者の屋敷に行って、仏像を彫る仕事を受ける。
ほかの二人の匠、青笠と小さ釜と競って、姫の十六になる正月までに弥勒菩薩を造れといわれる。
姫の気に入る仏像をつくったものに褒美をやると言われたが、耳男は気に入られるもの造る気ないんで、恐ろしいものを造ってやろうと心を決める。
そこでのトラブルなんかもあって、耳男は誰にも仕事場を見せず、小屋に閉じこもって、ときには「蛇の怨霊が オレに のりうつれ!」なんて念じて、ヘビ引き裂いて生き血を飲んだりして、アブナイ芸術活動に打ち込む。
できあがった珍しい像について、「他の二つに くらべて 百層倍も 千層倍も 気に入りました」なんて姫はニコニコしながら言うんだけど。
どんなひどいこと言うときでも無邪気にニコニコしてる姫をみて、姫の笑顔はおそろしいと耳男が苦悩しちゃうとこがキモだとは思うんだが、なんかようわからん物語ではある。
第一話 長者の招き
第二話 ウマミミ
第三話 江奈古
第四話 斧と懐剣(其の一)
第五話 斧と懐剣(其の二)
第六話 モノノケ
第七話 元日
第八話 疱瘡神
第九話 高楼の蛇
最終話 青空
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする