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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

完全版 証言UWF 1984-1996

2020-01-26 18:45:23 | 読んだ本

前田日明+高田延彦+山崎一夫+船木誠勝+鈴木みのるほか 2019年 宝島SUGOI文庫
これは去年11月に街の書店を通りがかって文庫平積み眺めてたら見つけたもの。
前になんかそんなタイトルの読んだなー、でも完全版ってなんぞや、と思ってうしろのほうを見ると、
>本書は小社より刊行した
>『証言UWF 最後の真実』(2017年5月発行)
>『証言UWF 最終章 3派分裂後の真実』(2018年5月発行)
>『証言UWF 完全崩壊の真実』(2018年10月発行)を
>再編集し、新原稿を加え文庫化したものです。
ということなので、私が読んだのは最初のものだけってことになる、んー、ちと迷ったけど、分厚くて楽しそうにみえたので買った。
なんせ文庫オリジナルの新原稿ってのが、巻頭にある、高田×武藤対談ってのも魅力だった、2019年の「10.9」に対談したんだって。
私が以前に読んだ単行本は、本書だと第1章と第2章にあたる、ってのは読んだあと調べてわかっただけで、べつに全部おぼえてたわけではない。
でも、単行本にはなかった高田の「証言」があって、なかなかいい。
最初の解散の裏事情は、繰り返して読んだら、だいたいわかったので、もういいや、フロントと前田の間に衝突があって、でも選手一丸となって新体制で立て直そうとしたけど、前田についてけないって若手がいたんで、前田が解散宣言しちゃったと。
それにしても、こういう世界にありがちなのか、なんかっつーと誰か有力選手の裏にまわって、けしかけてるような人物の影がちらちら見える、選手たちは基本的には純粋な感じなんだけどねえ、取り巻いてる周囲のせいでもめるみたい。
一読したとこの感想としては、あたりまえだけど前に読んだとこぢゃなくて、新しく今回読んだ箇所が新鮮でおもしろい、あとからUインターに入門してきたような世代ね。
金原弘光とか山本喧一とか山本宜久とかの話がけっこう興味深かった、わりとシンプルに「強くなりたい」みたいな思いが強かったんだなと。
Uの系譜では、当時のトップに対して若手が「真剣勝負してください」と迫ると、「まあ、もうすこし待て」みたいに言われるってのが繰り返されてるような気がするんだけど。
金原がデビューしたときは、かつて前田抜きで若手でやろうって言ったらしいUインターの頭脳の宮戸が現場を仕切ってて、若手同士だけでの真剣勝負も許さなかったと。
『お前らがそれをやって、お客を満足させられるのかよ!』(p.446)とか、『お前ら、プロなんだろ?(略)客が理解できないようなことやってもしょうがねぇんだよ。プロだったら、蹴られて痛かったら、痛い顔してその痛みを観客に伝えるんだよ!』(p.448)とかって言って、抑えてたという。
山本喧一の話でおもしろいのは、田村潔司との対立の伏線で、田村がなんかっつーっと優柔不断なんだというところ。
宮戸がクーデターを企てて、田村を中心に若手で団体を再生しようって話し合いをまとめたら、田村が『いや、僕は取って代わってやろうとか、そこまでは思ってないんですけど』(p.469)と言って、周囲がガッカリしたとか。
田村自身が若手を集めて、『やっぱり真剣勝負の世界をつくろう』って言い出しておいて、みんなでそうしようとしたら、『よし! じゃあそういうことで、高山、上に言ってくれるか?』(p.473)って自分は先頭立たずにひとに振ったとか。
あと、安生洋二と高阪剛の対談ってのも入ってるんだけど、このなかで安生が、
>(略)俺の意識は“選手”じゃない。高阪くんのように、競技として総合を捉えてそのトップを目指していた人間と、俺みたいに団体をどうしたら生き残らせられるかを一番に考えてた人間は違う。(p.493-494)
って言ってるとこはおもしろい。
競技者だったら、ヒクソンのとこへ道場破りなんか行ってない、と。
自分が興行の看板になろうとなんかしない、会社がうまくいくように、田村のような有望なのが上がってきたら、どうぞと譲ると。
対照的に、ヒクソンと試合で戦った山本宜久はそのときのことを、
>(略)リングスを背負うみたいなことはなかったです。リングスって、あまりそういうムードがないんですよ。リングスの選手はみんなそれぞれが、自分のために闘っていた。だって、自分が強くなりたいために、この道に入ったわけですから(p.518)
みたいなことを言ってる、たしかにねえ、いまの格闘技を見ても、例えばジムの威信をかけてみたいな空気はあんまりない、そこがストーリーのあるプロレスとは大きな違い。
でも、リングスっていえば、本書を読んで、あらためて、リングスってプロレスだったんだあ、って、ちょっとさびしい思いがした。
安生に関連した話では、金原の証言で、安生が道場を仕切るようになってから、みんなの技術が上がったっていうのがあって、おおっと感心した。
かつてのスパーリングでは、先輩が若手を実力差で極めて、何も教えてもらえない若手は自力で逃げるしかなかったもんだったらしい。
>いまの格闘技ジムや柔術の道場だったら、極め方も逃げ方も全部教えてくれるじゃん。でも、俺らの時代は自分でやられながら“答え”を発見するしかなかったんだよね。(p.595)
ということだったけど、安生は先輩後輩の関係にこだわらず自由なスパーリングができる環境をつくったし、みんなが強くなる練習方法をとったという、当時の練習方法は現在の総合格闘技につながる最先端だったのではないかと、いいねえ。
総合格闘技の技術の話にくらべて、やっぱちょっとガックリきちゃうのがプロレスの裏話で、元役員の鈴木健さんの証言とかは衝撃的ではある。
UWFと新日本の対抗戦の初戦で高田が武藤に負けたら、そのあとは橋本、蝶野、佐々木健介、長州との試合は高田を勝たせるから、とか。(それらの試合は実現すらしていない。)
橋本が高田に勝ってIWGPのベルト獲得したら、高田のギャラは2000万円とか言っといて、新日本は1000万円しか払おうとしなくて、抗議したら1500万円で話まとめられた、とか。
うーむ、新日本おそるべし。っていうよりも、そういう話ってのは時効はないんぢゃないの、いいのかなそこまでバラして。
前回単行本読んだときには、それほど引っ掛からなかったんだけど、今回おやおやと思ったとこに、プロレスマスコミの更級四郎・杉山頴男・ターザン山本の鼎談のなかで、
>(略)馬場さんは「ああ、UWFは潰れるね」って言ってた。レスラーっていうのは、人気が出てきたら必ず分裂するんだよ。お金が入ってくるでしょ? そうすると「僕がもらう金はなんで少ないんだ」と。時間の問題だから。だから、馬場さんは悠々としてた。「ああ、よかった。潰れるね」って。(p.170)
ってとこがあって、さすがメジャー団体のトップはよう知ってるって偉さを再認識した。
そしたら、同じようなことを山崎一夫が証言のなかで認めてて、前田とフロントが対立したことを、
>まだまだ会社がちゃんと回ってないときは、みんな必死になって同じ方向を見て頑張る。でも、大きなスポンサーが付いたり、興行も毎回お客さんがいっぱいになって会社が潤ってくると、もっといい目を見たいとか、個人的な欲が出てきて、みんなが違う方向を向くようになってしまう。(p.204)
って言ってた。そういうことでまちがいないんだろう、むずかしいねえ。
コンテンツは以下のとおり。
「激突!!新日本プロレスVSUWFインターナショナル全面戦争」から24年後の“10・9”に初めて実現――特別対談 高田延彦×武藤敬司
第1章 第一次UWF「原点」の真実
 前田日明 「メシが食えるのなら、間違いなく佐山さんの言う通りにやった」
 高田延彦 「Uインターの後期は、すべてを手放し、一人になりたかった」
 更級四郎 杉山頴男 ターザン山本 3人の“黒幕”が語る「UWFと『週刊プロレス』」全内幕
 藤原喜明 組長が語る「天才・佐山聡」の功罪と「メガネスーパー」
 山崎一夫 「前田さんの“暴言”をフロント陣はこっそり録音していた」
 新間寿 「猪木、タイガー、ホーガン」招聘計画はどこで狂ったのか
 上井文彦 「『海外UWF』と書かれた水色の給料袋を忘れたことがない」
 中野巽耀 「前田さんは力任せ。スパーリングで一番だったのは高田延彦」
 宮戸優光 「前田さんと若手の分断を画策していた神社長が許せなかった」
 安生洋二 「前田さんが宮戸さんを『新弟子』と呼び続けたことがすべて」
第2章 新生UWF「分裂」の真実
 船木誠勝(1) 「『なんでやっちゃわないんだ?』と言われたが、できなかった」
 鈴木みのる 「前田さんとの確執はあったが存続させるためにウソをついた」
 田村潔司(1) 「選手全員が神社長から興行の売り上げデータを見せられている」
 垣原賢人 「道場の練習をそのまま出してはいけないのか?」という葛藤
 川崎浩市 「前田さんには伝えず、神社長は自分の給料を上げ続けていた」
 尾崎允実(1) 「“解散宣言”直後に前田は涙声で『俺、どうしたらええんやろ』」
第3章 U系3団体「確執」の真実
 船木誠勝(2) リングス、Uインターとの差別化のためだった“真剣勝負”
 田村潔司(2) クビ覚悟だった高田への「真剣勝負してください」発言
 金原弘光(1) “真剣勝負”を絶対に許さなかったUインター
 山本喧一(1) リングスに要求した移籍の条件は“田村との真剣勝負”
 安生洋二 高阪剛 「誰も止めないから」起こった安生の前田殴打事件
 山本宜久 高田に言われた「お前の目つきは前田日明ソックリやな!」
 石井和義 「リングスに怒ったのは佐竹だけが真剣勝負だったから」
 尾崎允実(2) 「団体化のもめ事の最中は、スタンガンを携帯していました」
第4章 UWF「消滅」の真実
 船木誠勝(3) 「掌底ルールを捨てたことで、完全にUは終わりました」
 金原弘光(2) 「高田道場に誘われなかったのは、正直ショックだった」
 山本喧一(2) 「Uインターで“神様”だった高田さんは孤独だった」
 鈴木健 「田村の『真剣勝負してください』発言で高田さんは人間不信に」
 坂田亘 “”シュート”と“ワーク”を超えた恐るべき戦場だったリングス
 ミノワマン ヒクソン戦を狙い続けた男の“プロレス愛”
 山田学 「パンクラスを罵倒する前田日明が許せなかった」
 高橋義生 「UFCで負けたらナイアガラの滝に飛び込むつもりだった」

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NEW TAKE BEST COLLECTION '92

2020-01-25 18:09:53 | 荻野目ちゃん

荻野目洋子 1991年 ビクター
荻野目ちゃんのベスト盤のひとつなんだが、ちょっと変わってるというか、ベストぢゃなくてセルフカバー集ってことになんだろう。
オリジナルをいつ聴いても飽きたりはもちろんしないんだけど、たまには変わったのもよくて、ときどき聴くと新鮮。
でも「Dance Beat~」のフラメンコ調のはやっぱなじめないな、“オレ!”とかそれほど要らない気がする。
一方で、「ギャラリー」のこのバージョンなんかは嫌いぢゃないけどね。
で、「フラミンゴ~」も「ダンシング・ヒーロー」も、とても凝ったリミックスになってんで、どうしてもそういうののアレンジに気をとられがちなんだけど。
このアルバムに入ってるなかで、「Morning Rain」と「少年の瞳に…」は、ふつうにすごくいい曲だと、聴くたびにおもう。
1.北風のキャロル―on Christmas day―
2.Symphonicギャラリー
3.Dance Beatは夜明けまで―in セビリア―
4.ユア・マイ・ライフ(YOU'RE MY LIFE)―version II―
5.BECAUSE―version II―
6.Morning Rain
7.美女と野獣―savanna mix―
8.フラミンゴ in パラダイス―what's "PARADISE" mix―
9.ダンシング・ヒーロー(Eat You Up))―'70 mirror ball mix―
10.少年の瞳に…

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セーラー服とエッフェル塔

2020-01-19 20:33:11 | 読んだ本

鹿島茂 二〇〇〇年 文藝春秋
丸谷才一の『快楽としての読書 日本篇』で、
>戦前の随筆の主流が清閑を愛して無内容なことを書き綴つたのに対し、近頃のエッセイはずつしりと中身の詰つた、そのくせしやれた行き方を狙ふ。その代表が鹿島茂である。
なんて紹介されていて、読んでみたくなったもの。
どうでもいいけど、去年10月くらいだったか、いろいろのついでにネットで買ったんだけど、文庫本のつもりでいたのに届いたら単行本だった、もちろんよく表示を見ない私の勝手な勘違いなんだけど、手に取ってみない買い物はこういうことがある、いいんだけど別にどっちでも。
丸谷さんのほめるとおりのエッセイ集なんだけど、冒頭の章の書き出しの文が、「私の悪癖のひとつに、やたらに仮説を立てたがるというのがある。」であって、まあだいたいそういうことがいっぱい書かれている。
タイトルのうち、セーラー服については、なぜセーラー服の襟はあんな形をしているのだろうってことと、十九世紀ヨーロッパでは男の着るものだったのに何故日本では女学校の制服に定着してしまったのだろうってことの考察の一章がある。
エッフェル塔については、1925年に、フランスの代表的な金属スクラップ会社が集められ、近々エッフェル塔を解体してスクラップとして売るので入札を行う、っていう筋書きでの詐欺があったってことから始まり、アメリカやイギリスでもそのテの公共建築物売却の手口はいくつもあったってことから、偽札製造機の話も展開される。
著者の専門は十九世紀フランス小説だそうだけど、そのせいだろうけどフランスの話題はけっこうある。
ポリー・プラットの『フランス人この奇妙な人たち』って本を紹介して、
>ポリー・プラットによると、アメリカではミスを認めるのは誠実な証拠、フェア・プレーの精神と評価され、逆に認めないと卑怯なやつと非難されるが、フランスではミスは、恥、弱みと見なされる。だから、自分が間違っているとわかっていても絶対にそれを認めようとはしない。ミスを認めることは人間失格に通じるからだ。(略)
>だから、社会の上から下まで、ミスをしてもそれは自分の責任ではないと言い張る人間ばかりになる。(p.152)
といって、自身も料理店で出されたものが傷んでるって従業員に指摘したら、最後まで認めないで、これが嫌なら別のに取り替えてやろうと言われた、なんて例をだしている。
私はかつての仕事上の限られた接点での数少ないフランス人しか知らないけれど、あー、そーか、全員がそうなんだーって、意を強くしてしまった。間違ったのは認めるけど、直さない、と言われたケースもあったなあ。
一方で、前回の『文学全集を立ちあげる』で鹿島さんは、近代日本文学の一部について、
>もう一つ、日本には社交界が存在していないことが、決定的な問題なんだと思います。社交界というのは、辛辣な意地悪合戦なんだけど、そこにルールが一つある。それは、「みっともないことはしない」ということなんです。これを犯したやつはルール違反で、社交界から追放される。ところが、日本のはみんなみっともないんだよ。
なんて言ってるとこがあったりして、いろんな文明を知っているところからくるんであろう、日本の現象への指摘はけっこうおもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
SMと米俵
出世牛
セミとキリギリス
ビデ
皮と革
他人のくそ
由緒正しい戦争
フロイトと「見立て」
牛肉喰いvs.カエル食い
売られたエッフェル塔
消えた便所
愛とはオッパイである
長茎ランナウェイ学説
ナポレオンの片手
情死はソフトの借用?
平均顔
ウソは夢を含む
セーラー服の神話
緑の妖精
黙読とポルノ
「グサッ」と聖性
贋作の情熱
パリの焼き鳥横丁
「男」はつらいよ
ティッピング・ポイント
紅茶vs.珈琲

コメント (2)
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文学全集を立ちあげる

2020-01-18 18:17:42 | 丸谷才一

丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士 2010年 文春文庫版
これは去年7月ころだったか、中古で買った文庫、酒飲んでの帰り道に買ったような記憶がある。(正確にいうと、買ったときの記憶はないが。)
三人が集まって、架空の文学全集をつくるという編集会議をしているもの、つくるのは「世界文学全集」と「日本文学全集」の二種類。
元々はどういう関係なのかは知らないが、話し合っているのをみると、作家の名前をあげては、彼は入れたいとか、このひとは要らないとか、あのひとは1/2巻でいい(誰かと合わせて1冊になるの意)とか、侃々諤々。
おなじ作家のどの作品を入れるかについても、これは面白くないとか、私はそれはダメなんだとか、けっこう意見はバラバラ、ずいぶんと好みがちがうものだなと思う、もしかしたらそのほうが偏らなくていいのかもしれないが。
どういう全集をつくるのかという最初のとこで、いまの日本の新人作家は昔の小説を全然読んでないので、小説家をめざすひとのために、って方針がひとつあげられる。
それから、鹿島茂さんの発言で、
>一方で日本では、文学全集は江戸時代までの「四書五経」に代わるようなもの、一つの言葉を共有する社会に入るためのパスポートとされた。そのせいもあって、きわめて倫理的、求道的な姿勢で書物に接する姿勢がありました。現代は求道性など、まったく顧みられない時代ですから、敬遠され、読まれなくなっている。
>ですから、今度、我々が選ぶ文学全集は、従来の求道的なものとはまったく違う基準で作品を選ぶ必要があると思います。(p.16)
ってのがあって、そういう方向性で、いままでの全集になかったような少年少女小説とか、推理小説とか、SFとかもありにしよう、なんなら「十八世紀猥褻、色情小説集」もつくろうかなんて議論にまで発展してく。
鹿島さんは具体的な選定作業においても、「今までの求道的な文学全集の目玉は「カラマーゾフ」だったから、それを外すというのは悪くない気がしますね」(p.56)なんてバッサリやってる。
どうでもいいけど、
>鹿島 フロベールが、ツルゲーネフにトルストイを読むように勧められて、どこが面白いのか全然わからないと手紙に書いてますね。
>三浦 ツルゲーネフはパリで、ロシアの文化的エージェントのような役割をはたしてたからね。そこでさかんにトルストイを売り込んだ。というのはドストエフスキーは嫌な男だったから(笑)。ドストエフスキーは、ツルゲーネフがいなくなって初めて世に出てこられたんですね。(p.57)
なんてのを読むと、文学史ってのは著者名と書名を並べるだけぢゃなく、そういうこと教えてくれればもっと面白いんだよと思う。
あと、この編集会議で興味深いのは、
>三浦 提案ですが、「歌謡集」という巻をつくりましょう。「枯葉」のプレヴェールを入れたいと思って考えたのが歌謡集なんですが、ジョン・レノンとかボブ・ディラン、ジョーン・バエズとかいろいろ入れると面白い巻になりそうですよ。(p.87)
と言ってるとこがあり、単行本は2006年発行だというけれど、その10年後にボブ・ディランが予想外のノーベル文学賞を授与されたことを思うと、先見の明あったんぢゃないかと。
ということで、周縁の文学も積極的にひろって、世界文学全集は全133巻になった。
次いでは日本文学全集の作業なんだけど、ここでの原則は、「いま読んで面白いこと」という宣言がある、「読むに値しないと思ったものは、いくら文学史的に有名でも外す」とかって、いや、なかなか言えないよ。
巻数の目安として、明治以前百巻・明治以後百巻ではどうかという提案もされるが、それに関して、
>で、商売としての本屋が成立したのが十九世紀なんだね。それ以前、つまり出版事業が何らかの公けの力を必要とした段階、それから流布するのに写本が重要だった時代と、印刷で大量生産できるようになった時代とは大きい違いがある。(略)
>(略)だから、文学史の基本的な観点を決める要素として、出版というもののあり方はすごく大きいんだと思う。
>それを考えれば、近現代をグッと遡って西鶴あたりから始めたっていいのかもしれない。
>(略)西鶴の時代には、日本に資本主義が確立しちゃってるんですよ。同時代の西欧の、ルイ十四世とかの段階より、はるかに日本のほうが進んでいた。(p.108-110)
って三浦さんが、本の形で文学史をとらえることの重要性を示して、それに鹿島さんが、
>出版業が成立することによって、読者というものが現われ、その価値観によって逆に作家が選ばれる時代が始まったわけです。(p.111)
と答えてるとこは、文学作品の内容の評なんかより、とても興味深く思えた、書き手の価値観だけで作品ができるんぢゃなくて、買い手の価値観が問題になるってこと。
私がいつも読んで共鳴するようになってきた、丸谷さんの日本文学観みたいなものは、この本でもバシバシ出てて、
>でも、明治、大正、昭和の日本の批評というものは、相手をイヤにさせれば、それでいい、という風潮はかなりあったね。批評の快楽を知らない人たちが批評文を書いたんだね。(p.194)
とか、
>近代日本人が西洋的な個人主義を学ぶことは非常に難しいんだね。(略)
>いかにしてみっともないことをやるか、それが真実の吐露だと思ったわけね。(p.195)
とか、ちょっと変わった切り口としては、
>「あれはエロですから」という言い方が文壇言葉にあるんだよ。(略)
>つまり、エロというものは、色情で売るくだらない小説という意味での文壇的否定用語だった。ただし、それが荷風や谷崎ぐらいまで行くと、今度は逆に引っくり返って、それがいい、ということになる。否定の核心にあるものは日本の純文学の中にある儒教的なものなんですね。(p.271)
とかっていうのは、とても参考になった。
かくして、日本文学全集は、古代から十九世紀までが古事記から樋口一葉までの89巻、二十世紀から戦前までが59巻、戦後が17巻、名作集として近代歌謡集など8巻となった。
ほんとにできたら読んでみたいとは思うが、それこそ一日五冊から読むぐらいの勢いがないと、とても読みきれないんぢゃないかという気がする。

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本のお口よごしですが

2020-01-12 18:15:56 | 読んだ本

出久根達郎 1994年 講談社文庫版
これは去年10月に地元の古本屋で買った文庫、最近やっと読んだ。
『漱石を売る』とかを読んだことがあるんだけど、著者は本書の単行本刊行時点の1991年で「古本屋になって、指折り三十二年になる」という古本屋さん。
本書は一篇あたりが文庫で1ページ半くらいと短いエッセイ集、156篇と数は多いからタイトル並べたりはしない。
基本、古本屋稼業の毎日のことが題材で、めずらしい本とか変わった客とか、そういうネタ。
古本にはしおり代わりにイチョウの葉がはさまれてることが多いけど、それを調べてみたら、
>書物保存法の通俗書で、虫よけにイチジク、イチョウの葉を用いよ、とある。(P.73「書物保存法」)
ってのを、あっさり見つけることができたとか。
著者は、自身、実に多くの本を読んでるんだけど、これについては、
>二十代のころ一日五冊読むことを心がけた。(略)
>なぜこんな無謀をたくらんだかというと、一生の読書量を考えたからであった。仮に十歳より七十歳まで、一日平均一冊として六十年に二万一千九百冊。たったこれっぱかりなのである。私は読みたい本が生涯に読みきれぬとあせったのである。(P.81「なつかしき遺品」)
と書いてあったんで、見上げた志の持ち主なんだと知った、すごいね、そんなこと考えるなんて。
一読したなかで、私がいちばん気に入ったのは、次のような話。
古本の好きなひとは、よく探している本のリストのメモを持ち歩いているものだが。
戦時中、学徒出陣するある男性が、九つ下の弟を連れて裏山に登り、キノコのとれる秘密の場所を何か所も教えて引き継いだ。
日当たりのよいせせらぎの近くにくると、兄はここは自分が本を読む場所だ、ここも弟にあげると言った。
>そして一枚の紙片を弟に渡し、「おれにかわってわが全集の欠巻を捜し揃えてほしい」と頼んだ。それが兄の遺言になった。(P.179「宝の紙片」)
で、弟は戦後に仕事の合間をぬって古本を捜し、四十年かけて蔵書の不備を埋めることができたという。
えらいよねえ、そういうの。あと、戦争は、やっぱ、したらいかん。

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