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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

国際メディア情報戦

2022-03-27 18:45:18 | 読んだ本

高木徹 二〇一四年 講談社現代新書
つい最近に古本まつりで見つけたもの、探してたわけぢゃないんだけど、これって『戦争広告代理店』のひとだよな、と思って。
あれはおもしろかったから、似たようなものなら読んでみていいなと期待した。
本書の第1章でも、そのボスニア紛争で活躍したPR会社の戦術のおさらいから入ってる。
「メッセージのマーケテイング」が仕事だというPR会社のもつテクニックが3つ。
まず「サウンドバイト」、これは政治家などの発言のうち、数秒くらいの長さに切り取られる断片、これに向いた話し方をすることが重要。
つぎに「バズワード」、メディアに流行らせる言葉、ボスニアのときは「民族浄化」でセルビア人が何をしてるかって一言で表した。
それから「サダマイズ」、これはサダム・フセインの名前からきてるらしいけど、敵のリーダーを国際社会全体が極悪人だと認めるような世論を作ってしまうこと、あいての国とか組織とかぢゃなく、誰か具体的な人物を標的にしちゃうと世論が形成されやすい。
第2章では、アメリカ大統領選のテレビ討論会なんかでの例があげられているけど、これもおもしろい。
パパ・ブッシュが現役大統領なのにクリントンに負けたのは、テレビ討論のなかで、ある少女の質問の際に、自分の腕時計を覗き込んだ姿を映されたからだという。
この「時間のむだだ」みたいな傲慢な態度の映像が、短く切り取られて何度も繰り返し放映されたのはイメージをすごく悪くしたんだそうな。
オバマが再選に向けた選挙戦の第一回の討論で劣勢になってしまったあと、第二回討論の前に泊まり込みの練習をしたときのことを、
>週末をまたぐとは言え、公務をほったらかしにしてリゾートホテルにこもり、大勢のシークレットサービスをはじめ公費も使ってテレビ討論の準備に専念する大統領を、アメリカのメディアは批判したりはしない。(略)
>アメリカの民主主義では、日本では否定的に「パフォーマンス」などと言われかねないテレビ向けのテクニックを磨くことはあたりまえだと考えられている。それは一つの「ゲーム」なのだ。(p.91-92)
みたいに紹介してるところも興味深いと思った。
オバマはメディア情報戦にすぐれていて、ホワイトハウスにメディアのカメラマンが入ることは許可しないで、専属カメラマンの撮った写真を提供してイメージをコントロールしてたんだそうだ。
2013年9月のシリア攻撃のときは、議会や世論の賛成が得られそうになかった情勢のなかで、一日に6つのテレビ局との一対一のインタビューを受けた、全社を集めて記者会見したほうがラクなはずなのに、
>(略)共同記者会見という形では、各局ともその日のニュース番組で一分になるかならないかの「サウンドバイト」を放送するだけになってしまうが、「単独インタビュー」なら、どの局も「特別番組」かそれに近い扱いで、ほぼ全編を放送することになる。さらには、そこから切り出した「サウンドバイト」をその後のニュース番組でも繰り返し放送することになるから、オバマ大統領のメッセージがはるかに広く、深い形で国民に浸透していくのだ。(p.239)
ってことでメディア対応したっていうんだから、そりゃたいしたもんだと思う。
このオバマが戦ったのがアルカイダで、ビンラディン殺害後も、後継者が出現することのないように作戦を継続したという。
>オバマ政権は、アルカイダのメッセージを世界に広げようとする国際情報戦の能力の高い人物は殺害することで物理的に除去し、しかもその「殉教者化」を防ぐ情報戦も実施するという政策をとっている。(p.165)
という徹底したもの。
というのも、そもそもアルカイダってのが、表裏一体のアッサハブって組織をつかって、メディアつかってのPR戦略に長けてたっつーのがあるからで。
そのまえのブッシュ政権のときは、広告業界から国務省に人材登用したりしたんだけど、無茶な理由でイラクを攻撃したもんだから、「アメリカはイスラム教徒を殺し続ける」みたいなビンラディンの主張がイスラム世界にまかりとおることになってしまった。
>PR戦略といっても、トップがそのメッセージを裏切る行動を続けていてはその効果にも限界がある。国家が情報戦を戦うなら、まずその政策や行動が問われるのは当然のことだ。それをひっくり返すことはどんなプロでもできない。(p.146)
ってことで、「アルカイダとフセインは協力してる」みたいな、イスラム世界ではそんなことありえないってみんな知ってるようなことを言っちゃう政権では情報戦では勝てなかったというわけだ。
そうやって、どっちの側もメディアを通じて自分のほうの正当性を主張するべくPRをするんだが、勝負のポイントはなにかというと、
>本書で描いてきた国際メディア情報戦、(略)いわば「現代の総力戦」の本質は、さまざまなテクニックを使いながら、最終的には「自分たちの方が敵よりも倫理的に勝っている」ということをいかに説得するかという勝負である。国際メディア情報戦の時代には、弱肉強食で軍事的に力が勝るものが勝つというのは古い考え方となる。(略)誤解を恐れずに言えば、現代の国際政治のリアリティは、自らの倫理的優位性をメガメディアを通じて世界に広めた者が勝つという世界なのだ。(p.245-246)
ってことになる。本書は2014年のものだけど、いまロシアとウクライナのあいだで起きていることみても、そこは変わらんだろうなと思う。
章立ては以下のとおり。
序章 「イメージ」が現実を凌駕する
第1章 情報戦のテクニック ジム・ハーフとボスニア紛争
第2章 地上で最も熾烈な情報戦 アメリカ大統領選挙
第3章 21世紀最大のメディアスター ビンラディン
第4章 アメリカの逆襲 対テロ戦争
第5章 さまようビンラディンの亡霊 次世代アルカイダ
第6章 日本が持っている「資産」
終章 倫理をめぐる戦場で生き残るために

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中国の大盗賊・完全版

2022-03-26 18:42:10 | 読んだ本

高島俊男 二〇〇四年 講談社現代新書
丸谷才一の随筆のなかで、「これほどの本を書く人物が世に知られてゐないのは残念だと思ひ、ジャーナリストに会ふたびにこの本とこの著者を褒め、彼に何か書いてもらへとすすめた。その結果、出来あがつた本が講談社現代新書の『中国の大盗賊』。これが前著以上にすごい本。(『双六で東海道』p.287)」と、絶賛されていたので、読んでみたくなり、先月だったか中古を見つけたんで買った。
なにが「完全版」かというと、本書あとがきによれば、元版が出たのは1989年だが、このとき編集から「270枚で」と指定されたのに、書きあがったのが420枚になったところ、あくまで270枚までと言われて、バッサリ削ったのだが、本書はそれを復活させた。
削ったとこについては、丸谷さんが「本当は出版社が毛沢東に遠慮した気味もあつたのぢやないかと思ふけれど」というように、著者は、中華人民共和国ってのは盗賊王朝で、毛沢東は盗賊皇帝だ、ってとこに重きを置いてたにもかかわらず、その多くが削られ、歴史上の話が主、現代のことはつけたし、みたいな出来になったのは残念だったらしい。
そういうわけで、中国の歴史で天下をとった大盗賊がテーマなんだが、盗賊ってのはけちな泥棒ぢゃなく、本書の定義によれば、(1)官以外の(2)武装した(3)実力で要求を通そうとする(4)集団、ということになる。
町から町へと移りながら、襲って分捕っていく盗賊の集団は、でかいと数万人規模になるという。でも、3万人規模だとすると、そのなかで戦士は1割の3,4千人くらい。
ほかは、そいつらの連れてる、元はといえば略奪してきた、女とか、その子供。それ以外にも、道中で収容してきた親のない子供とか。それから雑役夫が戦士一人につき5人とか10人とかついていて、武器とか食料の調達や運搬をして働いている、一大集団なのだという。
で、そういう盗賊のなかから時代の波にのって天下とっちゃう奴も出てくるんだが、王になったりすると、ただただ戦に強いだけぢゃなく、知識人を登用したりして、いままでの世の中はまちがってた、われわれは正義だ、みたいな理論武装して、民衆にも正当性を認めさせたりしなきゃなんない、ちゃんとした組織づくりもたいへんだ。
戦乱の時代がおわって、治世はじめると、いろんな儀式とかで皇帝とかを偉そうにするために、儒家に出番がまわってきたりするんだが、
>とっくの昔に死んだ人間(祖先)を祭るという、実質は何もない、百パーセント「文」の儀式などは、儒家の最も得意とするレパートリーである。人間がそういう「文」を具えた生活をできるようにしてゆくのが「文化」なのである。(p.91)
なんて言われると、漢字文化の勉強になる、ここでの「文」というのは「もよう、かざり」のことで、「実用的には無意味な飾り」なんだが、それが動物と人間をへだてるものだと。
天下治めるようになると、元は盗賊だったんだけど、勝てば官軍だから、勝者によって歴史はつくられる。
ほんとは別のところの別の人の話だったものでも、英雄になったひとのエピソードに加えられちゃったり、芝居がかった作り話もあとからぽんぽんできる。
おまけに、歴史的史料とされてるものの元ネタが実は小説だったりとか、出典不明ないいかげんな話はいっぱいある。
そのへんのところ、著者は、
>つまり、昔の人たちにとって「歴史」というのは、NHKの大河ドラマみたいなものなのである。ごく大筋の所は史実だが、ディテイルは作り話である。「歴史」は口づたえに語りつたえられてゆくから、その過程でだんだんおもしろく肉づけされてゆく。その肉づけの部分は「物語」であって、肉をこそぎ落したものが「歴史」だというような観念は昔の人にはなかったのである。
>昔の人たちにとっては、その肉づけも含めたものが「歴史」なのであって、『左伝』や『史記』がおもしろいのはそのゆえである。(p.85-86)
とか、
>右の「車箱峡」「滎陽大会」「潼関南原」「魚腹山」等はみなあとからの作り話なのであるが、しかしすべてちゃんと『明史』にのっている。正史といったってちっともあてにならない標本みたいなものである。(p.161)
とかって、解説してくれて、おもしろい。
>いったい中国の歴史は王朝交代の歴史であるが、新しい勝者が天下を取ると、前の王朝の宮殿に火をつけて景気よく焼いてしまい、新しく自分の宮殿を作る。(略)われわれ日本人はケチだから、「なんともったいない、そんな立派な建物があるのならありがたく使わせてもらえばいいのに」と思うが、中国人は太っ腹だからそうは考えない。天下を取ったということは全中国の富を手中にしたということなのだから、宮殿くらいはいくらでも建てられるし、新しい宮殿を作ってこそ「こんどはオレが中国の主になったのだぞ」ということを天下に示すことができるわけだ。(p.224-225)
みたいなわけで、歴史のわりには古い建物がないって中国史の話も勉強になる。
そんなこんなの長い、繰り返される歴史をみてくると、17世紀に明を倒して洛陽に入った李自成の軍が、庶民向けに「新しい王は税金をとらない」みたいな歌をつくって流行らせたのと、20世紀に毛沢東が歌を使った民衆工作をしたのはいっしょで、
>双方に共通するのは、救世主の名前を売りこもうとしていることだ。何百年たっても、中国の大盗賊のやることに大した進歩はない。(p.168)
と気持ちよく、ばっさり言ってくれてる。
ほかにも、それまで盗賊だった共産党が勝って「官」になると、国民党は「匪賊」扱いになって、
>そして、正しい共産党が悪い国民党と戦ってこれを打ち倒したプロセスとしての「歴史」が作られる。それが圧倒的な物量でくりかえしくりかえし国民の頭に注入される。
>だから、中国人はもちろん日本人でも、共産党が国民党に勝ったのは正義が不正に勝ったのであり、人民の味方が人民の敵に勝ったのであり、したがって必然的な歴史の進歩なのだと、いまだに思っている人がいる。
>実は、過去に何十ぺんもくりかえしてきたのと同じく、一つの集団が在来の権力を打ち倒して取ってかわり、新しい顔ぶれが権力の座についたというにすぎないのである。(p.52)
って盗賊の側から歴史をみるおもしろさを教えてくれる。
序章 「盗賊」とはどういうものか
第一章 元祖盗賊皇帝――陳勝・劉邦
第二章 玉座に登った乞食坊主――朱元璋
第三章 人気は抜群われらの闖王――李自成
第四章 十字架かついだ落第書生――洪秀全
第五章 これぞキワメツキ最後の盗賊皇帝――毛沢東

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アリバイ・アイク

2022-03-20 19:11:56 | 読んだ本

リング・ラードナー/加島祥造訳 平成二十八年 新潮文庫版
リング・ラードナーはこのあいだ文庫の短篇集を読んだら、たいそうおもしろかったんで、ほかにも読んでみたくなった。
そしたら、この文庫は近年になって復刊されたらしく、中古を買うのもわりとたやすかった、「村上柴田翻訳堂」というシリーズのラインナップとして「ラードナー傑作選」という副題が付されてる。
どの短篇も登場人物たちがじつによくしゃべる、男も女もとにかくおしゃべり、またそれがおもしろいんだ。
解説セッションで柴田元幸さんが、「ほとんどお笑いの世界ですよね。純文学というよりは話芸といったほうがずっと近い」(p.453)って言ってるけど、まさに「語り」だけでできてる作品たち。
収録作は以下のとおり。
『アリバイ・アイク』 Alibi Ike
>「彼女って?」とアイクが言った。
>「晩飯を一緒に食べた彼女さ」
>「ああ、あれはただ偶然食堂へはいる時一緒になっただけなんだ。監督が一緒に坐れって言うもんだから」
>「彼女はお前がジョーの店で買ったのを指にはめてたなあ」
>「ああ、しばらく貸してくれって言うんでね、貸してやったんだ」
>「台を新しく作り直して貸してやった、というわけかい?」とおれが言った。
>「あれは彼女のだよ。石を落としたんだってさ」(p.40-41)
『チャンピオン』 Champion
>「今晩のあんたすごかったなあ。こてんぱんにやっつけた」
>酒が出た時ハーシュは言った。「殺しちまうのかと思ったぜ」
>「レフェリーが止めなきゃ殺したろうな」ミッジは答えた。「おれは誰でもみんな叩き殺すぜ」
>「とにかくあんたのパンチはすごい」ハーシュは惚れこんだ調子で言った。
>「おれのパンチだと?」とミッジ。「らばの蹴る力にだって負けやしないぜ。おれの肩の筋肉見たかい?」(p.60)
『この話もう聞かせたかね』 Stop Me,If You're Heard This One
>オズボーン氏は、こんな話ばかりで退屈させなかったかしら、と二人に言った。
>「とんでもない!」とブレイズ。
>「まったく聞きあきない話ばかりですよ」とガーナー。
>「ぜひ回想録をお書きになるべきですね」とブレイズが言った。
>「よく人にそう言われるんだが、一カ所にじっとしてないんで、落着いて書く暇がない。定期的に慢性の放浪癖が出る性質なんだねえ」(p.102)
『微笑みがいっぱい』 There Are Smiles
>ベンの部署である交差点では、たとえ交通違反があっても、よっぽど重大な事故にならぬかぎり、めったに罰せられなかった。いま話したような茶目っ気たっぷりなお叱りを受けるのが関の山で、それも言い方がすごくおだやかなものだから、叱られてかえって嬉しく感じるくらいだった。(p.122)
『金婚旅行』 The Golden Honeymoon
>わしという人間は喋りはじめたら止らんから困る、とかあさんは言うんだがね。しかしわしは言うんだ、だってわしが喋れるのはかあさんがそばにいない時だけなんだ、だからその機会にできるだけ稼ぐわけさとね。(p.150)
『ハーモニイ』 Harmony
>「さっき監督が話してくれたんだよ、あんたがウォルドロンを掘りだした話をね」
>「ああ、あれか」と彼は言った。「あんなこと、べつに話にはならんだろ」
>「ぼくにはすてきな話に思えたな」とぼくは言った。「凡フライを打った新米を見ただけで、これはタイ・カッブみたいな大選手だと見抜くなんて、誰にもできることじゃないものね」
>グレアムは微笑した。
>「そうさ」と彼は言った。「そういう目を持ってるやつは少ないだろうな」(p.195)
『ここではお静かに』 Zone of Quiet
>「あの先生、とてもいい人みたいだわね」とミス・ライオンズは言った。「それに医師としてもね。あたしあの先生につくのはこれがはじめて。彼は看護婦のすることを信用してくれるようね。たいていのお医者って、看護婦を顎で使う気持でいるんです。たとえばホランド先生なんかそう。先週、あの先生についたのよ。そしたら人をまるで自分の妾みたいに扱うの。しまいにあたし、言ってやったわ、こう言ったの――『あたし、見たほど薄のろじゃないんです』って。彼女、金曜日の晩に死んだわ」
>「誰が?」とベッドの男は訊いた。
>「あたしがついてた女の人」とミス・ライオンズは言った。(p.227-228)
『愛の巣』 The Love Nest
>「そこへ掛けたまえ」とふかふかする安楽椅子を指しながら、この家のあるじは言った。
>「さて、君の飲みもの、何にするかね? わしは本物の古い国産ウイスキーを持っとるんだ。それを君にも飲んでもらいたいな。ね、君、わしはシカゴ出身だろ、だからどうも外国物よりも国産のほうが口に合うんだ。言いかえると、わしには外国物よりも国産のほうがうまい、というわけだ。フォブズ」と彼は使用人を呼んだ。「一杯やることにした。その食器棚に口をあけたばかりのバーボンの瓶があるはずだ」(p.257)
『誰が配ったの?』 Who Dealt?
>あたし、パスにするわ。あら、ご免なさい、トム。あたし、きっと間違えるだろうと予感してたのよ。トム、ご免なさいね。でもいずれはあたしたちが勝つわ、そうでしょ、トム? 今度は誰がリードする番?
>ええ、あたし、お喋りやめて、もっとゲームに集中するわ。トム、そんな顔しなくてもいいじゃないの? あたし、その気になればお喋りやめることできてよ。でもねえ、気持がたかぶってると、落着いて物を考えることができないものよ。(p.289)
『散髪の間に』 Haircut
>お客さん、この町ははじめてでしょ、ええ? 見かけない顔だと思いましたもの。この町が気に入ってくれるといいですねえ。もちろん、さっき言ったように、ここはニューヨークやシカゴってわけにいきませんよ、でもね、けっこう面白いことがあるんでさあ。ただ、ジム・ケンドールが死んじまってからは、ちょっと淋しくなりましたね。ジムが生きてたころは、彼とホッド・メイヤーズの二人で、町じゅうをげらげら笑わせたもんです。(p.308)
『ハリー・ケーン』 Hurry Kane
>なかでもいちばん滑稽だったのは歩き方だったなあ。投げる番になって、はじめてピッチャー・プレートへ行った時の様子ときたら、まず忘れられないもんだったな。まるで自分がハダシでいてガラスでも踏んづけやしまいかとビクついてるみたいさ。片脚をあげ、それをしばらく空中に置いといて安全なとこを見つけてから、やっとおろす。それからもう一方の脚も同じようにやるんだ、だからベンチを出てからピッチャー・プレートに着くまで、半時間もかかったみたいだったぜ。もちろん監督はじきに彼のこの癖を直しちまった、いや、監督じゃなくてキッド・ファレルがやった、と言うべきかな。(p.338-339)
『相部屋の男』 My Roomy
>いいや、まだ来年の契約はしてないさ、しかしべつにトラブルはないんだ。金額の点は話がすっかりついてるからな。そのことでは監督との話も終っていて、向うが契約書を送ってくればすぐにサインするのさ、ただし一つだけ条件を出してるんだ、今後自分の相部屋になる男はおれが選ぶ、向うから押しつけられるのはご免だ、ということさ。(p.384)
『短編小説の書き方』 How to Write Short Stories
>たいていの場合、私が常にとる第一の手は、目立つ題名を見つけることです。たとえば、『バジル・ハーグレィヴの駆虫剤』とか、『焼却工場での悦楽』といったふうです。それから私は、どんな種類のでもいいがデスクかテーブルの前に坐り、三枚か四枚の紙を置き、できるだけ多くの色の色鉛筆をとりだし、それらを横目で数分間じっとにらみつけてから一本を選びだします。(p.435-436)

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一億三千万人のための小説教室

2022-03-19 18:51:28 | 読んだ本

高橋源一郎 2002年 岩波新書
これは、このまえ橋本治の何冊かといっしょに新書をしまってあった箱から見つけた、以前から持ってたけどこのブログにとりあげてなかったもののひとつ。
2002年当時に自分が何を考えてどういう本に手を伸ばしてたかなんて、まったくおぼえちゃいないが。
高橋源一郎の文学論は『文学がこんなにわかっていいかしら』なんかでおもしろいと思ってたから、そこらへん期待したのかもしれない。
ベースにあるのは、NHKの番組の企画で母校の小学校に、文学とはなにかを教えに行ったときのことなので、その入り口の感じはとてもやさしい。
ただ、そのときのことについて、
>かくして、わたしは、教育とか学校という、人間にとって、きわめて有害なものの真っ只中にいる子どもたちに、小説や文学という、その反対のもの、ということは、教育や学校というものが人間にとって必要であると思っている人たちにとっては、きわめて有害なものを、伝えに行ったのです。(p.8-9)
といってるので、いわゆる普通の学校教育の一環で行ったわけぢゃない。
予想するとおり、小説の書き方について、テクニックを教えたりするんぢゃないけど、「小説を書くために必要な鍵」として、
>(1)なにもはじまっていないこと、小説がまだ書かれていないことをじっくり楽しもう(p.25)
>(2)小説の、最初の一行は、できるだけ我慢して、遅くはじめなければならない(p.26)
から、
>(20)自分のことを書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて(p.182)
まで、いろんなことを示している。
文例もいくつかとりあげて解説してくれてるけど、なかでも私が気に入ったのは、
>この小説の、この、はじめの部分には、小説を書きはじめる人たちが、いちばん最初にやらねばならないことが、完璧な形で書いてあります。これさえ読めば、わたしには、教えることがないぐらいです。ブラヴォー!(p.35)
と絶賛して、ケストナーの『エーミールと探偵たち』の最初の部分を、読んでみろといってるとこ。
ここからもたらされる小説を書くための鍵は、
>(7)小説に書けるのは、ほんとうに知っていること、だけ(p.48)

>(8)小説は書くものじゃない、つかまえるものだ(p.55)
ってことになるんだが、これは『エミールと探偵たち』を読んだことあるひとなら、よく知ってるはずのこと。
いろいろ小説の書き方を説明してくうちに、ぢゃあ小説ってなんなんだろ、みたいな感じを受けてくんだけど、最後のほうで詩なんかとの比較で、
>小説には、形がない。確固としたものがない。それに向かう中心、それが小説であるという、明確ななにかはないのだ、とわたしは思うのです。
>あやふやで、いい加減で、わがままで、気分屋で、周りになにかがあれば、すぐ、それをまねようとする。
>それが小説です。(p.151)
というふうに、なにをどう書いてもいいんだよみたいな考え方を教えてくれてます。
コンテンツは以下のとおり。
少し長いまえがき――一億三千万人のみなさんへ
基礎篇
 レッスン1 小学生のための小説教室
 レッスン2 小説の一行目に向かって
 レッスン3 小説はまだまだはじまらない
 レッスン4 小説をつかまえるために、暗闇の中で目を開き、沈黙の中で耳をすます
実践篇
 レッスン5 小説は世界でいちばん楽しいおもちゃ箱
 レッスン6 あかんぼうみたいにまねること、からはじめる、生まれた時、みんながそうしたように
 レッスン6・付録 小説家になるためのブックガイド
 レッスン7 小説の世界にもっと深く入ること、そうすれば、いつか
 レッスン8 自分の小説を書く
ぐっと短いあとがき――もう一度、一億三千万人のみなさんへ

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石の花

2022-03-13 18:44:33 | マンガ

坂口尚 1996年 講談社漫画文庫版・全5冊
これは米原万里さんの『ガセネッタ&シモネッタ』のなかの「芋蔓式読書」で採りあげられてて気になって、ずっと探していた、今年の年明けにようやく5冊そろいで古本を買い求めた。
>『石の花』は、第二次大戦中のユーゴスラヴィアを舞台にした内戦と対独レジスタンスを物語る漫画です。(略)島国のわれわれには何度聞いてもわかりづらい入り組んだ多民族国家の歴史が、手に汗握る波乱万丈の物語と激動期を生きる人間たちの姿を通して、心と頭にしっかりと刻み込まれるんですね。
>あまりに感動したので、二〇セットくらい買い込んで、友人たちに配ったんです(笑)。感動した心は共鳴効果を求めてやまないんですね。わたしが送りつけた人たちが、またアチコチに配るという現象が起きた。(『ガセネッタ&シモネッタ』p.279)
というスゴイ褒めかたされてるんだが、めぐりめぐって当時の外務大臣のところへも誰かが送って、90年代前半のユーゴ情勢に関する理解に役立った、とかまでの尾ひれついた話になってる。
(ちなみに、1992年からのボスニア紛争については『ドキュメント戦争広告代理店』が詳しい。←いま現在戦争やってる地域でも広告代理店が入ってるんだろうなー、と私なんかは思ってしまう。)
まあ私もユーゴスラヴィアの歴史とかに予備知識もないし、特に興味をもつ必要もないんだが、そこまでおもしろいなら読んでみたいと思わされたわけで。
物語は1941年にナチスドイツがユーゴスラビアに侵攻したとこから始まる、三国同盟に加わらないなら戦争だと。
主要登場人物のひとりである16歳の少年クリロは、突然のドイツ軍の攻撃にあい、家族とも学校の友達とも離れ離れになり、やがて山に隠れるゲリラ組織の一員となって、終戦まで戦い続けることになる。
で、ドイツは圧倒的な軍事力でユーゴ国内を抑え、捕まえた人々を強制収容所に送り込んで強制労働させる、働けないやつは処刑。
ドイツのやることはある意味わかりやすくて、優秀な自分たち民族が支配者になり、劣等な民族は奴隷だって、妙な信念で突き進むだけ。
抵抗して戦ってるユーゴスラビアのほうは、実は複雑で、そこんところが単純な敵国対自国の戦いだけの図式になってない。
スロヴェニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの五つの民族が住み、四つの言語、三つの宗教、二つの字を持つという、複雑な国。
ときには国内で民族が対立して、敵はドイツ軍だけぢゃないって事態になる、はなはだややこしい。
もとは国王のいる王国だったのに、三国同盟に加わるってことに反対した勢力が革命を起こす、ってとこあたりが物語のはじめなんだけど、その後も亡命政府を支持するグループと、共産主義を掲げる勢力とがいて、ドイツに抵抗しようにもなかなか一枚にならない。
イギリスとかも対ドイツとしてユーゴに支援はしたいんだけど、共産主義がひろがるのはちょっととか思惑あって、国際情勢ってやつは難しい。
個人レベルでも裏切りとかいろいろあるし、政府の隠し資産の黄金をめぐる陰謀とかのドラマ要素もあって、なかなか私なんかには一読しただけでは歴史がしっかりと頭に入ってこない、もうちょっと何度か繰り返し読まないと。
初出は「月刊コミックトム」の1983年から1986年の連載だというが、なぜにその時代に日本人が第二次大戦のユーゴ情勢のマンガ描いたんだろうと思うんだけど、最終第5巻に著者による「なぜ漫画でユーゴを描いたのか」という文章がある。
第1巻 侵攻編
 第1話 春のあらし
 第2話 一夜の変転
 第3話 強制収容所
 第4話 激流の中の双葉
 第5話 バラの棘
 第6話 ドブロヴニクの潮風
 第7話 再会
第2巻 抵抗編
 第8話 幻
 第9話 燃える山河
 第10話 炎熱
 第11話 硝煙の中
 第12話 一発の銃弾
 第13話 狭霧
第3巻 内乱編
 第14話 二つの抵抗運動
 第15話 内戦
 第16話 冴ゆる星
 第17話 復讐の炎
 第18話 1943・ビハチ
第4巻 激戦編
 第19話 果てしなき行軍
 第20話 渦巻く風
第5巻 解放編
 第21話 KZ(強制収容所)――第5号棟
 第22話 夜の轟き
 第23話 抵抗
 第24話 まなざし

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