many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ダービー

2019-05-26 20:26:10 | Weblog

きょうは日本ダービー。
29年間というもの、ダービーどこでどう観るかってのは、けっこう意識してたもんだけど、そういうのとも縁が切れた。
でも、さすがに無視はできなかったな、その時間帯に出かけることはせず、テレビだけど、やっぱリアルタイムで観た。(つい正座してしまった。)
感想は特にないけど。
遠いところのできごとみたい。

そうそう、ことし一番おもしろかったのが、この報道。
JRA理事がノーバン始球式 日本ダービー開催PRhttps://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=201905240000876&year=2019&month=05&day=24
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190524-05240876-nksports-horse
中日ファンなのに、なにスワローズのユニフォーム着てんですか?(笑)

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マリファナも銃もバカもOKの国

2019-05-25 22:02:47 | 読んだ本

町山智浩 2017年 文春文庫版
USA語録シリーズの第3弾。
週刊文春「言霊USA」連載は、2014年3月から2015年3月の時期ということで、時代は新しくなってる。
でも、さすがに町山さんも、この時点では、アメリカがそのあとトランプ氏を大統領に選ぶことまでしちゃうとは予想していなかったみたいだけど。
タイトルの「バカもOK」ってのは、
「In this country,people are allowed to be morons.」
っていう、NBAのオーナー、マーク・キューバンという人物の発言からきている。
それってのは、べつのバスケットボールチームの80歳のオーナーが、自分のチームの黒人選手たちについて、
>奴らにメシを食わせてやってるのはわしだ。(略)奴らがバスケできるのは誰のおかげだ? 奴ら自身か? それともわしか?(p.64)
って暴言吐いて選手から抗議されてるときに、処分に反対して、「この国ではバカでも許されるんだ」と言ったんだという。
なんつーか、失言とかってんぢゃなくて、ホントにそう思ってんだろうねとしか思えない。
そういう時事的な迷言も数々あるけど、今回、辞書にはないだろう(あるのかな?)意味でおもしろいと思った言葉のひとつが、キャットフィッシュ。
「ネット上で自分の顔を出さず、美男美女の写真を使って別人になりすましている人(p.67)」をそう呼ぶんだってね、知らなかった。
で、おもしろいのが(おもしろがっちゃいけないのかな?)、自宅にひきこもってネットに逃避して別人を演じてるそういうひとたちを、テレビ番組でおっかけるんだけど、
>この番組で正体を暴かれるキャットフィッシュの8割がチェルシーのような病的な肥満の男女だ。(p.70)
ってこと。どうしてなのかねえ、まあ、なんとなくそういうイメージはあるあるだけど。
ちなみに、正体を偽ってたことをわびて、悩みを聞いてもらってったりするうちに、みんなやせはじめていくらしい。
あと、
>女が男のふり、男が女のふりをするキャットフィッシュは多く、大抵は田舎暮らしだ。田舎は保守的なので同性愛や性同一性障害は打ち明けられない。未成年や貧困層は都会に行く方法もない。ネットしか逃げ場はない。(p.70)
ってのもおもしろい現象なんぢゃないかと。そういうものなのか。ほかの国や日本ぢゃどうなんだろ。
どうでもいいけど、ネットにおける日本語の「釣り」は英語ぢゃあトロール(釣り)っていうんだそうで、言語ちがえど人間の文化には共通なものあるねえ。
町山さんの専門である映画のはなしで興味深いのは、近年のアメリカぢゃあコメディ映画が減ってるんだけど、それって中国のせいだと。
2010年に20世紀FOXがアメリカで公開した映画の44%がコメディだったのに、2014年には8%に減った。
中国ではシネコンがじゃんじゃんつくられてて、そのうちスクリーン数はアメリカを超すと。
2014年現在の話だけど、
>中国では、10年ほど前まで、ハリウッド映画はほとんど観ることができなかったが、今は年間34本の外国映画の公開が許されている。(略)中国の人々は今、ハリウッドのSFX満載のアクション大作という新しい娯楽に熱狂している。(略)
>(略)コメディは、風刺やゴシップ、時事ネタがわからないと笑えない。アメリカン・ジョークは日本ですらあまりウケないのに、中国では無理すぎる。でもアクションには国境がない。それにビジネスはデカければデカいほど投資も集まる。(p.107「中国はまるで1920年代のハリウッドだ」)
ということらしい。
うーむ、映画のことはよくわからんけど、なんかあんまり質の高いものができなさそうな感じがする。
すると、もしかして、ちょっと前にテレビで、なんかマット・デイモンが長城で怪物と戦うやつ観たけど、あれって、そういう勢いでつくっちゃったりしたものなのかな。

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新・餓狼伝 巻ノ四

2019-05-19 18:19:15 | 読んだ本

夢枕獏 「巻ノ四 闘人市場編」は二〇一八年 双葉社
前回から、なんか改行おおくてサクサク読めちゃうつながり、ってことで(失礼!?)
これ全体として、長い長い話なんだけど、各巻読もうと思うと、わりと速く読めちゃう。
今回は、いつの間にか巻ノ四が出てるのを知ったんで、読んでみた。
っていうか巻ノ三の内容どころか、読んだかどうかまで忘れてて、いちどそっち戻って読んでから、これに取りかかった。
それはそうと、三巻とか四巻とかいってんのも、そもそも餓狼伝は十何巻かいったとこで、新・餓狼伝としてリセットされて一巻から始まったもので。
話はつながってんで、なんでだかはしらない、マンガといっしょで単行本売ろうとおもったら、出版社としてはタイトルかえて一巻から出したいってのといっしょか。
本巻でのお話のほうは、どうやら当初の本筋とはずれていて、オモテの興行ぢゃなくて闇の試合を舞台として、二人の男が戦うのがメインになってる。
本来の主人公だった丹波文七のライバル的存在だった姫川、その父の源三と、人や物の重心について特異な詳しさをもってて針を立てたりってことができるって設定で、謎の武術をつかう、その一団のコーチ役みたいで現役ぢゃないと思われてた磯村っていう、二人の年配同士の異常な対決。
でも、シリーズ途中からのテーマとしてお宝争奪戦のターゲットみたいになってたスクネ流だか菊式だかってのについては、一旦ここでケリがついた形になったんで一件落着。
最後のあとがきのところに「いよいよ最終局面へ」って書いてあるんで、そろそろ横道それるのおわりにして、完結にむかってくれるんぢゃないかと思うが、また新しいキャラ出て来たりしてるんで、どうなるかはわからない。
ちなみに本筋ってのは、たぶん丹波文七と松尾象山が戦うってことが正解でいいんだろうが、ほんとにそこたどりつくのかどうかはわからない。

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魍魎の匣

2019-05-18 20:10:21 | 読んだ本

京極夏彦 1999年 講談社文庫版
ときどき自分で自分のブログのなかを検索することなどがあるんだが、あれ?読んだはずの本なのに書いてないなってこともある。
これがそのひとつで、持ってるのは2006年の23刷なんだが、まあ2007年か2008年に読んだんぢゃないかと思われる、当ブログの開始は2008年12月だからねえ、大昔の蔵書よりむしろ直近のもののほうがオチてるのはありがちな気がする。
『姑獲鳥の夏』につぐ京極堂シリーズの2番目ということで、順番にしたがって読んだような記憶がある。
で、せっかくだから読み返すことにしたんだが、なんせ分厚いからねえ、読むのも大変、文庫で1050ページ。
主人公の京極堂が初めて出てくるのが258ページだもの、待ってましたというにも遅すぎる。
ちなみに、このとき京極堂は、語り部のひとりから「芥川龍之介の幽霊」「親戚全部が死に絶えでもしたような仏頂面」と紹介されている、笑う。
どうでもいいけど、258ページどころか、私の好きなキャラクターの榎木津探偵なんかは454ページにおいて、ようやく初登場する。
そんなわけだから、なかなか事件の全容なんかはわからない、ま、その流れがいいんだけど。
登場人物のひとりによって26ページの時点で「そんなの人間じゃなくて、お化けか、もうりょうです!」とか、主要キャラのひとり木場刑事によって55ページで「自分は中味の入っていない菓子の箱のようなものだ――。」なんて述懐があって、「モウリョウのハコ」への匂いだしは早くから始まるんだけど。
舞台の時代は昭和27年の8月から9月で、場所は武蔵小金井とか三鷹あたりを中心に、武蔵野から遠くは相模湖へかけてのそのへん。
事件のひとつは、14歳の女の子の自殺未遂だか殺人未遂だかよくわかんない鉄道での人身事故。
もうひとつは武蔵野連続バラバラ事件、調布とか登戸とか田無とか多磨霊園で、腕とか脚とかだけが発見される猟奇的犯罪。
で、これに御筥様と呼ばれる謎の霊能者がからんでくる、ケガレがあるから箱にとじこめるとかっていうんだが、その対象が魍魎だってことになる。
やがて京極堂がこの教祖と対決することになるんだけど、そもそも魍魎ってのは正体がよくわかんない妖怪らしいんで、さしもの陰陽師も最初は慎重だったりする。
それはそうと、その御筥様の相談をもちこんだ出版社の記者に対して、京極堂が宗教者、霊能者、占い師、超能力者のちがいを解説するところは、すごくおもしろい、こういう理屈が好きでこのシリーズを読んでるようなとこはある。
あと、どうでもいいけど、
>文化的交流の殆どない世界の各地で、恰も同じものであるかのような怪異が確認出来るように、それは、ある意味で普遍的に発生したと考えられる節があるからだ。人間は根源的な〈妖怪原形〉とでも呼ぶようなものを幾つか持っているんだね。(p.525)
っていう京極堂の言葉を借りての説明は、最初読んだときにはわかってなかったんだが、河合隼雄先生の「おはなし」に関することなんかを知ったいまとなっては、なるほどねと思う。
物語のほうは、「僕の商売は探偵じゃない。憑物落しです」という京極堂が、関係者一同をあつめて全員の魍魎を落すことで決着。
長いけど、文章はさくさくしてて改行も多い感じで、読むスピードは速くなりやすい気がする。

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翻訳夜話2 サリンジャー戦記

2019-05-12 18:05:04 | 村上春樹

村上春樹 柴田元幸 平成15年 文春新書
前回から薄く翻訳つながりということで、これは最近になって地元で買った古本。
村上さんがサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を翻訳したあとにおこなわれた、二人の対話が中心。
それから“幻の訳者解説”がついてる、“幻の”ってのは、サリンジャーサイドから「訳者が本に一切の解説をつけてはならない」という契約の主張があり、せっかく書いたのにお蔵入りになってしまったもの。
私はふるい野崎孝訳の『つかまえて』を一度か二度読んだだけで、村上訳は読んでないし、その小説のなにがどういいのかよくわかってないんだけど、今回これ読んだら、とてもいい解説を聞かしてもらったって感じではある。
>〔※主人公のホールデンが〕自分とだれかとの関係性とか、自分と何かとの位置関係に関してはものすごく能弁に、とても細かくしゃべるんだけど、自分というものの本質とは何かみたいなことになると、実質的にはほとんど何も語ってはいない。(略)
>関係性という、流動的な枠組みの中でしか、彼は自分を語っていない。それが僕はこの『キャッチャー』という作品の、小説的に優れたところだし、チャーミングなところだし(略)(p.154)
とか、
>そういうスタティックなものに対してサリンジャーは、真っ向から対決してますよね。簡単な言葉で、流動的な深い真実を語るんだ、という彼の姿勢はとくにこの『キャッチャー』という本の中ではすごくはっきりしているわけ。そういうところを、僕は高く評価したいと思うんです。(p.92)
とかって、村上さんによる小説のつくりの解説は、とても興味深い。
あと、『キャッチャー』が読んだひとの心にしっかり残る本なんだけど、それを安易な(社会への反抗とか自己探求とかって)定番的な文句で整理してしまおうとすることには、
>でも、やっぱり世間の多くの読者は、読んだ本が心の中に意味もなくしっかり残っちゃったりすると、不安でしょうがないんです。それをそのまま自然に支えられる人って、現代社会ではむしろ少ないんです。だから、なんとかそこのところを言葉でからめとろうとするし、そうするとあっというまもなく制度化が始まってしまう。(p.34)
と無理もないことだと理解をみせつつも、いろんな方向からの読み方ができるのがよい小説だと示してくれてるとこも勉強になる。
あと、小説を訳すのは小説家ぢゃないといけないんだろうなって思わされたのが、
>これはホールデンの語りというコロキアルなかたちで書かれている小説だから、声の大きさやスピードやイントネーションみたいなものも、その文体の中に自動的に含まれているんです。その声を聞き取って、サウンドを補って、そのニュアンスを汲み取って訳していかなくちゃならないということがあります。(p.109)
という村上さんの言葉。
「サウンドを補」うなんて、そうは簡単にできない。小説家のなかでだって、文章のビートとうねりを体得しているひとぢゃないと、なかなか。

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